「クワーオワー」 (楽曲)

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トロンボーンヴァイオリンオルガンのための「クワオワー」、WVE-210

作曲者[編集]

菅野茂

概説[編集]

この曲は2003年にライプチヒの日本人の音大生「東京ゾリステン・ドライエック」(現在は広島で「ゾリスデン・ドライエック」として活躍)が珍しくオルガントロンボーンヴァイオリンの為に曲を書いてくれる人をケルンで探していて、偶然ケルンの音楽大学でその話を目にして、このアンサンブルのオリジナル・レパートリーを広げるために書かれた作品。 この曲の原点版の初演は2003年の10月11日にドイツケルンのピウス教会でリハーサルなし、宿泊場所なしの最悪の環境の中で行われた。その後この東京ゾリステン・ドライエックのメンバーがヴァイオリニストスイスへの移住のため交代し、編成がヴァイオリンからフルートにオルガニストからピアニストに変わった。そのためこのままでは演奏できないので、WVE-210cとしてフルートとピアノ、トロンボーンのために編曲された。しかし2005年4月23日のウェスター・ヴァルトのドライフェルデンの教会はオルガンであった為、そのときの再演-初演はピアノではなくて、オルゲル・ポジティーヴの為の異稿としてのWVE―210cで演奏した。日本未初演。従ってこのWVE―210は、原点版の他に4種類の編曲版(違稿)がある。それぞれいろいろな機会の為に編曲したものである。今日フィナーレなどの楽譜プログラムは編曲が容易なので、それを最大限活用している。

編曲版の一覧[編集]

210 -a. ヴァイオリン、チェロ、トロンボーン、ピアノ  (31.3.2003/Hilgenroth) 210-b. フルート、トロンボーン、オルガン  (24.8.2004/Hilgenroth) 210-c. フルート、トロンボーン、ピアノ  (3.9.2004/Hilgenroth) 初演:UA am 1.1.05 in der Kirche Weidenhausen(Veranstalte)r in Westerwald/ Hessen) um 17:00 Uhr (entscheidende Fassung) von Tokyo Solisten Dreieck, 東京ゾリステン・ドライエック www.solisten-dreieck.com , rh98240@hotmail.com 210-d.フルート、トロンボーン、オルゲル・ポジティーヴ(22.4.2004/Hilgenroth) UA am 23.4.04 in Ev.Kirche bei Dreifelden/Westerwald/ RP (Veranstalter) um 19:30 Uhr von Tokyo Solisten Dreieck durch alternative Fassung mit Orgel statt Klavier, www.solisten-dreieck.com , 東京ゾリステン・ドライエック

作曲場所[編集]

ヒルゲンロート/ウェスターヴァルト/ドイツ

作曲時期[編集]

2003年3月31日に5日間ぐらいで脱稿(原点版)

演奏時間[編集]

約8分 (ほかの編曲版も同じ)

題名の由来[編集]

クワオワーは2~3年前発見された月より小さな第10番惑星と言われていたが、新たに近くに大きな惑星「[「セドナ」]」Sednaが発見されて、惑星の地位を剥奪されそうなかなりかわいそうな「惑星―衛星」の名前である。しかしこの音楽は絶対音楽で、ホルストの「惑星」のような描写音楽ではもちろんなく、東京ドライエック・ゾリステンと自分の将来を、今無名でもいつかは重要な存在になる、と言う願いと希望をこの曲に込めてある。それはどんなに辛くとも常に前進すると言う意味である。

曲の内容[編集]

この曲は最初循環呼吸の長い長いグリッサンドで始まる。電話で演奏の彼らが「出来そうだ」と言ったので、彼らの名人芸を最大限に発揮させる為にそう作られた。決っしてやさしくはないが、奏者がちゃんとしたプロであれば演奏は可能である。次に細かいパッセ-ジ、グリッサンドの部分、音響的な色彩の変化、トリル弱音器の交換、特殊奏法の色々な組み合わせ等が続く。そのあと剣玉や風船による12秒の遊びの部分が出てくる。これも不確定で偶然的な「音楽」である。次はまたまた別な特殊奏法による組み合わせの続行がある。いろいろなリズムの組み合わせもあり、それはそれで聴衆は一つの「[「音色」]」として捕らえ鑑賞しなければならない。最後にトリルやモルデントなどの古典的な奏法が付く。これはWVE-167やWVE-167fのフランス初演のときとても好評だったので、また編成と条件を替えて再利用している。解釈は厳格ではなくそれぞれの奏者の自由にゆだねられる。こう来てしまった場合、最後の二小節はどうしても聴衆を意外な方向に驚かせなければならなく、まずカーゲル風のとぼけた笑い声を入れている。最後は初演で使われた他の曲の断片を、当時のトロンボーン奏者の偶然に持っていた縦笛によって吹かせている。これで、最初の編成にしてはとても意外に響く。作曲法上、聴衆にどうやって終るかわかられると、すぐ退屈・冗漫さにつながるのでそれを避けるためである。現代音楽不確定性時代にふさわしい、予測不能の芸術でなければならないのが作曲者の信念である。

CD[編集]

モデラート・ミュージック(廃盤)

楽譜[編集]

モデラート・ミュージック(絶版、徐々に「4分33秒出版社」へ移行)