岸本勝

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

岸本 勝(きしもと まさる)とは部落解放同盟宮崎県連合会延岡支部元支部長、暴力団石井組系山崎組系岸本組(構成員46名)元組長。覚醒剤取締法違反、賭博、銃砲等不法所持、火薬類不法所持などの前科を持つ。

1976年9月、部落解放同盟宮崎県連合会延岡支部結成。同年10月、土木請負業「同和産業」を設立。県の指定業者として毎年1億数千万円の官公庁工事を受注する一方、息子名義の「同和商事」を設けて金融業にも進出。1980年4月、漁業の経験がないにもかかわらず、同和特別措置法に基づき大瀬川漁業協同組合を設立。

当初、県水産課は既設の延岡五ヶ瀬川漁協に「大瀬川漁業協同組合に漁業権は絶対に与えない」と説明していたが、のち「同一河川に二つの漁業権はやれない」との理由で延岡五ヶ瀬川漁協に大瀬川漁業協同組合との合併を強要。しかし、ヤクザの組長を組合長にもつ漁協と合併すれば組合の実権を乗っ取られるのは自明であるとの理由で既設の三漁協は猛反対した。

さらに県は前言を翻し、1985年2月、大瀬川漁業協同組合に漁業権の共有を認可。このため、同月、延岡五ヶ瀬川漁協が宮崎県を相手取って大瀬川漁業協同組合への共有漁業権の認可取消を求め、宮崎地裁に提訴する。

1985年5月、右翼団体「大日本勝政会」結成。同月中旬、愛人をピストルで射殺し、殺人と死体遺棄で指名手配を受ける。1987年に逮捕。

出所後は延岡市に戻り、土建屋「大同建設」を経営している。

出典[編集]

  • 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.115-117