龍門好五郎

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龍門好五郎(りゅうもん よしごろう、文化4年(1807年)~天保4年2月14日(1833年))は、江戸時代後期の大相撲力士。本名は平原由五郎。周防国大島郡(現在の山口県大島郡)大島町家房出身。所属は若狭川部屋(伊予)→陣幕部屋(大坂)。最高位は張出前頭で、いわゆる看板力士の一人だった。

伊予国大島郡出身で、身長7尺4寸5分(約226㎝)・体重40貫(約150㎏)[1]の巨漢だったと伝えられる。また手のひらに1文銭が10枚並べて乗せられたことから、地元の人々は彼を「十文好(十文由)」(じゅうもんよし)と呼んだと言われている。

文政11年(1828年)10月、22歳のときにその巨体を見込まれて興行上の看板力士として西幕内に張り出され、土俵入りだけをつとめた。当時の彼は相当に人気があったらしく、江戸狂歌立川焉馬(2代目烏亭焉馬)が「龍門は 並ぶかたなき 男とて 龍とも登る 鯉の若者」と詠んだ逸話も残る。しかし龍門が江戸相撲に出場したのはこの場所限りだった。その後彼は上方相撲の力士として京都や大坂にも登場したが、天保4年2月14日に27歳の若さで没した。

彼の故郷である山口県大島郡大島町家房には現在も『龍門好五郎手形碑』が残り、また東京深川の富岡八幡宮内にある巨人力士身長碑・手形碑・足形碑にも彼の四股名が見え、これらの石碑によっても彼の巨漢ぶりを推察することができる。

成績[編集]

  • 初土俵:文政11年10月場所
  • 通算成績:0勝0敗10休

注釈[編集]

  1. 体重については45貫(約169㎏)とする説もある。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
  • 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。