チャレンジャー

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チャレンジャー (challenger) は、英語で「挑戦者」の意味である。

会社を辞めて世界旅行。夢の代償は「40代・日雇い」という現実だった[編集]

やっと景気が良くなってきたとはいえ、私たちの給料もどんどん上がるかというと……そう話は簡単ではない。特に、男性の給料はこの15年ダダ下がり中で、いまや男性の4人に1人が年収300万円以下。そこで、年収200万円台の40代男性に、その実情を取材してみた。

中田正行さん(仮名・47歳・年収250万円)のケース
(立体駐車場のクレーンのメンテナンス業・独身・神奈川県在住)

オーストラリアの広大な大陸を、大好きなバイクに乗って走ってみたい!」という夢を、当時勤めていた会社を辞めてまで実現させたのが、現在、立体駐車場のクレーンのメンテナンス業務に携わる中田正行さんだ。

中田さんは大学卒業後に、日立製作所の系列企業に就職。20代半ばで、「年収は400万円を超えていた」と言う。「お金を貯めて、27歳で会社を退職した後、2年かけてオーストラリアニュージーランドネパールインドマレーシアタイを旅しました。楽しかったなぁ」

だが、夢を実現させ、海外旅行を満喫した彼を待っていたのは、想像以上に厳しい現実だった。

ハローワークに通って、面接を数社受けたんですが、『またすぐ辞めるんじゃないの?』って言われちゃって。当時からすでに、就職するのは厳しかったです」

その後、会計事務所に正社員として就職するも、実際に担当させられたのは不慣れなコンピュータのセールスだった。結局、営業の成績が伸びず、1年で肩を叩かれた中田さんは、人材バンクに登録し、とある博物館で働き始める。

「募集していた人材がある程度英語がしゃべれて、見聞がある人だったんです。それで採用されたんですが、上司との相性もよくて。巡り合わせの運でしたね」

博物館で働いていたときの年収は400万円ほど。これで安泰かと思いきや、新たな不運が襲う。

「博物館を7、8年ほど勤めた後、経営不振で転職を余儀なくされて。紹介された行政機関で働いて、40歳を過ぎたあたりから、日雇い労働者になりました」

現在の会社に日雇いで雇われ、正社員になったが、勤続5年で年収は200万円台のまま。正直、夢を叶えて後悔していませんか?

「お金のことだけ考えると、最初の会社を辞めないほうがよかったと思いますね。ただ、夢がくすぶったまま人生を終わらせるよりは今のほうがいいですし、ほかの人とは違った体験をできましたから」

会社を辞めていかに良い体験をしても、企業には”キャリアの分断”としか見られない――世知辛いけれど、それが現実なのだ。でも一方で、夢をあきらめて勤め続けたとしてもリストラされていた可能性だってあり、どちらがよかったのは誰にもわからない。

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