日本橋 (大阪市)

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日本橋

日本橋(にっぽんばし)は、大阪府大阪市中央区浪速区町名および周辺の地域名称。または、道頓堀川に架かる橋。

概要[編集]

日本橋

道頓堀川に架かる堺筋の橋である日本橋(橋梁)南詰以南に位置する。北から順に1丁目と2丁目が中央区、3丁目から5丁目、および隣接する日本橋西、日本橋東が浪速区に含まれる。堺筋西側の南端は恵美須入路交差点(阪神高速1号環状線えびす町入口、名呉橋跡)、同東側の南端は恵美須交差点(国道25号)。

江戸時代には紀州街道の一部でもある堺筋に面して旅籠木賃宿が建ち並び、長町と呼ばれていた。1792年寛政4年)に長町のうち現在の中央区側が日本橋に改称され、1872年明治5年)には現在の浪速区側も含めて日本橋筋に改称された。1980年昭和55年)に浪速区側が日本橋東の西半、東関屋町を編入した上で日本橋に改称。1989年平成元年)に中央区側が高津町三・七・八・九・十番丁、御蔵跡町を編入した上で再び日本橋に改称された。

江戸時代から東成郡天王寺村西成郡今宮村の各一部にあたる東西の裏通り一帯には貧民街が形成されていたが、1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会の開催に合わせて一掃され、堺筋に面した不良木賃宿の多くも釜ヶ崎へ移転した。以降は古書店街に姿を変えたが、第二次世界大戦後には東京の秋葉原と並ぶ電気街となり、「東のアキバ、西のポンバシ」とも称される。なお、電気街についてはでんでんタウンを参照のこと

ただし、電気街となっているのは概ね浪速区側である。境界となるのが「なんさん通り」で、日本橋3交差点以東は「御蔵跡通り」と呼ばれる。中央区側では、道頓堀千日前に隣接する堺筋以西が半ば歓楽街化しているほか、堺筋以東には国立文楽劇場、かつての高津町八・九・十番丁界隈には「大阪の台所」と称される黒門市場、御蔵跡通り付近には履物問屋街(通称:はきはきタウン)があり、電気街以外の表情も見せる。

2009年平成21年)からは、日本橋プロジェクトという地域振興が行われており、いとうのいぢがデザイン・作画を務める音々(ねおん)ちゃんイメージキャラクターとなっている。光(ひかり)ちゃんというもいる。

交通機関[編集]

鉄道[編集]

日本橋

バス[編集]

大阪市営バス

日本一[編集]

中央区日本橋1丁目は「日本一」(にっぽんいち)と通称される。堺筋と千日前通が交差する日本橋1丁目交差点付近には、日本一にあやかりたい建物や看板がある。なお、住友銀行日本一支店は三井住友銀行となった後、2004年10月15日に難波支店に統合・無人化された(エーティーエムサービス西日本支店日本一出張所となる)ため、現存する銀行の支店で日本一支店を名乗るのは三菱東京UFJ銀行日本一支店(旧UFJ銀行日本一支店←三和銀行日本一支店)を残すのみで、それさえも2011年1月17日をもって難波駅前支店[1](旧東京三菱銀行難波支店)へのブランチインブランチとなって事実上消滅してしまった。

日本橋(橋梁)[編集]

1619年元和5年)に江戸幕府によって架けられた。長さ約40m、幅約7mの木造橋で、江戸日本橋と同じく公儀橋であった(道頓堀川では唯一)。1877年明治10年)に鉄橋になり、1901年(明治34年)と1912年(明治45年)に架け替えられた。現在の橋は1969年昭和44年)架橋で、長さ28.8m、幅28mである。

脚注[編集]

日本橋
  1. 同店は難波支店(旧UFJ銀行難波支店←三和銀行難波支店)とも同居しており、日本一支店が入ったことで3店舗のブランチインブランチとなった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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