北日本新聞
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北日本新聞(きたにっぽんしんぶん)は、富山県を代表する日刊新聞(地方紙)。富山県富山市に本社を置く株式会社北日本新聞社が発行。
目次
概要[編集]
名実ともに富山県を代表する言論機関であり新聞以外にも『富山大百科事典』の刊行や地域文化行事への助成は数多く、富山県の存立に関わる文化事業の積極的推進者として重要な企業であるといっても過言ではない。
発行部数約25万部 県下普及率約67%(2007年1月現在)。しかし、近年は同じく富山県を代表する日刊新聞である富山新聞等の猛追によりこれらと拮抗している。
論調は建前上は中道。ただし、富山県は伝統的に保守勢力の強い地域であり、論調には保守勢力や行政に迎合的な一面もある。また当紙を左傾的だと考えるネット右翼などからは「毎日新聞並みの共産主義者」と揶揄される場合もある[1]。日曜日を除いて朝刊1面にきょうの夕刊に掲載される内容が書かれていたが、2010年より後述のように朝刊のみの発行となった。
1面コラムのタイトルは「天地人」[2]
連載中の4コマ漫画は「ホットくん」
日本新聞協会・共同通信社加盟。
テレビ・ラジオ欄[編集]
- 石川、新潟のTV(1/4サイズ)
1部売り[編集]
朝刊110円、夕刊50円
歴史[編集]
- 1884年 - 北日本新聞の前身「中越新聞」刊行
- 1888年 - 「中越新聞」を「富山日報」と改題
- 1940年 - 富山日報、高岡新聞、北陸日日新聞、北陸タイムスの4社が統合して、「北日本新聞」第1号を発刊
- 1945年 - 米空軍の空襲で社屋全焼。疎開先の寺田工場(旧新川村)で印刷、全国唯一の無休刊記録を達成した
- 1952年 - 石川県内で北陸新聞を創刊
- 1953年 - 北陸新聞の経営権を、金沢資本の百貨店大手 大和に譲渡
※北陸新聞については、北陸新聞の項目を参考。
- 1965年 - 北日本文学賞を主催。
- 1997年 - 本社内にコミュニティFM「富山シティFM」開局。
- 2006年 - 制作拠点「創造の森 越中座」完成。
- 2009年12月28日 - この日をもって夕刊を休刊。
- 2010年
- 2011年3月10日 - 読売新聞の委託印刷を開始。
社史・記念誌[編集]
- 北日本新聞社史(北日本新聞社八十五年史、北日本新聞社史編纂委員会 編) 1969年発行、558ページ。
- 富山県民とともに 北日本新聞100年史(北日本新聞百年史編さん委員会 編) 1984年10月15日発行、528ページ。
- 北日本新聞百二十年史(北日本新聞社史編さん委員会 編) 2004年12月発行、643ページ。
本社[編集]
支社[編集]
高岡(高岡市)、新川(魚津市)、砺波(砺波市)、金沢(金沢市)、東京(東京都)、大阪(大阪市)、名古屋(名古屋市)
総局[編集]
南砺、射水
支局[編集]
大沢野、大山、立山、上市、婦中、八尾、朝日、入善、黒部、滑川、新湊、氷見、射水、大門、小矢部、井波、福野、福光、城端、(県外)飛騨
放送送信設備[編集]
放送局名 | コールサイン | 周波数 | 空中線電力 | ERP | 放送対象地域 | 放送区域内世帯数 | 開局日 |
富山シティエフエム | JOZZ5AF-FM | 77.7 MHz | 20W | 40W | 富山市及び一部周辺地域 | - | 1997年7月7日 |
友好関係ないし資本関係のある放送局[編集]
脚注[編集]
- ↑ 実際、集団的自衛権についての否定的主張などの左傾的な面もある他、朝日新聞すら鼻で笑えるほどの反日記事もままある
- ↑ 一部では夕刊フジに鼻で笑われるほどの下らなさとも評される場合もある
- ↑ 富山シティエフエム会社概要
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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