ヴィクトル・ピカイゼン
ヴィクトル・アレクサンドロヴィチ・ピカイゼン(ロシア語:Виктор Александрович Пикайзен;ラテン文字転写例: Viktor Aleksandrovich Pikaĭzen, 1933年[1]2月15日[2] - 2023年[3]7月6日[4])は、ウクライナ出身のヴァイオリン奏者。[5]
キエフ出身。[6]父親は地元の歌劇場のコンサートマスターであり、[7]母親はシモン・バレル門下のピアノ奏者であった。[8]4歳の時に父親から買ってもらったおもちゃのヴァイオリンに夢中になり、[5]5歳の頃から父親の手解きでヴァイオリンを学び始めた。[1]1941年から1944年まで地元の音楽院でイオシフ・ガットマンにヴァイオリンを師事し、[9]9歳の時にはアルマトイで当地のオーケストラと共演している。[10]8歳の時にダヴィッド・オイストラフの演奏するアラム・ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲を聴いてオイストラフに憧れるようになった[5]が、1944年に父親の伝手により、モスクワでオイストラフと面会して演奏を聴いてもらえることになり、[10]グネーシン音楽学校でオイストラフに師事するようになった。[4]1949年にプラハのヤン・クベリーク・ヴァイオリン・コンクールで2位入賞。[8]1951年からモスクワ音楽院に進学し、1960年に大学院を修了するまでオイストラフを指導教官として研鑽を積んだ。[7]1955年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで5位、[11]1957年にロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で2位、[12]1958年にはチャイコフスキー国際音楽コンクールで2位にそれぞれ入賞。[4]1965年にパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで優勝。[13]1966年から1986年まで母校のモスクワ音楽院で教鞭を執り、1993年からトルコのアンカラ音楽院の教授。[9]2006年から2016年まで母校のモスクワ音楽院に戻った。[2]
脚注[編集]
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