THE SNEAKERS
THE SNEAKERS | ||
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基本情報 | ||
出生名 | ||
別名 | ||
出生日・地 | ||
血液型 | ||
学歴 | ||
出身地 | 日本 | |
死没日・地 | ||
ジャンル | ロカビリー(rockabilly) | |
職業 | ||
担当楽器 | ||
活動期間 | 1996年- | |
レーベル | キラキラレコード(2001年) TiNSTAR RECORDS(2002-2003年) Mind Games Records(2005-2007年) | |
事務所 | ||
共同作業者 | ||
影響 | ||
公式サイト | [ttp://www.thesneakers.net/ THE SNEAKERS HAPPY HAPPY] | |
メンバー | ||
谷岡幸太郎-(ボーカル) 田中晋太郎-(ギター) 星直人-(ウッドベース) 米倉雄三-(ドラム) | ||
旧メンバー | ||
SAM -(コーラス) CAP -(コーラス) A.MA -(ギター) Fats -(ウッドベース) コーイチロー -(ドラム) シモ -(コーラス) | ||
著名使用楽器 | ||
THE SNEAKERS(ザ・スニーカーズ)は、日本のロカビリーバンド。50年代アメリカン・ポップスをベースに、80~90年代ジャパニーズ・ロックのエッセンスを加えた、陽気でせつない楽曲が多い。1996年結成。2007年のメンバーの脱退後、サポートメンバー(愛し隊)と活動を続け、2010年8月ボーカルコータローの地元大阪にて復活。現在、緩やかに活動中。
概要[編集]
1996年結成。谷岡幸太郎(vo)・米倉雄三(dr)・星直人(wb)にて1996年8月27日新宿アンチノックにてデビューライヴ。1998年THE SNEAKERS自主企画『RIP IT UP 』がスタート。川崎CLUB CITTA'・新宿LOFTをホームグランドに現在その数は60回を越える。2006年ガッツ石松主演映画『ガッツ伝説 愛しのピット・ブル』に出演。2007年ボーカル・コータロー以外のメンバー脱退後、サポートメンバー(愛し隊)にて活動を継続。それと平行しソロ活動を本格化。テレビ埼玉『ギャルギャル大図鑑』メインMCをはじめ、DJ・司会・ラジオ出演等幅広く活躍。2010年4月には地元吹田のコミュニティ放送FM千里にてメインパーソナリティを務める。
2010年8月地元大阪にてオリジナルメンバー(谷岡幸太郎・星直人・田中晋太郎・米倉雄三)にて復活。
来歴[編集]
交通事故でベロを噛み切り集中治療室。退院後に喧嘩につぐ喧嘩で鉄格子の向こう。幸太郎の元に一通の手紙が届く「ロカビリーのタイコやってます!自分もロカビリーで一番になるつもりです!」雄三(dr)と出会い、メンバーを翻弄。初ライブの客にどきついトサカにライダースの上下、けつをプリプリツイストさせていた男と再び再会したのは数ヵ月後の高円寺のライブハウス。ベースを弾きながらエルヴィス・プレスリーを唄っていた直人(wb)をヘルプに加え活動。その後幸太郎と雄三が衝突、解散の危機に。そこへ「俺もヘルプじゃなくてもう本気だから解散は困る!このまま頑張ろう!」と正式加入。クアトロでの13CATS とのライブに招待した時、それまでのスタジオではずっとクールだったのに、この日、ハートをむき出しにし「もう!すぐにライブしたいです!メンバーにしてください!」僕の思い描くギターのすべてを奏でるギタリスト晋太郎。四人でのTHE SNEAKERSがスタートする。1998年当時お世話になっていたライブハウス下北沢屋根裏よりTHE SNEAKERS自主企画スタート。幸太郎・雄三・直人の三人で企画名を試行錯誤し「サムシング・ヘルス」を提案するも、エディ・コクラン好きの雄三に却下され今現在の「RIP IT UP」が始まる。当時キラキラレコード新人発掘の一環として毎月行っていたライブイベントへも出演。1999年初のアルバム「You'll Be Boppin'」を発表。2001年4月にはキラキラレコードより恋のハッピーパレードをリリース。2010年12月キラキラレコード20周年記念の3枚組ベストアルバム(全56曲)で2500曲の中よりTHE SNEAKERSが選出される。2002年・2003年にはTiNSTAR RECORDSよりBABY MAYBELLINE・HAPPY WANDERERSをリリース。2005年Mind Games RecordsよりリリースのSA・YO・NA・RA列車はガッツ石松主演、メンバーも出演の映画ガッツ伝説 愛しのピット・ブルにて挿入歌として起用され主題歌を「Toshiki & The Sneakers」として担当。ちなみに、幸太郎は「おしゃビリー」でもある。NHK「熱唱オンエアバトル」の成績は3勝1敗。同レーベルより2006年ハッピービアーでスコールを!リリースしタワーレコードチャートで9位を記録。2007年には放課後ポニーテールをリリースし、渋谷O-WESTワンマンからレコ発ツアーをスタートさせる。2007年1月川崎CLUB CITTA'放課後ポニーテールツアーファイナルでメンバー(直人・晋太郎・雄三)が脱退。幸太郎とサポートメンバー(愛し隊)にてTHE SNEAKERSが継続される。2007年2月六本木morph-tokyoにて幸太郎・愛し隊初ライブ。自主企画RIP IT UPも継続しLESSON53~LESSON63まで開催。2010年8月地元大阪のライブハウスキングコブラにてオリジナルメンバー(幸太郎・直人・晋太郎・雄三)が復活。まだリリースはされていないものの新曲WAO!はTHE SNEAKERSらしいハッピーなナンバー。
メンバー[編集]
- 谷岡幸太郎(たにおかこうたろう)-ボーカル
8月15日生まれ。好きなアーティスト・ニール・セダカ・BOOWY・G.D.FLICKERS・モトリークルー・他、超多数
- 田中晋太郎(たなかしんたろう)-ギター
11月17日生まれ。好きなアーティスト・ジミ・ヘンドリクス・ジェフ・ベック・エリック・クラプトン、他
- 星直人(ほしなおと)-ウッドベース
2月27日生まれ。好きなアーティスト・Charles Mingus
- 米倉雄三(よねくらゆうぞう)-ドラム
3月15日生まれ。好きなアーティスト・シェーキー小山田
サポートメンバー(愛し隊)[編集]
2007年1月オリジナルメンバーの脱退後、THE SNEAKERS愛し隊という名のもとに集まった男達。2007年2月六本木morph-tokyoで初ライブ。2008年2月には渋谷O-WESTでワンマンを成功させる。徹底的に不器用で底抜けに陽気な彼等に宿った【力】は、果てしない欲望と共に溢れ出し・・・サポート終了後THE☆FORCEを結成。
- SAM -コーラス
愛し隊リーダー。THE SNEAKERS当初よりの熱烈ファン。一児のパパ。
- CAP -コーラス
カスタムホットドックの移動販売HOTDOG Monkeyの社長兼社員兼美人秘書
- A.MA -ギター
ROCKABILLYバンドHOT DOG BUDDY BUDDYのボーカル・ギター
- Fats -ウッドベース
下北沢ヘアサロンCamino店主。TAKU。
- コーイチロー -ドラム
- シモ -コーラス
作品[編集]
CD[編集]
発売日 | タイトル | レーベル |
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2001年4月21日 | 恋のハッピーパレード | キラキラレコード |
2002年1月25日 | BABY MAYBELLINE | TiNSTAR RECORDS |
2003年1月15日 | I'm seventeen She's sixteen | TiNSTAR RECORDS |
2003年 月 日 | 涙のスウィンギンビリー | TiNSTAR RECORDS |
2003年9月10日 | HAPPY WANDERERS | TiNSTAR RECORDS |
2005年1月25日 | SA・YO・NA・RA列車 | Mind Games Records |
2006年5月12日 | ハッピービアーでスコールを! | Mind Games Records |
2006年11月3日 | 放課後ポニーテール | Mind Games Records |
2007年3月9日 | 帰ってきたヨッパライ | Mind Games Records |
2007年9月7日 | Romantic Fantasy | Mind Games Records |
DVD[編集]
- 帰って来たヨッパライ/夢の片道ロックンロール (2007年発売)
- 出演/ハッピー太郎・THE SNEAKERS(SHINTARO NAOTO YUZO)・前園りさ・加藤隼平・他
- 製作/タクトピクチャーズ バースエンターテイナーズ
エグゼクティブプロデューサー/高橋茂 プロデューサー/宮原氣 伊東光輝
- 脚本・監督/やなぎさわやすひこ/yanagix
- 作品解説
高校時代の仲間とロカビリーバンド「ザ・スニーカーズ」を組むコータロー(ハッピー太郎)。 トラックの運転中に彼は、アイドルを夢見る田舎娘(前園りさ)と偶然出会う。 夢と希望と感動が、見事にMIXされたnon-stopロックンロール&青春コメディの不朽の名作。
幸太郎自伝書[編集]
THE SNEAKERS企画RIT IT UPで配布されている幸太郎自伝書~SENTIMENTAL JUKEBOX~は一部、文庫化されている。 地元吹田での学生編から上京編、そしてバンド結成秘話等を赤裸々に綴る自伝書は幸太郎の心の景色と共に壮大な内容となっているゆえまだ完結されていない。過去・現在を織り交ぜた構成で、毎回締めにはリアルタイムなメッセージが込められている。
中学編[編集]
- 「なぁ雄三、僕こんな事書きたいねんけど・・・」そう言ったのは三年前のRIP IT UP直前の事だった・・・「いいんじゃない?やろうよ!」彼は快く答えてくれた。この「中学編」を絵本の様な、プロローグ的な感じで仕上げたい!そんな気持ちがこの様な形となりました。さぁ、僕と一緒にコインを落とそう・・・・
THE SNEAKERS コータロー (文庫化SENTIMENTAL JUKEBOX 前書きの前書きより)
高校編[編集]
- 髪の毛の伸びた僕はつんつんに固め、制服をはおり愛車に乗る(ママチャリ)。30分くらい産業道路沿いを走らせ、中央環状線を越えると茨城西高校だ。新入生歓迎会という行事があり、一年生は体育館に集められた。演劇部の寒い劇、フォークソング、他いろいろあった。そういうのをやじって盛り上げるだけだった僕らだが、僕の高校生活を変えてくれる物に出会う。それは軽音部だった。 (RIP IT UP 14より)
- あの時、僕の心臓はどれくらいオンマイビートしていただろう?僕ら1年7組の仲間で作られたバンド「アブノーマル」は体育館の舞台袖で待機していた。時は過ぎ僕らは2年生、そう新入生歓迎会である。今度は僕らの出番だ。「マイビー、マイビー」と心臓がさっきから鳴る。「さぁ出番やで」体育館のステージに立つ。暗幕の向こうに新入生の声がざわざわ聞こえる。さぁ、レッツロッケンロー!! (RIP IT UP 18より)
- 高校に入ってから色んなバンドを作っては解散し、同じ高校にメンバーが見つからない状態になっていた。そこで、考えたのはロクf(音楽雑誌)のメンボのコーナーだった。年上のオリジナルバンドに加入した方が楽だと考えたが、いろいろ甘かった。その雑誌に載っていた堺のバンドに手紙を出した。オーディションの課題曲は、アースシェーカーの「MORE」だった・・・(RIP IT UP 21より)
- 流行っていたのはダントツでBOOWYだった。誰かが爆風スランプのCDを買うと、回し借りして、ハイポジションのカセットテープにレタリングシートを一生懸命貼った。初めて買ったCDは、実は久保田利伸のSuch A Funky Thang!だった。その頃ニューミュージック系の電子音もお気に入りで、特にゲームミュージックは大好きで、今でもザナドゥのオープニングのイントロは、僕の頭の中をきれいに流れていきます。 (RIP IT UP 23より)
- 「よく覚えてるよな!」そんなことをよく言われます。今でもあの頃と同じのど飴を口にすると、さまざまな景色がメロディーと共に、僕を包んでくれます。
(RIP IT UP 24より)
- 文化祭を満足に終わらせた僕は、学校にある意味目標が無くなった。周りは就職や進学などバタバタしてきたが僕は音楽でやっていく!と決めていた。そんなある日、部屋で深夜テレビを見ていると「今、ストリートミュージシャンが熱い!」なんてタイトルで大阪のストリートミュージシャンが紹介されていた。僕は愕然とした。まるで大したことないからだ。僕は、とりあえずストリートに出ることを決意した!そしてそれは、僕に新しい世界をもたらしてくれるものでもあった・・・ (RIP IT UP 26より)
- 冬の大阪、ビルの谷間に風が吹きぬけ、底冷えする。おかんから貰った、キリバイをもみながらピックを持ち、タカミネのギター(借り物です)を振り下ろして歌い始めた。一番初めに歌ったのは、確かその頃貯めていた、オリジナル曲だったと思う。尾崎豊や長渕剛も沢山歌った。カップルが多かったので、ライチャンスブラザーズのアンチェイドメロディー(ゴースト)を歌った。 (RIP IT UP 27より)
- 初めて、まともなツアーをまわってきた。直人の手の怪我の心配もあり、ツアーの中止やヘルプも一時期は考えましたが、みんなで力を合わせ、本当に気持ちよくツアーを乗り切り、ファイナルを迎えることができました。ツアーとは始まった瞬間からファイナルに向かっています。その為に一歩一歩楽しみ、演奏しました。ワンマンからこのファイナルまで、ほんまにあっという間でした。ヤバイね。ツアーをするとすぐ老けそうです(笑) (RIP IT UP 29より)
上京編[編集]
- 時は1993年7月、JR京橋駅前、白の軽自動車パルコに二人はいた。車のエンジンを止め、僕は最後に後輩から貰った手紙を読んだ。そこには、彼から見た今までの僕の事が書いてあり、最後に先輩ではなく、親友だと思っている、とまで書いていてくれた。僕は、手紙をめくる度に涙が溢れてきた。「行くぞ!」「うん」少し蒸す、夏のどしゃぶりの雨の中、駅前の側にある一国。帰り道はいつもなら左折、今日は違う。右にウインカーを出し、パルコを一国。に乗せる。目指すは、東京!僕らは今、夢へのアクセルを踏み込んだ・・・ (RIP IT UP 30)
- 一国から右側一面に浜名湖と真紫の夕暮れが大パノラマで広がっていた。ハワイのお土産にあるようなブロマイドのような、その紫の空にダイヤモンドを散りばめた様な星がきらめいている。感動する二人に「ドド~ン!ドド~ン!」と地響きのような音が聞こえた瞬間、星をちりばめた真紫のど真ん中に花火が上がりだした!!その花火の下には工事中の大きな大きな橋が浜名湖をまたごうとしている。まだ完成もしていないのに堂々と威厳を保っているように見えた。この景色を絶対歌にしたい!!・・・この大橋は後に「涙のスウィンギンビリー」へと続いて行く・・・ (RIP IT UP 36より)
- さぁ、新宿LOFTワンマン!どうでした?僕の中でワンマンはロフト東田さんの了解を獲た瞬間からスタートしている!やるだけ盛り込めたお気に入りのワンマンだ。最高だったでしょ?多分、ワンマン後、みんながこの自伝を読んでくれるだろう。優しい笑顔でね!僕はそのみんなの笑顔を思いながら、ワンマン前のなんともいえないこの気持ちにひたり明日を向かえようと思います・・・ (RIP IT UP 37より)
- あれから時間も経ち、僕も何度、国道20号を走っただろう・・・日野橋の改装やらもあるけれど、あの上京時ほどの20号の混雑を味わった事はない。時々、ふっと、あの日の大渋滞と被る光景にぶつかる事がある・・・そんな時、頭の中を「東京ブギー」が流れ、僕はたまらない気持ちになり空を見上げます・・・ (RIP IT UP 38より)
- はじめてまともな、東京での仕事!問屋!面接の時のイメージと違い、働いてるバイトは今で言うイケメン!とにかく、おしゃれなギャル男さん達だった。社員はおじさん達、僕の研修担当はそのイケメンの一人だった・・・そして!!午後からいよいよ僕のトラッカーデビュー!!いんやぁ~!!でかかったなぁ・・・2トン車!!初めて運転した大型よりもこの日の初運転の方がよっぽど印象に残っている!!そして!もう一度言う!スウィンギンビリーなんて単語をみんなで、敬愛するとはこの当時の僕には思いもよらず・・・夢中でハンドルを握っていました・・・ (RIP IT UP 45より)
- そして数日の研修も終わり、いよいよひとり立ち!!2トントラックのエンジンをふかし勢いよく通りに飛び出す!!いまでもはっきり覚えているのだが、ラジオのチューニングをFEN(今はAFNかな?)に合わせた瞬間に!ジャージャーン!!タン!タン!と!エルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」だ!!僕は異様なテンションで興奮しまくった!!まさに僕という映画のワンシーンにぴったりだ!!永きに渡るスウィンギンビリーの幕がここから始まりました・・・ (RIP IT UP 51より)
- なにより、かっこいいのは愛し隊だよ!!彼らには彼らの道があるにもかかわらず、僕のわがまま、そのわがままの先にはいろんなプレッシャーや、意見、時間の束縛、それらを一言もこぼさず、前向きに突進してくれる!!感謝しています。一生、忘れない・・・・(RIP IT UP 54)
- 今ではバイパスもでき、変わってしまっているが、時々、裏道にさしかかった時!うっすらと!記憶にある酒屋さんにでくわす!!たまらない気持ちになる・・・今、あの仕事をこなすとどのくらいで帰れるかな?そんなことをこの界隈を走らせる時よく考える。あのなんていうか、巨大な未開の土地!埼玉・・・今ではその埼玉でテレビの司会をこなしている!!わからんもんだね!!また今日走った道が明日の自分にリンクする!!君の町のなにげない景色、また、誰かがリンクする・・・ (RIP IT UP 55より)
外部リンク[編集]
- [ttp://www.thesneakers.net/ THE SNEAKERS HAPPY HAPPY]
- [ttp://www.senriwokakeru.net/ コータローの寅年!千里を翔ける!]
- [ttp://www.thesneakers.net/theforce/PC/index.html THE☆FORCE]