アイルランドの歴史
アイルランド島に始めて人類が定住したのは紀元前7500年頃の旧石器時代とされている。 600年頃に聖パトリックらの活躍によりキリスト教が伝来した。イングランドによるアイルランドの植民地化は、 1169年のノルマン人侵攻によって開始された。とは言え、この時は名目的なアイルランド王の地位とダブリンの 領有のみに抑えられ、その他の地方では伝統的なケルト社会が残存した。しかし、17世紀初頭のクロムウェルによる アイルランド侵略により、カトリックの土地は没収され、プロテスタントを信仰する「アングロ・アイリッシュ」により アイルランドは植民地同然と化した。1800年の英国との合併により、英国の一部となったが、立場は変わらなかった。 とは言え、オコンネルらの努力もあり、1829年にカトリック教徒解放法が成立し、カトリックの権利は拡大した。 所が、19世紀のジャガイモの不作により発したジャガイモ飢饉により、英国政府の無策もあり、アイルランド人の人口は 激減し、アメリカへの移民を余儀なくされた。この事件以降、アイルランドの独立機運は高まった。1916年のIRB主導の イースター蜂起がこれを象徴する。この蜂起は失敗こそしたものの、英国政府の過激な弾圧に反発したアイルランド人は さらに独立を求めるようになった。地獄のような独立戦争を経て、1922年にはアイルランド自由国として実質上の独立を えた。しかし、北部6県(北アイルランド)は英国の残留を望み、北アイルランドは英国領土のままとなった。 1932年の総選挙で政権を獲得したイーモン・デ・ヴァレラは英国からの名目上の独立も志向した。1937年に制定された、 民族主義色とカトリック色の濃い新憲法がそれを表現している。ヴァレラ政権の元では自給自足の農村的国家を志向したために、 経済は衰退しヨーロッパ最貧国にまで落ちぶれたが、1959年にショーン・F・リーマスが首相に就任するとそれまでの経済政策を変え、 外資を導入し、近代工業国家の建設を目指した。1973年にEC(ヨーロッパ共同体)に加盟すると、ECより巨額の資金援助を得ることができた。 アイルランドはこの資金をインフラストラクチャの整備や教育制度の整備、生産設備の近代化に用いられた。1970年代になると、減少続きだった アイルランドの人口はようやく増加した。北アイルランドは多数派のプロテスタント系住民と少数派のカトリック系住民の対立は深刻化し、 両住民の準軍事組織であるUFF(アルスター自由闘志団)とIRA(アイルランド共和軍)が軍事衝突を繰り返し、北アイルランドは血みどろの内戦が 続いた。しかし、1998年の聖金曜日合意により北アイルランドの治安は回復し、南北の移動も自由化された。こうして北アイルランドは徐々に 平和を取り戻した。一方、アイルランドは「ケルトの虎」と呼ばれる高度成長を遂げたが、金融危機により終焉した。金融危機後初の選挙で与党であった 共和党(フィアナ・フォール)は敗北し、統一アイルランド党(フィナ・ゲール)が大勝した。そして、同党の党首であるエンダ・ケニーが首相に就任した。 新政権の緊縮策とEUからの援助により、アイルランドの信用は取り戻され、経済も回復していった。