松下竜一

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松下 竜一(まつした りゅういち、1937年昭和11年)2月15日 - 2004年平成16年)6月17日 )は、日本小説家歌人大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、ノンフィクション。よく取り上げられるテーマは、時流に屈することなく生きた誇り高き人々。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。

略歴[編集]

1937年2月15日、大分県中津市で誕生。生後まもなく肺炎で危篤状態になる。高熱により右目を失明。結核療養のため四年かかって高校卒業後の浪人中、1956年5月8日母(46歳)が急逝、ために進学を断念し、父親の豆腐屋を手伝い始める。豆腐の配達で吉富町の小さな雑貨店の女主人とその娘(のちの義母と妻)と知り合う。

朝日新聞の短歌欄に投稿し、句集『豆腐屋の四季』を自家出版。地方の青年のやるせない気持ちを綴った句集は評判を呼び翌年1969年4月に公刊、ドラマ化もされた。1970年7月9日、豆腐屋を廃業。初のノンフィクション(ルポルタージュ)作品である『風成の女たち』では女性たちの活躍に力点を置いたために、反対運動の中心的人物だったという男性から抗議(絶版要求)を受けショックを受ける。自らの反公害・反開発運動を基にした『暗闇の思想を』を記し、隔離されたハンセン病患者の詩人伊藤保の評伝『檜の山のうたびと』、山林地主・室原知幸を中心に下筌ダム反対運動を書いた『砦に拠る』など骨太のノンフィクション作品を発表。その一方で、自らの息子に読ませるつもりで、児童文学も手がけるなど幅の広い著作活動を行う。

関東大震災による混乱に乗じた陸軍憲兵隊によって虐殺された大杉栄伊藤野枝の娘である伊藤ルイの半生をたどる『ルイズ —父に貰いし名は』で1982年に第四回講談社ノンフィクション賞を受賞。

以降、『久さん伝—あるアナキストの生涯』、東アジア反日武装戦線を題材とした『狼煙を見よ』、ダッカ事件で一般受刑者ながら出国し、日本赤軍の活動に参加した泉水博を書いた『怒りていう、逃亡には非ず』といった、テロリストを題材とし、彼らの活動を全面的に肯定しないものの、同情もしくは賛同的に書いたために、当局から過激派シンパとみなされ、自宅を家宅捜査されたこともあった。

1996年自らが発行人の「草の根通信」掲載のエッセイをまとめた『底ぬけビンボー暮らし』を刊行。著作があまり売れず、収入が低く、毎年確定申告で(ほぼ全額)戻ってくる原稿料の源泉徴収がボーナス代わりなど、ビンボー暮らしをあっけらかんと語る。1998年にはデビュー作以外それほどヒットした作品があるわけではない作家にしては異例の全集刊行(『松下竜一とその仕事』)が開始。

2004年6月17日、(脳内出血による一年間の闘病後)永眠。家族と病身を守るため、終生、生家を捨てず。享年67。

評価[編集]

短歌集『相聞』に編まれた甘美な歌や叙情的・私小説的な青春期の作品から出発し、むくわれぬ人や不屈の生涯に焦点を当てた格調高いノンフィクション小説を書く。実生活では、先駆者として、未だ確立されていない人権の一つである「環境権」を生活者の視点から掲げる。エッセイにおいても、郷土の自然を愛することと、日本に生きる人の将来を憂うことが実は近しいことを、誠実にユーモアを失うことなく訴え続けた。

エピソード[編集]

テレビ・ドラマ「豆腐屋の四季」に主演した当時売り出し中の若手俳優緒形拳の、主人公像を期待して、放映当時(1969-1970年)、店頭をのぞきに集まった小学生たちには、意外な偏屈おやじとの評価が多かった、といわれる。一方、同い年である緒形と、その面影が似ているという女性ファンもいたらしい。また、晩年、緒形拳に、わたしもそろそろ室原知幸さんを演じられる年齢になったのでは、という便りをもらった、と緒形がかねてから「砦に拠る」の映画化を構想していることをエッセイで明かしている。

「中津の自然を守る会」を結成し、事務局長として行動を始める。この1972年(昭和47年)当時、豊前火力発電所建設反対運動につながり、九州随一の大企業である九州電力に反旗を翻す行動により、地元では奇人と見なす者が増えた。また、「草の根通信」を創刊する。この月刊誌は、「豊前火力絶対阻止・環境権訴訟をすすめる会」の機関誌として始められたが、のちにいうミニコミ誌としてテーマを拡げながら30年以上に渡り、松下の没後、380号で休刊になるまで刊行され、「環境権」ということばの浸透に欠かせない役割を果たすことになる。

作品[編集]

全集[編集]

作品提供[編集]

テレビドラマ

関連項目[編集]

評伝[編集]