内閣府職員変死事故
提供: Yourpedia
内閣府職員変死事故 (ないかくふしょくいんへんしじこ) とは、2014年1月20日に福岡県北九州市若松区沖の響灘において、内閣府の職員とされる男性(当時30歳)が遺体で見つかった事故。9月2日、第七管区海上保安本部 (七管) により、事件性なしとして捜査の終結が発表された。
経緯[編集]
職員の動向[編集]
- 2013年
- 2月9日 - 職員、韓国へ出張申請、同年末にこれを承認される。なお、職員の留学先であるミネソタ大学大学院では1月からの授業登録手続きをしていなかった。
- 2014年
- 1月3日 - 申請よりも早く韓国に渡航し、午後6時35分頃仁川国際空港に到着。ソウル特別市中区北倉洞のホテルにチェックイン。翌4日にパスポートとかばんを置いたままチェックアウト。
- 1月4日 - ソウル龍山区のゲストハウスに1月11日までの予定でチェックイン。ただし財布やパソコンなどが入ったスーツケースは予約も入れていない別のホテルに預けた。その後、最初のホテルに置いていたパスポートとかばんを取りに行く。
- 1月5日 - ソウル駅付近のスーパーで作業用手袋を購入。
- 1月6日 - ソウル東部の城東区聖水洞にあるボート販売会社の事務所を訪れ、ゴムボートと船外機の代金を現金で支払い、翌7日に釜山のホテルへ配達するようメールで依頼。なお、この時には「香港出身のアレックス・ポー」という偽名を名乗っていた。また、旅券ケースを紛失したとして、午後4時頃、ホテルの従業員と共にソウル南大門警察署西小門派出所に本名で届出を行う。
- 1月7日 - 職員、内閣府に電話連絡。これが最後の連絡となった。なお、この日職員は友人とされる韓国人男性とソウル市内を観光したとされる。
- 1月8日 - 職員が参加するとしていた江南区のルネッサンス・ソウル・ホテルで2014年アジア太平洋社会科学会議 (経済セミナー) が開会される(1月10日まで開催)。同日、職員は会議に参加せず、ゲストハウスをチェックアウトし、崇礼門付近の別のホテルにチェックイン。午後2時頃にソウル駅付近でコーヒーを飲み、午後6時頃に自転車用品店でバッテリー2つとケーブルを購入。タクシーで釜山に向かい、ホテルでゴムボートを受け取っている。
- 1月10日 - ソウルの宿泊先の防犯カメラに職員とみられる男性の姿が捉えられる。
その後の経緯[編集]
- 2014年
- 1月18日 - 午前9時45分頃、若松区響町の響新港西1号防波堤付近で遊漁中だったプレジャーボートから「ゴムボートが漂流して中に1人倒れているようだ」という118番通報が入る。約30分後、巡視艇がボートの中で倒れている人影を確認。ボートが荒波で転覆したため捜索開始。
- 1月20日 - 朝、防波堤直下の海中で男性の遺体を発見。若松海上保安部は海中から男性の遺体を引き上げたと発表。韓国製の黒色ジャンパーとズボンを着用、外傷はなかった。ジャンパーのポケットには本人名義のクレジットカードと日本円で2万4000円相当のウォン紙幣を所持しており、韓国からの出国記録はなかった。
- 2月3日 - 死因は低体温症か水死とみられ、死後1 - 2週間経過している(死亡日は1月8日 - 15日の間)と七管が発表。
- 2月6日 - 警察庁、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて韓国とアメリカに捜査協力を要請。自由民主党、幹事長の石破茂の指示により、副幹事長の中谷元をトップとする調査チームを立ち上げる。
- 2月14日 - 韓国警察、職員の韓国国内での足取りの調査結果を日本側に通達。
- 9月2日 - 第七管区海上保安本部により、「事件性なし」として捜査の終結が発表された。発表によれば、職員は1月8日、個人的な理由(プライバシーに関わるとして非公開)によりゴムボートで日本国内の特定の場所(同様に非公開)に向かう途中、氷点下の気温の中でボート上で意識を失って倒れ、海水を飲み込んで溺死したとされる。
職員[編集]
この職員は、2010年4月に内閣府に採用されたキャリアだった。経済社会総合研究所に在籍しており、2013年7月から2年間の予定でミネソタ大学大学院に留学・研究していた。
噂[編集]
週刊誌などでは職員に愛人の存在が示唆され、日本に居た妻との間でトラブルを抱えていたという公安関係者の証言が掲載された。
同関係者によると、職員には結婚前から付き合っていた本命の交際相手がいながら別の女性を妊娠させ結婚をしたが、本命の女性と復縁するために日本に密入国し、邪魔な存在となった妻を殺害しようと企てていたという。
真冬の対馬海峡をゴムボートで渡るという無謀な計画を行った理由は、日本にいないはずの人物が犯人として疑われることはないと考えた上での計画だったのではないかと同関係者は推測した。公用旅券は赴任・帰任の一次旅券がほとんどであるため自由に帰国することができず、会議参加を名目に韓国へ渡りそこから日本へ密入国しようとしたと考えれば納得がいくという。
また、事件当初韓国政府も自国で活動していた日本のスパイが秘密裏に脱出したと本当に信じており、調査して発覚した事件の真相を韓国情報関係者に説明したが、なかなか信じてもらえなかったという。