シンセサイザー
シンセサイザー(英語:synthesizer)は、一般的には主に電子工学的手法により楽音等を合成(英語:synthesize:シンセサイズ)する楽器「ミュージック・シンセサイザー」の総称。電子楽器、音源と呼ばれることもある。
- 以降、記述の煩雑化を避けるため、正式名称「シンセサイザー」を適宜「シンセ」と略記する。
目次
歴史[編集]
概歴[編集]
シンセサイザーの発明は、「ある時 誰かが 世界で初めて何かを発明し、その成果が後に世界中に広がった」という出来事ではない。100年以上にわたる電子楽器の歴史の中で、多くの人々が試行錯誤を繰り返し、時としてほぼ同じものがあちこちで再発明されながら、技術の蓄積と概念の洗練が進み、途中、戦争による停滞や技術者の世代交代を挟んで、1960年代以降マイクロ・エレクトロニクスと共に急速な発展を遂げて、現在の形になった。
出発点は19世紀末に遡る。最初に登場したのは発電機や電話を応用したシステムで (Music Telegraph(1876))、次に有線音楽配信を狙った巨大システムが構築された (テルハーモニウム(1897)、重量200トン)。20世紀初頭、真空管が発明されラジオやトーキーの実用化研究が本格化すると、ラジオ技術 を応用した楽器 (テルミン(1917-1919))や、トーキー技術 を応用したサンプラーの祖先(Optophonic piano (1916-1924)) が登場した。遅くとも1920年代初頭には楽器用低周波オシレータが登場し、それをリボンコントローラや鍵盤で演奏する電子楽器が登場した (トラウトニウム(1929)、オンドマルトノ(第2世代, 1928))。これらの楽器は後の改良の結果、現在ではシンセの祖先と見なされているが、登場当時は非常にシンプルでシンセサイザーと呼べる物ではなかった。
1930年代にはシンセサイザーの基本要素が出揃い (フィルタ/エンベロープ/加算合成/ポリフォニック)、初期のシンセサイザー時代が開幕した (ノヴァコード(1937))。ただし当時のフィルターは、パッシヴ回路が主流でその効果は緩やかなため (6dB/oct.)、1970年代アナログ・シンセのように強力な音作りの手段にはならず、むしろ他の合成方式や発音方式 、(倍音加算合成や副倍音加算合成、生楽器の発音機構を使う電気楽器等) の音色調整として補助的に使われる事が多かった。この時期に登場した、ミニモーグのような機能と外観を持つ楽器(コンサート・トラウトニウム(1936)、ミクスチュア・トラウトニウム(1952))もその一例である。
ポリフォニック楽器の分野では、当初はトーンホイール 方式や ピックアップ方式が有力で、特に倍音加算合成をトーンホイールで実現したハモンド・オルガン (1934)は一大勢力となり、この分野で40年以上勢力を維持した。電子楽器では「分周回路」と「フィルターによる減算合成」を組合せた新しい楽器が登場し (ノヴァコード (1937))、これ以降多くの電子オルガンが同方式をベースとした倍音加算合成を提供した。ただし当時のオルガンの多くが採用した全鍵発音方式は、当時の実装技術では規模が巨大化しがちなため、個々の音響合成回路はごくシンプルに抑えられ、音色表現能力は限定された。
そこで高度な表現力を要するリード演奏専用に、単音で小型の電子鍵盤楽器 (Solovox(1940)他) が登場した。これは オルガンやピアノの鍵盤近くに設置して合奏する小型楽器で、その演奏スタイルは後に、電子オルガンのソロ鍵盤や、電子オルガン上に置くプリセット・シンセに発展した。
このほか同時期、1939年ニューヨーク・ワールドフェアでヴォコーダ(1928年通信用途で実験開始)や鍵盤演奏型のスピーチシンセサイザー(Voder)が一般公開された [1]。しかし同年勃発した第二次世界大戦により各国は戦時体制へ移行し、ヴォコーダは軍の暗号通信装置(SIGSALY)に利用され、アメリカの電子楽器開発者は爆撃誘導装置やレーダーの開発に駆り出され、ドイツの電子楽器研究拠点ハインリッヒ・ヘルツ研究所では、職場のユダヤ人排斥に反対した教授が職を追われ、そうして世界の電子楽器開発は停止した。
1945年に戦争が終わると、ドイツの電子音楽スタジオが即座に活動を再開し、またドイツで実用化されたテープレコーダを使って音を切り貼りするミュージック・コンクレートがフランスに登場し、現代音楽という新しいキーワードの元、電子楽器が息吹を吹き返した。
1950年前後、軍事技術だったコンピュータが世界に広がると共に、コンピュータ音楽が登場した。当初は曲の自動演奏が試みられ、次に高い計算能力を生かして確率的作曲や音響合成に応用された。1957年マックス・マシューズのMUSICプログラムは、ディジタル音源とソフトウェア音源の元祖と認識されており、後にその上でFM合成を含む多くの研究開発がなされた。同じ1957年には「シンセサイザー」という名を初めて使ったコンピュータ用音源「RCAマークIIサウンドシンセサイザー」も登場している。その基本構成は現在のアナログ・シンセサイザーとほとんど同じで、出力される音は初期のアナログDTM音源のクオリティに到達していた。
1952-1958年、音楽家レイモンド・スコットが開発した「クラヴィヴォックス」は、鍵盤の他にR.A.Moog社のテルミンを流用したコントローラを装備し、後には電圧制御式シーケンサも追加された。後にモーグは、クラヴィヴォックスの回路や音が 60年代のモーグ・シンセサイザーとよく似ていたと語っている。
(以下要約中。詳細は各節参照)
黎明期 (1930年代以前)[編集]
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テルミン | オンドマルトノ |
シンセサイザーを含む電子楽器の歴史は、およそ19世紀末まで遡る事ができる。 それ以前にも電磁気学的効果を応用した電気楽器がいくつか登場していたが、
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自由な音響合成を特徴とするシンセサイザーの祖先としては、19世紀末以降の下記を挙げるべきだろう。
1920年代には、エレクトロニクスの発達により、真空管式の電子楽器が登場した。
- 1917-20年頃 ロシア (ソ連) のレオン・テルミンが開発したテルミン
- 1928年 フランスのモーリス・マルトノが発表した鍵盤楽器オンド・マルトノ
- 1929年 ドイツのフリードリッヒ・トラウトヴァインが開発したトラウトニウム
以上の3つは、しばしば一般向け解説書で「シンセサイザーの先祖」として言及され[2]、中でもテルミンは、アナログ・シンセサイザーのルーツにあたる最初期の電子楽器 とされる事が多い。[2] またトラウトニウムは、発明者の弟子オスカー・サラが精力的な改良を行い、リボンコントローラ楽器としての本質を守りながら、後にモーグ・シンセサイザーと同様な機能や形に進化した。
一方日本では、1935年ヤマハの山下精一が「マグナオルガン」を発表している。これはドイツ留学経験のある山下がテルミン等の電子楽器にヒントを得て開発した、各種楽器音を再現可能な鍵盤楽器と伝えられているが、詳細は不明である。[3]
シンセサイザーの誕生と発展 (1930-1950年代)[編集]
減算合成と倍音加算合成[編集]
1930年代には、既に前述のシンプルな電子楽器が登場していたが、ピアノやオルガンに匹敵する本格的電子楽器の実用化は疑問視されていた。例えば1936年Miessnerは、フィルターを使う減算合成も、倍音を重ねる倍音加算合成も、電子回路では機構が複雑になり過ぎ実用化が難しいので、生楽器の発音機構を併用した電気楽器こそ実用的だとする説を発表した[4]。しかし減算合成は1936-1937年に相次いで実用化され、また倍音加算合成もパイプオルガンの再現目的で後に実用化された。
1936年、オスカー・サラによる トラウトニウムの改良版 コンサート・トラウトニウム は、鐘の音を再現可能な(副倍音)加算合成と、フォルマント・フィルターによる音作りを併用した。この楽器は、 いつ?パウル・ヒンデミットのトラウトニウムと弦楽の為の協奏曲 や、1940年リヒャルト・シュトラウスの日本の祝典に寄せる祝典曲 の1942年ドイツ・プレミア公演(鐘の音の再現)で使用された。
ポリフォニック化と電子オルガン[編集]
1937年、ドイツのハラルト・ボーデは、初期のキーアサイン方式による部分ポリフォニック・シンセサイザー「ワーボ・フォルマント・オーゲル」を開発、その後約50年間に渡って多数の発明と製品開発を継続して、モーグを始めとするアナログシンセサイザーの歴史に大きな影響を残した。[5]
1937年頃、アメリカのハモンドは、全鍵発音式の減算合成ポリフォニック・シンセサイザー ノバコードを開発、1939年に発売開始した。「一台でオーケストラやバンド・サウンドに匹敵する音を出せる」という触れ込みの最も初期の電子楽器で、1960年代まで数多くの映画/ラジオ/テレビのサウンドトラック [6]に使用された。[7]
1940年代になると、他のメーカも同様な方式に基づく電子オルガンを開発し発売した(なお戦争のため発売が戦後にずれた機種も多い)。登場当時の電子オルガンは、電球のような形とサイズの真空管を数十~百本単位で使った物量勝負の電子機器であり、真空管の特性上、その動作は必ずしも安定しているとはいえなかった。また各メーカが自社の電子オルガンのモデルにした楽器は、教会用パイプオルガン (アーレンオルガン)、シアターオルガン (Wurlitzer、エレクトーン)、ハーモニウム/リードオルガン等と、明らかに差異があったが、総称的にすべて 電子オルガン と呼ばれた。
単音電子鍵盤楽器[編集]
また電子オルガンとは別に、細かな音作りや表現が可能な小型の単音電子鍵盤楽器の系統も登場した。
- 1940年 Hammond Solovox
- 1941年 Georges Jenny の Ondioline
- 1947年 Constant Martin の Clavioline
- 1952年 Raymond Scott の Clavivox
1952年、アメリカの作曲家レイモンド・スコットが開発したシンセサイザーClavivoxは、鍵盤演奏式でオーディオ・エンベロープやビブラートを装備していた他、若きロバート・モーグが製造したテルミンをコントローラに採用し、3オクターヴにわたるポルタメントを実現していた。後期のモデルでは電圧制御式シーケンサ等が追加され、音程や音色の制御信号(CV)を映画フィルム上に光学的に記録・再生できた。後にロバート・モーグは、先行したClavivoxの回路や音が、60年代モーグ・シンセサイザーと類似していたと語った。[8]
これらの楽器は、人気オルガン奏者がソロフレーズに活用して一時代を築いたり、電子音楽スタジオで現代音楽の作品や映画のサウンドトラック作成に使用され、後に登場したトランジスタ式シンセサイザーを受け入れる音楽的土壌を育んだ。
日本では1960年前後、同様な単音楽器が電子オルガンのプロトタイプ として開発・発売された。
「電子オルガンに載せて使うソロ楽器」というコンセプトは、アープやモーグのプリセット・シンセを経て、日本の初期シンセ製品にも引き継がれた。
ヴォコーダーの誕生[編集]
1928年、ベル研究所のホーマー・ダッドリーは通信回線多重化のための音声符号化/同復調法の研究を行い、バンドパス・フィルター方式のヴォコーダーの実験を開始した。この技術は1935年特許出願され、1939年米国特許(US#2,151,091)[10]が成立、同年開催のニューヨーク・ワールドフェアで一般公開された。また同技術を応用した鍵盤操作式スピーチシンセサイザー VODER (1938年米国特許(US#2,121,142)) [11] も同時公開された。ただしこの時点では音楽的利用を図った形跡は見られない。そして戦争開始とともに軍事通信への利用が最優先になり、SIGSALY (1942)をはじめとする多くの軍事用音声暗号化システムが同技術を採用した。
なお同時期には軍事技術を民生転用して、音楽用ヴォコーダーとよく似た効果が得られる別の音楽用装置が誕生している。1939年アルヴィノ・レイが開発した Sonovox は、電子楽器というより1970年代のトーキング・モジュレーター (Talk box) を連想させる「任意の音を喋らせる」装置である。この装置は軍事用喉マイク を 喉スピーカに転用し、喉に当てて口を動かすと、あたかも効果音や楽器音が喋っているかのような効果が得られた。Sonovoxは1940年のケイ・カイザー楽団の映画や、アニメ映画の動物の声、ラジオ局のジングル等に使用されており、名称はともかくその効果と音は一般に広く認識されている。
コンピュータ音楽の誕生 (1950年代)[編集]
1950年、オーストラリア最初のコンピュータCSIR Mk1上で、世界最初のコンピュータ音楽が演奏された。
ソフトウェア音源とディジタル音源の誕生[編集]
1957年、ベル研究所のマックス・マシューズはMUSICと呼ばれる、ディジタル信号の生成・処理プログラムを開発した。これはディジタル・シンセサイザーやソフトウェア音源の元祖と言われており、そのほか潜在的にディジタル・サンプラーの元祖でもある可能性が高い。MUSICはその後進化を重ねてMUSIC Vで一旦完成し、マサチューセッツ工科大のバリー・ベゥコーに引き継がれて、現在オープンソースのCsound、CMusic、RTcmixの原型となった。1980年代IRCAMで開発された有名なグラフィカル音楽言語Max (1990年発売)は、マックス・マシューズの名前にちなんでいる。
シンセサイザーの命名[編集]
1956年頃 (1955年説もある[2])、RCAプリンストン研究所の ハリー・オルソンとハーバード・ベラーが「RCA マークII サウンド・シンセサイザー」(RCA Mark II Sound Synthesizer) という真空管製でパンチテープ制御式のコンピュータ用音源を開発し、1957年コロンビア大学に同機は設置された。歴史上「シンセサイザー」(合成)という単語が用いられた初めての音響合成機器とされており、構成図によれば 現在のアナログシンセサイザーの基本要素をほぼ備え、録音によれば 初期DTM音源と同程度の演奏が可能だった事を確認できる。[12] なお同機は、確率論に基づく音楽の数学的解析と音楽生成手法の研究のために開発された音源であり、音響合成の研究や楽器の確立は特に目的としていなかった。
このほか、コンピュータ連携の有無は不明だが、1955年頃ドイツの総合電機メーカー シーメンス が、英語で "{{#if: | {{#if: | [[{{{言語記事名}}}|{{{表示言語名}}}]] | [[{{{言語記事名}}}]] }}: }}Siemens synthesizer{{#if: | ({{{3}}}) }}" と呼ばれる電子音響合成システム(ドイツ語名不詳) を開発して同社Siemens Studioに設置している。これは同社が当時制作中だったシーメンスグループの記録映画に、飛びぬけた音楽をつけようと若手作曲家Josef Anton Riedlに依頼をし、この作曲家に同社研究所が協力する形で開発された。システムの構成は、戦争中の通信用ヴォコーダを改造した音楽用ヴォコーダを中心に、その他の音源ソース(パルス波, ノイズ)、フィルター、テープレコーダ、ミキサー等からなり、RCAの装置と同様にパンチテープによる自動制御も装備していた。システムは同社Siemens Studioに設置されサウンドトラック制作に使用された後、1960-1963年には同機の有効活用を目的に多数の現代作曲家が招聘された。しかしこの文化活動は多額の費用がかかったため許容範囲を逸脱し、1963年同スタジオは{{#if: | {{#if: | [[{{{言語記事名}}}|{{{表示言語名}}}]] | [[{{{言語記事名}}}]] }}: }}Ulm School of Design{{#if: | ({{{3}}}) }} ({{#if:ドイツ語 | {{#if: | {{{表示言語名}}} | ドイツ語 }}: }}Ulmer Hochschule fur Gestaltung{{#if: | ({{{3}}}) }})に譲渡され、そこで数年間の利用の後、閉鎖された。[13][14]
180px Buchla 100 series |
180px モーグ博士とモーグ・シンセ |
モジュラー・シンセ登場 (1960年代-)[編集]
1959-60年、ハラルト・ボーデはモジュラー・シンセサイザー と サウンド・プロセッサーを開発し、そのコンセプトをAES論文で発表した。また1961年には、トランジスター技術を使ったコンパクトで自己充足的なモジュラー・シンセサイザーを AES論文で提案し[15]、そのアイデアはブックラ、モーグといった初期のシンセビルダーにより相次いで実現された。
1963年、アメリカのドン・ブックラは、おそらく世界初となる現代的なモジュラー・シンセサイザー Buchla 100 series を開発した。
1964年、アメリカのロバート・モーグ博士は、テルミンのトランジスター化とRCA・マークIIの改良に関する研究を通じて、楽器としての使用に足るシンセサイザーの試作を行い、モーグシンセサイザーの仕様を確立した[2]。
1965年同博士による「モーグ・シンセサイザー」は、CM関係者のアルウィン・ニコラやレコード・エンジニアのウォルター・カルロスに納入され、1967年には製品版モジュラー・シンセサイザー(Moog modular synthersize I,II,III)を発売している。
なお同時期アメリカではアープの前身が電子楽器の特許出願を開始し、ロンドンでは後のエレクトロニック・ミュージック・スタジオ創設者が、電子音楽スタジオをコンピュータ制御する計画を開始した。
アナログ・シンセの普及と発達[編集]
1968年、ウォルター・カルロスによる「スウィッチト・オン・バッハ (Switched-On Bach) 」は、アメリカ・コロムビア・レコードよりリリースされ、全世界で累計100万枚を売り上げるヒット・アルバムとなった。さらにエマーソン・レイク・アンド・パーマーのキース・エマーソンを初め、1970年代には多くのロック系ミュージシャンに使用され、さらに冨田勲の「月の光」「惑星」などの作品が世界的なヒットをすることによって、一般的にも認知される楽器となった。
1970年前後には、「EMS」、「アープ」、「イー・ミュー (E-mu Systems)」といった比較的新しいメーカーも参入した。
日本では 1973年3月 コルグがミニコルグ700を発売、同7月 ローランドがSH-1000 を発売、同時期にヒルウッドもBlue Commets '73を発売、翌1974年にはヤマハがSY-1を発売し、70年代を代表する日本のシンセサイザー・メーカが勢ぞろいした[16][17]。
180px シーケンシャル・サーキット Prophet-5</span> (1977) |
なお1970年代までのシンセサイザーは、モノフォニック・シンセと呼ばれる1音しか音の出ないタイプが主流だったが、70年代中期にヤマハやオーバーハイムがポリフォニックシンセサイザーを発売し、さらに70年代後期にはシーケンシャル・サーキットが音色メモリーを搭載したProphet-5を発売、市販製品の制御部にもディジタル技術が浸透し始めた。
ヴォコーダの音楽利用[編集]
前述のようにヴォコーダは 1928年最初の実験が行われ、1939年一般公開された。同時公開で応用技術による鍵盤式スピーチ・シンセサイザーも登場したが、当時はどちらも音楽利用された形跡は見当たらず、その後ヴォコーダは軍事暗号通信に広く利用された。なお同時期にはSonovoxが安価な喉スピーカで「喋る楽器」を実現して人気を博し、1960年代のトーキング・モジュレータに繋がる系譜を切り開いた。
1955年シーメンスが作曲家Josef Anton Riedlと共に開発した シーメンス・シンセサイザーは、通信用ヴォコーダを改造した音楽用ヴォコーダーを中心に構成されたと伝えられており、実物も現存しているがその詳細は不明である。[13] [14]
1969年、アメリカのブルース・ハークは最初の音楽用ヴォコーダ Farad を自作し、自身のアルバムthe Electronic Record for the Children (1969)で使用した。そしてFaradはたちまち追随者を生み出した。
1970年ウェンディー・カルロスとロバート・モーグはFaradにインスパイアされた10バンドのvocoder (元の名は spectrum encoder-decoder)を開発した。当初は発音を区切らないと声が不明瞭だったが、後にシビランス・コントローラ (Sibilance等の発音の高域ノイズをHPFで取り出し直接出力して、発音を明瞭化する機構) を追加し、通信用ヴォコーダとは別の「音楽用ヴォコーダ」が確立した。
以降各社からヴォコーダが相次いで登場し、70年代-80年代前半に最初のヴォコーダ・ブームが到来し、2000年代にはバーチャル・アナログ技術でコンパクト化されたヴォコーダが2度目のブームを巻き起こしている。
シンセサイザー・コントローラ[編集]
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
100px ギター・シンセ |
100px ショルダー・シンセ |
135px エレクトロニック・ドラム |
120px ウィンド・シンセ |
85px 85px |
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その他 |
ディジタル楽器登場 (1970年代-)[編集]
前述のようにディジタル音源は1957年Max MathewsのMUSIC登場以降、主に高価な大型コンピュータ上で研究が進められた。一方、同時期に誕生したマイクロ・エレクトロニクス技術は、1960年代の宇宙開発/軍需ニーズを背景に急速な発展を遂げ、1970年前後にはLSI技術の民生利用が本格化し、その中からマイクロプロセッサが誕生した。こうして1970年代には、大型コンピュータを専用ハードに置き換えた初期のディジタル・シンセサイザーが登場し、一足早くディジタル音源時代が開幕した。
- 1969年頃、EMSの 電子音楽スタジオ用コンピュータ制御システム EMS Musys III上で、世界初のサンプリング楽器が実現された。
- 人工知能の父マービン・ミンスキー教授がエドワード・フレドキンと開発した、ディジタル技術でメロディと音響を自動生成するエレクトロニクス・ガジェット。
- 1973年、ダートマス大で「ダートマス・ディジタル・シンセサイザ」開発。
- 当初は処理に大型コンピュータを必要としたが、1975年専用プロセッサ(ABLEコンピュータ)が開発され、それと本体を組み合わせたシンクラビアが遅くとも1977年には発売された。
- 最初のサンプリングシンセ製品(ミニコンDEC PDP-8使用)。発音は単音のみで、後にARP 2600と連携可能になった。1979年スティービー・ワンダーがサウンドトラックに使用
- 1976年頃、AT&Tベル研究所でディジタルシンセサイザー試作。
- 初期のソフトウェア実験に基づいて試作された「最初の真のディジタル・アディティブ・シンセサイザー」。[20] 1980年Crumar GDS(General Development System)、1981年DKI Synergyとして商用化
- (合成方式: FM合成、倍音加算、サンプリング、分析/再合成。1985年Direct to Disk(DAW機能)を追加[21])
- (合成方式: ウェーブテーブル・シンセシス)
- 前者はThomas Dolbyの使用で有名、後者はWave 2.0 (1981年)の前身。
- 1979年、CASIOが世界初のVLSI化された電子楽器カシオ VL-1を発売。
- 1982年、E-muシステムズ社がイーミュレータを発売。(音源方式: サンプリング)
- 1984年、Kurzweil Music Systemが K-250 synthesizerを発売。
- (音源方式: レイヤー化された大規模サンプル音源)
- 開発者はRaymond Kurzweilで、K250開発にあたっては、スティービー・ワンダー、ライル・メイズ、ロバート・モーグ (元Moog Music) および 元アープの関係者(創立者Alan R. Pearlmanや元重役Philip Dodds) から広くアドバイスを受けた。後にロバート・モーグは新製品開発担当重役として同社経営にも参加した。
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ディジタル楽器の普及 (1980年代)[編集]
他方、国内楽器業界は 有名なディジタルオルガン特許係争 [24]の影響もあり、ディジタル音源開発への取り組み全般が滞りがちだった。そのような中、ヤマハは早くからディジタル音源開発に取り組み、また積極的な訴訟対策を行って[25]、1977年同社初のディジタル系となるPASS音源を発売、更にスタンフォード大学からFM音源のライセンスを取得して万全を期していた。また電卓戦争の覇者カシオは、1979年VLSI技術を使った小型電子楽器やホーム・キーボードを発売し、ディジタル楽器の低価格化競争の先鞭を付けた。
1980年、ヤマハはFMアルゴリズムを使った画期的なディジタルキーボード GS1を発売し、1983年には普及価格のDXシリーズを発売して、一大ディジタル旋風を巻き起こした。FM音源は周波数変調を用い複雑な倍音を持った金属的な響きを特徴とし、多くのミュージシャンが積極活用した。一方この時期には、数多くの有名なシンセ・メーカー や キーボード・ブランドが 高機能低価格化の流れから振るい落とされて、80年代半ば頃に事業終結したり、吸収合併または商標売却等の憂き目に合った。
80年代中盤には、それ以外のディジタル・シンセサイザー や サンプラー も普及価格で登場し、オールインワンのワークステーション機種も登場して、一般ユーザ・レベルのディジタル音源時代が開始された。他方、80年代初期に活躍したハイエンド・ディジタル製品はその優位性を失い、徐々に事業を停止して独自技術の売却や技術移転をしたり、あるいは思い切った業態変更を余儀なくされた。
MIDI規格誕生 (1981-1983)[編集]
それまでのシンセサイザーは、メーカー毎に独自の制御方式を採用していたので、シンセサイザーの相互接続には大きな壁があった。MIDIは、異なるメーカー間であっても、複数の電子楽器を連動し演奏・操作可能にする事を目的として、1981年初春、Sequential Circuits/Oberheim/Rolandの3社で規格策定を開始した。1981年秋には他の日本メーカも参加して規格策定を進め、1982年MIDI基本仕様(ドラフト)が登場、初期製品で規格を実地検証した後、1983年「MIDI1.0詳細仕様」が正式に制定された。[26][27]
ディジタル楽器の発達 (1990年代)[編集]
1990年代に入ると、デジタル技術の発達により実際の楽器の音色をサンプリングしたPCM音源が一般的となり、昔ながらの音を合成する楽器というニュアンスは薄れていった。それでもこの時期にもコルグやヤマハなどから物理モデル音源といった新たな音源方式を採用したシンセサイザーも発売されている。
1995年、Clavia DMIがDSPによるバーチャルアナログ・シンセNord Leadを発売すると、高価で不安定なヴィンテージ・シンセに代わる新しい楽器として注目を集め、各メーカも同様な製品を発売し始めた。
ソフトウェア音源の普及 (1990年代-)[編集]
ソフトウェア音源は前述のように1957年MUSICに始まり、その後継システム上で研究開発が続けられ、1970年代末ディジタル音楽ワークステーションの形でポピュラー音楽製作現場に入り込んだ。1980年代末から1990年代初頭にはDSP搭載の研究用ワークステーション(IRCAMカードを搭載したNeXT,SGI Indigo等)やDAW系システム(digidesign製品等)で進化を続けた。そして1990年代前半、一般のパソコン上のソフトウェア音源利用が一般化し始めた。1990年代半ばにはDTM音源(Reality, VSC, Timidi)や各種シミュレーション音源(Rubberduck, ReBirth、Juno)が実用され、またDAW用プラグイン規格(VST規格, Direct Music(DXi)等)も登場した。
そして2000年代以降、高性能化したパーソナルコンピュータ上でDAW環境が安価に安定して利用可能になると、それまであまりコンピュータに手を出さなかった平均的な音楽製作現場でも、DAW上で動作するソフトウェア楽器を徐々に使用するようになった。なおソフトウェア・シンセサイザーとは、基本的にこれまでの各方式のシンセサイザーをコンピュータ上に再現したもので、新しい音源方式ではない。ソフトウェア・シンセサイザーではコンピュータの演算能力と記憶容量を利用し利便性の面が拡張されている事が多く、使い勝手の向上をもたらしている。
現在ではコンピュータ上に多くの音源方式がシミュレートされ、手軽に多くのタイプの音源方式にふれられる事から、一時下火となっていたアナログシンセのような、音を合成して音色を作成するような音作りにも目が向けられるようになっている。
実装方式の分類[編集]
名称 | 概要 |
---|---|
トーンホイール音源 | 各種の回転体 (発電機や金属円盤、光学ディスク等) で波形を生成する方式の音源。
音色調整には、オルガンの伝統に従って 倍音加算合成が使用される。電子楽器の黎明期~電子オルガン実用化前後まで有力だった方式で、ハモンドオルガンは本方式の特徴を生かして大きな商業的成功を収めた。 |
アナログ音源 | アナログ信号処理技術で実装された音源。
音作りは減算合成や加算合成で代表される。アナログシンセの名機ではこの他、FM合成 / パルス幅変調(PWM) / リング変調(RM)といった各種の変調合成方式やオシレータ・シンクも音作りに活用されている。 |
ハイブリッド音源 | 合成方式や実装方式その他に複数を併用した音源。実装方式のハイブリッドとしては、ディジタル生成波形を、アナログ信号処理するタイプのハイブリッド・シンセサイザーがよく知られている。なお合成方式のハイブリッドは、メーカー独自の方式として独自呼称で呼ばれる事が多い。 |
ディジタル音源 | ディジタル信号処理技術(DSP技術)で実装された音源。 DSP技術の実装方法には、ディスクリート回路/カスタムLSI/DSPチップ/CPU等があり、専用ハードにはそれらを併用する物も多く、明確な区別は難しい。またCPU全般およびDSPチップの大半では、処理を入れ替え可能なプログラムで制御しており、これらはソフトウェア音源にも分類される。 |
ソフトウェア音源 | 音作りをソフトウェアで行うディジタル音源。 ソフトウェアには、DSPチップ用とCPU用がある。実行プラットフォームには、専用ハード/DAW用拡張ハード/DAWソフトウェア/汎用PC 等がある。 |
チップ音源 | 初期のパソコン/アミューズメント機器/携帯電子機器 等に搭載された、1チップの簡易音源 [28]。 |
シンセサイズ方式の分類[編集]
加算合成、減算合成、・変調合成や、サンプリング音源、またはそれらの複合型など多数の方式が存在している。 アナログシンセサイザーの時代は減算合成が主流だったが、その後、ディジタル技術の発展により、サンプリングしたデータを元に音を構築するPCM音源が主流となった。
名称
|
概要 | |||
---|---|---|---|---|
減算合成 | 原波形の周波数スペクトルをフィルターで操作して音色合成する方式。 アナログシンセサイザーや、電子オルガンの多く、あるいはそれ以前の電子楽器の時代から多用されており、最新のディジタル音源/サンプリング音源/ソフトウェア音源でもこれを併用する事が多い。 | |||
減算型アナログ・シンセサイザー | 減算合成方式をアナログ音源技術で実現したシンセサイザーの事。しばしば「アナログ・シンセサイザー」と呼ばれ、下記の処理フローを暗黙の共通認識としている事が多い。
なおディジタル・シンセサイザーでも、上記と同様な処理 (もしくは上記を連想させる操作インタフェース) を提供する製品がある。特にヴァーチャルアナログ音源では、回路特性や操作性も含めて上記処理のシミュレーションを提供している。 | |||
加算合成 | 複数の波形を重ねて音色を合成する方式。 | |||
倍音加算合成 | 倍音(整数次高調波)相当の正弦波を使った加算合成。 | |||
変調合成 | 各種の変調方式を応用した音響合成方式。 例えばFMシンセシスは周波数変調(FM)、PDシンセシスは位相変調(PM) の応用であり、両者を合わせ位相角変調と総称される。 | |||
FMシンセシス | 正弦波を別の正弦波で周波数変調し、倍音を制御する方式。 | |||
RCM音源 | PCM音源(AWM2) と フィルター付きFM音源(AFM) の 複合音源 (メーカ独自呼称)。 PCM側波形でFM側オペレータを変調できるのが特徴。 | |||
PDシンセシス | 任意波形の読出し速度を波形周期内で変化させ(位相変調)、倍音を変化させる方式 (メーカ独自呼称)。実装方式はFM合成と類似性があり、また得られる音はオシレータ・シンクと一部共通点を持つ。 | |||
サンプラー、 サンプリング音源/PCM音源 |
サンプリングした波形を基本音色として利用する方式。 | |||
ウェーブテーブル・シンセシス (Wavetable synthesis) |
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ヴェクター・シンセシス | ||||
グラニュラー・シンセシス (Granular synthesis) |
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LA音源 | LA音源の"LA"とは Linear Arithmetic(線形演算式)の略(メーカ独自呼称) [29]。ごく短いPCMサンプル音源と減算合成音源のディジタル・ハイブリッドで、後に登場したPCM音源の機能限定先行版に相当する。 | |||
モデリング合成 | ||||
物理モデル音源 (Physical modelling synthesis) |
楽器の発音機構や共鳴機構の物理モデルをDSP技術でシミュレートする方式。 | |||
Karplus-Strong algorithm | ||||
Waveguide synthesis | ||||
Formant synthesis | ||||
バーチャルアナログ音源 | アナログシンセサイザーをDSP技術でシミュレートする方式。生楽器の再現を目的とした物理音源とは区別される。 | |||
クローンホイール | Hammond B3に代表されるトーンホイール 式オルガンをシミュレートした音源。広義には倍音加算型音源のシミュレーションとも言える。 |
ディジタル信号処理技術 (DSP)[編集]
フーリエ変換 | |
短時間フーリエ変換 | |
コンボリューション | レスポンス特性のエミュレーション (サンプリング・リバーブ、エフェクター・エミュレーション等) に活用される。音源技術としては、RCM音源、TASCAM GigaStudio、Allen Quantum organ等がコンボリューション技術の利用を強調している。 |
演奏方式による分類[編集]
当初は特殊な電子装置やキーボード (楽器)の一種として分類されていたが、その後、ギター型や笛型、打楽器型のコントローラーを備えたシンセサイザーが登場した。さらに演奏用のインターフェイスを分離したシンセサイザーモジュールと呼ばれる機材も登場している。
演奏情報入力方式 | 概要 |
---|---|
鍵盤 | ピアノやオルガンと同様に鍵盤を使う方式。電子楽器の黎明期から採用されている。 例: テルハーモニウム(1897-1906)、オンド・マルトノ(第4世代,1932)、ハモンド・ノヴァコード(1937)、クラヴィヴォックス(1962)、モーグ・シンセサイザー(1964)等) |
ギター | ギター音で間接的にシンセサイザーをコントロールしたり(狭義)、ギター音を直接加工して通常のシンセサイザーや他の楽器の音をシミュレートする方式(広義)。
1970年、Innovex Condor GSM がギターシンセ製品として初めてリリースされた。 |
ドラムス (Electronic drum) |
シモンズ(Simmons)の製品などが有名。この他過去にはモーグもパーカッション・コントローラを発売していた。 |
ウインドシンセサイザー | 管楽器式のインターフェイス。 |
おもな機種、型番[編集]
日本のメーカー[編集]
メーカー | 代表的な機種 [30] |
---|---|
アカイ | AX80、AX60、AX73、VX90(アナログ/ポリフォニック)、VX600(アナログ/ウィンドシンセ接続可能)、MINIAK(ヴァーチャルアナログ/ヴォコーダ内蔵)[32] |
AMDEK [33] (Roland DG) |
AMDEK: COMPU MUSIC CMU-800(PC用アナログシンセI/F、簡易音源)、 Percussion Synthesizer PCK-100(シンセドラム、組立キット)、Hand Clapper HCK-100(ハンドクラップ、組立キット) |
WAVE KIT [34] | Micro Wave Synthesizer SA12 </ref>、SA-13 [35](アナログ/モノフォニック、自作キット) Micro Wave Guitar Synthesizer(ギターシンセ)、Micro Wave Surf Synthesizer(環境音発生器)[36] |
東洋楽器 | ULT-SOUND DS-4(シンセドラム) |
ACE TONE (エース電子工業), |
ACE TONE: Multistrings SY-5 [39](アナログ/アンサンブル)、
SH-3 [40]、AP-100、SY 100 [41]、
PS-1000 [42](アナログ/モノフォニック)、 |
カシオ | CZ-101、CZ-1000、CZ-230s、CZ-3000、CZ-2000S、CZ-5000、CZ-1(PD音源)、XW-G1、XW-P1 FZ-1、FZ-10M(サンプリング)、HZ-600(SD音源)、VZ-1、VZ-10M、VZ-8M(iPD音源) |
学研[44] | テルミンmini [45]、テルミンPremium、SX-150 [46] |
コルグ[47] | miniKORG 700 [31]、miniKORG 700S、770(アナログ/モノフォニック)、MaxiKORG 800DV(アナログ/デュオ)、MS-10、MS-20、MS-50(アナログ/パッチ)、900PS、M-500(SP)、Σ(アナログ/プリセット)、 PS-3100、PS-3300、PS-3200、Δ、λ(アナログ/全音ポリフォニック)、MONO/POLY、PolySix、Poly-61、Poly-800、Trident、Trident mkII(アナログ/ポリフォニック)、DW-6000、DW-8000(DWGS音源)、DSS-1、DSM-1(サンプリング)、DS-8、707(FM)、 |
Seekers [49] | SMS1000 [50](開発停止) |
セイコー | DS-101、DS-202、DS-310 [51]、DS-250 [52](ディジタル加算型/ポリフォニック) |
TAMA (星野楽器) [53] |
DS200 Snyper (シンセドラム) |
Technics (松下) |
SY-1010(アナログ/モノフォニック)[54]、SX-WSA1 (サンプル+物理モデル) [55] |
テスコ カワイ |
TEISCO: S60P、S100P(アナログ/プリセット)、S60F、S110F(アナログ/モノフォニック)、SX-400(アナログ/ポリフォニック) TEISCO/KAWAI: S100F(アナログ/モノフォニック)、SX-210、SX-240(アナログ/ポリフォニック) |
パール [56] | ポリセンサー PK-801、PK-701(DWS-II/ポリフォニック)[57] Syncussion SY-1、SC-2(アナログ/シンセドラム)、Syncussion-X SC-20、SC40(ハイブリッド/シンセドラム) |
PAX ELECTRONICA[58] | Micro PAX [59]、SYGNUS-1、SYGNUS-8 [60](アナログ/モノフォニック)、SYGNUS-4(ディジタルシーケンサ) |
I.G.S. BIAS (石橋楽器) |
BS-1、BS-2(シンセドラム)、CLAPPY(ハンドクラップ) |
ヒルウッド, ファーストマン [61], |
Hillwood: Blue Comets 73 [31]、SY-1800(アナログMMSS方式/モノフォニック)、SY-2100(アナログ/デュオ)、SY-2500(アナログ/アンサンブル)、Basky、BaskyII(ベースシンセ) FIRSTMAN: SQ-01(音源付きシーケンサ)、SQ-10(シーケンサ)、FS-10C(プログラマブル音源/モノフォニック)、FS-4V、PS-86(アナログ/ポリフォニック)、BS-999 (ベースシンセ)、Synpuls SD-1(シンセドラム) |
ヤマハ[63] | SY-1、SY-2 [30]、CS01、CS-5、CS-10、CS-15、CS-20、CS-20M、CS-30、CS-30L(アナログ/モノフォニック)、CS-40M(アナログ/デュオ)、 GX-1、CS-80、CS-70M、CS-60、CS-50(アナログ/ポリフォニック)、AN1x(アナログ・フィジカル・モデリング)、 |
REON [65] | DRIFT BOX-S(アナログ/モノフォニック)、
リズムシンセサイザー、ヴォコーダー、シーケンサー、エフェクト(開発中)、 |
Lo-D(日立)[66] | Memory Synthesizer HMS-30[67](アナログ/モノフォニック、シーケンサ内蔵) |
ローランド | SH-1000 [31]、SH-2000、SH-3(A)、SH-5、SH-1、SH-09、SH-2、Promars(アナログ/モノフォニック)、SH-7(アナログ/デュオ)、System 100、System 100M、System 700(アナログ/モジュラ)、 Jupiter-4/8/6、JUNO-6/60/106(S)、JX-3P/8P/10、αJUNO、αJUNO2(アナログ/ポリフォニック)、 |
海外のメーカー[編集]
メーカー | 代表的な機種 |
---|---|
アクセス | Virus A、Virus B /Classic/Indigo、Virus C /Indigo II、Virus TI /Polar、Virus TI2/Polar/Snow |
Alesis | Quadra Synth、QS6/QS6.1、QS7/QS8、QS6.2/QS8.2、A6 Andromeda、ion、micron |
アープ | ARP 2500、ARP 2600、ARP Odyssey、Quadra、Omni、Axxe |
クラビア | Nord Lead |
DOEPFER | A-100BS/2、MS-404 |
DSI | Prophet'08、Evolver、Poly Evolver |
EDP | Wasp、Gnat、Spider |
EMS | VCS3、Synthi A、AKS |
Kurzweil | 250(K250)、K1000、K1200、K2000、K2000VP、K2VX、K2500/K2500X/K2500AES、K2600/K2600X、K2661 |
モーグ | MiniMoog、Polymoog、Moog IIIc、TheSource、PRODIGY、MemoryMoog、 |
Oberheim | 8VOICE、OB-X、OB-8、OB-1、Expander、Matrix12、Matrix6、Matrix1000、OB-MX |
シーケンシャル・サーキット | プロフェット5、Prophet-10、Prophet-T8、ProphetVS、Prophet600、sixtrack、MultiTrack |
Waldorf | Pulse、The Wave、Microwave、Microwave II、Microwave XT / XTk、Q、Q+、Micro Q、Rack Attack、Blofeld、 |
E-mu | Modular Systems、Audity |
CHROMA | RHDEOSクローマ、クローマPolaris、クローマPolarisII |
PPG | WAVE2.2、WAVE2.3 |
ensoniq | ESQ-1、ESQ-m、SQ-80、VFX、TS-10 |
Novation | Xio 25、Xio 49、X-Station |
主なアーティスト[編集]
ここではシンセサイザーそのものに関する任意の業績があると評される者のみを、その業績も含めて列記している。
邦楽[編集]
名前 | シンセサイザーに関する主な業績(詳細は各アーティストの項目を参照) |
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冨田勲 | 1974年、アルバム「月の光」がビルボード(クラシカル・チャート)で2位を獲得し、グラミー賞にもノミネートされる。続く「展覧会の絵」はビルボードで1位を獲得。以降もクラシックの曲を次々とシンセサイザー音楽化した。 |
ミッキー吉野 | 1976年、ゴダイゴのメンバーとしてデビュー。「Monkey Magic」等、シンセサイザーを多用したヒット曲を発表している。ローランドのアドバイザーとしてシンセサイザーの開発にも参加している。 |
喜多郎 | 1980年、NHK特集 シルクロードの音楽を担当。以降、数多くのヒーリング音楽を手掛ける。2001年、アルバム「Thinking of You」でグラミー賞ベスト・ニューエイジ・アルバム賞を受賞。ほかノミネート13回。 |
坂本龍一(YMO) | 1978年にアルバムデビュー。日本における商業的な成功を収めた初のテクノポップバンドとされている。坂本龍一はキーボード・作曲・編曲を担当。 |
松武秀樹 | YMOのマニピュレーターとしてシンセサイザー・シーケンサーのプログラミングを担当。日本シンセサイザープログラマー協会代表理事。 |
向谷実 | 1979年にCASIOPEAのメンバーとしてデビュー。日本シンセサイザープログラマー協会の名誉会員であるほか、鉄道ファンとしても知られ、日本のフュージョンシーンを牽引したグループの一員として音楽と鉄道の融合(発車メロディの作曲など)を図るなど新たな試みを行っている。 |
小室哲哉(TM NETWORK) | 1984年にデビュー。「Get Wild」等、シンセサイザーを多用したヒット曲を発表。小室哲哉はキーボード・作曲・編曲を担当。1990年代にはプロデューサーとして「小室ファミリー」と称される一連のアーティストを手掛け、シンセサイザーを多用した数々のヒット曲を発表した。 |
石野卓球(電気グルーヴ) | 1990年、アルバムデビュー。主にサンプリング技法を使用して数々の作品を発表した。 |
浅倉大介(access) | 1991年にデビュー。自身のユニットaccessや、T.M.Revolution、藤井隆等のプロデューサーとして、シンセサイザーを多用したヒット曲を発表している。デビュー前にはヤマハでシンセサイザーの開発に携わっていた。日本シンセサイザープログラマー協会名誉会員。 |
五十嵐充 | 1996年、Every Little Thingのメンバーとしてデビュー。「Time goes by」等、シンセサイザーを多用したヒット曲を発表している。 |
洋楽[編集]
名前 | シンセサイザーに関する主な業績(詳細は各アーティストの項目を参照) |
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キース・エマーソン | ELPでシンセサイザーを多用した作品を発表。ミニ・モーグの開発に参加。 |
ヴァンゲリス | オリジナル作品及び「ブレードランナー」や「南極物語」等の映画音楽でシンセサイザーを多用した作品を発表。2002年にはFIFAワールドカップの公式アンセムを担当。 |
ジャン・ミッシェル・ジャール | 1976年(世界発売は翌年)に発表されたアルバム「幻想惑星」を初め数多くのシンセサイザー音楽を発表。実験性を排除した聞きやすいシンセサイザー音楽の確立に寄与したとされている。 |
クラフトワーク | アルバム「ヨーロッパ特急」や「人間解体」などで「テクノ・ポップ」の先駆的存在と評されている。 |
タンジェリン・ドリーム | アルバム「フェードラ」や「ルビコン」などでシーケンサーの反復演奏機能を活用した「ミニマル・ミュージック」をヒットさせた。 |
リック・ウェイクマン | イエスを初め数多くの活動を手がける。「マルチ・キーボード」の使い手の代表的な存在。 |
ジョー・ザヴィヌル | ジャズ・フュージョングループウェザー・リポート(1971-1986)においてその初期からシンセサイザーによるオーケストレーションを多用した作品を発表。また解散後はMIDIシステムを用いソロツアーも敢行。即興性が重視されるジャンルとしては珍しいシーケンサー多用派。ヤマハのGX-1ユーザー。 |
スティーヴィー・ワンダー | 「Superstition」など、モータウン系でシンセサイザーを多用した作品を発表。 |
ブライアン・トランソー | 高度なプログラミング技術と独特のスタッター技術で知られ、「Synth Wizard(シンセサイザーの魔法使い)」と呼ばれる。 |
ハワード・ジョーンズ | 初期のライブでは多数のシンセサイザーを並べ、それらを一人で操りながら歌うという「一人ライブ」を行っていた。 |
その他[編集]
- 日本においては、シンセサイザーに関わりを持つ人々の団体「日本シンセサイザープログラマー協会(JSPA)」(松武秀樹会長)がある。
- NHKの「みんなのうた」で1980年10月 - 11月に放映された曲の中に『ミスターシンセサイザー』という作品がある。詳細は当該項目を参照。
関連項目[編集]
機能・仕様[編集]
- ADSR
- MIDI
- 音源モジュール
- エンベロープ
- ミュージックシーケンサー
- アナログシンセサイザー
- デジタルシンセサイザー
- OpenSound Control
- ソフトウェアシンセサイザー
- モノフォニックシンセサイザー
- ポリフォニックシンセサイザー
その他[編集]
- シンセサイザー奏者
- シンセサイザー音楽
- ミュージックワークステーション
- デスクトップミュージック
- シンセパッド
- シンセリード
- ストップ (オルガン)
- ボーカルシンセサイザー
- KEYBOARDMANIA - シンセサイザーをモチーフとした音楽シミュレーションゲーム
外部リンク[編集]
独自のライブ用フィジカル・コントローラ開発で知られる Monolake の歴史解説ページ。英語:Siemens synthesizer と題した写真が掲載されているが、解説文は見当たらない。
() Das Siemens-Studio für elektronische Musik von Alexander Schaaf und Helmut Klein Deutsches Museum [ arch. ] 2009-10-13
ドイツの博物館Deutsches Museumに、Siemens Studioの機材一式が展示されており、その実態はSiemens synthesizerだと推測される。同博物館の紹介ページでは、Siemens Studioの沿革が解説されているものの、システム全体の名称やその開発年は今ひとつはっきりしない。
アップル Logic Studioのマニュアルに、音楽用ヴォコーダの歴史解説がある。個々の説明自体は短いものの、重要なイベントが網羅的にカバーされておりとても興味深い。
- Siemens synthesizer: 1960年開発でヴォコーダ機能を含むという記述があるが、開発年と外部利用開始の年を混同している可能性が高い。
- 1973/3: コルグ miniKORG 700 [2]
- 1973/7: ローランド SH-1000 †
- 1973: ヒルウッド Blue Comets 73
- 1974: ヤマハ SY-1
- 1974: エース電子工業/ACE TONE AP-100/SY 100
- 1974/5: ローランド SH-3 *†
- 1975: 日本ハモンド Model 102200
- 1976/10: エース電子工業/ACE TONE PS-1000 *†
- 1977: カワイ/テスコ S100F, 松下/Technics SY-1010
- 1978: 日立/Lo-D HMS-30, PAX ELECTRONICA Sygnus
- 1979: (パール SYS-950), (カシオ VL-Tone VL-1)
- 1982: パール Polysensor PK-801/701*
- 1983: セイコー DS-101/202/310/320
- 1984: アカイ AX80, カシオ CZ-101*
- 2008: 学研 SX-150
- 2009: REON DRAFT BOX-S
- †印の発売年月は リットーミュージックの雑誌「キーボードマガジン」記事に基づいた. ([3])
- * Popular Electronics誌 1972年2月号, John S. Simntonの記事
- Triadex Muse (1971年)
- つまみ操作で14兆パターンの音楽フレーズを生成する自動演奏装置。
- 人工知能の父マービン・ミンスキー教授とその弟子エドワード・フレドキンが開発、一般販売された。完全ディジタル構成で音色とフレーズの自由度を備えたこの製品は、ディジタル・シンセサイザーとしてもディジタル・シーケンサとしても世界最初の製品と言われており[7][8]、歴史年表を作る上で非常に扱いに困る逸品である。
- IoniCamera (1970年代)
- 広告によると、音に反応して画像パターンが変化しつづける一種のヴィデオ・シンセサイザー。
- EMSの米国代理店Ionic Industriesの製品。同社はEMS VCS3互換のシンセionic performerも発売していた。
- EMS REHBERG VIDEOSIZER-L1 (1979年前後)
- EMSのドイツの関連会社EMS REHBERGのミュージック・ビデオ・シンセサイザー。
1979年の第1回ars electronicaのポスターは同製品の生成画像らしい。
また1972年の梯退社後、1970年代のある時期エース電子工業の再編に伴い製造販売部門を日本ハモンドが引き継いだと考えられており[11]、以降日本ハモンドはACE TONEブランドの製造・販売も行うようになった。[12][13]
1970年代末にはコンパクトエフェクター Big Jam シリーズを発売した。この製品は同時期に発売されたローランドのBOSSシリーズの対抗製品と考えられ、アメリカのMultivox(Sorkin Music)にもOEM供給されたが[14][15]、結局2~3年で消えたという。[16]
その後1970年代末、ACE TONEブランドの後に新ブランドJugg Box(海外ではSAKATA)が登場し、真空管式ギター・アンプstuffシリーズ[17]や、日本最初期のPCMドラムマシンDPM-48 といった特徴ある製品を発売した。[18][19]
以上のように、日本ハモンドの主力はあくまでオルガン製品であり、ギターアンプ/エフェクタは70年代末期の追加、シンセ/ドラムマシンの発売はどちらかと言うと例外的だった事がわかる。なお1980年代にはイタリアCRUMAR社の高価なディジタルシンセ DK SYNERGYの輸入販売も行っていた。[20]
以降の経緯は、阪田商会の脚注を参照。
同社はエース電子工業と日本ハモンドの出資者であり、両社製品の輸出入業務は 同社海外事業部門が担当した。 輸出品の製造プレートには「SAKATA SHOKAI」の文字が記されたので、海外ユーザはその製造元をエース電子工業ではなく阪田商会だと理解している。[21] また後期製品の一部(例えばJugg Box DPM-48等)は、実際に海外でSAKATAブランドで販売された[22][23]。
(1980年代には外国ブランド・シンセ(Oberheim/Ensoniq/Kurzweil(以上鈴木ハモンド), Chroma Polaris II(FenderJapan&エルク電子), SCI(モリダイラ楽器), ...等)の国内生産が急速に開始され海外輸出も行われた。この時期、日本製のOberheim/Ensoniqの輸出版製造プレートにも「SAKATA SHOKAI」の文字が確認されている [24][25][26])
このように一見ミステリアスな「SAKATA SHOKAI」の目的と役割は、同社海外事業部門(現シークス)の創業50年史を参照。同資料に拠れば、年代を経るにつれ事業領域が下記のように変化・拡大していった事が確認できる。
- 1958年 大手インク会社貿易部の輸出係として誕生
- 1960年代 電子部品貿易(エース電子工業への出資と輸出)
- 1970年代 OEM事業(日本ハモンド)、他社の海外工場設立等
- 1980年代 自社ブランド試行(SAKATAブランド)→EMS(委託生産事業)の本格化
- 1985,6年頃 ハモンド・オルガン・カンパニーが経営終息 (詳細不明)
- 1991年 鈴木楽器が買収しHammond復活
- 1992年 サカタインクス(旧:阪田商会)海外事業部門がサカタインクスインターナショナル(現シークス)として分社独立
総じて日本ハモンド/阪田商会/エース電子工業/ローランドの活動は、ハモンドの命運と市場に大きな影響を及ぼした。
- OEMビジネスによる 出荷数/モデル/価格レンジの拡大
- トーンホイール方式終了の追認(OEM生産拒絶)と後押し(電子オルガン開発)
- クローン・ホイール電子オルガン市場の立ち上げと、市場競争の激化
(ACE TONE GT-7/GT-5, Hammond X-5/X-2/B-200, Roland VK-9/VK-6, KORG BX-3/CX-3, etc)
製品名や写真から観察できる範囲では、おそらく2系統のアンサンブル音源(中央部、プリセット型ポリシンセ)を中心に、オルガンまたは簡単なソロシンセ(右側緑四角の下の多数のノブ)、モジュレーション系エフェクタ、幾つかのコントローラと入力(左端ジョイスティック) を備えた3系統複合キーボードと推定される。またデザイン的特徴として、筐体上面にARP製品と同様なブロックダイアグラムが印刷されている。
以上より、製品の機能や世代は Roland RS-505 Paraphonic Synth(1979年)[28][29]や、Roland VP-330(1979年,前期型)[30][31]に近いと推測される。しかし機能ブロックの複雑さやノブの多さ、そして何よりデザインは、ARP Quadra(1978年)[32] や Roland Jupiter-8(1981年) に通じるものがある。今後のACE TONE Multistrings SY-5の解明に期待したい。
(追記: Guy-Lianのシンセ紹介ページに短い説明が存在)
一つ目のAP-100は、2006年前後PSE問題(2001年電気用品安全法(PSE法)の施行後2006年の猶予期限切れに伴い、国内のヴィンテージ機器流通に大きな支障が生じかけた問題)で、適用免除申請(特別承認)で提出され受理されたいわゆる公認ヴィンテージ・リストに記載のある型番である。有名なシンセシスト安西史孝のシンセ年表には、1974年の発売リストに記載がある。しかしこの2件以外、ネット上に製品情報は見当たらない。なおPSEの免除申請に、業者によっては大量の対象外製品を申請してしまった経緯もあり、必ずしもPSEのリストが100%の信頼性を持っているとは限らない。一つの可能性として、存在確認されている製品"AP-1000"の型番を誤って"AP-100"として申請し、そのまま免除対象となった可能性も否めない。
二つ目のSY 100は、ドイツのSYNRISEデータベース に記載されている型番で、記述によれば登場時期と仕様は「1974年登場したステージ用モノフォニックシンセ(49鍵)。このアナログシンセは、シンセの全基本機能に加え、リングモジュレータとハイパスVCFを備えている。キーボードは上下1oct.のオクターブ・トランスポーズが可能」という事である。ただしこちらも、これ以外に製品情報がネット上に一切見当たらない。一つの可能性として、関連会社日本ハモンドのHammond Model 102200 (と同じ外観の製品)を、Hammond SY-100と誤表記している例があり、何らかの関係があるかもしれない。 また別の可能性として、広く存在確認済みの製品"Multistrings SY-5"と関係のある製品なのかもしれない。ただしSY-5は名称や画面からポリフォニック複合キーボードと推定され、上記仕様とは異なる。またSY-5の発売時期は確認できていないが、他社の同様な複合キーボード(Roland RS-505(1978)、Multivox MX-3000(1978)、YAMAHA SKシリーズ(1979-1981)、KORG Trident(1980,8voice/メモリ付き)、)は70年代末~80年代初頭に登場しており、仮に"SY 100"と"SY-5"に関係があるとしても、製品世代は大きく異なる可能性が高い。
この他Hammond 102100 と呼ばれる、100番違いで外観がほぼ同じモデルが存在し[48]、動画が公開され[49][50][51]、また業者からサービスマニュアルや回路図の入手も可能である[52][53]。しかし現時点ではこのモデルの製造元や、モデル間の関係/相違点等は一切不明なままである。
- コルグ・ミュージアム: http://www.korg.co.jp/SoundMakeup/Museum/
拡張性については、キーボード型ではDSP追加、カード型ではカード増設で、発音数や処理機能の拡張(複雑なアルゴリズム等)が可能だった。
Mac側ソフトは「音源/エフェクトアルゴリズムツール Synthkit Pro」と呼ばれ、MAX/MSPのように機能ブロックを配線してDSPアルゴリズムを開発できた。[システム1]はX-013+Mac用ソフトのモデルで、開発中の音色はMIDIもしくはFD経由でX-013へ転送して試奏するタイプ、[システム2]は前述のようにMac用NuBus拡張ボードを追加したモデルで、Mac内完結処理が可能な他、X-013本体では未対応の外部オーディオ入力が可能だった。
出典: "珍品、名品?"
出典: Seekers元開発者KirikaxのSeekers製品情報ページ
この他 2006年頃から海外で Seekers SMS2000のプロトタイプと称する写真やビデオが話題となっているが[54]、元開発者はその存在を知らないとしている。
森岡はその後、アカイのスタジオ機器進出に協力し、AKAI professional最初のアナログシンセ AX80 や12トラックMTR MG1212 を開発した。またSOLTONのコンサルティングや、[[ホーナー (企業)|]]のアレンジャー・キーボードHohner PK250の開発、ドラムメーカSONORのディジタルドラム開発にも携わった。
特にHohner PK250は、シンセと演奏支援を統合した簡易ワークステーションとして海外で人気を呼び、その後、他メーカも同種の製品を発売して、現在のアレンジャー市場が確立する一つのきっかけとなった。
出典: "Kazzy Firstman & Mosrite Story"
- 歴史年表: http://www.yamaha.co.jp/about/corporate/history/
- 電子楽器年表(抜粋): http://www.yamaha.co.jp/manual/japan/chron.php
- 製品情報(音楽製作): http://www.yamaha.co.jp/product/syndtm/p/
- 製品情報サイト(音楽製作機器): http://yamaha.jp/product/music-production/
- ヤマハのデザイン: http://www.yamaha.co.jp/design/index.html
出典: プレイヤー・コーポレーションの雑誌『Player』の1980年代前半の記事(掲載年月不詳)
出典: MATRIXSYNTH: HITACHI Lo-D HMS-30 (国内Yahoo!オークション出品の引用記事)