フィリピンパブ
フィリピンパブは、主にフィリピン人が接客するパブ、飲食店。フィリピン人ホステスとの会話や飲酒、食事の他に、ダンサーによるショーやカラオケなども楽しむことができる。
歴史[編集]
1970年代海外旅行ブームが訪れるとフィリピンは日本に近い事もあってハワイやグアムの次に入る程の人気のある観光地となっていた。特にマニラ市は歓楽街が充実しており、多くの男性を魅了していた。ところが1985年あたりからマルコス政権のクーデターをきっかに危険な国として一斉にツアーが廃止となり日本人客の足は遠いていった。
日本には1960年代から数多くのフィリピンバンドが日本に出稼ぎに来ていた。その多くは、ディスコやクラブでの演奏が主体であり、その流れからフィリピン人の入国は興行ビザが占めていた。1980年代頃からキャバレーにフィリピン人のエンターテイナーをホステスとして起用する興行師が出てくる。始めの頃は若いフィリピン人は普通のキャバレーにヘルパーとして使われ始めていた。
しかしバブルを迎える頃、マニラ市の繁華街から日本人を始めとする外国人観光客が激減したことで、大勢のフィリピン人ホステスが来日することになる。そして外国人パブやフィリピン人だけ集めたパブが登場し、人気を集める事となる。特に若い女の子が集まらない地方においてはフィリピンパブは人気があり日本各地に増えていった。
最盛期の2004年には、年間8万人以上のフィリピン女性が興行ビザで来日し労働していた。北海道から沖縄、八丈島に至るまで日本全国ほとんどにフィリピンパブが存在していたが、大阪だけは(暴力団の資金源になることを恐れた警察による手入れにより)他の都市圏に比べ極端に少なかった。
2004年、アメリカの国務省による人身売買報告書の中で、日本が人身売買容認国として名指しされた。数十万人いた興行ビザでの若い外国人女性の日本入国を「性的搾取による人身売買であり、被害者である外国人女性を全く保護していない」と批判した。当時、日本の外交政策の最優先戦略であった安全保障理事会入りの目標があったこともあり、日本政府はなんら反論することなく、すぐに興行ビザの運用の厳格化を決めた。
具体的には対象エンターテイナーの過去の実績要件・契約金額の厳正適用・過去の入国時の違法行為の有無重視などである。入管別で多少のずれはあったものの、これにより、実質ホステスの来日は観光ビザ等で入国後の不法滞在などの特殊ケースを除き、フィリピン人に限らず全て門戸を閉ざされることになった。 通常50平米2DKのアパートに二段ベットを置き6人ぐらいが寮として共同生活をしていた。給料は4万円前後でひと月に1日程度休みが与えられた。これは日本ではあり得ない低賃金であったが、それでも食住が提供されていた事で少ない給料を貯めて帰国する事ができた。
2006年、予想通り、興行ビザの発給は従来比10%程度に激減した。その結果、日本各地にあったフィリピンパブのほとんどは大打撃を受けた。
2007年現在のフィリピンパブでは、ほとんどが興行ビザでの就労ではなく、アルバイト契約で働いている。a.日本人との結婚や育児で滞在許可がある者や、b.親族訪問ビザで来日しているフィリピン人、或いはc.何等かの形(興行或いは親族訪問・観光ビザ等)で来日し、査証期限後も続けて滞在する(=不法滞在)フィリピン人である(この中でb.及びc.に関しては違法就労にあたる)。
また、a.の滞在許可を得る為の偽装結婚も激増し、偽装結婚ブローカーに多額の借金を負わされ半ば強制労働をさせられるケースもある。入国管理局による摘発も(偽装結婚の真偽確認が)困難である事から、こうした問題はさらに加速していく可能性がある。
尚、観光ビザはフィリピン人に対してはとても厳しく取得が難しいが、2週間程度の観光で日本側に保証人があれば、ビザ取得は可能である。親族訪問ビザは親子関係であればスムーズに発給されるが、兄弟・姉妹、叔父・叔母、祖父・祖母の場合は親子関係に比べて発給率が半分以下になるようである。但しこれは入管によってまた担当によって判断が分かれることがある。
全盛期、人材のリクルートはマニラ首都圏・アンヘレス・セブ・ダバオなどを中心に各地で行われており、専門斡旋するエージェントや日本側のブローカー・プロモーターが存在していた。これらの業者は現地のディスコやカラオケなどの歌手・ダンサー・奇術師・コメディアンなどを周旋したり、日本側のパブのオーナーの依頼によるオーディションを開催して集めた中から選りすぐったエンターテイナーを確保して興行ビザを取得し、日本各地に送った。
エンターテイナーは日本側のプロモーターと契約し、プロモーターがパブと契約する方式だった。興行ビザでの招聘可能の人数にはプロモーターの社員数・パブの控え室やステージ面積が影響しており、また違法行為(ホステス業務・逃亡・不法滞在など)が発生発覚すると入管からのペナルティとして人数枠の削減や申請却下が下された。
一方、フィリピン政府は出国するエンターテイナーに公的資格制度を導入して、名目上は素人が簡単に訪日することを防いだが、逆にその資格の取得にからんでの汚職や賄賂が問題となった。また簡単に偽造パスポートを入手できる環境のため、実際は18歳未満でも他人の名前で来日したケースも少なくない。
興行ビザで来日した多くの実質ホステスたちにとっては、日本での3ヶ月(乃至6ヶ月)の出稼ぎは、売上げのノルマやホームシック、異国でのフラストレーションはあったにせよ基本的に現地では到底手にすることのできない現金を手にして帰国できる夢のような幸運で、多くの志願者で現地のオーディションは常に盛況であった。帰国前日の最終日のサヨナラパーティーでパブの店長やお客たちへの感謝をこめた挨拶をしながら涙を流すたくさんのフィリピン人がいたことは事実である。
彼女たちは客と毎日話す事により短期間で日本語を習得していった。日本でホステスになると知らずに歌手になれると思って来日した者も初期には多少はいたが、2000年当時は有名無実化していた。ほとんどの場合、お客に対するホステス業務が主体でカラオケをお客と唄うことはあっても、ステージでショータイムを設けて歌ったり踊ったりするパブは滅多になかった。
2004年以降は不法残留や違法入国者に対する入国管理局の捜査が厳しくなり、興行ビザ自体の発給要件も厳格化されたために、エンターテイナーの平均年齢は急激に上昇し、現在は以前のような活況は見られない。
文化[編集]
興行ビザでの外国人女性は、他にも、ロシア人や東欧各国、南米各国、中国人、韓国人、タイ人、インドネシア人等もいたが、最盛期である1990年代後半から2000年にかけてのデータではその大半がフィリピン人であった。
フィリピン人に多くの需要があった理由は
- 日本に近い(半年間という期限の興行ビザでの渡航費の安さ)
- 比較的親日で日本文化の影響も強い国民性と、陽気で従順な性格で日本人スタッフによる管理のしやすさ
- 英語が理解でき現地語がアルファベットであり母音が日本語と同じであることによるコミュニケーションのしやすさ
- 日本人が知っているような欧米の歌やダンスをほとんどのフィリピン人ができる
- 陽気でホスピタリティがあり日本にある南国世界の雰囲気
等があり、日本、フィリピン両国にとっての需要供給が一致して人気があった。
日本国内での数十年に渡るフィリピン人タレントの就労で、多くの日本人が手軽に異国人に接することができ、フィリピンパブ愛好家や、フィリピン人女性と結婚する日本人男性も多く、業界も大きくなり飲食業界における一つの文化となっていた。
社会問題[編集]
フィリピンパブファンの中で、若く素朴なフィリピン女性を騙し性的関係を持とうとする日本人客が年々増加した。その一方、日本人の優越感、外国人コンプレックス等を裏手に取り、日本人客を騙し金銭的摂取をするフィリピン女性も増え、フィリピンを嫌う日本人も徐々に多くなる。そういった悪循環が日本社会の中でフィリピンという国に対する偏見を多く生んでいった。
また、既婚者でありながら妻と家族を捨てて、フィリピン女性と恋に落ちる日本人男性もいたのが偏見を助長した。
中学生の一部の社会科副教材では、このような興行ビザを取得して来日したフィリピン女性を「じゃぱゆき=売春婦」と解説していたことも偏見を助長した。フィリピンでは「じゃぱゆき」という言葉は一般的で歌の歌詞に出てきたりTVで取り上げられることも多々ある。この「じゃぱゆき」という言葉のルーツはからゆきさんである。
多大な利益が期待できるビジネスとなったフィリピンパブの経営に乗り出す悪徳業者も出て、フィリピン人労働者への給料未払いやアパート軟禁、売春強要なども一部あった。そういった状況から逃げ出したフィリピン人は、滞在期限を越えて不法滞在になり入管に検挙されたこともあった。
2009年現在、興行ビザ制限の中で再来日できなくなることを恐れたフィリピン人が帰国せず超過滞在(不法滞在)となるケースが多くなった。
フィリピンでは[編集]
フィリピンでは、多くの女性達が日本での労働で貧困を脱出する成功例が多くなり、ジャパニーズドリームを夢見る多くの女性達が日本行きを目指していた。
また、フィリピンの第一線で活躍するプロのアイドルタレントであっても、日本のパブへの就労経験があるものも多くいる。日本ではルビー・モレノが有名TVタレントとなった。
フィリピンにはプロモーションと呼ばれるタレント養成所が多数でき、全土から集まった数千人の若いフィリピン女性が歌や踊りをレッスンし、日本行きを目指す。また、本国にあるカラオケバー、パブ等で日本行きを待機しているタレントが数百人いる。その多くが地方から都市に来た貧困な若者なので、養成所での生活費や訓練費はプロモーションへの借金であり、借金は日本での就労後に給料から返済するというシステムである。
また、上記の借金以外にも所属するプロモーションのコミッションの他、フィリピン人マネージャーのコミッションが給料の30~50%(契約次第では50%以上)を占めるため、彼女達の手取り収入は非常に少ない(とはいえ、本国で働くよりも高額の給料を得られる)。実際は4万円で月に1、2回の休日で日本では労働基準法に満たない条件で働かされていた。
日本への渡航費用、滞在費、食費の一部は日本サイドの業者等が支給している。また、初回分の給料は来日する前に支給される。このような恵まれているシステムは日本だけである(これらが支払われていない、本人の借金であるという誤解は、日本人客から金銭的援助を受けるためのタレントの方便であることが多い)。
現在はビザ取得、入国の際の指紋採取等、来日が非常に難しくなり、容易にビザが下りる国(韓国、台湾、香港、マカオ、中東等)に海外就労する傾向にある(が、これら各国への就労は工場、家政婦等であり、フィリピンパブ等の水商売は非常に少ない)。その中でも韓国については、タレント業務として召喚されるも売春強要といった展開がほぼ全てである。また彼女らの中では、韓国人客はチップを支払わない事で知られている。
フィリピンの諸問題[編集]
ブルーカラーの給料とホワイトカラーの給料が5~6倍も開いており、高校卒業以上の学歴を有していない限り、例えばファーストフードの店員にさえ採用してもらえないという実態がある。
下流階級の家庭に生まれた人達はブルーカラーの仕事以外につくことができないため、貧困な状態から抜け出すことは不可能であり、そこに生まれた子供達は学歴を身につけられないため再びブルーカラーの職種につくことになる。
日本で働く通称「じゃぱゆき」と呼ばれる人達に聞くと、ほぼ100%家族の兄弟達の学校卒業に向けた支援の話が飛び出してくるのはこのためである。彼女、彼らは社会構造から抜け出すために懸命に考え、意を決して他国に飛び出すのである。
ブルーカラーとホワイトカラーの給料格差(特に水商売)はアジアでは日本が一番少ないため、フィリピンからの出稼ぎ者は、好んで日本を目指したがる。
フィリピンでクラブに行くと良く理解できるが、歌手とダンサーがステージでパフォーマンスを演じ、客が酒を飲みフロアで踊り、時折歌手とダンサー(アマチュア)にチップを出すという形態の店が沢山存在する。
タレントという職業で彼女、彼らが日本に来るときに抱く初期イメージは、恐らく同じようなものであったと思える。