都営バス新小21系統

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60万都市、江戸川区の南北の幹線  元は新小22の枝系統として、新小岩から宇喜田まで行き、そこで左折して浦安まで結んでいた路線であった。鉄道に恵まれなかった浦安には、東京都の外にもかかわらず様々な都営バスが乗り入れていた。しかし東西線の開通後は意義も薄れたためか、葛西駅と新小岩駅を結ぶように変更。その後西葛西駅の開業時に西葛西駅発着に改められ、ここに新小21・新小22兄弟の今の姿が完成したのである。  その新小21、新小岩駅から西葛西駅までを船堀街道(平和橋通り)を経由して結ぶ。とにかく乗客の入れ替わりが激しく、非常に乗車効率の良い路線である。王40が北の横綱なら、新小21は東の横綱、といえようか。さらに平成12年12月になって急行04も開通。こちら船堀駅~宇喜田間は船堀街道を直進し、速達効果を狙っている。

浦安  東京都に隣接し、TDRを擁し、また東京への一大ベッドタウンでもある千葉県浦安市。現在は東京ベイシティ交通がほぼ独占する形でバス網を築いているが、かつては東京都交通局も浦安に乗り入れていた。その乗り入れの歴史は戦後すぐから始まっており、東西線がなかった時代、交通不便だった浦安にとっては、乗り換えなしで国鉄総武線の駅までアクセスできる系統の存在は重要だったと思われる。  最盛期は新小岩から新小21・22が、東京駅からは東28が、亀戸駅からは亀29が、一時期に限り平23も平井駅から乗り入れていた。このうちの半分ほどは浦安橋を千葉県側に渡った浦安橋東詰を終点としたが、残りは現在の浦安駅前を通り、R357とクロスする手前の浦安終点まで達していた。  この乗り入れも、東西線が開通して劇的に交通が改善されると縮小傾向となり、昭和53年11月の改編で新小21は葛西橋通り経由葛西駅まで短縮され、浦安から都営バスは撤退した。すぐ後の西葛西駅開業で新小21は西葛西駅発着に改められ、現在の姿が完成することになる。