克美茂愛人絞殺事件
克美茂愛人絞殺事件(かつみしげるあいじんこうさつじけん)は、1976年に発生した殺人事件である。
概要[編集]
ロカビリー歌手・克美茂は1964年、1965年の2度、NHK紅白歌合戦にも出場した人気歌手であったが、その後はヒットが出ず低迷が続いていた。
1971年には2度目の結婚をしたが、この年の11月、青山のサパークラブで経営者の同棲相手・Y子と知り合う。Y子はサパークラブの経営者と別れ、克美は妻と娘がありながら、週の月~金曜日をY子のマンションで暮らすようになった。
ロカビリーブームも去り、その後のヒット曲もない克美だったが、スター時代の浪費癖はそのまま。更に自ら起こした自動車事故の借金もあったが、Y子は結婚を約束していた克美の為に、馬車馬のように働き、ソープランドで働いてまでも金を貢いだ。しかし克美は、その金をギャンブルで使うなど浪費するばかりだった。
1975年8月、克美は、岡山のY子の実家に行き、彼女の両親に、「本妻の籍を抜いた」と嘘をついて結婚の報告。9月には、妻子のあるまま上野で、Y子と結婚式を挙げた。
1976年5月、克美は再起を賭けた新曲『おもいやり』のキャンペーンを北海道で行うことになった。Y子は同行を迫ったが、世間に愛人との二重生活を知られるのを恐れた克美は、彼女の殺害を計画。マンションに向かう途中で、ロープ、粘着テープ、スコップを購入。5月6日、ベッドで抱き合ったまま、素手で首を絞め、更にタオルを巻き付けて締め上げ、殺害した。
克美は、Y子のダイヤや真珠の指輪など貴金属を盗み出し、質入れして金を作り、友人から借りたトヨタセリカのトランクに遺体とスコップを積んで隠し場所を探した。克美自身が車を運転したが、この時、克美は免許失効中で無免許だった。しかし時間がなく、克美は、死体を入れた車をそのまま、羽田空港の駐車場において、北海道のキャンペーンに旅立った。
その日、空港の警備員が、駐車中の車のトランクから異臭がすると警察へ通報したことで事件が露見。車の所有者から、5月8日、克美は、キャンペーン中の旭川で逮捕された。
克美は殺人罪で起訴された。結婚を約束し、式まであげた Y子から 3,500万円(推定)もの金を貢がせて殺害。貴金属を盗んで売り払い、無免許で死体を運んで遺棄した克美に対し、検察は15年を求刑した。克美は、「妻子ある男が、女に結婚を迫り続けられ、思い余って殺害してしまった」と主張し、10年の温情判決となった。
1983年10月、玉川良一、村田英雄ら芸能人有志による嘆願運動もあり、克美は7年で仮出所した。
克美はその後、3度目の結婚。カラオケ教室を開き、歌手としても活動していたが、1989年には覚醒剤不法所持、使用の疑いで逮捕され、懲役8ヶ月の刑を受けている。1996年には、31才年下の女性と4度目の結婚をしている。 2013年10月2日に 2月に死亡していた ことがスポニチで判明した