Miru
miruとは、2006年10月より、映像作家長岡槇市(ながおかしんいち)らによって始められた映像によるアートプロジェクト、miruプロジェクトの通称。「1分1カット無音」というルールを世界で始めて明確に設定し、「ZO(ぞう)」というテーマを明確に設計することで、だれでもが俳句のように簡単に映像が作れるようになることを目的としている。
miruの意味[編集]
miruとは、日本語の「みる」を由来とする言葉である。「みる」という大和言葉には、「見る」「観る」「看る」「視る」「監る」「瞰る」「相る」等の30個以上の視覚に関する漢字が当てはめられる。これは「みる」という言葉が、視覚に関係するものの、ほとんどすべてを、その古代において現していたのだと長岡は考えた。映像を解剖しつくした果てに、辿りついたもの、それがmiruというものであった。
「1分1カット無音」[編集]
1895年のリヨンでリュミエール兄弟によって発明された映像は、112年の歳月を経て、そのありかたを大きく変えた。 それは大局として見ると、映像と人との距離との接近化であり、映像の個人化という流れであった。 劇場で眺める対象であった映画、自分の内の居間で見る様になったテレビ、そして一対一の関係性として映像と関わることになった PCモニター、そして現在では携帯電話や、ゲーム機などでも映像を扱えるようになったのである。 そんななかで映像はかつてあった瑞々しさを失いつつあるのではないかとの問いのもとに、長岡らは映像をその根源、つまり リュミエールの時代に戻してみることを決意する。そして日本古来からあったルール化への特性を最大限に活かしつつ、 生まれたのが、「1分1カット無音(miru1.0 / mikata ①)」であった。長さを1分に特定することで、飽きずに見ることができ、カット割りをせず、1分間の長回しを行うことで、対象物をよりじっとみつめられ、かつ内省に至れるという利点も生んだ。 そして技巧によって優劣が目立つ音をも削除することで、純粋に視線の内容に特化した映像が、無数に誕生することになった。
「ZO(ぞう)」[編集]
「1分1カット無音」というルールを設定するだけではまだ足りないと感じた長岡は、よりだれもが映像を撮影できるようになるための処方箋として、誰もが持っている自分にとっての思い出や、大事なアイテムや心象風景を「ZO(ぞう)」という言葉を作り新たな概念として提示した。自分自身のZOを、ルールに基づいて撮影し、プロジェクトに提出するだけで、自分の映像が作品化するというシステムが確立したのである。
2007年5月現在で、およそ150名が参加し、250本程度の作品が集まっている。 その中には、アスリートの室伏広治や古武術家の甲野善紀などの著名人の名前もあり、今後国際的な普及が見込まれている。
また一万人の参加者までたどり着いた時点で、現代の「万葉集」として後世に残すアーカイヴとすると、宣言している。
miruプロジェクトの展示と今後[編集]
miruプロジェクトは、2007年3月10日に、その第一回目のイベントを自由が丘スウィーツフォレストにて行い、 222名の来場者を記録した。従来式の広告を一切行わず、ミクシーなどのウェブや、口コミをベースとした個人のアートプロジェクトが集めた数としては、驚異的な来場者数である。 展示方法としては、5つのスクリーンによる作品を上映した。
二回目のイベントは、2007年5月19日に台東区谷中にある天王寺にて開催、従来の映像上映の枠に囚われない斬新な上映スタイルに注目が集まった。外国人留学生などを中心に60名程度が来場した。 今後の活動はまだ発表されていないが、フランスや中国等で展開するとの情報もあり、今後の展開が期待されている。