氷見ヶ濱弥太郎

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氷見ヶ濱弥太郎(ひみがはま やたろう、明治15年9月2日(1882年)-昭和17年6月27日(1942年))は、明治時代後期の大相撲力士。本名は白石弥之助石川県射水郡(現在の富山県氷見市藪田)出身。所属部屋は稲川部屋。最高位前頭13枚目。身長167センチ、体重79キロ。得意手は左四つ・上手投げ・引き落とし。

初土俵は明治34年(1901年)1月場所序ノ口。5代目稲川(関脇稲川政右衛門)のもとに入門する。四股名は初め浦嶌(うらしま)と名乗っていたが、郷里の氷見郡に因んで氷見ヶ濱と改名した。小兵ながら腰が強く、前捌きも上手かった。このため左四つからの投げ技や、組んでからの引き落としを得意とした。

明治41年(1908年)5月場所、新十両であるにもかかわらず6勝2敗2預の好成績を収める。翌場所の明治42年(1909年)1月場所で新入幕を果たしたが、幕内在位3場所中一度も勝ち越せず十両に転落。十両でも成績を残せず、明治44年(1911年)6月幕下に転落したため28歳の若さで廃業した。

昭和17年6月27日(1942年)、59歳で没。

  • 幕内成績:8勝15敗4分1預2休(3場所)
  • 幕内勝率:0.348

参考文献[編集]

  • 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
  • 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。