上宮中学校・高等学校
上宮中学校・高等学校(うえのみやちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Uenomiya Junior/Senior High School)は、大阪府大阪市天王寺区上之宮町にある私立中学校・高等学校。創立以来男子校であったが、2011年度より男女共学に移行した。
学校法人上宮学園が運営する。兄弟校として上宮太子中学校・高等学校、東山中学校・高等学校、酒田南高等学校などがある。
目次
概要
浄土宗知恩院派によって、1890年に創立された浄土宗教校大阪校を前身校とし、以来120年余の歴史を数える、大阪の私学の中でも最も古い学校である。校舎(本館および新校舎)は、大阪府近代化遺産(建造物等)となっている。
図書館は府内の学校でも5本の指に入る広さと蔵書数を誇り蔵書数は4万冊を超えるが、毎年2回新しい本を約1000冊購入しているので毎年徐々にその数は増えている。江戸時代の掛け軸など多数の歴史的学術資料を有している。なお織田作之助の文学にも登場する。
大阪府内でも珍しい屋内プールがあり、水泳活動が一年中でき、水泳部が充実している。
戦前からの進学校であり、文武両道を目指しクラブ活動も盛ん。特に野球部は、1989年春夏連続で甲子園に出場し、春には準優勝、1993年選抜大会で優勝している。野球部のキャプテンが尊敬する人物として、野球選手ではなく文芸評論家の小林秀雄の名前を挙げたというエピソードがある。
全国大会および府大会で活躍しているクラブとしては、剣道部、ソフトテニス部(2010年インターハイ全国優勝)、フェンシング部、ハンドボール部、水泳部、柔道部、バレーボール部(1990年インターハイ全国優勝)、ラグビー部、サッカー部などがある。
日本の中学校、高等学校では初めてのクリケットチームが創設され、国際大会に選出されている。
2007年春、司馬遼太郎の在校時の作品が発見された。
2009年度入学生から制服が黒の詰襟から灰色の制服へ一新されたが、2011年からの男女共学に合わせて男子の制服もダークグレーの物に変更された。
また、かつては高安高等学校・中学校という系列校が存在した。
2012年夏、夏山山行の合宿のため奈良県を訪れていた山岳アウトドア部の生徒、引率教員合わせて12名が下山予定時刻を過ぎても、帰宅せず連絡が取れなくなるという事件があり、全国のトップニュースとしてマスコミ各社にも取り上げられた。
沿革
- 1890年 - 淨土宗大阪支校設立(天王寺区生玉)。
- 1894年 - 上之宮町(現在地)に新築移転。
- 1898年 - 第六敎校になる。
- 1901年 - 学制変更により修業年限4年を5年に変更。
- 1905年 - 第六・第七聠合敎校になる。
- 1906年 - 文部大臣より中学校と同等の認定。
- 1912年 - 財團法人上宮中學校設立。
- 1916年 - 校舎1棟(木造)6教室を新築。
- 1917年 - 上宮中學校第1回卒業式(32名)。
- 1918年 - 講堂を含む本館1棟(木造)を増築。
- 1929年 - 鉄筋本館(現1号館)竣工。
- 1939年 - 鉄筋校舎(現2、3、4号館)竣工。
- 1945年 - 本校舎が占領軍に接収される。大江國民學校(現在の大阪市立大江小学校)校舎を借用。
- 1946年 - 清堀國民學校(戦災で廃校。現在の大阪市立高津中学校の場所)へ移転。
- 1947年 - 新制上宮中学校発足。
- 1948年 - 新制上宮高等学校発足。
- 1951年 - 南校校舎(木造)竣工。学校法人上宮学園へ組織変更。
- 1952年 - 本校舎接収解除。清堀校舎より本校舎へ復帰。
- 1957年 - 水泳プール竣工。
- 1963年 - 5号館竣工。
- 1964年 - 在校生徒数3,439名に達する。
- 1965年 - 1号館玄関増改築竣工。天文台ドーム竣工。
- 1966年 - 太子町校地の造成完了。
- 1967年 - 中学校の募集休止。
- 1968年 - 太子町鉄筋校舎竣工。
- 1969年 - 南校舎解体除去。
- 1972年 - 高3二コース制実施。
- 1973年 - 高3三コース制実施。
- 1974年 - 高2二コース制実施。
- 1975年 - 高3四コース制実施。
- 1979年 - 小林学園長記念奨学基金を設定。太子町鉄筋校舎並びに合宿所竣工。
- 1981年 - 総合体育館竣工。
- 1984年 - 英数コースを設置。
- 1985年 - 中学校復活・開校。中学校体育館竣工。
- 1988年 - 上宮高等学校太子町学舎開校。
- 1989年 - 太子町学舎外部募集開始。太子町学舎新校舎竣工。
- 1991年 - 太子町学舎が上宮太子高等学校として独立。
- 1993年 - 上宮中学校開校(於天王寺)。
- 2002年 - 上宮中学校に特進コースを設置。
- 2007年 - 高大連携の推進強化策として、近畿大学・奈良育英学園との3学校法人間で、「21世紀教育連携パートナーシップ協定」を締結。龍谷大学との間で、高大連携に関する協定を締結。
- 2010年 - 男女共学に向けて人工芝生を植える。
- 2011年 - 男女共学化。
- 2012年 - 7号館竣工。
校訓・学順
- 校訓は「正思明行」(せいしめいこう)で、「正しく考え、明るく行動する」という意味である。
- 学順とは、上宮独自の教訓のことである。
「一に掃除、二に勤行、三に学問」であり、身の回りを学習に専念できる環境に整えてから、学問に励む、という意味である。 勤行の読み方は上宮内だけの特殊な読み方で「ごんぎょう」ではなく「きんぎょう」である。
校歌
浄土宗宗歌と同じく法然上人の詠んだ歌で、「月影」と呼ばれており、日本で一番短い校歌としても有名でテレビで取り上げられたこともある。
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む」
校内では毎朝8時20分月影が流れている。
設置学科・コース
- 普通科
- 六ヵ年一貫コース(外部募集はしない)
- 特進コース
- 標準コース(高校に進学すると名称が「一貫プレップ」に変わる)
修学旅行
現在、英数コース、総合(プレップ)コースはドイツ4~5泊6日、六カ年一貫コースはドイツ5~6泊7日、パワーコースは研究旅行としてボストン、中学校は東北・北海道4泊5日であるが以前には中国やイギリス・フランス、沖縄(中学校)だった時代もある。2011,2012年度の中学校の修学旅行は、東日本大震災の影響で東北に代わって、熊本、大分への4泊5日であった。大分ではファームステイ体験がある。
NYも驚愕!「熱い屋根の上で正座」
ヤンキース首脳陣は、今季シーズン中盤から黒田博樹投手(37)に絶大な信頼を寄せるようになった。
きっかけは、黒田が少年時代に体験した日本式しごきトレーニングの実態を地元紙に語ったことだった。メジャー屈指のスーパースター軍団も日本の野球地獄に驚愕し、筆舌に尽くしがたい苦境を乗り越えた黒田の精神力に感服したというのだ。
「黒田が少年時代に置かれた環境は米国だったら犯罪になるのではないか。最近、日本でも親が訴訟をおこすなど、状況は劇的に変わっているが、当時は児童虐待、いじめだった。黒田はしごきを体験した最後の世代だ」
2012年7月、黒田をインタビューしたニューヨークタイムズ紙が、専門家の意見を交えてこう論評した。インタビュー記事のタイトルは「ヤンキースの黒田は痛みの中からつくられた」。黒田の粘投の秘密を解き明かす内容だったが、まるで黒田を地獄から這い上がった怪物のように伝えていた。
確かにこのインタビューでの黒田の告白は、グローバルスタンダードでは強烈だっただろう。水を飲むことが禁止されたまま、早朝から深夜までの練習、正座、ケツバット。およそ米国人には信じられない日本の野球カルチャーのオンパレードだったからだ。前近代的な野球練習を体験したことのある日本の熟年世代の元球児たちでも、驚かされる事実が並んでいた。
大阪・上宮高校時代、練習中にのどの渇きに耐えかねた選手たちが、監督の目を盗んで川や水たまり、トイレの水を飲んだエピソードは、異様な光景として同紙の中で紹介されている。
「そういう時代だったんでしょうね。練習中に水は飲んではいけないと監督が信じていましたから。みんなよく気絶したものです。自分も川に水を飲みに行きました。きれいな川ではありませんでしたが、きれいだと信じたかったですね」(黒田)。
高校1年のとき、制球を乱して自滅したあと、罰走を命じられた場面も驚きだ。朝6時から午後9時まで、15時間連続で4日間走り続けたという。もちろん水を飲むのは禁止だった。
「野球を続けるためには、生き残らなくてはならなかったのです。そのためには免疫機能を鍛えるなければいけなかったですね。小学校のときから軍隊にいるみたいなもで、ミスをすればケツバット。次の日は椅子に座れない」(黒田)。
先輩に怒鳴られ、焼けた歩道に正座をさせられて殴られるのは日常茶飯事。専修大学へ進学してからは、4人部屋に詰め込まれ、下級生は早く起きて先輩の靴下を手洗いをしなければならなかった。
「大学1年生のときは基本的に奴隷です。洗濯ができていないと、今度は熱くなっている屋根の上に正座させられました。足の感覚がなくなり、はって部屋に帰ることになるのです」
米国ではスポーツは娯楽、が大前提。同紙は「ほとんど信じられない話ばかりだが、黒田は真顔ですべて本当だと言った。黒田にはマウンドで臆する様子がない。それも彼の歩んできた人生を考えれば当然かもしれない」と結んでいる。
2011年オフ、ドジャースから強力打線のひしめくア・リーグに移籍した黒田は、開幕直後に負けが先行して苦戦した。しかし、持ち前の粘り強い投球で尻上がりに調子を上げた。7月にベテラン左腕ペティット、エース右腕サバシアが相次いで故障すると、その穴を埋めてチームを地区優勝に導いた。
黒田の少年時代のすさまじい野球経験を知り、ヤンキースの首脳陣の見る目も変わった。ジラルディ監督は「ヒロ(黒田)には経験がある。きっとやってくれるはずだ」とポストシーズンでも全幅の信頼をおいている。
「子供のときは野球が楽しいと思ったことはないです。もし試合で200球投げろと言われたら、疲れるでしょうが、やると思います。そうやって教えられて来ましたから」と同紙に笑顔で答えた黒田。
その笑みがやけに穏やかであることにニューヨークは震え上がったのだった。
著名な卒業生
政治・文化・メディア
- 壺井繁治(壺井栄の夫。ジャーナリスト、詩人。)
- 司馬遼太郎(小説家)
- 和田博(大阪大学名誉教授、元関西棋院理事長)
- 向江璋悦(弁護士、中央大学真法会理事長)
- 吉野伊佐男(吉本興業前社長、現会長)
- 奥正孝(吉本興業よしもとクリエイテブカレッジ設立委員、ノースアジア大学(旧:秋田経済法科大学)法学部観光学科教授)
- 宮崎楢義(牛乳石鹸共進社前社長)
- 関根道彦(近鉄不動産前社長・会長)
- 越路利夫(心斎橋リチャード元社長)
- 松田隆治(づぼらや社長)
- 平岡英信(学校法人清風学園理事長)
- 西村公朝(仏師、元美術院国宝修理所所長、元東京芸術大学教授)
- 大西健丞(ピースウィンズ・ジャパン代表)
- 南川雅男(北海道大学環境科学院教授・地球環境科学)
- 有栖川有栖(推理作家)
- 千坂恭二(評論家、思想家)
- 古本伸一郎(衆議院議員)
- 横倉廉幸(大阪府議会議員)
- 三宅史明(大阪府議会議員)
- 岩木均(大阪府議会議員)
- 森和臣(大阪府議会議員)
- 西尾正也(元大阪市長)
- 山田知(前西宮市長)
- 馬場好弘(寝屋川市長)
- 北口裕文(大阪府議会議員)
- 北上弥太郎(東映俳優)
- レツゴーじゅん(お笑い芸人/漫才トリオ「レツゴー三匹」)
- 桜木健一(テレビタレント)
- 前田写楽(お笑い芸人/漫才コンビ「前田一球・写楽」)
- 福田進一(クラシックギタ-奏者)
- 原田年晴(アナウンサー)
- 二井原実(ミュージシャン「LOUDNESS」)
- 石原慎一郎(ミュージシャン「EARTHSHAKER」)
- 海部剛史(俳優)
- 高橋和勧(俳優/映画監督/内閣官房地域活性化伝道師)
- 平田雅輝(アナウンサー)
- ほっしゃん。(お笑い芸人)
- 井下昌城(お笑い芸人「井下好井」)
- 松田モトキ(作詞家)
プロ野球
- 辻本泰直(元プロ野球選手)
- 山中雅博(元プロ野球選手)
- 一枝修平(元プロ野球選手)
- 片平晋作(元プロ野球選手)
- 中田宗男(元プロ野球選手)
- 柳沢高雄(元プロ野球選手)
- 笘篠誠治(元プロ野球選手)
- 光山英和(元プロ野球選手)
- 江本晃一(元プロ野球選手)
- 笘篠賢治(元プロ野球選手)
- 岡田耕司(元プロ野球選手)
- 西山秀二(元プロ野球選手)
- 小森哲也(元プロ野球選手)
- 元木大介(元プロ野球選手)
- 種田仁(元プロ野球選手)
- 小野寺在二郎(元プロ野球選手)
- 宮田正直(元プロ野球選手)
- 中村豊(元プロ野球選手)
- 薮田安彦(プロ野球選手・元メジャーリーガー)
- 市原圭(元プロ野球選手)
- 久保孝之(元プロ野球選手)
- 西浦克拓(元プロ野球選手)
- 黒田博樹(プロ野球選手・メジャーリーガー)
- 筒井壮(元プロ野球選手)
- 三木肇(元プロ野球選手)
- 的場直樹(プロ野球選手)
- 大場豊千(元プロ野球選手)
- 三木仁(元プロ野球選手)
- 山田真介(元プロ野球選手)
- 渡辺正人(プロ野球選手)
- 徳田将至(元プロ野球選手)
- 国木剛太(元プロ野球選手)
- 金村大裕(プロ野球選手)
- 下敷領悠太(元プロ野球選手)
その他スポーツ
交通
関連項目
外部リンク
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