西村拓郎
西村拓郎(にしむら たくろう、1969年12月17日 - )は、日本の実業家。日拓グループ代表取締役社長。東京都出身。
妻はタレントの神田うの。
来歴・人物[編集]
- 幼稚園は成城学園に通った後、公立の小中学校を経て、アメリカ合衆国に留学し、高校と大学を東海岸で過ごし1991年に帰国。
- 1992年1月から日拓グループ取締役社長室長。
- 1994年日拓グループ常務取締役
- 1997年日拓グループ専務取締役
- 1997年日拓グループ取締役副社長
- 2003年日拓グループ代表取締役社長兼CEO
- 妻・神田とは2006年11月5日に婚約し、2007年10月8日に挙式。2008年1月28日~2月4日まで、ドバイに7泊8日の新婚旅行。
- 妻・神田との間に2011年10月出生した女児がひとりいる。
エピソード[編集]
- 宅地建物取引主任者の試験を3回受験して合格した。
- 1999年に神田うのと写真週刊誌沙汰になった頃、美川憲一から「あんた、うのと付き合うのは10年早いわよ」と言われたが、それから10年目にあたる2007年の10月に挙式を行った。うののブログでは「ハニーちゃん」と呼ばれている。2013年11月6日のいいともでも
神田うのが生で書き込んだ
- 「射幸心をあおるようなパチンコを敬遠する社長」とパチンコ業界紙に紹介されている。
- 首都圏の一等地を中心に20店舗を構えるパチンコチェーン店を展開し、ほとんどは自社所有物件である。
- パチンコ業界での人脈は広く、全国のパチンコホールの若手経営者を始め、パチンコ・パチスロメーカーの経営者ともしばしば豪遊している。
- 日拓グループ経営のディスコ4店舗は1980年代~90年代に流行した。
スポーツカプセルあるようだ このことは2013年11月6日 のいいともで明らかになった
元愛人が暴露した「家庭崩壊危機」と再生(2012年12月)[編集]
2011年10月に第一子を出産してから、わずか一年で「ママタレント界」の頂点に君臨するようになった神田うの(37)。
彼女を慕うママタレントたちが集い「うの会」なる派閥が形成されているというのはもはや有名な話だ。うの自身もまだ新米の母親に過ぎないのだが、その豊富な人脈と社交性に惹かれて多くのママタレが「うの会」入りし、今も出産ラッシュの続く芸能界で完全にボスの風格を漂わせている。
タレントとしてはB級だったが、アパレル事業で成功して富を築き、大手パチンコ関連企業「日拓」経営者の西村拓郎氏と結婚、そして離婚危機が何度も取り沙汰されるも妊娠・出産と、順風満帆な人生を歩んでいるかに見えるうの。しかし現在の幸福そうなセレブ家庭は、度重なる家庭崩壊の危機を乗り越えてようやく辿りついたものだ。西村氏の元愛人を名乗る銀座ホステスが、夫妻の知られざる家庭事情を暴露している。
銀座ホステスの愛さん(仮名)いわく、もとより女好きの性分だった西村氏は、「結婚してもおかまいなし」で派手に女遊びを繰り返していた。たびたび離婚危機が騒がれていたのも当然、その下地があったからであり、西村氏は2008年に「フライデー」(講談社)で美人ホステスとの「函館一泊火遊び旅行」を撮られてもいる。うのも負けてはおらず、「フラッシュ」(光文社)にてリゾート会社社長との不倫バリ旅行疑惑を書き立てられた。そんな夫婦の“実情”を、愛さんは次のように語っている。
「(うのとは)『夜の生活はないよ』と彼は言っていました」
「うのちゃんは彼のことを『パパ』と呼ぶみたいで、自分でデザインしたランジェリーを着て『パパ、しばらくしてないじゃん』『パパってば』とベッドに入ってきて迫ってくるんだそうです」
セクシー下着で夜の夫婦生活を迫る年下妻のことを、夫は「ウゼーんだよね」と話していた。しかし夫も夫で、我慢と努力を重ねているつもりだった。パーティーの場でうのに罵倒されてもグッとこらえ、朝食や夕食を自宅で摂る際は自らキッチンに立って腕を振るう。二世経営者でお坊ちゃま育ちだった西村氏は「結婚して初めて苦労というものを知った」とボヤいていた。しかし夫婦の溝は埋まらず、離婚危機はすぐそこまで迫っていた。
「うのが美川憲一のススメで子作りに励んだことは有名。結婚した時から『35歳までに産まないとダメよ』と急かされていたものの、うのは『まだ欲しくない』と子作りに及び腰だった。しかし夫婦仲が停滞してきて美川に相談する中で、『子どもを産めば変わるわよ、まだ諦めちゃダメ』と諭されて一念発起。見事に子宝を授かり、夫婦仲も回復傾向にあるようですよ」(芸能記者)
子どもが生まれてから西村氏は女遊びや夜遊びをパタリとやめたとある。やはり子はかすがいか。こうした危機を乗り越えたうのだからこそ、ママタレントたちも彼女を「師匠」と崇め、こぞってうのの元に集うのかもしれない。
家族[編集]
父は国家地方警察(当時)の警官として府中警察署などの勤務を経た後、不動産会社へ勤務し、昭和40年に日拓グループを創業、その後全国最年少の39歳で1年だけ日拓ホームフライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)のオーナーになった西村昭孝。弟の西村道夫は現在日拓グループの副社長。