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== 総裁候補 == | == 総裁候補 == |
2010年11月13日 (土) 22:40時点における版
石破 茂(いしば しげる、1957年2月4日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。防衛庁長官(第68・69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)を歴任した。
建設事務次官、鳥取県知事、自治大臣兼国家公安委員会委員長などを歴任した石破二朗の長男。
- 第68・69代 防衛庁長官 内閣 = 第1次小泉内閣第1次改造内閣
第1次小泉内閣第2次改造内閣
第2次小泉内閣 就任日 = 2002年9月30日 退任日 = 2004年9月27日 退任理由 = 内閣改造
目次
経歴
生い立ち
鳥取県八頭郡郡家町(現八頭町)出身。幼少の頃、父・二朗は鳥取県知事だった。
学生時代
鳥取大学教育学部附属小学校、鳥取大学教育学部附属中学校、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業。
銀行員時代
大学卒業後、三井銀行に勤務する。
政治家として
1981年、父・二朗が死去し、一周忌が済んだ頃、父・二朗の友人だった田中角栄に呼ばれ、田中から「おまえがあとに出ろ!」と強く薦められたことが政界入りのきっかけである。
1986年7月の衆院選で鳥取全県区で立候補をして初当選し、中曽根派に所属。以後連続当選8回。93年に政治改革法案をめぐって自民党から役職停止処分を受けて離党。新生党に入党し新進党結党に参加するも、小沢一郎の安全保障政策に失望し、新進党を離党。1997年に自民党に復党する。
もともとは農水族として地歩を築いたが、自身が「国防がライフワーク」と語るとおり、「新国防族」などと呼ばれる安保通として頭角を現し、防衛政務次官、防衛副長官、拉致議連の会長などを務めた。
2002年8月に小泉純一郎首相が翌月の訪朝を決めた際、「拉致被害者全員を連れて帰らなければ倒閣に動く」と発言。結局は拉致被害者のうち5人の帰国にとどまり、石破の言った成果は得られなかったが、直後に発足した第1次小泉内閣第1次改造内閣において防衛庁長官に指名されるや、拉致議連の会長を辞任して初入閣を果たし、以後「倒閣」に触れることはなかった。
その後、有事法制の制定に尽力し、防衛庁長官在任中にイラク戦争が勃発すると自衛隊イラク派遣を決定した。防衛庁長官の在任期間は、坂田道太に次ぐ歴代第2位。2007年、福田康夫内閣で防衛大臣に就任し、2度目の入閣を果たす。翌2008年、福田康夫首相の電撃辞任を受けて実施された2008年自由民主党総裁選挙に出馬するも麻生太郎が圧勝し、石破は最下位の5位に終わった。続いて成立した麻生内閣では、前任者たちの多くが不祥事に見舞われ、「鬼門」とされていた農林水産大臣に横滑りした。
2009年9月29日、前日に自由民主党総裁に選出された谷垣禎一の下で、政調会長に就任(党鳥取県連によると、県選出国会議員からの党三役就任は初めて。
2010年4月14日、会見でたちあがれ日本について、「私自身、新党『たちあがれ日本』に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「『たちあがれ日本』とは、『民主党の過半数を阻止しなければならない』という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。
2010年9月、自民党政調会長に再任。当初、谷垣総裁は石破を退任させ、林芳正政調会長代理を昇格させる人事を構想したが、党内の反対論を受け、石破を政調会長に留任させた。石破と共に政権力委員会の本部長代理を務める石原伸晃組織運動本部長、小池百合子広報本部長はそれぞれ幹事長、総務会長に就任し、党三役は全員50代が占めることとなった。
また党役員人事後に設置された自由民主党シャドウ・キャビネット(影の内閣)において、影の内閣官房長官に就任した。
政策
防衛
自民党きっての防衛政策通として知られる。また、軍事マニアと揶揄されており[1]、日本の政治家の中では、軍事知識の豊富さと知見の高さが傑出した存在である。
2003年(平成15年)3月に情報収集機関の調査隊を改組し、防衛庁長官直轄部隊として情報保全隊を組織した。この隊は同月に勃発したイラク戦争に関する世論動向(主に市民団体)の調査をおこなっていたとされる。
徴兵制度の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。自民党の憲法改正草案で当初「徴兵制度の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した(ただし、石破は徴兵制への反対を主張している[2]。理由として、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいと考えているからである)。
著書『国防』では、難解と思われがちな防衛問題を分かりやすく著し、保守論壇から高い評価を得ている。しかし、京都府職員労働組合は機関紙『京都府職新聞号外』2005年6月3日において、京都府船井郡丹波町で発生した浅田農産鳥インフルエンザ事件における自衛隊出動についての記述が事実と異なると主張している。
日本テレビの番組『太田総理』では、しばしば太田光と激しい論争を繰り広げる。国防政策において太田によく噛み付かれており、番組内では山本一太と共に「天敵」と称されたこともある。石破もまた、太田のことを「天敵」と称し、互いに意識している(太田からF-22戦闘機のプラモデルをプレゼントされたことがある)。この番組では、第二次世界大戦が日本による侵略戦争だったことや、大東亜共栄圏が侵略戦争遂行のための詭弁でしかなかったとの認識を示している[3][4]。
『丸』(潮書房)を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『週刊アサ秘ジャーナル』で『丸』から引用した問題を出題されると次々正解し、その豊富な知識を示した。ちなみに、「災害派遣時に自衛隊が実弾を発射した相手とは何か」の一問だけ解答できなかったが(正解は海獣[5]、つまりトド駆除)、石破は知らなかったため不正解となった。石破は当初初耳だったため、出題文に衝撃を受け、何度も「災派で撃った!?」と確認し、正解を聞いて驚いていた。
福田総理辞任後の自民党総裁選で候補者として演説に立った石破は観衆に向かって「動乱が起き、北朝鮮の国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた。[6]
農政
近年は防衛において注目されることが多いが、議員五期目までは農林系であり、農水相就任前は、農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれないと語ったこともある[7]。
外交
防衛問題の論客の一人であるが、外交に関しては柔軟な対応をとっており、イデオロギー的な主張は少ない。朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。総理の靖国神社参拝にも反対を表明している[8]。
北朝鮮問題については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強く、1992年には”見ないで批判するのはいかんだろう”という理由で自民党・社会党・公明党合同の訪朝議員団に加わり金日成生誕80周年祝賀式典へ参加したことがある。
日韓議員連盟幹事を務める。
教育
朝日新聞社刊『論座』において、教育基本法に愛国心を明文化することに反対の姿勢を示した。「愛国心は国が政策面で強制するものではない」というのが理由である。同様の姿勢をとる議員は自民党内では稀であった。
皇室
2009年12月の天皇特例会見問題では、石破が委員長を務める「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」は民主党政権のとった行動を「陛下の政治利用にあたる」と指摘。石破は民主党政権の対応を「かなり異例」「大事じゃない国はルール通りだが、大事な国はひっくり返して会見するのは政治判断だ。そういうことをしていいのか」「(ルールが)時の政府の意向で左右されることであってはいけない」と民主党政権を重ねて批判した。
2010年2月25日、政府(鳩山由紀夫内閣)が天皇の公的行為に関してまとめた統一見解に関し、官房長官の平野博文(当時)が記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と述べ、天皇の政治利用はそもそも存在しないとしたことに対し、石破は「ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と述べた。
外国人参政権
2010年の党大会で外国人参政権について、「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。私どもは拙速な法案成立に断固反対する」と述べ、党として法案に反対する考えを表明、また「(憲法上の)住民とは日本国民をさすと考えており、私どもは多くの疑義があると考えている。国の形そのものにかかわる問題だ」、「この問題は国の形そのものにかかわるものだ。憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく」と述べた。
夫婦別姓
2010年(和暦??年)3月3日、記者会見で、民主党政権が目指す選択的夫婦別姓導入を含む民法改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べた。また、自民党内にある選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には(夫婦別姓の)問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べた。
他党の政策に対して
子ども手当
民主党の政策である子ども手当について、子どもを母国に残した在日外国人も対象になっていることに触れ「(在日外国人であるが)子どもさんは国外にいる。そして、子どもさんは日本国籍を有していない。どう考えても、こういう方々に対して、日本国民の税金を使って支給すべきではない」と述べている。
総裁候補
以下の内容は著者独自の見解で根拠がないのではないかと言っていた人がいたようです。 |
長らく最大派閥であった平成研究会に属するが、派閥弱体化の進んだ小泉時代に頭角を現した石破は、派閥色を表に出さずに活動を続けてきたと言ってよい。
06年自民党総裁選では麻生太郎を支持したが、最後まで地元の鳥取県に地理的に近い山口県出身の安倍晋三を推薦するか迷っていたようである[9]。2007年の自民党総裁選では福田康夫を支持している。
派内では茂木敏充、伊藤達也といった次代のリーダー候補の中でも経験・知名度とも一歩リードしており、若手を中心に支持を集めているが、かつて離党経験のある「外様」であることも響き、派内の全面的な掌握には至っていない。初出馬となった08年自民党総裁選でも、派は自主投票の方針を決め、一部議員が麻生太郎・与謝野馨を支持した。
自民党が下野した後に行われた09年自民党総裁選では、与謝野馨から立候補を推されるなど、マスメディアから総裁候補の一人として有力視されるも、前回の総裁選で推薦人となった20人のうち13人が落選するなど、推薦人集めが難航したことなどから立候補を断念し、谷垣禎一支持を表明した。
発言
- 防衛庁長官在任中に、自衛隊のことを「自閉隊」と呼ぶ発言をし、自閉症に対する誤解や偏見であるという批判を浴びた。
- 「佐藤正久君の時には大変お世話になった。今後3年後は海、その3年後は空というようにしていきたい。各幕の協力が必要だ」…H19.11.05各幕との懇談にて。
- 防衛大臣在任時、UFOの存在を日本政府としては確認していないという公式見解を出した。
- 防衛省の航空幕僚長であった田母神俊雄の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも「田母神・前空幕長の論文から思うこと」「文民統制」という記事を投稿し、かつての部下である田母神を批判した。
- イージス艦『あたご』の事故について事故直後・捜査が入る前に航海長を省へヘリで呼び出し、大臣同席で事情調査をしたことについて民主党の前原の質問『あなたは何をしているんですか?』と聞かれ、『今はあなたの質問に答えています』と答弁をした。
- テレビ朝日のサンデープロジェクトで核密約について聞かれたとき『秘密をばらすような人間を次官や大臣にするのが間違っている』と発言をした。
人物像
信仰
母方の曽祖父金森通倫から4代目のクリスチャンであり、日本基督教団鳥取教会に所属している。18歳のときに日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた石破は、幼稚園も教会附属で、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と話した[10]。
嗜好・趣味など
大変な酒豪にして喫煙者。常温にして辛口の日本酒を好む。好物はカレーライスとコロッケ。納豆は苦手。
高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。2007年11月15日の守屋武昌元防衛次官に対する証人喚問において、久間章生、額賀福志郎両名の名前が出てきた日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。キャンディーズの30年ぶりの同窓会では、テレビのインタビューに「キャンディーズは青春そのもの。あの頃を思い出してもっと頑張ろうと思う」と答えている[11]。[12]。
自他ともに認める軍事オタクにして、ミリタリー系プラモデルの愛好家でもある。静岡ホビーショーにおける自衛隊車輌展示も彼の働きかけにより実現したと言われている。少年時代は自動車、タクシー、SLが大好きな車マニア、鉄道マニアでもあった。現在でも戦車や戦闘機のプラモデルを集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、ロシア国防大臣が来日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して空母アドミラル・クズネツォフの模型を組み上げた(この時、「在任中はプラモ制作を我慢する」という自戒を破ったと後に述懐している)。ただ、石破自身は、「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている[13]。また、近頃は「軍艦が好き」「プラモデルが好き」などと言うと、すぐに危ない軍事オタクのように言われるが、それは短絡的な決め付けであるとも述べている[14]。
鉄道のファンでもあり、ブルートレイン「銀河」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。現在でも鳥取と東京の往復に寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」と特急「スーパーいなば」を利用する姿がたびたび報じられている。
その他
著書『国防』の中で、「総理になりたいとは全く思っていない」と述べている[15]。
2004年~2005年に「ULTRAMAN」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」など自衛隊の大規模な協力を得て撮影された映画が公開されたが、これは防衛庁長官を務めていた彼の映画産業への理解が深かったことが大きい。そのため、当時はテロやSFといった大胆なテーマの作品にも自衛隊の協力が得られるのが特徴であった[16]。
石破は口頭による討論を沈着冷静に進める。略歴にも「全日本学生法律討論会第1位」とあることから、かねてから討論は得意であったといえる。噛んで含めるような独特の口調であるが、街頭演説や選挙活動では口調や声が別人のように変わる。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。[17]
コラムニストの泉麻人は高校のクラスメート。
2008年12月、政治家をモチーフにした商品を数多く手がけるお菓子問屋:大藤より「希望戦士 ISHIDAM」(定価735円)なる商品が、石破氏の地元である鳥取と秋葉原限定で発売された。同商品は二十世紀梨の果汁入り饅頭で、皮には農水大臣である氏にちなみ、米粉が配合されている。プラモデル風のパッケージには機動戦士ガンダムのコスプレとしか思えない氏をモチーフにしたイラストが描かれており、20種類+シークレット2種類のオリジナル缶バッジが同梱されている。
年譜
- 1957年2月4日 - 建設官僚石破二朗 和子の長男として生まれる
- 1969年3月 - 鳥取大学教育学部附属小学校卒業
- 1972年3月 - 鳥取大学教育学部附属中学校卒業
- 1975年3月 - 慶應義塾高等学校卒業
- 1976年12月 - 昭和51年度全日本学生法律討論会第1位
- 1979年3月 - 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
- 1979年4月 - 株式会社三井銀行(現、三井住友銀行)|入行
- 1983年1月 - 同行退社
- 1983年2月 - 木曜クラブ(田中派)事務局勤務
- 1984年9月 - 同事務局退職
- 1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙に自民党公認で鳥取全県区より出馬し衆議院議員初当選(全国最年少)、政策科学研究所(中曽根派→渡辺派)に所属
- 1992年12月 - 農林水産政務次官に就任(〜1993年6月)
- 1993年 - 自民党離党
- 1994年4月 - 新生党入党
- 1994年12月 - 新進党結党参加
- 1996年10月 - 第41回衆議院議員総選挙で新進党離党。無所属で鳥取1区より出馬し再選、会派「21世紀」に参加
- 1997年3月 - 自民党復党。小渕派に所属(前年の総選挙では無所属で再選)
- 2000年7月 - 農林水産総括政務次官 12月 - 防衛総括政務次官に就任
- 2001年1月 - 防衛庁初代副長官に就任(〜2001年4月)
- 2002年3月 - 拉致議連会長に就任
- 2002年9月 - 防衛庁長官に就任(〜2004年9月)
- 2004年4月 - 第2次小泉内閣の閣僚の中で麻生太郎・中川昭一とともに国民年金保険料が未払いだったことが発覚
- 2007年9月 - 福田康夫内閣で防衛大臣に就任(〜2008年8月)
- 2008年9月 - 08年自民党総裁選に出馬
- 2008年9月 - 麻生内閣で農林水産大臣に就任(〜2009年9月)
- 2009年1月 - 新設の農政改革担当大臣を兼任(〜2009年9月)
- 2009年9月 - 自民党政調会長に就任
家族・親族
- 実家
- 自家
- 妻 佳子
- 二女あり
系譜
- 石破家
- 石破家は鳥取県八頭郡大御門村大字殿(旧郡家町、現八頭町)の農家だった。祖父市造は大御門村の村長を数期にわたりつとめた[18]。父 二朗は東京帝国大学法学部を卒業し内務官僚となり昭和30年(1955年)11月建設官僚トップの建設事務次官に就任、退官後鳥取県知事を4期務め、昭和49年(1974年)7月参議院議員に当選、昭和55年(1980年)7月自治大臣兼国家公安委員会委員長に就任した。母方の大おじには金森次郎(実業家)、金森五郎(医師)、金森九郎(学者)などがいる。ジャパンタイムスの社長、会長、相談役を務め、国際基督教大学の設立に尽力した東ヶ崎潔は大おばの夫である。元同志社総長牧野虎次長男操の夫人弥生は母和子の従姉に当たる[19]。
石破常七━━石破市造━━石破二朗 ┃ ┣━━━━石破茂 ┃ ┏金森太郎━━和子 ┃ ┣金森次郎 金森通倫━┫ ┣金森五郎 ┃ ┣金森九郎 ┃ ┗娘 ┃ 東ヶ崎潔
著作
- 『国防』(新潮社 2005年 ISBN 4104737011)
- 本書を原案としたコミックとして 『国防入門』(原望作画、あおば出版 2007年 ISBN 9784873177885)がある
- 『軍事を知らずして平和を語るな』(KKベストセラーズ、2006年 ISBN 4584189676)
- 『竹島領有権問題について』 (自民党領土に関する特別委員会 2006年5月16日)
参考文献
- 「「いじめられっ子」石破茂の逆襲」 山村明義 『文藝春秋』2004年5月号。
- 『国防』 新潮社 2005年 ISBN 4104737011
- 「生粋の愛読者が抱く『正論』『諸君!』への違和感」石破茂 『論座』2006年8月号。
脚注
- ↑ 「軍事を知らずして平和を語るな」(『KKベストセラーズ』)より。
- ↑ 『CIRCUS』(KKベストセラーズ)より。
- ↑ 同番組では、国家の安全保障について考える際はあらゆる非常事態を想定せねばならないと明言しつつ、仮に日本と米国が戦争状態に突入したらどうするかと太田に質問された際、「それはありえない」と回答し、未想定たる旨を表明した。
- ↑ また番組内ではアメリカの原爆投下について、「日本も原爆を開発する計画があった」「仮に本土決戦が行われていたら相当の犠牲が出ていた」とアメリカ側の認識に一定の理解を示しながらも、2発目(長崎への投下)については許容範囲を超えているとしてアメリカを批判している。
- ↑ 海獣(正確にはトド類)の被害に悩む地元漁協からの要請を受け、海棲哺乳類である動物からの被害のため自然災害であるとの論理で、自衛隊が災害派遣名目で実弾を発射しこれを駆除した。詳細はトド#人間との関わりを参照されたい。
- ↑ 麻生氏「危なくてしようがない」 金総書記重病説事実なら「脅威」 /産経新聞
- ↑ 農林水産・桃太郎・ネットカフェ石破茂オフィシャルブログ 2008年9月16日 2009年9月11日閲覧
- ↑ http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080915AT3S1401014092008.html 日経ネット2008年9月15日配信(2008年9月28日閲覧)
- ↑ 2007年8月報道ステーションで発言
- ↑ 『キリスト新聞社(2006年4月22日) 今週のニュース』より
- ↑ 2008年4月フジテレビハッケン!!で発言
- ↑ 2007年11月29日号の『週刊文春』「石破大臣が歓喜のキャンディーズ熱唱-守屋喚問、久間、額賀実名暴露の夜に」26-28頁
- ↑ 『国防』74ページ
- ↑ 『国防』76ページ
- ↑ 石破茂『国防』(新潮社)240ページ
- ↑ 2007年11月号「日経エンタテインメント!」(日経BP社)
- ↑ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
- ↑ 鶴田憲治は著書『因伯青春の譜』の中で市造について、「…数期にわたり大御門村の村長をつとめた篤実厳格な人、とくに子供の教育には熱心だった」と書いている(『回想録 石破二朗 追想篇』682頁)。二朗は父市造について「若い時から物好きだったと見えまして、他にさきがけて、山を拓いて二十世紀梨を作ったり、御所柿を植えたり、蚕種の製造をやったりなどしておりましたが、どれも成功とまではいかず随分母を困らせていたようでありました。それでもどこか良いところがあったと見えまして、後年中田政美さんが“君のおとうさんは君より偉かった”と仰言って下さったことがありました。中田さんは御承知の通り、建設事務次官をおやりになり、衆議院議員をなさった方ですが、若い時八頭郡役所にお勤めになった当時、父との御交際があった由であります。事実子供の私の方が出来が悪かったかと思いますが、兎に角有難い父であったと思います。」と書いている(『回想録 石破二朗 追想篇』683頁)
- ↑ 『回想録 石破二朗 追想篇』421頁
関連項目
- 鳥取県出身の人物一覧
- 平成研究会
- 日韓議員連盟
- 世襲政治家
- 親族関係にある政治家一覧
- 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。 - 幾度か出演する。
- モーニング娘。 - 石破が贔屓にしているアイドル。
- キャンディーズ - 石破が贔屓にしていたアイドル。特に藤村美樹のファンだったという。
関連人物
外部リンク
官職 | ||
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先代: 町村信孝(臨時代理)
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農林水産大臣 第49代:2008年 - 2009年
|
次代: |
先代: | 防衛大臣 第4代:2007年 - 2008年
|
次代: |
先代: | 防衛庁長官 第68・69代:2002年 - 2004年
|
次代: |
党職 | ||
先代: | 自由民主党政務調査会長 第52代:2009年 -
|
次代: 現職
|