マドンナ日本公演in1987

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1987年、マドンナの初のワールドツアー『Who's That Girl Tour』が行なわれた。初のワールドツアーでスタート地点に選ばれたのが日本。ここでは来日した6月11日から日本公演の最終日までのマドンナ旋風をまとめてみた。

大阪[編集]

大阪空港にて[編集]

6月11日夕方5:30、黒の皮ジャン、黒のパンツ、黒のサングラスに黒のブーツというファッションに身を包んだマドンナは大阪空港に降り立った。ファン約2000人が空港に駆けつけ、大阪府警は急遽「マドンナ対策会議」を設置。ファンの中には深夜の3時から待っている人もいたという。空港内では、あまりの騒ぎに転倒するファンが続出した。

  • 報道陣の数、およそ100人
  • ファンの数、およそ2000人(別の情報によれば、約2万5000人が駆けつけていた)
  • 機動隊の数、およそ500人
  • マドンナを取り囲むスタッフの数、40人

マドンナは白いロールスロイスで空港を離れ、滞在先の全日空ホテルへ。

大阪公演[編集]

初日の大阪公演・・・。 大阪球場(当時)には、チケットを手にした約2万5000人のファンと残念ながらチケットを手に入れる事が出来なかった人がせめて漏れてくる声を聞きにと約5000人が駆けつけた。女性ファンの中には、マドンナのファッションを真似る人が多かった。

午後7:30すぎ、ライヴがスタート。オープニングは『Open Your Heart』で『Like A Virgin』や『Live To Tell』など全16曲を熱唱。約1時間半、会場の中と外は興奮状態に包まれた。

会場には警察官2000人が警備にあたり、ケガ人1人が出たほかは大きな混乱はなかった。

  • 6月14日、初日公演のツアーパンフレットの売り上げは4200万円。
  • 会場前にはダフ屋も数多く現れた。
  • 場外では入場できなかったファン約3000人がフィーヴァー。
  • 2日間の公演で、約2億8000万円を稼ぎ出した。

6月16日には、京都市内を観光。


東京[編集]

6月16日午後5:30ごろ、京都駅からひかり26号で報道陣およそ60人が待つ東京駅に(午後7:46分)に到着する。

  • マドンナは、オフの時間に皇居前をコーチと共にジョギングをしていた。その際に、ある番組の取材人がジョギングをするマドンナをしつこく追いかけ、コーチに妨害されたりしていた。マドンナに声を掛けると、マドンナは「バカ」や中指を突き出し「FUCK YOU!!(くそったれ)」と罵声を放った。マドンナはあまりのしつこさに怒りが頂点に達していたと思われる。

東京公演[編集]

6月20日の東京公演初日、雨天により中止。全国から駆けつけたファンが、チケットには雨天決行と記してあるにも関わらず中止になったことに反発。警備員に詰めよるファンの姿が報道された。

  • 主催者側はチケットの代金払い戻しには応じたが、あきらめきれないファンおよそ200人はマドンナの宿泊先である港区のホテル・オークラに向かった。

6月21日からは、予定通りに公演が行なわれた。およそ4万人のファンは、冒頭から最後まで総立ちだったという。

成田空港[編集]

  • 6月23日、成田空港では混雑を見こしてファンの入場規制が敷かれた。

税関の通路を見下ろす一階のロビーは、マドンナを一目見ようとファンでいっぱいになった。マドンナは黒いシャツに緑のジャンパー、青いジーンズというファッションで午後6:00ごろ空港を後にした。

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