東満銀行
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東満銀行(とうまんぎんこう)は、満州事変の後、間島地方で複数の金融機関を統合して設立された銀行。
張作霖の時代に、琿春で、資本金25,000円で設立された共栄会社という金融会社を前身としていた[1]。
満州事変の後、間島地方に関東軍が介入。共栄会社は資本金を20万円に増強することになり、間島地方で金融機関の大合同を行うことになった[1]。
石本恵吉の仲介により、朝鮮の資本家・李圭煥の出資を受けて、日鮮資本合同の「東満銀行」が設立された[2]。
2年後にはライバル会社だった日本資本の間島銀行も合併[2]。
のちには支店を12ヶ所有し、牡丹江にあった銀行も合併して、東満洲で唯一の民間銀行となった[2]。
東満銀行の融資は、朝鮮の訓戒駅から琿春に至る鉄道を敷設する工事などに向けられた[3]。
付録[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 加藤 石本 2013 330-331
- ↑ 2.0 2.1 2.2 加藤 石本 2013 331
- ↑ 加藤 石本 2013 331-332
参考文献[編集]
- 加藤 石本 (2013) 加藤シヅエ・石本恵吉(著)石本幸子(編)『心の軌跡 - 加藤シヅエと石本恵吉男爵 1919-1946』石本幸子、ISBN 978-4021002175