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犬食文化(けんしょくぶんか、食犬とも)とは、用としてを飼育してそのを食べる習慣、及び犬肉料理の文化の事である。

概要[編集]

犬肉料理としては、韓国料理ポシンタン等が有名だが、犬食の歴史は古く、中国大陸をはじめとする広い地域で犬を食用とする習慣があった。東アジア東南アジア及びハワイポリネシアミクロネシアオセアニアなどの島嶼に於いては、犬食の文化を持たない国の方がかえって珍しいと言える。

世界的に見ると、概ね農耕社会では犬は生活の友としての敬意の対象ではなく、卑しまれるか食用動物とされる傾向があり、牧畜社会、遊牧社会、狩猟採集社会では生活の友として愛され、敬意を抱かれる食のタブー的な対象となり、食用とする事が忌まれる傾向にあると言える。欧州では牧畜が盛んであった為、そうでない中国、朝鮮などと違い、犬との共存生活が長いので犬は家族同然であると主張する声もある。

つまり犬食文化が盛んな地域は中国や朝鮮半島のような農耕社会、或るいは東南アジアやオセアニア島嶼域の様な農村的社会が支配的な地域である。一方、犬食に嫌悪感を持つ地域は二種類に分けられる。一つは犬を人間の命を託す生活の友と見做す牧畜社会、遊牧社会、狩猟採集社会の支配的な地域であり、もう一つは、西アジアのように、遊牧社会でありながら食用動物として見做すのではなく、宗教的関係上穢れた動物として卑しむ傾向を強めた地域もある。

中国[編集]

ファイル:Chowchow.jpg
チャウチャウ

中国新石器時代の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している。これは犬を食用として大量に飼育していた為である。黄河流域にも長江流域にも犬食文化は存在した。古代中国で犬肉を食べていた事実は、「羊頭狗肉」「狡兎死して走狗烹らる」などの諺、前漢高祖に仕えた武将がかつて犬の屠殺を業としていたことからも窺える。

だが、狩猟遊牧を主たる生業とする北方民族は、犬を狩猟犬として、或いは家族や家畜群を外敵から守る番犬として飼っており、犬肉を食べない。こうした犬は生業や家族の安全を託す生活の仲間であり、家族同様だったからとする見方がある。農業生産性の低かったヨーロッパでは伝統的に牧畜が重要な生業であり、現在の西洋の犬食いに対する嫌悪感には、北方民族と同じ源があると見られる。

中国では、五胡十六国時代鮮卑等の北方遊牧民族が華北を支配した為に、犬食に対する嫌悪感が広まった。北方民族が入らなかった南朝でも、5世紀頃から犬を愛玩用として飼う風習が広まり、特に上流階級はペルシャ犬を愛好した。この為、南朝でも犬食を卑しいとする考えが広まり、時代が下がるに連れて犬食の風習は廃れていった。但し『本草綱目』にも犬の記載があり、全く廃れた訳ではなかった。現在でも、広東省湖南省雲南省貴州省江蘇省等、広く犬食の風習が残っている。江蘇省沛県や貴州省関嶺県花江は犬肉料理で有名な場所である。地名にも養殖場があった場所として、「狗場」等の名が使われている場所が多くある。広東省広州では「狗肉」(カウヨッ)の隠語として「三六」(サムロッ)や「三六香肉」(サムロッヒョンヨッ)と呼ぶが、「3+6=9」で同音の「狗」を表した表現である。概ね、シチューに似た煮込み料理に加工して食べられる。調理済みのレトルトパックや、冷凍犬肉も流通している。

古代よりの伝承では、黄(赤)、黒、花(斑模様)、白の順に美味いとされている。

香港・台湾[編集]

香港では犬食に嫌悪感の強いイギリスの支配を受けたため、犬肉の流通は禁止されている。

台湾では香肉という呼び名で好事家の食文化として存在していたが、民進党の政権獲得後、2001年1月13日に、犬、猫を食用目的で屠殺する事を禁じる動物保護法が施行された。2003年12月16日には改正され、販売も罰則対象に含まれるようになった。これ以降、それまでの犬肉料理店の多くは羊肉料理店に変わったが、客の需要に応え犬肉を羊肉として売っていた羊肉料理店が摘発されるという事件が度々起こっている。

朝鮮半島[編集]

朝鮮語で犬肉はケコギ又はタンコギとも言う(「タン」は「甘い」、「コギ」は「肉」の意)。実際に、犬肉は食べてみると甘いらしい。朝鮮でも狗肉は新石器時代から食用とされており、中国の様に中断する事は無かったとされる。これは朝鮮が北方民族の直接支配を受けた事が少ない為とする説がある、しかし韓国・朝鮮人自体北方民族をルーツに持つ面があるのでこれだけで説明が付くかを疑問視する声もある。

朝鮮半島ではかつては庭先等で人糞を食べさせて育てた犬肉を最高級とする風習があり、贈答用にまで使われた。これを「トンケ」という。トンは糞、ケは犬の意味である(現在では、この言葉は主に雑種犬を指すものとして使われている)。犬を人糞で育てる習俗はモンゴルにもあるが、ここでは逆にゲルの成員の糞を与えて育てた犬を、ゲル周辺を警備し、余所者の侵入を防ぐ忠犬として養育するという要素を持つ。また、食肉家畜を人糞で養育するという概念自体は、東アジアにかつて広く見られた、人糞養豚との共通性が指摘できる。

北朝鮮においては、食糧難の中、数少ない蛋白源として珍重されている。平壌観光のガイドブックには「朝鮮甘肉店」と記載され紹介されており、案内員に希望すれば朝鮮甘肉店へ連れて行ってもらうことも可能である。なお欧米の批判の影響を受けにくいこともあってか、平壌甘肉店は大通りに面した場所にある。犬は残飯を与えても育つので、家庭で小遣い稼ぎに飼われることがあり、中でも結婚資金を稼ぐために数頭の犬を飼う若い女性を「犬のお母さん」と呼ぶ。育った犬は自由市場で売買される。(参考文献『北朝鮮観光』宮塚利雄著)

韓国では、1988年ソウルオリンピックの前に、犬食いを野蛮とする欧州・アメリカの批判を避ける為、犬肉店は大通りから遠ざけられた。しかし現在でも犬肉は滋養強壮、精力増強、美容に良いとして、専門店で供されている。最近ではウリ党政権下のナショナリズムの高まりにより、犬食文化を隠すのではなく、民族の文化として広く世界に知ってもらおうとするキャンペーンも行われている。

その他東アジア[編集]

野良犬を食べるというのは逸脱的とする見方もあるが、アジアでは広く集落や都市内で半飼育、半野良的に犬の群が人間社会と共存関係にあり、廃棄物処理、余所者の侵入の警告の役割を担っている状態がかつては普遍的に見られた。こうした犬群の一部が、飢餓の際などに食用に用いられた。

ベトナムでは北部を中心に、中国の影響で中国南部と似た犬食・野味文化があるが、ホーチミンなど南部ではそのような文化は皆無である。これには食材が豊富であるという理由もある。

太平洋島嶼地域[編集]

ポリネシア、ミクロネシアの島々では古くから犬を食用としており、現在も食用家畜として飼養しているところが少なくない。多くは祭りなどハレの日の料理として、バナナなどの葉に包んで地中に埋め、熱く焼いた石で蒸し焼きにされる。ハワイの民族料理として知られるカルア・ピッグはこの調理法を豚に置き換えたものである。

日本[編集]

縄文時代は、土坑底部から犬の全身骨格が出土する例があり、これを埋葬と解釈し、縄文時代の犬は狩猟犬として飼育され、丁重に埋葬されたとする説が一般的になっていた。しかし近年、通説を覆すような発見があった。霞ヶ浦沿岸の茨城県麻生町(現・行方市)で発掘調査された縄文時代中期から後期の於下貝塚(おした・かいづか)からは、犬の骨格がバラバラに散乱して出土し、特に1点の犬の上腕骨には、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。調査報告では、当時犬を食用として解体していた事を示す物的証拠と評価されており(袁靖1992年、袁・加藤1993年)、日本列島における犬食の起源がさらに遡る可能性が高い。

弥生時代の犬は、遺跡から出土する犬の遺骸の骨格も、縄文期とは異なっている。また日本列島在来犬DNA解析によると、北海道沖縄の在来犬は南方系の系統で近縁だが、その中間地帯の本州、四国、九州の在来犬は北方系の系統の犬に由来するとする研究結果が報告されている。またこの時代はその犬の解体遺棄された骨格の出土例の報告が多くなる。この為、日本で犬食文化が伝播したのは弥生時代からと見る意見が多い。この時代稲作金属を日本に伝えた大陸からの渡来人(ここでは弥生人を指す)達が、同時に大陸の犬食の文化をも伝えたものとも想定することができる。

日本では『日本書紀天武天皇5年(675年4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシウマイヌニホンザルニワトリ)の肉食を禁止された。以後たびたび禁止令がだされ、表面上は犬食の風習を含め肉食全般が「穢れ」と考えられるようになった。 奈良時代に犬食の禁令が出され、その後犬食を禁忌とする習慣が広まった。 近世になっても犬食の文化は根付いていたとされ松井章などの発掘によると下層民だけではなく上流武士などでも食されていたとされる。また岡山城の発掘時には食肉用の骨の中に混じって犬の骨も出土していた、その際、体の一部分のみ多数出土したため、埋葬ではなく食用ではないか、とされている。 また、徳川綱吉生類憐みの令により表立っての動物殺生に対する忌避感が増幅されたことは否定できない。 その後このような状況は次第にゆるみ、ももんじ屋などで獣肉が食べられるようになった。九州沖縄などの遠隔地では犬食は依然として続けられていたようである。鹿児島にはエノコロメシ(犬ころ飯)という犬の腹に米を詰めて丸焼きにする料理が伝えられているほか、昭和になっても猟犬を食用とする話などが伝わっている。

明治維新以降、文明開化により西洋肉食文化が持ち込まれ、日本もようやく肉食タブーから解放されたが、同時に西欧の「愛玩動物」の概念も持ち込まれ、愛玩動物に該当する動物を食べる行為は嫌悪の対象となった。その後、忠犬ハチ公の物語が多くの人々の感動を誘い、日本では犬を愛玩する風潮が高まった。

一方、日韓併合後、朝鮮に犬食の文化があることが知られるようになり、これが朝鮮民族に対する偏見蔑視の感情を助長する一因となっているとする指摘もある(特定の民族の食文化を、別の民族の文化的価値観に基づいて“審判”するこのような行いはエスノセントリズムとなる、捕鯨問題の項も参照)。

また、戦中戦後の食糧難の時代に、犬を食べたという証言も多い。

現代の日本においては、平成16年の動物検疫による輸入畜産物食肉検疫数量によると中華人民共和国から26トン輸入されている。大阪・鶴橋や東京・大久保コリア・タウンでは、一部の店で犬肉料理を食べることが出来る。

ヨーロッパ[編集]

スイスの山間部では、犬肉を食べる風習が存在している。スイス国内での犬肉の流通は禁止されているが、消費する事自体は黙認されている。犬を食べる場合は、犬を買い、それを肉屋で処理して調理してから食べる。レストラン等で、料理として出される場合もある。ドイツにもかつては犬肉屋が存在したが、1986年以降は流通が全面禁止になっている。それまでは、食用から医薬用まで、様々な用途で利用されていた。

フランスでは、食用されるものではないが、飢饉時にやむなく食べられていた記録が残っている。特に普仏戦争時のパリ包囲の際には、犬や猫を食べて飢えを凌いでいた。しかしながら常食するものではないという認識が強く、当時でも味は保証されたものではないと考えられていた。

この他20世紀初頭にパリ郊外で発達したガンゲット(ダンスホールを兼ねる安食堂)において、ウサギ肉と称して実際は蚤の市に出入りする屑屋が拾い集めてきた犬猫の肉を出す、という都市伝説も広まった。(出典:『パリ史の裏通り』 白水Uブックス 堀井敏夫 著 白水社 1999年08月発行 ISBN 4-560-07343-0

こうした非公認的犬食文化がヨーロッパ大陸部に広く見られるのに対し、イギリス人の多くは、交通や狩猟等の高速移動手段として重用されたウマと共に、イヌが他文化で食用にされている事に嫌悪感を抱く。この理由としてイギリスでは、牧羊や狩猟、上流階級の趣味の世界での生活の友としてウマやイヌの交配・品種改良の歴史が長く、人間社会で共存出来るような調教や躾が行き届いており、他の動物とは異なる扱いがされている点が挙げられる。

ちなみに、文化とはかかわりないが、南極探検においてアムンゼン隊がそり犬を食べていたとされる。同様にジェームズ・クックはその航海記の中で、急病の際に仕方なく犬を食べた事を記している。

引用・参考文献[編集]

  • 張競『中華料理の文化史』ちくま新書、1997年
  • 鄭銀淑『馬を食べる日本人、犬を食べる韓国人』ふたばらいふ新書、2002年
  • ロミ『悪食大全』作品社、1995年
  • 袁靖「哺乳綱」、加藤晋平・茂木雅博・袁靖(編)『於下貝塚発掘調査報告書』麻生町教育委員会、1992年、154~183頁。
  • 袁靖・加藤晋平「茨城県於下貝塚出土の小型動物の切痕」『千葉県立中央博物館研究報告-人文科学-』2巻2号、1993年(本文英文)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

犬食の歴史や民俗

その他