ヨガの宇宙観

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ここではヨガ宇宙観に基づき、宇宙創生のプロセス、魂の構造、身体の構造、等について解説する。

ヨガにおける宇宙創生のプロセスの体系[編集]

本源の意識の実在[編集]

  1. はじめに存在したのは、「存在のすべて」、それだけであった。ほかにはなにもなかった。(『神との対話』参照)
    この「存在のすべて」とは、本源意識、無限意識、無限生命、本源の大本の神、在りて在るもの、とも呼ばれる。
  2. 本源意識の望み
    本源意識は、「存在するすべて」であることの絶対的な素晴らしさを概念的には知っていたが、体験的には知り得なかった。そこで、みずからの素晴らしさを体験したいと強く望んだ。(『神との対話』参照)
  3. 宇宙創造計画の立案
    己のほかには何も存在しないため、己の内部に己の代わりに体験する意識存在と、体験対象と、体験する宇宙)とを創造することによって、代理体験意識が体験したものを己も同時に体験できるというシステムを考えた(『神との対話』参照)。「大実在原理(マハー・タットヴァ)」いわゆる宇宙創造計画なるものを「想い」によって設計したのである。

神我の創造[編集]

本源意識は、その宇宙創造計画に基づいて代理体験存在と体験対象と体験する場である宇宙とを本源意識に代わって創造し運営する「神我」を創造し、本源意識が有する意識と智慧能力のすべてを神我に付与した。この「神我」が、最初の神の子、絶対者ブラフマンとか最高神クリシュナとか神我・キリストと呼ばれる存在である。

  1. 真我の創造
    「神我」はその意識の一部を個別化して、代理体験意識としての「真我(アートマン)」を多数創造した。
  2. 根本自性の創造
    神我は、大実在原理(マハー・タットヴァ、宇宙創造計画)に基づいて、代理体験者である個性を有する「魂」と、様々な体験対象と、多様な体験する場(多次元宇宙)とを創造するため、その原材料(原質料)としての「根本自性」を創造した。
    根本自性からは先ず、精妙な空間と、時間と、方向とが創り出された。
    次に、この根本自性から大明性・大動性・大暗性と呼ばれる3種の根源エネルギーが創造された。インド・ヨガではこの3種類の原初光粒子エネルギーを「3グナ」と名付けている。
  3. 根本自性の3種の根源エネルギーからの創造
    大明性(マハー・サットヴァ)を優位とした「宇宙心素(アーカーシックレコード、アカシックレコード)」の創造。
    大動性(マハー・ラジャス)を優位とした「宇宙理知」の創造。
    大暗性(マハー・タマス)を優位とした「宇宙我執」の創造。
  4. 宇宙我執の分化
    明性優位の「宇宙我執」から5種の「知覚器官(嗅覚・味覚・視覚・触覚・聴覚)」を創造。
    動性優位の「宇宙我執」から5種の「運動器官(排泄・生殖・移動・授受・発声)」を創造。
    明性優位と動性優位の「宇宙我執」を合わせて「意思」を創造。
    暗性優位の「宇宙我執」から、5種の「微細元素(香・味・色・触・音)」を創造。
  5. 魂の創造
    同質の「真我」に個性を持たせるために、各「真我」を「心素」で包み、それを「我執」で包み、それを「理知」で包み、それを「意思」で包むことによって『魂』を創造した。
  6. 微細元素の分化
    「明性優位」の微細元素から、神々、人間、動物、植物、などの微細体を創造。
    「動性優位」の微細元素から、微細体によって経験される精妙な物質を創造。
    「暗性優位」の微細元素から、5種の「粗雑元素(空・風・火・水・地)」を創造。
  7. 粗雑元素の分化
    「明性優位」の粗雑元素から、神々や、人間や、妖精などの生き物の肉体を創造。
    「動性優位」と「暗性優位」の粗雑元素から、鳥や獣や昆虫などの肉体を創造。
    「動性優位」の粗雑元素から、空気水分などを創造。
    「暗性優位」の粗雑元素から、鉱物岩石天体などを創造。

以上のプロセスを経ることによって、この「宇宙」が多次元的に創造されたと、ヨガでは説明されている。(『魂の科学』『ヒマラヤ聖者の生活探究』『心身の神癒』『世界文学大系<第4>インド集』参照)

注釈[編集]

本源意識[編集]

イエス・キリストの説明によると、神(本源の神)は言葉で説明できるものではないが、次のような性質を持つ存在としている。

  • 存在するすべてのものの背後にある非人格的な原理であり、全能・全智・遍在の大
  • 一切の善きものを生み出し、それを支配している原因である唯一
  • すべての形あるものを結合させている一切の真実の
  • 決して死ぬことがない生命そのもの。
  • 個人に対しては、すべてを与える人格的な愛深きにしてとなる。
  • 人が近づいていくなら、両手を差し伸べて抱擁してくださる。
  • 本来、人は何時でも、父母や兄弟や友人に対するように、神を見たり神と語ることができる。
  • 神は誰よりも身近におられる存在であり、どんな友よりも遙かに慕わしく、また忠実である。
  • 神は決して興奮せず、意気消沈することもなく、その等である生きものや被造物を破壊することはなく、傷つけることもなく、妨げることがない。
  • 人は誰でも意欲さえすれば、常に神の霊感を受けることができ、人が正しいことをする時は霊感を与えてくださる。
  • 神の愛は、変幻自在である。
(イエスはインドやチベットでも学んだのちエジプトでヨガ瞑想を行って「神我」の意識に到達しているとされるが、イエスはこのような自分の言葉は、イエスの口を通して自己の内なる神我・キリストが語っていると言っている。「天」とは遠いどこかにあるのではなく各自の内側にあるとも言っている)(『ヒマラヤ聖者の生活探究』『心身の神癒』参照)

イエス・キリスト以外の表現では、α から ω、すべてのすべて、I am that I am 、在りて在るもの、遍在する無限の生命、無条件の無限の愛、無限の智慧、全知全能、無、絶対の真理、などがある。

神我[編集]

神我は、本源意識から意識と智慧と能力のすべてを付与されているため、その性質は本源意識とまったく同じである。形も大きさも存在しないが、無限に大きくも小さくもなることができる。 違いは、神我は本源意識の一部から創造された(本源意識の一部が変身した)ものであるという点と、神我は代理体験意識たちと体験対象と体験する場である宇宙とを創造し運営する役割を持っているという点である。(『ヒマラヤ聖者の生活探究』『人間の永遠の探究』『心身の神癒』『宝瓶宮福音書』参照)

本源意識と神我と魂との関係[編集]

  • 本源意識と神我との関係は、父ないし母と、その子という関係となる。
  • 神我と真我とは同であるが、真我は神我の意識の一部が個別化されたものであるので、父ないし母とその子等という関係でもある。
  • 神我とたちとは、父ないし母とその子等という関係であり、本源意識と魂たちとの関係もまた、父ないし母とその子等という関係にある。
(『ヒマラヤ聖者の生活探究』『心身の神癒』『人間の永遠の探求』参照)

根本自性(プラクリティ)の性質[編集]

宇宙に存在するもののうち、「神我」と「真我」以外(厳密には真我と神我はいわゆる「空(くう)」とされる多次元宇宙の存在ではなく実相の実在であるが)の根本自性から創造されたすべてのもは、必ず「サットヴァ」と「ラジャス」と「タマス」の3種類のグナ(gunas、根源エネルギー)で構成されている。「優位」とは、その根源エネルギーの構成割合が多いことを意味する。(『魂の科学』『超越瞑想と悟り』『人間の永遠の探究』『世界文学大系<第4>インド集』参照)

  • インド・ヨーガの見解
    • サットヴァ……明性、善性、智慧、照らし出す光、など。
    • ラジャス……動性、活動、運動、など。
    • タマス……暗性、無智、妨害、愚鈍、など。
インド・ヨーガでは3種のグナに関して、サットヴァをなるもの、ラジャスを中立なもの、タマスをなるもの、として捉えているものが多い。その理由は、タマスとラジャスの活動を完全に止めて意思を真我の方向にだけ向けて、真我が鏡のようになった心素に映し出された己の姿を純粋に観照(照らして観察)したときに、はじめて自分が真我(神の子)であったことが理解できるからである。
  • サキャムニ(釈迦牟尼)の見解
    • サットヴァ……貪り(貪)。
    • ラジャス……怒り(瞋)。
    • タマス……無智(痴)。
サキャムニ自身が悟り解脱を得た方法はヨガによってであり、解脱して「仏陀」となったサキャムニが説いた仏陀となるための教えが「仏教」であるが、彼は、「アートマン(我、真我)」を取り巻いて苦悩をもたらしている3グナこそが「根本煩悩」であり、この3つの「根本煩悩」から「アートマン」が解放されることによって唯我独尊(真我独尊、解脱)がもたらされるとして、3グナそれぞれのマイナスの性質面を捉えて説明している。 なお、これについては、「仏教」では真我を否定する解釈をする立場の者も多く存在している。(この部分の詳細は「参考」の「2. サキャムニ(釈迦牟尼)の見解の解釈が分かれる理由」を参照のこと)
  • バガヴァッド・ギーターの見解
    • サットヴァ……明性、照らし出す光、進展。
    • ラジャス……動性、活動。
    • タマス……維持、抑制、遅らせる。
タマスを創造した理由は、サットヴァの明性やラジャスの運動加速を抑制して宇宙に調和をもたらすためであり、また、魂が貪りや活動を制御することができるようにするためでもある。真我を取り巻いている諸要素がタマス優位になりすぎると、魂にとって不都合と感じる様々な過度の抑制による影響が生じることになる。バガヴァッド・ギーター(古代インドの聖典の1つ)は、神我(最高神クリシュナ)の立場から説明している。

宇宙我執の分化[編集]

マハー・タマス(大暗性)優位の「宇宙我執」によって、魂が利用する身体の「知覚器官」と「運動器官」、ならびに宇宙を構成する諸元素とを創造したのは、魂に相対的な体験をさせるためである。「素晴らしいもの」を体験するためには、その対照となるもの、すなわち素晴らしくないものを体験することによって、はじめて「素晴らしい」という体験ができるからである。(『魂の科学』『神との対話』参照)

魂の創造[編集]

  • 魂の創造理由
同質の「真我」どうしが出逢っても新たな経験が生じないため、代理体験意識である「真我」にそれぞれ異なった個性を持たせることによって様々な相対的な体験をさせ、そうした体験を通して己(真我および神我および本源意識)の素晴らしさを体験するためである。
  • 魂の創造のプロセスと宇宙我執の分化のプロセスとは同時並行的に行われている。

(『魂の科学』『神との対話』参照)

魂の構造と機能[編集]

ここではヨガにおける魂の構造機能について解説する。(『魂の科学』参照)

魂の構造[編集]

  • 中心に「真我」……光り輝くダイヤモンドのように輝いている。
  • その外側を取り囲む「心素球」……白色の光球。
  • その外側を取り囲む「我執球」……青色の球体。
  • その外側を取り囲む「微細生気球」……赤色の球体。
  • その外側を取り囲む「理知球」……黄色の球体。
  • その外側を取り囲む「意思球」……白色の球体。
  • その外側を取り囲む「知覚器官」と「微細運動器官」……5つずつの青色の球体とオレンジ色の球体。
  • その外側を取り囲む5種の「微細元素」
  • それら全体としては、球体ないし椰子の実状の輝く光の球として視える。

瞑想に熟達したヨギには、魂は瞑想によって上のように視えるとされている。

身体内での存在形態[編集]

1. 心臓内部での構造

  • 中心に「真我」。
  • その外側を「心素球」、「我執球」、「微細生気球」、「微細根本自性」が順に取り囲んでいる。
  • それら5つの光球全体に浸透する形で「神我」が取り囲んでいる。
  • 心素と我執とは「原因体(コーザル体)」と呼ばれている。

2. 脳内での構造

  • 中心に「意思球」……金星のように輝き、常に活発に「知覚器官」や「運動器官」や他の光球に働きかけている。
  • 意思球を取り囲む「理知球」……白色の光球。
  • その外側を取り囲む5つの「知覚器官」と5つの「微細運動器官」……青白色とオレンジ色の円球が交互に並んでいる。
  • 脳内のものは、「微細体(アストラル体)」に属するとされる。

3. 心臓内と脳内との情報伝達

心臓内の内的心理器官と、内の内的心理器官との間の情報伝達は、2つのルートによって行われている。
1. 意思の光線によるルート……「行(ぎょう)」情報の授受。
2. スシュムナー気道(脊髄に沿った中央気道)によるルート……知識と運動に関する情報の授受。

心素[編集]

  • 「心素」は、絶えず変化する水晶のように透明で澄んだ美しい精妙な光を放つ小さな光の粒子の固まりで、その集合球体は「真我」を内包し、同時に外側の「我執」を支える土台でもある。
  • 「宇宙心素」が「大明性」から創造され、この宇宙心素から各魂に宿る「心素」が生じて各「真我」と共存している。
  • 「心素」は、「真我」を映し出す「」の役割をするとともに、潜在化した種子の状態での多くの『行』や残像印象や記憶などをその内部に貯え、「真我」に知識と運動に関する情報を提供して真我に様々な経験をさせる個別「経験データバンク」の役割をしている。
  • 心素内部では機の熟した『行』が次々と間断なく湧き上がっている。湧き上がった『行』は「我執」の働きで「意思」に引き渡され、「理知」の許に運ばれて現象や行為として結実していく。「意志」とは、この間の行為のプロセスの中で、特に強い原動力となる心理作用のことを指す呼び名である。
  • 様々な経験から生じる情報の影響によって、「心素」自体が3種のエネルギー徳性(明性・動静・暗性)の影響を受けるようになる。その影響を受けた「心素」の様々な状態を、自分自身と一体化したように錯覚している「真我」に経験させることになる。「真我」が解脱の状態になるのも、束縛された状態になるのも、この「心素」の状態にかかっている。
  • また、「心素」は生命力を持った「真我」と接触することで活動的になり、「微細生気」と呼ばれる生命力を絶えず発生し、「我執」の力を借りてその生気(生命エネルギー、プラーナ)をその魂の他のすべての器官(微細体と肉体)に供給して活性化させている。

理知[編集]

  • 「理知」は、澄んだ透明な光が集まってできており、楕円形となって太陽のように光り輝いており、大きさを自由に変えることができる。
  • 「宇宙理知」が「大動性」から創造され、この宇宙理知から各魂に宿る「理知」が生じて各「真我」と共存している。
  • 「理知」は「意思」を介して、知識や認識などのあらゆる情報を受け取って分析や確認を行って決定を下す働きをしている。「理知」は粗雑次元でのあらゆる経験を「真我」に伝えているが、「理知」が何かある経験に関して働いているときは「真我」をもその経験の虜にしてしまう。
  • 「理知」は「意思」によって心臓内部から運ばれてきた『行』を、「意思」の助けを受けながら感覚器官が経験できるように粗雑なものに変化させる。
  • 一方、「理知」は感覚器官から絶えずいろいろな情報を「意思」から受け取り、それらの情報を分析・判断して再び微細次元のものに変え、「意思」はこれらの情報を『行』として「心素」に運んでいく。
  • 「理知」は知覚器官や運動器官から「意思」によって伝えられた情報の重要性を判断し、ふるいに掛けてから最終的決定を行っている。人が目覚めているときに行うすべての行為は「理知」の助けで行われており、この世で間違いを犯さずに生きていくための正しい判断を下し、精神的に向上していくのに不必要なものを捨て去らせ、人として取るべき道を力強く照らし出してくれる働きをする。
  • 「理知」は最終的には深い精神集中と瞑想から生じる「有想三昧(「空虚三昧」以外の有種子三昧)」の境地の中で、物事の正しい因果関係を明らかにし、宇宙の真理を直覚できる状態に導くことを目指している。
  • 「理知」が不純や動揺に支配されると、「真我」に様々な苦悩をもたらし、生・死・再生という終わりなき苦悩の輪廻の中に陥らせることになる。

意思[編集]

  • 「意思」は精妙に輝く小さな光の集まりであり、大きさを自由に変えることができる。
  • 意思は明性優位の宇宙我執と動性優位の宇宙我執とから創造されたために、強力かつ何よりも最速で動き回ることができ、明性優位の「知覚器官」と動性優位の「運動器官」の働きを左右することができるとともに、「感覚器官」からもたらされた運動と知覚の情報を脳の「理知」とやりとりしたり、心臓内部の「心素」や「我執」とも情報をやりとりすることができる。
  • また、「意思」は心臓内部から湧き上がってくる「感情」や心素から湧き上がってくる『行(ぎょう)』を自己のもとに引き寄せてこれらの情報を「理知」に伝える働きもしている。
(『』とは、粗雑次元で体験した「印象」や微細次元で生じた感情などの「印象」が心素に貯えられたものであり、真我がこれから経験する現象を生起させる情報エネルギーでもある。この「印象」には、自己の印象だけでなく、自己の身・口・意の行為が原因となった現象の影響を受けた魂たちの印象も含まれる)
  • この「意思」は、情報を探し、運搬し、授受する機能を持った「内的心理器官」である。
  • こうした意思の働きは、「思考」や「想像」といった働きに分けて考えることもできる。

身体の構造と機能[編集]

ここではヨガにおける身体の概要について解説する。(『魂の科学』参照)

人間の3種の身体構造[編集]

  • 原因体(コーザル体)……心素・我執・微細生気。
  • 微細体(アストラル体
    • 理知鞘……理知
    • 意思鞘……意思・5微細知覚器官・5微細運動器官。
  • 肉体

注釈[編集]

チャクラ[編集]

ここでは、「ヨガの宇宙観」との関係における「チャクラ」について解説する。
インド密教ヨガのタントラ経典やチベット密教カギュ派のタントラ経典などでは、身体には主要な7つのチャクラ(または6つのチャクラと1つの門)と、身体のあちこちにあるその他の小さなチャクラとがあるとされている。主要な7つのうち、会陰と頭頂を除く5つのチャクラは、脊髄に沿った5つのチャクラと、身体前面に沿った5つのチャクラとはそれぞれがになって繋がっているとされている。 「密教」とは、「顕教」と対照をなす教えであり、「秘密の教え」を意味し、必ずしも仏教を意味しない。 (『魂の科学』「タントラ密教経典」参照。なお、密教経典は門外不出とされている)

  • 主要な7つのチャクラと瞑想時に使用する化身との関係
  1. ムーラーダーラ・チャクラ………下位幽体のチャクラ(会陰)
  2. スワディシュターナ・チャクラ…上位幽体のチャクラ(臍下約3cm)
  3. マニプーラ・チャクラ……………応身(変化身)のチャクラ(臍上約3cm)
  4. アナーハタ・チャクラ……………法身(ほっしん)のチャクラ(胸)
  5. ヴィシュッダ・チャクラ…………報身のチャクラ(喉)
  6. アージュナー・チャクラ…………本性身のチャクラ(額)
  7. サハスラーラ・チャクラ…………金剛身のチャクラ(頭頂)
  • その他のチャクラ
    • スールヤ・チャクラ(太陽のチャクラ)……火元素と消化に関与(肝臓の右側)。ここに精神集中すれば消化作用が霊視できる。
    • チャンドラ・チャクラ(月のチャクラ)……膵液の分泌に関与(膵臓近く)。ここに精神集中すれば消化液分泌作用が霊視できる。
    • その他のチャクラ……手の平、足の裏、関節、などに存在している。
  • それぞれの化身は、多次元宇宙の次の世界を担当しているとされている。
  1. 下位幽体……地獄界・動物界の微細次元とされている。(瞑想では使用しない)
  2. 上位幽体……人間界と低級霊界の微細次元。(幽霊が使う身体。いわゆる「幽体離脱」時の身体。瞑想では通常は使用しない)
  3. 応身(変化身)……粗雑次元(現象界。仏教の6欲界)と、その微細次元(下位アストラル次元)。
  4. 報身……現象界の微細次元以外の微細次元(上位アストラル次元)。
  5. 法身(ほっしん)……現象界の原因次元(下位コーザル次元)と、上位微細次元の原因次元(中位コーザル次元)。
  6. 本性身……それら以外の原因次元(上位コーザル次元)。
  7. 金剛身……真我。(サハスラーラ・チャクラは解脱への門とされるが、ここが開いても即「解脱」するわけではない)

多次元宇宙を瞑想体験しながら悟り・解脱に至るための「瞑想」は、各化身の身体に備わった感覚器官を使用して観察(霊視)したり、化身に意識を移し替えて瞑想客体を観察する技法でもある。各化身が使えるようになるためには、各チャクラの浄化と活性化とが必要不可欠とされている。

なお、チベット密教カギュ派でも、ゲルク派等でも、5仏と関連づけてチャクラを5つとして説明する場合がある。学研の『チベット密教の本』にも、3種類のチャクラ図が掲載されている(『チベット密教の本』55Pと77Pと80P参照)。5つとしている時の理由は、

  • スワディシュターナ・チャクラを外すのは、「上位幽体」は瞑想で用いない不自由な低位の身体であるからである。
  • サハスラーラ・チャクラを外す説は、ここは解脱への門であるとしている。
  • アージュナー・チャクラを外す説は、アージュナー・チャクラはスシュムナー気道から分化した気道に存在しているので解脱と直接関係しないとしている。

なお、チャクラについての一般的な解説は、「チャクラ」の項目を参照のこと。

サマディーの種類とプロセス[編集]

ここではヨガにおけるサマディー(三昧)の概要について解説する。

サマディー[編集]

「サマディー」とは、瞑想の深まりとともに瞑想客体を認識しようとする「心素」と「理知」とが精妙な状態となり、その客体の精妙で本質的な面を捉え、分析し、その客体の「直接的な知識」をもたらしてくれる心理状態のことをいう。サマディーの境地では、5感を超える「直覚」に捉えられた知識が得られるため、疑いや誤謬が生じる余地がなく、想像力を働かせる余地もない、直接的知識が得られる。(聖典の記述や聖者たちの教説を学んでも客体のごく一般的な知識しか得られないのとは異なる)(『魂の科学』参照)

ラージャ・ヨーガのサマディー[編集]

ラージャ・ヨーガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次のように定義している。)
“ヨーガとは心素の働きを止滅することである”(『ヨーガ・スートラ』1-2)
“その時、純粋観照者たる真我は、自己本来の姿にとどまることになる”(『ヨーガ・スートラ』1-3)
そのラージャ・ヨガ瞑想における「サマディー」の種類とプロセスは次のようになるとされている。(『魂の科学』参照)

  1. 解脱に至るためのサマディー……真我独尊に至るための三昧のプロセス。
    1. 有種子(Sabija)三昧……心素内に想念を湧き上がらせる客体が存在する三昧。
      1. 暗性優位の三昧……「空虚三昧」
      2. 動性優位の三昧……明性が動性を助けるので、暗性に妨げられずに精妙な事物の知識を得ることができる。
        1. 「有分別三昧」
        2. 「有尋三昧」
        3. 「有伺三昧」
      3. 明性優位の三昧……明性に照らし出された客体のみが光り輝き直接智が得られる。
        1. 「無伺三昧」
          1. 「歓喜三昧」
          2. 「我想三昧」
    2. 無種子(Nirbija)三昧……心素内に想念を湧き上がらせる客体が存在しない三昧。
      1. 「法雲三昧(無想三昧)」
  2. 宇宙創造の知識を得るためのサマディー……解脱に達した後に、宇宙空間内において知ることができる。

クンダリニー・ヨーガや密教瞑想のサマディー[編集]

  1. サマディー以前の段階……瞑想体験したものが何であるのかを、まだ直接智によって知ることができない。推論と導師から教わることよって瞑想体験したものの知識を増やしながら多次元宇宙構造についての理解を深めていくプロセス。この知識によって自己の瞑想レベルを自己判断することができるようになる。
    1. 応身(変化身)による瞑想体験
    2. 法身による瞑想体験
    3. 報身による瞑想体験
    4. 本性身による瞑想体験
  2. サマディー段階……超意識状態に入ると、何でも思いつくままに、実際にその事やものや状態を直接的に視たり知ったりすることができる(たとえば、「ワーム宇宙とは?」と思えば即ワーム宇宙に入って直接体験できる)ようになり、いろいろな経験を意識的に自由に造り出せるようになる。
  3. 真我独尊の状態……3グナ(根本自性)から完全に解放された自由な実在となる。3グナが遠くに光の粒子の集まりとして見える。
  4. 神我意識の状態……意識の無限の拡大があり、すべてのものが己の意識の中にある。たとえばインドに行きたいと思えばインドを思い描かなくてもその瞬間にインドにおり、1本の草の中にも宇宙のあらゆる原子の中にも自分を意識することができる。
  5. 宇宙意識の状態……それらをも超越し、己が宇宙のすべてのものの中にいると同時に、すべての創造活動を超越した喜びを感じる。
(『人間の永遠の探究』『阿含経典』「タントラ密教経典」参照)

神意識に至るためのサマディー[編集]

神意識に至るためのサマディーとは、神我意識および本源意識に至るための三昧のことである。(『心身の神癒』『人間の永遠の探求』参照)

  1. 「サビカルパ・サマディー」
  2. 「ニルビカルパ・サマディー」

注釈[編集]

  • 「空虚三昧」……何の直覚も霊視も経験も得られないし、三昧境から覚めても空虚な思い以外の記憶がない。導師(グル)につかずに修行や瞑想する者は、ふつう先ず、この暗性優位の三昧境に入る。未熟な瞑想者は「無種子三昧」や「無想三昧」などとよく勘違いするが、その前の段階の瞑想能力や瞑想体験の有無で容易に判別できる。(『魂の科学』557pの「〔付録〕理解を助けるための表によるまとめ」では、「空虚三昧」は「有種子三昧」の範囲外とされているが、本書記述内容では「有種子三昧」の中の「暗性優位の三昧」とされている)
  • 「有分別三昧」……暗性が動性と明性に抑制されるようになると、粗雑な客体に集中することで、自我意識を持ったままで客体の色・形・名称が識別されるようになる。
  • 「有尋三昧」……自我意識を持ったままで、粗雑次元の客体の姿・形、名称、その働きや相互関係についての知識が、推論によって識別される。
  • 「有伺三昧」……頭頂部の微細次元を霊視すると、視ているものに対して次々と様々な疑問(大きさ、色、何から造られているか、その働きや目的はなにか、など)が湧くが、理知が意思の助けを借りてすぐに明快な答えが得られる。
  • 「無伺三昧」……それまでの動性が弱まると、瞑想対象の客体が明性に照らし出されて光り輝き、“これは○○である”という直接的な知識が得られるようになる。
  • 「歓喜三昧」……無伺三昧が深まり、心素が瞑想客体と1つになり、心素内にはただ1つの独特な歓喜状態の意識が流れ続ける状態。
  • 「我想三昧」……この境地では、瞑想者はただ、“○○である”という思いだけを持ち続け、根本自性と真我とを識別できるようになり、心素内に直覚智が輝いて解脱を実現させてくれる識別智が得られる。
  • 「法雲三昧(無想三昧)」……心素内部に瞑想客体がなくなり、完全な離欲の境地が実現され、真我は自己本来の姿に安住し、小宇宙(多次元身体)のすべての知識をすでに有している状態になる。
  • 宇宙創造の知識を得るためのサマディー……ラージャ・ヨーガでは、以上が人間を解脱に導くサマディーのプロセスであり、解脱に達したあと、宇宙創造についての科学(神我の科学)の智慧を得る道に入るとされている。この瞑想法の詳細については、スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著『神我の科学』に記述されているとされる(※『神我の科学』に関しては、ヒンディー語の書籍であるため、日本語訳をお持ちの方のご協力を求めています)。なお、クンダリニー・ヨーガや他のヨガないしサキャムニの瞑想法や密教系瞑想法では、多次元宇宙を瞑想体験しながら智慧を得ることによって、悟り・解脱に到達する道も存在している。
  • 神意識に至るためのサマディー……真我独尊(解脱、仏陀)に到達したのち、そこから「神我意識」、さらには「本源意識」に到達するための瞑想。神に出逢ったことと、神のすべてを知ったこととでは、異なるからである。
  • 「サビカルパ・サマディー」……瞑想者の意識は神の中に融合し、その肉体は硬直して呼吸も心臓もほとんど停止した状態になるが、瞑想者は仮死状態の肉体を完全に意識している。
  • 「ニルビカルパ・サマディー」……瞑想者がさらに高い境地に達すると、普通の顕在意識を保ったままで神との霊交を持続して、絶えざる至福を味わうことができる。最高の境地に達した大師(マスター、解脱成就者、如来)だけが経験できる状態。

参考[編集]

1. 人間の体と感覚器官と物質についてパラマハンサ・ヨガナンダの著述があるが、その内容を要約すると次のようになる。(『人間の永遠の探求』参照)

  • 16種類の物質要素でできている「肉体」は、19種類の要素で構成されている電気的エネルギーでできた「幽体」と、35種類の観念で構成された「観念体」のにすぎない。
  • 「観念体」は、その中の19種類の観念が「幽体」の19種類の要素をつくり、残りの16種類の観念が「肉体」の16種類の物質要素をつくっている。したがって、わたしたちの体の本質は35種類の観念から出来た観念体であるとしている。
  • そして、それら35種類の観念の背後にある意識である『魂』こそが人間の真の実体であり、その『魂』は神の宇宙意識の火花なのである、と述べている。
  • 「脳」から流れ出る地・水・火・風(空気)・空(エーテル)の5つのエネルギーで象徴される5種類の創造の波動が凝縮され、物質化されて、この物質界というスクリーンの上に肉体を映し出している。
  • 人が物を感知する5つの「感覚器官」は、物質を構成する5種類の電気的エネルギーに対応しており、「聴覚」は空エネルギーに、「触覚」は風エネルギーに、「視覚」は火エネルギーに、「味覚」は水エネルギーに、「嗅覚」は地エネルギーに、それぞれ対応しているが、これらによって感知される出来事は、実は一種の映画のようなものであり、真の自分である『魂』を自覚する「超意識(コーザル体次元の意識)」を開発すれば、肉体が内なる自分の影にすぎないことがわかり、自分の体でどんなこと(たとえば水の上を歩くこと)でもできるようになる、と述べている。
(このヨガナンダの説明は、宇宙創造のプロセスによって形成された「多次元宇宙」と「人間の身体」について、その構成要素の面から説明している。ここでの「観念体」とは原因体ないしコーザル体のことであり、ここでの「幽体」とは微細体ないしアストラル体のことである)

2. サキャムニ(釈迦牟尼)の見解の解釈が分かれる理由(『原始仏典』『大般涅槃経解釈』参照)

「सर्व धर्म अनात्मन् sarva-dharma-anaatman(諸々のダルマはアートマンではない)」の解釈の違いから生じている。
  • 「諸々の法則や観念は、真我ではない。(よって、諸々の法則や観念は実体(実相)ではない)」と理解する立場。
サキャムニが説いた主要な瞑想法の中に「四念処(四念処瞑想法)」がある。この「四念処(四念住)」とは、「身・受・心・法(身体および物質、感覚器官による感受、法則価値観概念思い込みといった観念)という人間を構成しているこの4つは実体(実在、実相)としてのアートマン(真我)ではない。よって執着するに値しないものである、ということを多面的に観察論理的に解析して断じていき、その結果、この4つの「実体でないものへの囚われ」から解放されて(解脱)、実体である「唯我(真我)独尊」を達成するための瞑想法であるが、サキャムニは諸法をこのように「この地上の諸々の観念」として用いている、とする見解である。
(この見解は、「ヨガ」の見解と合致している)
  • 「この宇宙のすべてには実体がない。よって、すべては無常なる「空(くう。空 (仏教))」の因果律によって生起するものである」と理解する立場。
大乗仏教の成立以後、多くの者に広まって信奉されている見解であり、日本の仏教界にはこの見解が広く普及している。
(「宇宙のすべて」が、「真我以外の宇宙構成要素」を指す見解であるならヨガの見解と矛盾しないが、「真我を含めたすべて」を指す見解であるならヨガの見解と異なる)
  • 「この宇宙にはアートマン(真我)というものはない」と理解する立場。
仏教はアートマン(真我)を否定しているところに他の教えや宗教とは異なる特徴がある、とする見解である。
日本の仏教学者や仏教界には、この見解を支持している者も多い。
  • 「この宇宙には自我を認識する「我」というものはない」と理解する立場。

といった見解がある。

参考文献[編集]

関連項目[編集]