石井健祐
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石井 健祐(いしい けんすけ、1946年 - )は日本の政治家。前埼玉県飯能市議会議員(1期)。
経歴[編集]
- 埼玉県飯能市の林業家兼材木商の次男として生まれる。
- 飯能市立飯能第一小学校卒業。
- 武蔵中学校・高等学校を卒業。
- 慶應義塾大学商学部卒業。
- 米国へ留学。オハイオ州立大学とミシガン州立大学大学院で国際政治史を専攻。
- 知恵の木グループ経営。会社社長。
- 自由民主党衆議院議員宮沢喜一秘書。
- 1986年 第38回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から自由民主党公認(宏池会所属)で立候補し落選。以後この選挙での得票数を超えることはなかった。
- 1990年 第39回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から無所属で立候補し落選。
- 1993年 第40回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から無所属で立候補し落選。
- 自由連合に入党。
- 1996年 第41回衆議院議員総選挙に埼玉県第9区から自由連合公認で立候補し落選。比例代表北関東ブロックにも重複立候補したが落選。
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙に山梨県第2区から自由連合公認で立候補し落選。比例代表南関東ブロックにも重複立候補したが落選。
- 2009年4月 民主党に入党。飯能市議会議員選挙(定数21)に民主党公認で立候補し23名中第1位で当選。
- 2012年9月 民主党を離党。
- 2013年4月 飯能市議会議員選挙 (定数19) に無所属で立候補し25名中第22位で落選。
その他[編集]
- デイサービス知恵の木の実、ホリスティック東洋治療院、知恵の木の実・広小路サロン、奥武蔵未来研究所の代表。
- かつては飯能市議会に系列の市議会議員も存在。豊富な資金力があり、飯能市長選挙等への出馬が取り沙汰されたこともある。
- 自由連合に入党した関係で地元で病院を開こうとしたが、地域から反対を受けて開業できなかった。
- 2009年4月の飯能市議会選挙で、前回初めて獲得した民主党の議席を守る(政党公認は、公明3名・共産4名・民主1名の8名のみで13名は無所属)。なお、この選挙で当初民主党は公認候補2名を擁立していたが、1名は体調不良を理由に告示直前で立候補を辞退している。
- 飯能市議会では、地域密着の課題に飽き足らず国家論や精神論などを語り、それまでの議会関係のルールを超越して自由闊達に行動した。
著書[編集]
- 『緑のまちと市民たち-市民が守った飯能の自然』 天覧山付近の自然を守る会編集 1980年 三一書房
石井健祐の社会・政治運動の原点となった本
- 『政治を変えるわれら8人のサムライたち 無党派・無派閥の新潮流』 畠山義正/著 石井健祐・平野成基・篠田栄太郎・鵜浦勉ほか/述 現代書林 1990年
- 『これが政治改革だ 日本の未来を信じる人のために』(五十嵐文彦・上田清司・進藤初洋・中村博彦・牧野聖修・山田智信との共著)(理想政治研究会発行・明日香出版社発売 1992年)
- 『奥武蔵・新首都移転構想と日本の進路』 石井健祐/著 奥武蔵未来研究所発行 1996年
外部リンク[編集]