清明塾
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清明塾(せいめいじゅく)は、日本占領下の西ボルネオ・ポンチアナク州で、州知事庁・ポンチアナク普通中学校に付設された、ポンティアナク事件で父母・兄弟を亡くした中学生のための宣撫機関。当初、大和園の建物を譲り受けて、私塾として開設されたが、民政部の治安工作の一環として評価され、庁費で経営されることになった。[1][2]
塾生は15人で、
- 独立事件の首謀者とされたパテアシナの遺児・ヘリー
- パナギアンの遺児3人
- 事件と関係のなかった家の子弟2人
- ファウシ
- アンバラン(Ambarang[map 1])のトモンゴン(酋長)の次男だったアエン
- ナバンのインドネシヤ小学校の5年級に在学していたのを塾に引取り、中学に通わせた。
らがいた[1]。