津市

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津市(つし)は、日本三重県中部に位置する都市で、三重県の県庁所在地である。

概要[編集]

伊勢平野のほぼ中心部にあり、海沿いに市街地がある臨海都市である。三重県内の市町で最大の面積をもつ。人口平成の大合併前の時点で、約16万人と日本全国の都道府県庁所在地の中で最小だったが、平成の大合併以後、現在の人口は四日市市に次ぐ三重県内第2位の約28万人になった。現在の都道府県庁所在地のうちでは38位である。市の最南端にある旧・美杉村地区は過疎地域に指定されている。三重県の工業や経済の中心地は津市ではなく四日市市であるものの、港湾を除く官公庁や国の出先機関、また文教施設の殆どは県庁所在地である津市に集約されている。

津駅前に2001年(平成13年)、高層複合ビル「アスト津」が完成。地上18階地下1階・最高高さ94.63m(軒高85.72m)の、オフィスとホテルを主体とする建物で、津市のランドマークになっている(ビルの高さは四日市市のポートビルに次ぐ県内2位)。

また、世界一短い地名としてギネスブックに掲載されている。ローマ字表記ではTsuであるが、Zとして登録した。同様に、津駅も世界一短い駅名として掲載されている。

地理[編集]

三重県のほぼ中央部、伊勢湾に面する。市内中心部を安濃川、岩田川が流れ、安濃川以北を橋北、岩田川以南を橋南、両河川に挟まれた地区を橋内と呼ぶ。 津・河芸地区が津市東部、久居・芸濃・安濃・美里・白山・美杉・一志地区は津市中西部と呼ばれる。 旧美杉村西部の太郎生地区は、他の地区と山地によって隔てられ、また河川の流域も他の地区では伊勢湾に注ぐ雲出川の流域であるのに対し、太郎生地区は淀川水系の名張川流域に属し、さらに名張市へ約15kmに位置するため、太郎生地区は生活圏・経済圏などで名張市との結びつきが強い。このため、住民が名張市との法定合併協議会設置を求める住民発議を起こしたが、両市村議会が合併協議会設置案を否決し、分村合併は日の目を見なかった。 津・久居地区南部には、雲出用水が通る。中心部の周りの山には団地が数多くある。

自然[編集]

隣接している自治体[編集]

歴史[編集]

古くは、安濃津として文献にも記される良港であり、平安京にとって重要な港だったことから単に「津」とも呼ばれていた。しかし、1498年明応7年)の明応地震東海地震)に伴う津波のため港は崩壊した。

津藩藤堂氏城下町で、江戸時代の外交文化使節「朝鮮通信使」をまねた「唐人おどり」として伝承され(現在、三重県の無形民俗文化財である)、毎年秋に行われる津まつりの際には華々しく披露されている。

伊勢音頭の歌詞に「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋でもつ」と歌われている。

江戸時代には伊勢参り宿場町として栄えた。国学者、谷川士清(たにがわ・ことすが)の生家が、中心街の西方の旧道沿いの八町という町並みにある。

近現代[編集]

  • 1871年(明治4年)に安濃津県が設置され県庁舎が置かれたが、翌年県庁舎が県中央に近い四日市(当時三重郡四日市町:現四日市市)に移転し、三重県と改称した後、その翌年に再び県庁舎が戻された経緯がある(名称は戻されなかったため、県名と県庁所在地名が一致しなくなった)。その後、度会県との合併によって津は三重県中央部に位置するようになった。)
  • 1889年(明治22年)4月1日 市制施行(日本全国31市とともに、日本で最初に市制施行した市の中の一つ。東海三県でこの時点で市制施行したのは津市のみ。)
  • 1945年(昭和20年)7月24日7月28日 津大空襲 死者1,239人。第二次世界大戦末期にアメリカ軍のB-29による大規模な空襲を受け、旧市街の全域及び橋北地区の工場地帯が焼失。この空襲では宝塚歌劇団在団中より歌手として活躍、その年の春結婚退団し、当市内の夫の家で生活していた糸井しだれも犠牲となった。
  • 2006年(平成18年)1月1日、旧市制の津市、久居市安芸郡全3町1村(安濃町河芸町芸濃町美里村)、および、一志郡3町1村(香良洲町一志町白山町美杉村)の計10市町村が平成の大合併によって新設(対等)合併をする。新市制の津市が成立。
  • 2007年(平成19年)4月15日、午後0時19分の三重県中部地震で津市内では島崎町、河芸町浜田、芸濃町椋本、美里町三郷、安濃町東観音寺で震度5弱。また片田薬王寺町、西丸之内、久居東鷹跡町、香良洲町、一志町田尻、白山町川口で震度4を観測した。

女性職員が4200万円着服=韓国アイドルのグッズ購入も―津(2013年2月)[編集]

津市学校給食協会の女性臨時職員(49))が約9年間で協会の資金約4200万円を着服していた。協会は業務上横領容疑で女性職員を告訴する方針。

女性職員は2004年度から横領し、着服した金は韓国のアイドルグループのグッズ購入やコンサートなどに使ったと話している。同協会は津市教育委員会外郭団体。市内の小中学校の給食用の物資調達や支払い業務をしている。女性職員は2003年8月に採用され、給食用のパンや米飯の支払い業務に携わっていた。

中野和代会長は「皆さまにご心配をお掛けして申し訳ない」としている。

経済[編集]

産業[編集]

日本郵政グループ[編集]

  • 日本郵便
    津中央、七栗(ななくり)・美里・椋本(むくもと)・安濃・一志・白山・家城・竹原・上多気(かみたげ)・美杉・奥津(おきつ)の12の集配郵便局と、合わせて68の郵便局(うち簡易郵便局13か所)があり、三重県庁、三重大学の各施設内にも郵便局が設置されている。
  • ゆうちょ銀行
    津市内には簡易郵便局を除く各郵便局(雲出簡易郵便局には設置)など合わせて58か所にATMが設置されており、うち20か所ではホリデーサービスも実施している。

人口[編集]

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津市と全国の年齢別人口分布(2005年) 津市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 津市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

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津市(に相当する地域)の人口の推移
テンプレート:人口統計/24
総務省統計局 国勢調査より

市政[編集]

市長[編集]

  • 市長:前葉 泰幸(まえば やすゆき)
  • 副市長:野口 正

議会[編集]

議員定数は36人である。

  • 議長:田村宗博(津和会)
  • 副議長:村田彰久(市民クラブ)
会派名 議員数
県都クラブ 7
市民クラブ 7
一津会 6
津和会 5
日本共産党津市議団 4
公明党議員団 4
無会派 2
欠員 1

2012年(平成24年)8月28日現在。

旧津市[編集]

  • 市長(最終):近藤康雄(こんどう やすお)
なお、近藤は新市において市長が決まるまでの間市長職務執行者を務めた。

データ(最終)[編集]

2006年(平成18年)1月1日中勢地域の周辺の9市町村と合併して、(旧)津市が廃止されて、新たに津市が誕生した。

テンプレート:日本の市 (廃止)

津市消防本部[編集]

詳細は 津市消防本部 を参照

当市の常備消防組織。2006年(平成18年)に合併されるまでは、安芸郡と香良洲町の消防事務を委託していた。2006年(平成18年)の市町村合併で久居市や一志郡(香良洲町を除く)で構成していた久居地区広域消防組合(以下、久居消防)と合併。新しい津市消防本部が発足した。

消防本部は、旧津市では中消防署(寿町)に置かれていた。しかし、老朽化やスペースなどの問題から合併を契機に、施設が新しい久居消防署に新消防本部を設置した。

  • 久居消防署- 旧久居市、旧一志町を所轄。消防本部と施設を共有
  • 中消防署 - 津市中部(市役所・県庁周辺)、旧香良洲町を所轄。
  • 北消防署 - 津市北部、旧安芸郡を所轄。
  • 白山消防署 - 旧一志郡(旧一志町、旧香良洲町を除く)を所轄。

オリジナル消防車(旧久居消防を除く)[編集]

津市ではその地域特性(道が入り組んで狭い)等から、1988年(昭和63年)から独自にオリジナルの小型消防車・装備の開発を行っており、消防関係者の間では「津消式」として知られている。消防車では珍しい3人乗りのシングルキャブを採用している他、PTOの問題等でほとんどの車両が三菱車をベースにしている。現在一部の車種は、2世代目に更新されている。

  • 小型水槽車
1.4t - 2tの水槽を装備
  • 小型屈折放水塔車
12mの屈折放水塔を装備
  • 小型救助車(1型相当)
  • 小型照明電源車

(ここまで三菱キャンター3t型ベース)

  • 小型梯子車
15m梯子、120Lの消火剤を装備

(三菱ファイター4t型ベース)

  • 小型給水車
5t水槽を装備

※これらの車両は全て総務省(旧自治省)の規格外のため国庫補助が受けられない。このため調達は100%市の予算で行われている。

姉妹都市・友好都市[編集]

市民歌[編集]

「このまちが好きさ」

  • いわゆる平成の大合併時に新しい「津市」にふさわしい歌を公募のうえ平成21年2月1日に制定。
  • 作詞作曲 村田幸一(津市在住)

教育[編集]

大学・短大[編集]


高等学校[編集]


中学校[編集]


小学校[編集]


特別支援学校[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

路線バス[編集]

高速バス[編集]

一般路線バス[編集]

道路[編集]

高速道路[編集]

地域高規格道路[編集]

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

市内の道路通称名[編集]

港湾[編集]

贄崎地区(津なぎさまち):高速船発着

国の行政機関[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

名所・旧跡[編集]

文化施設[編集]

観光スポット[編集]

温泉[編集]

公園[編集]

レジャー[編集]

祭事[編集]

  • 津まつり「唐人踊り」「安濃津よさこい」など(10月上旬)
  • 高田本山専修寺お七夜(1月9日 - 16日)
  • カンコ踊り(盆)
  • イルミネーションファンタジー(津市美里町)
  • 津花火大会(阿漕浦海岸沖)
  • ビーチバレーボール大会(御殿場海岸)
  • 高虎楽座(フェニックス通り)
  • サマーフェスタ イン ひさい陸上自衛隊第10師団第33普通科連隊グラウンド、8月第1週土曜日)
  • ひさい祭り(10月)
  • 小野獅子舞 白山町川口小野地区(正月)
  • やぶねり
    • 白塚町旧市街地で7月11日に行われる神事。太い青竹を何本も縄で束ね、悪霊に見立てて街中を練り走り大破させる、荒々しい祭り。八雲神社を起点とし、最終的に海に流している。

食文化[編集]

津が発祥地の食べ物[編集]

うなぎ[編集]

  • 旧津市域は、人口比で日本一屋が多い都市であり、人口1人あたりの鰻消費量も日本一である[1]。これは、元々は江戸時代に藤堂藩が藩士の滋養強壮と士気向上のために鰻食を奨励し、各地から鰻屋を津城下に集めたことに端を発する。その名残で以前は津市周辺には養鰻場が存在したが、伊勢湾台風で打撃を受け、その多くは廃業した。しかし、市民に広く浸透していた鰻の食習慣は残った。津市においては、他地域とは異なり鰻が大衆食となっており、特に中心街の大門丸之内地区などでは最上級の「特上」丼(鰻五切入り、肝入り吸物付き)でも1,500円程度で食すことができる。[1]

津ぎょうざ[編集]

津ぎょうざとは、直径15cmの大きな皮で餡を包み、油で揚げた揚げ餃子である。起源は学校給食であり、1985年頃に考案され現在も提供されている。2008年から飲食店やイベントで販売されるようになった。B級グルメである。

出身人物[編集]

政治家[編集]

経済人[編集]

学者・文化人[編集]

芸能・放送[編集]

スポーツ選手[編集]

その他の出身人物[編集]

その他[編集]

大合併[編集]

プール[編集]

  • 1955年(昭和30年)7月末、市内の橋北中学校で大規模な水難事故(橋北中学校水難事件)が発生した。以来、三重県内の中学校には全て水泳場の設置が急がれた。

そもそも、遠浅で静かな津の海ではどこでも海水浴ができ、浜茶屋がある海水浴場もいくつもあるが、この事件が起こった浜では、古くからの住民は海水浴をしない。近所の市民さえもここで泳がぬわけには、この浜で泳ぐと死んだ生徒達によって足を引っ張られて溺れ死ぬとのことである。その理由にはもう一つあり、太平洋戦争の末期の米軍の焼夷弾によるじゅうたん爆撃で追い詰められてこの浜へ逃げてきて機銃掃射で撃ち殺されたり溺れて死んだ市民が大勢いて幽霊が出るとの言い伝えがあることがそれである。

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 るるぶ 伊勢志摩'07』(JTBパブリッシング、2006年5月1日発行、95ページ)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

行政
観光

テンプレート:三重県の自治体 テンプレート:日本の都道府県庁所在地