趙 成(ちょう せい、? - 紀元前207年)は、秦の家臣。趙高の弟。『史記』「秦始皇本紀」に記述がある。
紀元前207年、趙高が二世皇帝の殺害を計画した際、趙高から閻楽と共に謀議に呼び出されている。趙高の三族は咸陽で天下への見せしめとして晒された。