都営バス都05系統

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晴海通りの基幹路線  東京駅から晴海埠頭への路線としてまず作られたのは、昭和36年開通の東京駅~晴海貿易センターの臨時便。その後は毎休日運転となったものの、いつしか廃止されてしまう。  廃止からしばらく経った昭和60年ごろ、銀71(新宿駅西口~晴海埠頭/現・都03)の定時性を確保するために、1時間に1本程度運行を開始した。この時点での経路は現在と異なり、都庁前(現東京国際フォーラム)から日比谷を経由して晴海通りに入っていた。昭和63年3月、銀71→都03の都市新バス化でこの折返系統は廃止され、改めて3ヶ月後に開通したのがこの路線。都03・都04の都市新バス化よりも登場が遅れたのは、有楽町線の新木場延伸まで東18(東京駅南口~銀座四丁目~門前仲町)を運行する必要があったためだろう。  都03の枝線のような姿の系統だったが、かなりの本数が確保された。 平成5年には、杉並営業所の車も都03の間合いで朝夕を中心に都05の運用に入り始めた。築地・勝どき・晴海と乗降も多かったが、平成12年の大江戸線改編で状況は一変する。本数の多寡で見ても平成11年の時点で都03<都05だったが、都03が短縮・大減便されたことで、都03が都05の支線のようになってしまった。皮肉なものである。

晴海会場  都03や都05の側面方向幕に、「晴海会場」という表記がある。そのような停留所は存在しないが、一体どこのことだろうか? 実はこれ、現在の「ほっとプラザはるみ入口」のこと。以前は「晴海見本市会場前」という名称であった。「晴海会場」こと国際見本市会場は、大規模な催物会場として永年機能してきた。この当時から、幕の表記は「晴海会場」だった。ところが、時代の変化により、この施設そのものの有明地区への移転が計画され、すべての機能は新しい施設に移されることとなった。それが現在の国際展示場、いわゆる東京ビッグサイトである。 当然、停留所名改称を余儀なくされたが、とりあえず「晴海会場前」とされた。従来からそのように呼ばれることが多かったため、改称という実感があまりなかったものである。そして、会場跡に新しい施設が完成し、平成13年8月1日、現名称に改称された。それでも相変わらず幕に「晴海会場」を表示しているのは、それだけ定着している名称だ、ということであろうか。