清原派
清原派(きよはらは)は、読売ジャイアンツの中心選手として活躍した清原和博および清原に近い選手らの派閥。
概説[編集]
少年時代から巨人ファンであった清原だが、KKドラフト事件で巨人に入団できず、失意のまま1位指名を受けた西武ライオンズへ入団、11年間プレーした。その後、1996年末にFA宣言し、悲願の巨人入団を果たした。
清原は三振や凡打が多いと言われるが、プロ入り13年連続20本塁打(日本記録)樹立、史上8人目の通算500本塁打達成などの記録を残すなど巨人の主軸打者として活躍し、多くのファンから愛された。また、後輩を可愛がる一面もあり、清原を慕う「清原派」の選手もいた。
しかし清原は、球場で同僚選手にカンチョーやプロレス技をする、ベンチでふんぞり返る、対戦球団の選手に対する不適切発言(フォークボールを投げた藤川球児への「女々しい男だ!!」発言など)、試合後毎晩のように後輩を連れて飲み歩く、ダイヤのピアスを両耳につける(巨人は禁止している)、練習は手抜きする、チームの決まりを守らないなど、その態度は元巨人軍オーナー正力松太郎が遺した「巨人軍は常に紳士たれ」という言葉とは程遠いものだった。清原の態度は、巨人ファンの間でも賛否両論があった。
清原派の選手の中には、清原の態度や行動を模倣する者も少なからずいた。清原の態度に手を焼いていた首脳陣は「若い選手にろくでもない影響を与えている」として、2005年シーズン途中で清原に戦力外を通告し、同年オフに清原派の選手を次々と戦力外にした。
その後の巨人は、2006年はBクラスに沈んだが、2007年~2009年でセントラル・リーグ3連覇、2009年日本シリーズ制覇、日韓クラブチャンピオンシップ勝利など好成績をあげ続けている。2009年に高橋尚成がFAでニューヨーク・メッツに移籍し、清原派は一掃されたと言われる。
清原派とされる主な選手[編集]
- 清原和博…2005年シーズン途中で戦力外通告を受け、オリックス・バファローズに移籍。
- 元木大介…清原と同じ2005年に戦力外通告を受け、そのまま引退。
- 後藤孝志…清原と同じ2005年に戦力外通告を受け、そのまま引退。翌2006年に監督となった原辰徳がコーチにしようとしたが、球団首脳が「彼は清原派」と難色を示した。
- タフィ・ローズ…清原と同じ2005年に戦力外通告を受け、シンシナティ・レッズに移籍(マイナー契約)。2007年に清原と同じオリックスに移籍。
- 小田幸平…2005年オフに巨人へFA移籍した野口の人的補償で中日ドラゴンズに移籍。中日監督の落合博満は「なぜ彼がプロテクトされなかったのか不思議」と発言した。
- 高橋尚成…最後の清原派と言われる。2009年FA宣言し、ニューヨーク・メッツに移籍。
なお、清原派の存在は巨人のみであり、西武やオリックスでは存在していない。