伊藤律会見報道事件

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伊藤律会見報道事件(いとうりつかいけんほうどうじけん)とは1950年朝日新聞による虚偽報道

概要[編集]

1950年に朝日新聞神戸支局の記者が、当時レッドパージにより地下に潜伏中だった日本共産党幹部だった伊藤律宝塚市の山林で数分間の会見に成功。記者は目隠しされた上で潜伏先のアジトまで案内されたとあった。

大阪本社通信部のデスクから真偽を疑う声が出たが、編集局長は現場の声に押されて掲載を決める。東京本社ではさらに共産党担当記者から伊藤がインタビューに応じる必然性がないなどの声が出たが、「大阪がそこまでがんばるなら」という声に押されて報道に踏み切った。

9月27日付朝日新聞記事で、朝日新聞記者と伊藤律の会見を掲載。伊藤の表情が書かれ、記者との一問一答まで紹介されていた。

この会見記事は伊藤の行方を追っていた警察も大騒ぎになった。しかし、法務府特別審査局の聴取に対し、取材記者が伊藤律と会見していたとする時間に旅館にいたことが発覚するなど供述に矛盾が出て、ついに会見記事が完全な虚偽であったことが記者の自白により判明。朝日新聞は3日後の9月30日に社告で謝罪した。

担当記者は退社、神戸支局長は依願退社、大阪本社編集局長は解任となった。担当記者はその後に「勅令第311号違反」で逮捕され、執行猶予判決を受けた。担当記者は捏造の動機について特ダネを書こうという功名心からと述べた。

朝日新聞はこの記事は縮刷版では非掲載となっており、白紙で虚偽報道であったと「お断り」告知になっている。

関連項目[編集]

テンプレート:朝日新聞社