顎
顎(あご、頷、英:jaw)は、それを持つ生物一般においては、口の一部であって、開閉して物を捕らえる機能を有する構造体を指す。
ヒトを含む顎口上綱の動物では、頭の下部にあって、上下に開閉する機能を持つ、骨(顎骨)と筋肉を中心に形成された、口の構造物全体を指す。顎口上綱の顎は上顎と下顎で形成されており、支点のある上顎に対して下顎が稼働する。哺乳類(ヒトを含む)は下顎の稼働性が高く、これを繰り返し動かすことによって食物を咀嚼する。対して、顎を具えてはいても咀嚼を行わない動物の多くは、物を捕らえる、引きちぎる、呑み込むなどを行うために顎を用いる。
呼称[編集]
「あご」を表す漢字には、「顎(音:ガク、訓:あご)」のほか、「歯の根をおおう肉(歯茎)」を原義とする「腭(齶、音:ガク、訓:あご、はぐき)」や、「{口+咢}(音:ガク、訓:?)」がある。 また、別に「頤(おとがい)」を「あご」とも言うが、この字は主に「顎」を指す(「#ヒトの顎」も参照)。 なお、医学などにおける日本語の専門用語としては、「顎、腭、{口+咢}」はいずれであっても音読みをする。
生物学上の顎[編集]
動物全体で見ると、口に顎を持たない動物群も多い。顎を持つ動物に脊椎動物、節足動物、有爪動物、環形動物、顎口動物が挙げられ、その構造、由来も動物群によって大いに異なる。ウニ、頭足類、輪形動物などにも似た構造があるが、普通は顎と呼ばれることはない。
節足動物の場合、鋏角亜門を除く甲殻類・昆虫類・多足類などの動物群は1対以上の顎を持つ。節足動物の顎は口に続く短い突出物になっていて、その基部で体に関節して左右から挟みこむ構造になっている。この顎は体節の付属肢に由来し[1]、一節からなるごく短いものが多いが、より付属肢的な形を残したものもある。挟むようになっている場合、内側にギザギザが入っていることもあり、これを歯と呼ぶ。昆虫などでは前方のものを「大顎」、後方のものを「小顎」と言う。甲殻類ではその後に2対の顎脚(がっきゃく)が続くものもある。
有爪動物の場合、口の側方に突出するものを「口側突起」と言うが、これとは別に口のすぐ内側に左右から出っ張る大顎を具える。
環形動物の場合、口の内側に左右から挟む形の顎を持つものが多毛類とヒル類にある。
顎口動物は、袋状の消化管の入り口が筋肉質の咽頭となっており、ここに一対の顎がある。
脊索動物の場合[編集]
脊索動物も初期群に顎を持つものは存在せず、現在でもナメクジウオやホヤなど脊椎動物以外の脊索動物は顎を具えていない。そもそも脊椎動物においても、初期段階におけるボディプランでは顎がない。これら顎を持たない脊椎動物は総称的に無顎類とされ、数多くの絶滅種が知られている。また現生においてなお祖先的形態を多く保持するとされる円口類(ヌタウナギやヤツメウナギ)もやはり顎を持たず、口には細かい角質歯が並んでいるだけである。しかし、古生代もカンブリア紀からオルドビス紀へ移ると顎を獲得した顎口類(顎口上綱)が出現し、これ以降、無顎類に替わって彼らが優勢グループとなって適応放散していくことになったと考えられている。
顎口上綱が獲得した顎は腹背方向に動き、開けば口腔を大きく広げることができる。
この顎は胚における第1咽頭弓(顎骨弓)から発生する。つまり、同じくその後ろに続く咽頭弓から発生する鰓(鰓弓)などとは連続相同であると言える。顎を獲得した仕組みは脊椎動物の進化上の大きな謎であり、いまだに多くの学説が提示されている。例えば、長らく無顎類の持つ鰓弓のうち前方の1対ないし2対(顎前弓)は顎口類では失われており、それに次ぐ1対(つまり前から2番目ないし3番目の鰓)が変形したものが顎であるとされてきたが、これらの説も現在では疑問視されるようになってきている(詳細は梁軟骨を参照)。
顎を構成する骨格要素は様々である。例えばサメなどの軟骨魚綱では、口蓋方形軟骨および下顎軟骨(メッケル軟骨)がそれぞれ1対で上下顎を構成する。また、その後ろの1対(第2咽頭弓)の一部が舌顎軟骨へと発生し、内耳直下に関節して脳函と顎を接続している[2][3]。しかし、硬骨魚類においては上下の顎に皮骨由来の新たな骨が加わり、軟骨魚で顎を構成していた骨は後方へと追いやられ、方形骨(口蓋方形軟骨の後端が骨化したもの)および関節骨(下顎軟骨の後端が骨化したもの)として顎の蝶番を構成している[4]。また、上顎は皮骨頭蓋を介して脳函へと接続し、舌顎骨(舌顎軟骨)は縮小している。この舌顎骨は、四肢動物においては耳小柱となって音を聴くための器官へと転用されている[5]。
四肢動物のうち、より陸上へと適応したグループが有羊膜類である。有羊膜類の中でも顎の形態は非常によく多様化している。 例えば、このうち哺乳類を含む系統のグループである単弓類(哺乳類以外の単弓類の旧称:哺乳類型爬虫類)では下顎を構成する皮骨由来の角骨に音波を拾う機能を有するのが共有派生形質で、ここから関節骨、方形骨と音波を伝えて方形骨に接続した耳小柱を介して内耳に信号を渡していたが、哺乳類への進化の過程で再び顎の構造に変異が起きている。角骨、方形骨および関節骨は関節から外れて中耳へと取り込まれ、角骨は鼓膜の支持骨である鼓骨へ、方形骨と関節骨は鐙骨(耳小柱)とともに耳小骨となっている。また、下顎構成骨で唯一残された骨、歯骨は麟状骨(側頭骨の一部)に接触して新たな顎関節を形成している[6][7]。
顎関節およびそれに関わる骨の相同関係を以下に示す[8]。
- 口蓋方形軟骨 - 方形骨 - 砧骨
- 下顎軟骨(メッケル軟骨) - 関節骨 - 槌骨
- 舌顎軟骨 - 耳小柱 - 鐙骨
その一方で、爬虫類、鳥類を含む系統である双弓類では耳小柱の接する方形骨に直接鼓膜が生じ、耳小柱はこの方形骨由来の鼓膜から直接音波を拾うように進化したため、顎関節に大きな改変は生じなかった。
ヒトの顎[編集]
顎の先端がとがって突き出ている部分を「おとがい(頤)」と呼び、ヒト科の中でもヒトに固有の特徴とされる。これは、歯列が縮小したために骨が取り残され、結果的に突出部となったものである。[9]。
人間の下顎は、汗や涙の出口(ポタッと落ちること)になることがある。
下顎(ジョー)、顎先(チン)はボクシング、格闘技では急所として扱われる。特に顎先に打撃をもらうと脳震盪を起こしやすい。
文化・言語[編集]
慣用句としての「顎」[編集]
- 顎で使う
- 自分は何もせず、人をこき使うこと。
- 顎が出る
- 疲れること 息があがること。
- 顎をはずす
- 大笑いしている状態をあらわす。
派生した俗語[編集]
- あごをかます
- 大相撲の隠語で、相手に何かを頼まれた時にけんもほろろに断ること。相撲の立合いの時に肘をアルファベットの「L」の形のように直角に曲げて相手の顎に当て一機に相手の上半身を起こすことを「かます」というが、このことに由来して取りつく島のない様子をシャレ言葉で表している。
- 顎足付き(あごあしつき)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 犬塚即久 (2006) 犬塚即久 [ 「退化」の進化学 ] ブルーバックス 講談社 2006 4-06-257537-X 30-33、150-152頁
- 倉谷滋 (1997) 倉谷滋 [ かたちの進化の設計図 ] ゲノムから進化を考える 岩波書店 1997 4-00-006627-7 6-7、40-46頁