浅野組
浅野組(あさのぐみ)は岡山県笠岡市笠岡615-11に本拠を置く日本の指定暴力団。構成員は、平成22年(2010年)9月1日で、127人。
略歴[編集]
初代浅野組[編集]
昭和44年(1969年)11月、共政会十一会組員と共政会村上組組員が喧嘩をした。これを切っ掛けに第三次広島抗争が勃発した。広島抗争#第三次広島抗争参照
昭和45年(1970年)、下関市の合田一家・合田幸一総長の提唱により反山口組同盟・関西二十日会が結成された。加盟組織は、合田一家、大阪市の松田組、神戸市の忠成会、姫路市の木下会、浅野組、広島市の共政会、福岡市の工藤会など。
昭和54年(1979年)4月16日、三代目山口組・田岡一雄組長は、田岡一雄の自宅で、三代目共政会・山田久会長、侠道会・森田幸吉会長、浅野眞一、共政会・門広相談役と会った。この席で、山口組と、それぞれ関西二十日会に所属していた共政会、侠道会、浅野組との共存共栄路線が確認された。
二代目浅野組[編集]
昭和54年(1979年)8月、浅野眞一が病死した。その後、浅野組若頭・日田義男が、浅野組二代目を継いだ。
昭和58年(1983年)7月、日田義男は、病気でヤクザから引退した。
三代目浅野組[編集]
昭和58年(1983年)10月26日、二代目浅野組若頭・串田芳明が、浅野組三代目を継いだ。
昭和63年(1988年)、西日本二十日会が結成された。関西二十日会とは違い、特に山口組を仮想敵とするわけではなかった。西日本二十日会の加盟団体は、唐津市の西部連合、下関市の合田一家、広島市の共政会、尾道市の侠道会、笠岡市の浅野組、松山市の松山連合会、岡山市の木下会、徳島市の勝浦会、高松市の親和会、大阪市の波谷組だった。
平成2年(1990年)3月24日、熱海市の稲川会・稲川聖城総裁の自宅で、稲川会・稲川裕紘理事長と串田芳明とが兄弟盃を交わした。
平成4年(1992年)12月14日、岡山県公安委員会は、浅野組を指定暴力団に指定した。
平成8年(1996年)2月、四代目共政会、二代目俠道会、三代目浅野組、六代目合田一家、親和会は、親睦会「五社会」を結成した。
歴代組長[編集]
- 初代(1952年~1979年8月) - 浅野眞一
- 二代目(1979年10月~1983年8月) - 日田義男
- 三代目(1983年9月~2010年10月) - 串田芳明
- 四代目(2010年11月~) 森田文靖
最高幹部[編集]
- 組長 - 森田文靖
- 若頭 - 重政宣弘
- 舎弟頭 -中岡 豊
- 相談役 -内村昌孝
- 相談役 -林 征一
- 相談役 - 原田英治
- 舎弟頭補佐 - 髙橋勝
- 舎弟 - 小野 護
- 舎弟 - 古庄 昇
- 舎弟 - 佐藤貞三
- 舎弟 - 藤山良雄
- 舎弟 - 羽原伸吾
- 本部長 - 林 真生
- 組織委員長 - 光定貞
- 懲罰委員長 - 小川路晃
- 若頭補佐・福山支部長 - 中藤順造
- 若頭補佐-石山正義
- 若頭補佐 - 末広順二
- 若頭補佐 - 山崎健司
- 若頭補佐 - 山本 誠
- 若頭補佐- 中岡 薫
- 井原支部長 - 金本光二
- 府中支部長 - 矢田敦史
- 福山支部長代行 - 稲田象吉
- 行動隊副隊長 - 川本 修
- 行動隊副隊長 -前村栄二
- 親衛隊副隊長 - 平井良和
- 組長秘書 - 北川修
- 組長秘書 - 石川竜汐
- 組長秘書 - 石塚幸一
- 組長秘書 -大塚正二
- 組長秘書 - 中岡伸源
参考文献[編集]
- 正延哲夫『波谷守之の半生 最後の博徒』幻冬舎(幻冬舎アウトロー文庫)、1999年、ISBN 4-87728-733-7
- 飯干晃一『仁義なき戦い<決戦篇>』角川書店<角川文庫>、1980年、ISBN 4-04-146402-1
- 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.140~P.141
- 『実話時報』2008年3月号、2009年3月号(竹書房)