第一特務機関
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第一特務機関(だいいちとくむきかん)は、太平洋戦争の後期に日本占領下の西ボルネオ・ポンチアナク州知事庁内で組織された、宣撫工作のための特務機関[1]。ナバンの山岳密林地帯のダヤク族の中に入って宣撫品を配るなどして反日感情を和らげ、連合軍上陸後の日本人の退避・ゲリラ活動の準備をすることを目的とした[1]。業務の性質上、海軍警備隊とも密接なつながりを持っていた[1]。
機関長は州知事庁・ポンチアナク普通中学校の村川澄で[1][2]、機関員には日本人の藤本某、豊田某、土持則雄、現地住民のスヨ、ワシオ、ムハラン、チニ、イダリアらが参加した[3]。
機関の本部はジャタに設置し、土持はスリンボウの支部長を務めることになったが、ジャタへ出発する当日の1945年8月15日に玉音放送があり、翌日機関員がポンチアナクを離れてジャタへ向かったものの、同月21日にジャタに集ったときに村川機関長から引揚げの決定が伝えられた[3]。
このとき土持は命令に従わず奥地へ入ったが、後にナバンでオランダ軍に投降し、ポンチアナク刑務所に収容された[4]。