青沼忠重
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青沼 忠重(あおぬま ただしげ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。通称は助兵衛尉[1]。
生涯[編集]
武田信玄、その没後は武田勝頼に仕え、勘定奉行として跡部勝忠や市川昌房らと共に甲斐武田氏の財政を統括した[1]。奉行としての活躍が目立ち、特に鉄砲や玉薬の調達に務めている[1]。天正7年(1579年)に武田勝頼が御館の乱に介入して越後に出兵した際には、勝忠と共に甲府の留守居役を務めた[1]。甲府の治安維持と要害山城の普請、躑躅ヶ崎館の管理に出兵した武田軍の兵糧運送に鉄砲玉薬の調達、御館の乱の際に上杉景勝との間に結ばれた和平条件である菊姫の輿入れ準備など、全て忠重が担当した[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3