リオのカーニバル
リオデジャネイロのカーニバル、あるいは、リオのカーニバルとして言及される、ブラジル・リオデジャネイロのカーニバル(謝肉祭)は、厳粛な雰囲気の四旬節の期間に入る前に行われる祝祭であり、世界最大の見世物のひとつと見なされている。リオデジャネイロにおけるこの祝祭には、1723年にまで遡る歴史がある。
サンバ学校(エスコーラ・ジ・サンバ)[編集]
カーニバルのパレードは、「サンバ学校」と称される様々なグループの人々やフロート車が数多く参加していっぱいになる。サンバ学校は、実際に学校のような組織となっていることもあれば、単に地域の近隣住民がカーニバルに参加するために集まっているものもある。代表的なサンバ学校として、「モシダージ」「インペリオ・セハーノ」「サルゲイロ」「ウニアゥン・ダ・イーリャ」「ベイジャ・フロール」などがある。
サンバ学校がカーニバルに参加する目的は、ライバルのサンバ学校とコンテストで競うことにある。サンバ学校間の競技は、カーニバル全体のクライマックスになっている。カーニバルに参加する各サンバ学校は、特定のテーマを選び、それを表現する。 自分たちのテーマを表現するために、最高のフロート車やコスチュームを制作し、「バタリア」と呼ばれる打楽器隊を用意して最高の音楽も組み込む。各サンバ学校のパレードは、いくつものパートから構成されており、フロート車6台から8台に加え、何千人もの参加者が加わる。
パレードに参加するサンバ学校には、特に定められた規則に従わなければならない。サンバ学校のパレードは、まず「コミッサン・デ・フレンチ:先頭集団)」という第一陣の踊り手で始まる。この10人から15人程度だけで構成される先頭集団は、そのサンバ学校を紹介し、雰囲気を作る役割を持っている。踊り手たちは華やかなコスチュームをまとって、通常は寸劇のようにストーリーを表現する、きちんと振り付けられたダンスを披露する。「コミッサン・デ・フレンチ」に続くのは、「アブレ・アラス」と呼ばれる、サンバ学校の最初のフロート車である。
パレードの中では、「ポルタ・バンデイラ:女性旗手)」と「メストリ・サラ:女性旗手を補佐する男性)」が重要な役割を担う。ポルタ・バンデイラは、サンバ学校の旗が巻き上がってしまったり、その他の不具合がないように旗を持ち続ける重要な役割を果たす女性で、彼女に付き添うメストリ・サラは、観衆の注目が「女王」であるポルタ・バンデイラに集まるように努める。フロート車に乗って、観衆の注目をフロート車に引き寄せる役である「デスタッキ」も重要な役である。フロート車に乗る人々は、最も贅沢で、高価なコスチュームを着ており、それは極端に重たいこともある。それぞれのフロートには何人もが乗っているが、中でも重要なひとりは、フロート車の一番高いところに乗る。このメインのデスタッキは、フロート車が走路を進む間、その上でずっと歌ったり踊ったりし続ける。
パレードではまた、「アーラ・ダス・ バイアーナス:バイーアの女性たち)」と呼ばれる踊り手たちの集団を組み込むことも必須となっている。このグループは、100人以上の女性だけで編成される。フロート車に乗らず、フロート車の側面に並んで進んだり、フロート車と次のフロート車の間で行進する人々の中には、「パシスタ」と称されるソロ・ダンサーたちが含まれている。
街頭でのカーニバル[編集]
サンボードロモでパレードが披露され、コパカバーナのコパカバーナ・パラスや海岸でダンス・パーティーが催されているころ、カーニバルの参加者たちの多くは、別の場所にいる。カーニバル期間中は、町中の街頭で祭りが行われ、地元の地域住民たちが集まってくる。優美さや、派手な装飾は普通はあまり見られないが、音楽と踊りはここでも非常に行き渡っている。街頭での祭りには誰もが参加できる。いろいろな行事が行われるが、とりわけ飛び入り自由なパレードは広く親しまれている。中でも有名なのは、バンダ・デ・イパネマで、1965年からはじまったこのパレードは、リオで最も不敬不遜な街頭イベントとして知られている。
音楽とダンス[編集]
音楽とダンスは、リオのカーニバルのあらゆる場面に結び付いている。最も有名なダンスは、かつて奴隷たちが海を越えてアフリカからもたらした、サンバである。サンバは、アフリカ系奴隷たちによって、ブラジルの街頭の音楽であるショーロなどを混ぜ合わせて生み出された。サンバは、カーニバルのダンスとして人気が高いだけでなく、主な都市の外縁部に広がる貧しい集落でたいへんな人気がある。こうした集落は、西洋文化の影響などから離れて、アフリカ由来であるサンバの歴史的な側面を活かし続けているのである。サンバ以外にも、ルンドゥ)、ポルカ、マシシなどのダンスが、カーニバルで踊られる。
リオのカーニバルの主要なダンスであるサンバは、もちろん音楽なしに踊られるわけではない。音楽もまた、カーニバルのすべての場面で重要な要素となっている。インターネット上のサイト「Samba City」が述べるように、「サンバ・カーニバルの楽器は、ブラジルにとって、リオデジャネイロのカーニバルにとって重要な要素であり、思わず体を動かしたくなるビートとリズムを奏でて、色鮮やかなダンス革命幻想の祭典へと、観衆をはじけさせる」。リオで聴かれるサンバは、バトゥカーダという、おもに打楽器演奏を基盤にしたダンスと音楽である。この音楽は、「歌いながら、踊りながら、パレードすることを可能にするようなリズムが必要とされて、誕生したものである」。このため、リオの街頭でのカーニバルのほとんどにおいて、このバトゥカーダのスタイルが広く取り入れられているのである。
カーニバルの楽器[編集]
サンバが現在のような打楽器中心のスタイルになる前には、サンバはおもにフルートと弦楽器で演奏されており、打楽器は下品なものと見なされていた。変化が起こったのは1930年代で、これ以降、打楽器が導入されるようになった。ドラムや他の打楽器から編成されるアンサンブルの指揮者は、アピートと呼ばれるホイッスル(サンバホイッスル)で指示を出して音楽をコントロールする。アピートには3種類の音を出せるが、音量は極端に大きくはないので、指揮者たちの中には、より大きな音が出るレフェリー用のホイッスルを好んで使う者も多い。
打楽器のアンサンブルには、スルド、スネアドラム、ヘピニキ、タンボリンなど様々なドラムが含まれている。スルドは、皮が広く胴も大きな、基礎となる低音のドラムである。「カイサ」と呼ばれるスネアドラムの一種は、ドラムの皮の下に張られたバネによって特徴ある音を出す。ヘピニキは、カイサに似ているが、バネは張られていないので、スネアのような音はしない。タンボリンはスネアに似た音を出すが、実際には小さな円筒の胴に皮をきつく張っただけのものである。
パレードとダンス・パーティー、さらに街頭のカーニバルが結び付いたリオのカーニバルは、「地上最大のショー」とも言われている。『リオデジャネイロ・ハンドブック』が記しているように、「リオのカーニバルは、おそらく世界で一番有名なパーティーであろう。」
日程[編集]
カーニバルの開始日は年によって変わるが、カーニバルが始まる土曜日の日付は以下の通りである。メインのパレードが行われるのは、下記の直後の日曜日と月曜日の夕方である。