五十音

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五十音(ごじゅうおん)は、日本語の仮名(平仮名片仮名)文字を母音に基づき縦に五字、子音に基づき横に十字ずつ並べたもの。元来、漢字を示す手段である反切を説明するものとして考案されたものとされるが(明覚『反音作法』、1093年)、その子音と母音を分析的に配した体系性が、後には日本語の文字を体系的に学習するのにも利用されるなど様々な用途を生んだ。

「五十音」「五十音図」の名は、江戸時代からのものであり、古くは「五音(ごいん)」とか「五音図」「五音五位之次第」「音図」「反音図」「仮名反(かながえし)」「五十聯音(いつらのこゑ)」などと呼ばれていた。

また、これの手習いを目的として1923年北原白秋の手によって成立された同題の歌詞および楽曲が存在している。これについては後述する。

五十音の特徴[編集]

五十音
  わ行 ら行 や行 ま行 は行 な行 た行 さ行 か行 あ行  
、ン)
/N/
、ワ
/wa/
、ラ
/ra/
、ヤ
/ya/
、マ
/ma/
、ハ
/ha/
、ナ
/na/
、タ
/ta/
、サ
/sa/
、カ
/ka/
、ア
/a/
あ段
、ヰ
/i/
、リ
/ri/
い、イ
/i/
、ミ
/mi/
、ヒ
/hi/
、ニ
/ni/
、チ
/chi/
、シ
/shi/
、キ
/ki/
、イ
/i/
い段
う、ウ
/u/
、ル
/ru/
、ユ
/yu/
、ム
/mu/
、フ
/hu/
、ヌ
/nu/
、ツ
/tsu/
、ス
/su/
、ク
/ku/
、ウ
/u/
う段
、ヱ
/e/
、レ
/re/
え、エ
/e/
、メ
/me/
、ヘ
/he/
、ネ
/ne/
、テ
/te/
、セ
/se/
、ケ
/ke/
、エ
/e/
え段
、ヲ
/o/
、ロ
/ro/
、ヨ
/yo/
、モ
/mo/
、ホ
/ho/
、ノ
/no/
、ト
/to/
、ソ
/so/
、コ
/ko/
、オ
/o/
お段

日本語の清音母音子音とで分類し、それに従い仮名文字を縦横の表に並べたものである。伝統的には、縦書き文の要領で、縦に母音の変化、横に子音の変化を表現する。横一列は母音がそろっており、これらをあ段、い段、う段、え段、お段といい、縦一行は子音がそろっており、これらをあ行、か行、さ行、た行、な行、は行、ま行、や行、ら行、わ行という。また五十音図には通常「ん」は含まれない。

日本語では単純母音が5つしかないこと、子音それぞれとの組み合わせがほぼ完全対応であることなどが、仮名を理解する手段として五十音をわかりやすく手軽なものにしている。現在では音韻変化のため子音が不揃いになっている部分があるが、古代においては「ち、つ」は現在の「ティ(テンプレート:IPA)、トゥ(テンプレート:IPA)」、「は、ひ、へ、ほ」は現在の「ファ(テンプレート:IPA)、フィ(テンプレート:IPA)、フェ(テンプレート:IPA)、フォ(テンプレート:IPA)」、「ゐ、ゑ、を」は現在の「ウィ(テンプレート:IPA)、ウェ(テンプレート:IPA)、ウォ(テンプレート:IPA)」といった音声であったと推測され、より整然とした体系をもっていた。

ただし、表上で欠落したり重複したりしている文字、五十音図以外の発音などもあり、厳密に言えば五十の音の仮名で日本語の全ての文字及び発音を説明出来るというわけではない。

ヤ行エ段の音(イェテンプレート:IPA)に文字がないのは、平仮名片仮名が整備される以前(10世紀前半)に文字としてはア行の「エ」に合流したためで、万葉仮名には存在していた。 なお、発音自体は文字とは逆にア行エ段音(テンプレート:IPA)がヤ行エ段音(テンプレート:IPA)に合流している。現代のようにア行エ段音がテンプレート:IPAになったのは江戸中期のことと推定されている。

ついでに言えば、ア行オ段の「オ」も、本来はテンプレート:IPAのような発音であったが、平安中期に発音上はワ行オ段の「ヲ」と同じテンプレート:IPAに合流したことが知られている。両者の音が現代のようにテンプレート:IPAになったのは江戸中期のことである。

日本語では、文字としての仮名は日常使われる46文字に「ゐ」と「ゑ」を加えた48文字が使われる。一方発音上では、清音の他には濁音半濁音長音促音撥音拗音、などが加わる。その結果、発音の総数は100以上ある。

成立の背景[編集]

仮名を表に並べるには、行と段(列)の二つの自由な要素がある。段を「あいうえお」と並べる必然性は特になく、「いえうおあ」でも「うおあえい」でもいいわけである。列にも同じことがいえる。実際、過去の文献の中には五十音を現在とは全く異なる配列に並べたものも見出される。現在の配列になったのは室町時代以後である。この配列になった理由付けとして有力なのは、サンスクリットの音韻学(悉曇学)による影響である。母音をローマ字で表すと、a, â, i, ī, u, û, ri, ê, ai, ô, au, an, a'となっており、実際日本語で対応する母音は「あいうえお」の順に並んでいる。また「あかさたな」順においてヤ・ラ・ワ行が最後に一まとめにされているのも悉曇学の影響と考えられている。悉曇学を学んだ明覚などから五十音図があらわされたことと合わせても、悉曇学の影響があることは間違いないと考えられる。

さらに、もう一つの柱として漢字音を研究した中国音韻学が挙げられる。中国では古くから字音を表記するのに反切と呼ばれる方法がとられ、音声記号として漢字2字を用い、1字目の頭子音と、2字目の母音以下の部分を組み合わせることによって多くの字音を表記した。この方法によって成立した字音の子音の分類である五音清濁韻書韻図などによって日本にも伝わっていた。現存最古の音図は平安時代中期の『孔雀経音義』(1004年1027年頃に成立)や『金光明最勝王経音義』(1079年)などが挙げられているが、「音義」とは、漢字の発音と意味を表した注釈書のことであり、仏教において梵字を漢字や仮名で書き表そうとしたことがその起源となっている。これらの音図が体系的な五十音図として成立したのは平安時代後期であり、最初に提案したのは天台宗の僧侶明覚であるとされている。明覚の著書『反音作法』で梵字のような子音だけを表記する文字をもたない日本においては反切を利用することが書かれており、同一子音のものを同じ行に、同一母音のものを同じ段にまとめることで反切について説明したのである。ここで母音はアイウエオ順であるが、子音はアカヤ(喉音)サタナラ(舌音)ハマワ(唇音)という順になっている。これは各子音の調音位置を口の内から外の順に並べたものである(ハ行は当時、両唇音テンプレート:IPA)。後にヤラワ行が後ろに回されたのは悉曇学においてy, r, wが子音と母音の性質を兼ね備えた半母音として特殊に扱われていたことを反映してのことだと考えられている。

手習い歌[編集]

一方、五十音の考え方が普及する以前の仮名を覚える方法としては、「あめつちの歌」「大為爾(たゐに)の歌」「いろは歌」などの手習い歌があった。これらは歌を丸暗記することで仮名文字を漏らさず覚えようとする試みであり、体系的な理解の助けにはならない反面、その歌唱の面白さが現代でも人の興味を惹き付けている。

北原白秋の五十音[編集]

五十音の考え方が普及した後における、かな学習歌の代表的なものとして挙げられるのが、北原白秋によって執筆された詩歌(4・4・5型定型詩)『五十音』である。一部では『あいうえおのうた』として紹介されることもあるが、正式なタイトルとしては『五十音』が正しい。

1922年、雑誌『大観』1月号に上梓されたものを初出とし、後に作曲家・下総皖一によって曲がつけられ、学習歌(童謡)『五十音の唄』として成立した。

現代では外郎売と並び、俳優タレントアナウンサーの養成における発声および滑舌の訓練に際して採用される、代表的な朗読教材の一つとして知られている。

ただし、下総による楽曲は必ずしも正式な標準語アクセントと一致するものではないため、朗読教材として使用する場合においては楽曲として歌われる事はまれである。

ゆえに、そもそも『五十音』を訓練教材として常用する者も楽曲そのものの存在を知らない、もしくは知っていてもそれがどのような歌であるのかを知らないという場合すらある。

訓令式ローマ字[編集]

五十音表の段と行をラテン文字で記号として表した合理的な五十音表記法であり、たとえばシはサ行(s)イ段(i)の位置にあるので、siと表記される。

活用における動詞の変化の説明においてもこれまでのローマ字表記だと少々無理があったものの、「勝つ」の連用形における語幹もkatにして表記(これまでだと連用形ならkachiになり語幹の末子音字が変化してしまう)することが可能となった。

なお、ヤ行(y)イ段(i)は空白であるためにイ段のみ書くように、五十音表で空欄の位置は母音字のみで表記され子音字は省かれる。

ジ(zi)とヂ(diからziに変化した)、オ(o)とヲ(woからoに変化した)のように発音がほぼ同じものは、表記しやすいものに統一される。

関連記事[編集]

Wiktionary
ウィクショナリー五十音の項目があります。


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