上田市

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上田市のデータ
日本
地方 中部地方甲信地方
都道府県 長野県
長野県内の地方 東信地方
東信地方内の地域 上小地域
広域連合 上田地域広域連合
団体コード 20203-7
都市圏人口
上田地方中核都市圏 約356,500人
2005年8月1日
上田都市圏 379,071人
2005年8月1日
上田小都市雇用圏
都市雇用圏
227,062人
2005年8月1日
人口・世帯数・人口密度
総人口 166,917人
(2007年8月1日)
国勢調査人口 123,678人
2005年実施)
男子 81,685人
女子 85,232人
世帯数 61,432世帯
人口密度 296.00人/km²
面積・隣接自治体・シンボル・市長
面積 552.00km²(県内5位)
隣接自治体 長野県:長野市須坂市千曲市
東御市松本市立科町
青木村筑北村坂城町
長和町
群馬県:嬬恋村 
市の木 イチイ
市の花 ツツジ
キャッチフレーズ 日本のまん中 人がまん中 生活快適都市
市長 母袋創一(2006年4月2日当選)
上田市役所
所在地 〒386-8601  長野県
 上田市大手一丁目11番16号
電話番号 0268-22-4100 
外部リンク 上田市公式ホームページ
位置 テンプレート:ウィキ座標
標高 456m
テンプレート:基礎自治体位置図
特記事項 :上田市ではテンプレート:日本の市を改良した
ものを使用しています。
Template (ノート 解説) 日本の市町村pj

上田市(うえだし)は、長野県東部(東信地方)や上小地域(じょうしょうちいき)の中心都市。県内3位の人口を誇る。

千曲川右岸の旧市街は、上田城を中心とする城下町。千曲川左岸の塩田は信州の鎌倉とも呼ばれ、北向観音などの多くの重要文化財が点在する。都市圏は佐久地域にまでおよび、都市圏人口は定義しだいでは37万人になる。戦国武将・真田氏発祥の地。

地理

上田市は、長野県の中央からやや東北の所にあり、県庁所在地長野市から40km、東京から190kmのところにある。市域は上田盆地全体に広がり、市中心部(狭義の上田)は千曲川河岸段丘上に位置する(標高約450m)。 千曲川が市を二分するように横断している。

  • 主な水系:上田市の全域は、信濃川水系に属し、本流の千曲川の支流の主な水系としては以下があげられる。
    • 神川水系:市域北部を南流し、岩下地区付近で千曲川に合流する。傍陽川などを支流にもつ。
    • 浦野川水系:市域中央部の川西地区、塩田地区を流域とし、小泉地区付近で千曲川に合流する。産川、湯川などを支流にもつ。
    • 依田川水系:市域南部の丸子地区、武石地区を流域として北流し、生田地区付近で千曲川に合流する。依田川のほか、内村川、武石川などを支流にもつ。
  • 主な山
    • 北部:菅平高原を中心とした、四阿山(2,354m)、根子岳(2,128m)のほか、烏帽子岳(2,066m)などの2,000m級の山。
    • 南部;美ヶ原高原を中心とした、王ヶ頭(2,034m)、物見石山(1,985m)、武石峰(1,973m)など。
    • その他:塩田地区の南部には、独鈷山(1,266m)、上田市中心部の北側には、太郎山(1,164m)などが聳え、古くから市民に親しまれている。

地形・土地利用

市のほぼ中央を東から北西に千曲川が流れる。千曲川右岸の河岸段丘上に、上田城を中心とした市街地が位置する。市街地の北側の扇状地上ではりんごをはじめとした果樹栽培がさかん。千曲川左岸の塩田地区には水田地帯がひろがる。

気候

上田の市街地や別所温泉などは、標高が低いので長野県内では温暖な方である。降水量は少なく、国内の本州以南では最も少雨な地帯に属する。
ただし、菅平高原などの山岳地帯は、夏季冷涼、冬季寒冷である。

隣接している自治体

市内のエリア

各地区の地名

上田市には、大きい地区とそれをさらに区切った小さい地区がある。カッコ内には、小さい地区に所属する大字町丁(住所)を掲載している。ただし、平成18年3月の合併(新・上田市発足)に際し、大字の表記を廃止しており、上田地区の踏入から緑が丘、真田地区の菅平高原、および丸子地区の鹿教湯温泉を除いた地名は、旧来の大字に相当する。

  • 上田地区
    • 上田地区(踏入(1~2丁目)、常田(1~3丁目)、常入(1丁目)、材木町(1~2丁目)、天神(1~4丁目)、大手(1~2丁目)、中央(1~6丁目)、中央東、中央北(1~3丁目)、中央西(1~2丁目)、二の丸、常磐城(1~6丁目)、緑が丘(1~3丁目)、上田、常入(丁目なし)、国分、常磐城(丁目なし))
    • 城下地区(小牧、諏訪形、御所、中之条)
    • 塩尻地区(秋和、上塩尻、下塩尻)
    • 川辺地区(上田原、下之条、神畑、築地、福田、吉田)
    • 泉田地区(福田、吉田、小泉)
    • 神科地区(上野古里住吉
    • 神川地区(大屋、岩下、蒼久保、国分)
  • 豊殿地区
    • 豊里地区(芳田)
    • 殿城地区(林之郷、殿城、漆戸)
  • 塩田地区
    • 東塩田地区(富士山(ふじやま)、古安曽、下之郷)
    • 中塩田地区(中野、小島、保野、舞田、八木沢、十人、新町、本郷、五加)
    • 西塩田地区(前山、手塚、山田、野倉)
    • 別所地区(別所温泉)
  • 川西地区
    • 浦里地区(仁古田、岡、浦野、越戸)
    • 室賀地区(下室賀、上室賀)
  • 真田地区(真田町本原、真田町傍陽(そえひ)、真田町長(おさ)、菅平高原)
  • 丸子地区(生田、御嶽堂、長瀬、本海野、塩川、下丸子、中丸子、上丸子、藤原田、腰越、東内、平井、西内、鹿教湯温泉)
  • 武石地区(武石沖、武石鳥屋、下武石、上武石、武石小沢根、武石余里、武石下本入、武石上本入)

別称

  • 三好町(上田地区-城下地区の諏訪形及び御所の一部)
  • 番外地(上田地区-城下地区の御所の一部)
  • 川辺町(上田地区-上田原地区の一部)

各地区の特徴

上田地区

上田地区は地理的にも経済的にも市の中心にあり、城下町の面影をのぞくことができる。地区の周辺部には広大な田畑が広がっている。りんごの生産地。 1980年代には、上田地区が人口の中心であったため、城下地区・川辺地区・泉田地区・塩田地区・川西地区を総称して「かわむこう」と呼んでいたが、近年の人口移動で逆転現象により、上記地域より「かわむこう」と揶揄されることがある。

豊殿地区

豊殿地区は市の西部にある田畑が中心の地区。りんごの生産地。

川辺地区

2000年代には平井寺トンネル方面へのバイパス道路建設を機に上田原・神畑・築地のバイパス道路周辺に大規模商業施設が立ち並び、商業的な中心地になりつつあり、特に神畑は休耕田を所有していた実業家が多いためか、千曲川西岸のパチンコ店が集中している。

塩田地区

塩田地区は旧・上田市の南部にあり、塩田平と呼ばれる平地が広がる。平地部は田畑が中心。降水量が少ないため、農業用水の確保のために多くのため池が点在し、中には鯉の養殖が行われている池もある。「塩田鯉」と呼ばれる。同地区には、平安時代から室町時代の建造物が残り、日本で唯一の八角三重塔(安楽寺)、「未完成完成の塔」と呼ばれる前山寺の三重塔などは有名。なかでも鎌倉時代に立てられた建造物や史跡が点在していることから「信州の鎌倉」と呼ばれる。山のふもとには別所温泉がある。

川西地区

川西地区は旧・上田市の南西にあり田畑や山林が中心である。

真田地区

真田地区は市の北部にあり、主に神川(かんがわ)水系に位置する。菅平高原は、夏はラグビー・サッカー、冬はスキーをはじめとするスポーツが盛んで、スポーツ施設とともに、宿泊施設が集積している。夏の冷涼な気候を利用し、高原野菜の栽培が盛ん。

丸子地区

丸子地区は市の南部にあり、主に依田川水系に位置し、この地区、武石地区および小県郡長和町の一帯は依田窪地区とも呼ばれる。当地区の西部には、鹿教湯温泉をはじめとした温泉が点在する。鹿教湯温泉のホテル天竜閣には松代藩江戸中屋敷が以前は佐久市野沢にあった中島公園より移築されている。

武石地区

武石地区は市の南部にあり、主に依田川水系に位置し、背後に美ヶ原高原を擁する。

産業

果樹栽培

工業

  • 古くは、養蚕業が盛んで、特に明治期においては、日本の主力産業であった繭の重要な供給地であった。特に、塩尻地区は養種業が盛んで、世界の養種(蚕の卵)の中心地でもあった。
  • 現在は、電気機器自動車部品などの生産が盛んであり、製造品出荷額は県内で安曇野市に次いで2位である。(合併前は4位)

上田市に本社機能を置く主な企業

上田市に主力工場を置く主な企業

上田市に協力工場を置く主な企業

歴史

奈良時代

  • 8世紀に信濃国国分寺、国分尼寺が建立された。信濃最初の国府もこの近くに置かれたと推測されている。
  • 奈良末期から平安時代初頭にかけての時期に、国府が松本に移る。

鎌倉時代

戦国時代

  • 天正11年(1583年) - 信濃の豪族真田安房守昌幸は、千曲段丘の要害の地を選んで城を築き、その翌年城の完成とともに小県郡伊勢山の戸石城からこの城に移って来た。これが上田城の起源である。築城後、真田昌幸は、真田氏に縁故のある海野郷(現在の東御市の一部)と原郷(市内の(旧)真田町の一部に本原の地名がみられる)の住民を招いて城下町を形成するに至る。
  • 天正13年(1585年)8月 - 徳川家康がさしむけた真田討伐の大軍をむかえたが、真田昌幸は少ない兵と上田城や周辺の地理的条件を利用して、遂にこれを撃退せしめた。第一次上田合戦
  • 慶長5年(1600年) - 関ケ原の戦いのとき、真田昌幸とその子真田信繁(幸村)は、徳川秀忠が率いて押し寄せた大軍を完全に阻止し、そのため秀忠が関ケ原の戦期を失うに至ったことは、史上名高いところである。第二次上田合戦
  • 関ケ原の戦い後、真田昌幸は在城18年にして、次男信繁(幸村)とともに紀州高野山に幽閉されたため、上田城は一時空城となったが、依田肥前守信守が守衛の任に当たる。その後、徳川家康の女婿となっていた昌幸の長男真田信之が、徳川方に属し将軍秀忠のもとで上田城攻撃を行う忠誠を尽くしたことが評価され、沼田藩とともに上田藩の藩主にもなり、父の地盤を受け継いだ。

江戸時代

  • 元和8年(1622年) - 真田信之は、在城23年にして松代(現:長野市松代町)に移り、その後を小諸の仙石忠政が上田に移る。仙石家は3代85年にわたった。この間に現在残っている上田城が築かれる。
  • 宝永3年(1706年) - 但馬出石の松平忠周と所替になる。松平氏は在城7代164年の長きに及んだが、明治2年の版籍奉還によって上田藩となる。

明治時代

大正時代

  • 1918年(和暦??年)11月21日 - 丸子鉄道線が開業。
  • 1920年(和暦??年)6月1日 - 信越本線の北塩尻駅開業。(※ 1956年(和暦??年)4月10日に西上田駅と改称した。)
  • 1921年(和暦??年)6月17日 - 上田温泉電気軌道の本線川西線が開業。
  • 1926年(和暦??年)6月30日 - 自治体としての小県郡が廃止されたため市内にあった小県郡役所廃止。

昭和時代(戦前)

  • 1930年(昭和5年) - 菅平高原の開発が本格化した。
  • 1931年(昭和6年)
  • 1912年(昭和12年) - 鐘紡の上田工場が上田市小牧右岸に設置される。戦後進駐軍接収の後日本専売公社に譲渡される。
  • 1944年(昭和19年) - この時期に特攻隊の秘密基地が建設された。
  • 1945年(昭和20年) - 現在の上田市東部市街地が空襲を受ける。

昭和時代(戦後)~平成以降

沿革

旧・上田市

  • 1871年(明治4年)11月 - 廃藩置県上田藩を上田県とし、その後、長野県に統一されて長野県小県郡上田町となる。
  • 1876年(明治9年)5月 - 小県郡房山村、山口村を編入。(山口村はのちに分町し神科村へ、そののち再び上田市に)
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行に及び自治体としての小県郡上田町発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制が施行されるに及び常入村、常磐城村、諏訪形村と小牧村の一部を編入し町制施行。
  • 1919年(大正8年)5月1日 - 市制施行。
  • 1921年(大正10年)9月10日 - 小県郡城下村を編入。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 小県郡塩尻村、川辺村を編入。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 小県郡神川村、泉田村を編入。
  • 1957年(昭和32年)3月31日 - 大字小泉(半過を除く)を分市。(泉田村)(のちに、川西村を経て再び上田市に)
  • 1957年(昭和32年)8月1日 - 小県郡神科村を編入。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 小県郡豊殿村を編入。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 小県郡塩田町を編入。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 小県郡川西村を編入。
  • 2006年(平成18年)3月6日 - 小県郡丸子町真田町武石村と合併。(新)上田市が発足。これにより(旧)上田市は87年に及ぶ歴史に幕を閉じた。

旧・常入村、常磐城村地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 上田藩→上田県に属していた小県郡生塚村、鎌原村、諏訪部村、西脇村、新町、常田村、踏入村が廃藩置県の第2段階で長野県に属する。
  • 1876年(明治9年)5月 - 小県郡生塚村、鎌原村、諏訪部村、西脇村、新町が合併し常磐城村となる。
  • 1876年(明治9年)6月 - 小県郡常田村、踏入村が合併し常入村となる。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により小県郡常盤城村、常入村発足。

旧・城下村、川辺村、泉田村、塩尻村、神川村、神科村地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 上田藩→上田県に属していた下記村落が廃藩置県の第2段階により長野県に属する。
  • 1872年(明治5年)5月 - 小県郡堀村、国分寺村、上沢村、黒坪村が合併し国分村となる。
  • 1874年(明治7年) - 小県郡町小泉村、日向小泉村が合併し小泉村となる。
  • 1877年(明治10年)3月 - 小県郡伊勢山村、新屋村が合併し上野村となる。
  • 1877年(明治10年)3月 - 小県郡岩門村、笹井村、染屋村、野竹村が合併し古里村となる。
  • 1877年(明治10年)3月 - 小県郡大久保村、金剛寺村、長島村が合併し住吉村となる。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により小県郡中之条村、御所村、諏訪形村、小牧村、上田原村、神畑村、築地村、下之条村、小泉村、福田村、吉田村、上塩尻村、下塩尻村、秋和村、大屋村、国分村、岩下村、上青木村、下青木村、久保林村、住吉村、古里村、上野村が発足。
  • 1879年(明治12年)5月 - 小県郡上青木村、下青木村、久保林村が合併し蒼久保村が発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行に及び
    • 小県郡中之条村、御所村、諏訪形村、小牧村の合併により小県郡城下村が発足。(一部は分村し上田町へ)
    • 小県郡上田原村、神畑村、築地村、下之条村の合併により小県郡川辺村が発足。
    • 小県郡小泉村、福田村、吉田村の合併により小県郡泉田村が発足。
    • 小県郡上塩尻村、下塩尻村、秋和村の合併により小県郡塩尻村が発足。
    • 小県郡大屋村、国分村、岩下村、蒼久保村の合併により小県郡神川村が発足。
    • 小県郡住吉村、古里村、上野村、上田町の旧山口村分の合併により小県郡神科村が発足。

旧・豊殿村地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 上田県に属していた下記村落が廃藩置県の第2段階により長野県に属する。(※ 同地区は江戸時代初期は上田藩に属していたが仙石氏の時代矢沢旗本領として独立し国替以降も仙石氏が治める地域であった。1871年(明治4年)7月に廃藩置県の第1段階で上田藩と統合され上田県となったのである。)
  • 1876年(明治9年)4月 - 小県郡赤坂村、岩清水村、下郷村、矢沢村が合併し殿城村となる。
  • 1876年(明治9年)10月 - 小県郡小井田村、森村、中吉田村、下吉田村が合併し芳田村となる。(のちに一部が分村し県村へ(現・東御市))
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により小県郡殿城村、漆戸村、芳田村、林之郷が発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行に及び
    • 小県郡殿城村、漆戸村を編入し発足。
    • 小県郡芳田村、林之郷の合併により小県郡豊里村が発足。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 小県郡殿城村、豊里村の合併により小県郡豊殿村が発足。

旧・塩田町地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 上田藩→上田県に属していた下記村落が廃藩置県の第2段階により長野県に属する。
  • 1874年(明治7年)11月 - 小県郡奈良尾村、町屋村が合併し富士山村(ふじやま)となる。
  • 1874年(明治7年)12月 - 小県郡東前山村、西前山村が合併し前山村となる。
  • 1875年(明治8年)2月 - 小県郡手塚村、新町を編入。
  • 1875年(明治8年) - 小県郡石神村、鈴子村、平井寺村、柳沢村が合併し古安曽村(こあそ)となる。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により小県郡五加村、本郷、小島村、保野村、中野村、舞田村、八木沢村、十人村、手塚村、前山村、野倉村、山田村、下之郷、古安曽村、富士山村、別所村が発足。
  • 1880年(明治13年)8月 - 小県郡手塚村から新町が独立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行に及び
    • 小県郡五加村(ごか)、本郷、小島村、保野村(ほや)、中野村、舞田村(まいた)、八木沢村(やぎさわ)の合併により小県郡中塩田村が発足。
    • 小県郡十人村(じゅうにん)、新町、手塚村、前山村(まえやま)、野倉村、山田村の合併により小県郡西塩田村が発足。
    • 小県郡下之郷、古安曽村の合併により小県郡東塩田村が発足。
    • 小県郡富士山村、合併を伴わずに発足。
    • 小県郡別所村(べっしょ)、合併を伴わずに発足。
  • 1949年(昭和24年)9月1日 - 小県郡東塩田村、富士山村を編入。
  • 1956年(昭和31年)5月1日 - 小県郡中塩田村、西塩田村、東塩田村、別所村の合併により小県郡塩田町が発足。

旧・川西村地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 上田藩→上田県に属していた下記村落が廃藩置県の第2段階により長野県に属する。
  • 1874年(明治7年) - 小県郡町小泉村、日向小泉村が合併し小泉村と改称。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により小県郡小泉村、福田村、吉田村、上室賀村、下室賀村、馬越村、岡村、当郷村、仁古田村が発足。
  • 1882年(明治15年) - 小県郡馬越村、浦野町と改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行に及び、
    • 小県郡小泉村、福田村、吉田村の合併により小県郡泉田村が発足。
    • 小県郡上室賀村、下室賀村の合併により小県郡室賀村が発足。
    • 小県郡浦野町、岡村、当郷村、仁古田村の合併により小県郡浦里村が発足。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 小県郡泉田村、上田市に編入される。
  • 1957年(昭和32年)3月31日 - 上田市大字小泉(半過を除く)が分市。小県郡浦里村が分割。大字当郷は小県郡青木村に編入。浦里村の残部、室賀村、上田市大字小泉(半過を除く)が対等合併し川西村が発足。
  • 1957年(昭和32年)8月1日 - 旧馬越村→浦野町地区の一部が境界変更により分村、小県郡青木村へ。

旧・丸子町地区

  • 1868年(慶応4年・明治元年)8月 - 江戸幕府直轄領に属していた信濃国腰越村、荻窪村、和子村、辰の口村、平井村、高梨村が明治新政府の府県制導入で伊那県に属する。
  • 1869年(明治2年) - 版籍奉還。信濃国小県郡石井村、狐塚村、坂井村、南方村、藤原田村、長瀬村、下丸子村は小諸藩に属し、同国同郡飯沼村、尾野山村、御嶽堂村、中丸子村、上丸子村は岩村田藩に属する。
  • 1870年(明治3年) - 伊那県に属していた腰越村、荻窪村、和子村、辰の口村、平井村、高梨村が中野県に属する。
  • 1871年(明治4年)6~11月 - 廃藩置県。これにより同地区が長野県に統一された。
  1. - 6月に中野県に属していた村落が県庁移転による名称変更により長野県に属する。
  2. - 7月には廃藩置県の第1段階で小諸藩が小諸県に、岩村田藩が岩村田県になる。
  3. - 11月には小諸県・岩村田県が長野県に編入された。
  • 1875年(明治8年) - 小県郡石井村、狐塚村、坂井村、南方村が合併し塩川村発足。
  • 1876年(明治9年) - 小県郡高梨村、平井村が合併し、西内村が発足。
    • 小県郡荻窪村、和子村、辰の口村が合併し、東内村が発足。
    • 小県郡飯沼村、尾野山村が合併し、生田村が発足。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により小県郡腰越村、上丸子村、中丸子村、下丸子村、西内村、東内村、生田村、御嶽堂村、長瀬村、塩川村、藤原田村発足。
  • 1882年(明治15年) - 小県郡西内村から平井村が独立。
  • 1887年(明治20年) - 小県郡藤原田村の一部が分村し北佐久郡下之条村(のち同郡北御牧村、現・東御市)へ。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行に及び
    • 小県郡腰越村、上丸子村、中丸子村、下丸子村が合併し丸子村が発足。
    • 小県郡西内村、平井村を編入し発足。
    • 合併を行わずに小県郡東内村が発足。
    • 小県郡生田村、御嶽堂村が合併し依田村が発足。
    • 合併を行わずに小県郡長瀬村が発足。
    • 小県郡塩川村、藤原田村を編入し発足。
  • 1912年(大正元年)10月30日 - 丸子町制施行。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 - 小県郡東内村、西内村を編入。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 小県郡依田村、長瀬村を編入。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 小県郡塩川村を編入。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 小県郡東部町(現・東御市)の遠河原地籍を編入。

旧・真田町地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 上田藩→上田県に属していた下記村落が廃藩置県の第2段階により長野県に属する。
  • 1874年(明治7年) - 小県郡上洗馬村、軽井沢村、曲尾村が合併し傍陽村が発足。
    • 小県郡上原村、中原村、下原村が合併し本原村が発足。
  • 1876年(明治9年) - 小県郡真田村、横尾村、横沢村、大日向村が合併し長村が発足。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により小県郡傍陽村、長村、本原村発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行に及び
    • 小県郡傍陽村(そえひ)、長村(おさ)、本原村の3村は合併を行わずに発足。
  • 1958年(昭和33年)10月1日 - 小県郡傍陽村、長村、本原村が合併し町制施行。公募により小県郡真田町となり発足。

(※真田町となった理由は真田氏の発祥の地であるのと、旧長村の字名に「真田」があり3村の合併で生まれた町としてふさわしいからというのが有力。)

旧・武石村地区

  • 1871年(明治4年)11月 - 廃藩置県の第1段階で上田藩→上田県に属していた信濃国小県郡上武石村、下武石村、上本入村、下本入村、余里村、沖村、鳥屋村、小沢根村は第2段階で長野県に編入されたことにより長野県に属する。
  • 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行により自治体としての小県郡旧武石村8ヶ村が発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制に及び
    • 小県郡上武石村、下武石村、上本入村、下本入村、余里村、沖村、鳥屋村、小沢根村が合併し武石村となる。

人口

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上田市と全国の年齢別人口分布(2005年) 上田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 上田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

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上田市(に相当する地域)の人口の推移
テンプレート:人口統計/20
総務省統計局 国勢調査より

行政

歴代新・上田市長

    • 堀内 憲明(市長職務執行代理者・2006年3月6日発足から4月9日まで)
    • 母袋 創一(初代〔14代〕・2006年4月10日~)【1期】[2期]※1 ※2

※1=〔〕・[]は旧・上田市時代からの通算。前者は通算歴代、後者は通算選出回数。
※2=旧・上田市時代を含め初となる無投票当選

議会

  • 議長 土屋陽一
  • 議員 34人(任期 2010年4月まで)

交通

鉄道

テンプレート:wakumigi

JR東日本長野新幹線
上田駅
しなの鉄道しなの鉄道線
大屋駅信濃国分寺駅、上田駅、西上田駅
上田電鉄別所線
上田駅、城下駅三好町駅赤坂上駅上田原駅寺下駅神畑駅大学前駅下之郷駅中塩田駅塩田町駅中野駅舞田駅八木沢駅別所温泉駅

バス 上田駅発着

高速バス
サンシャインシティプリンスホテル(池袋駅東口西武高原バス千曲バス共同運行
京都京都駅八条口)・大阪あべの橋駅千曲バス近鉄バス共同運行
上電バス
菅平高原(西菅平)
菅平高原(サニアパーク)※期間運転5/1~9/30
菅平高原
真田
真田(上渋沢)
傍陽(大倉)
傍陽(入軽井沢)
傍陽(横道)
赤坂
長野病院
別所温泉
千曲バス
下秋和(千曲バス上田営業所)
上田
臼田・勝間
小諸厚生病院
小諸駅
丸子・鹿教湯
平井寺・鹿教湯
丸子・奥鹿教湯
丸子
青木
室賀
上室賀
町吉田・中吉田
祢津
下半過
美ヶ原高原※期間運転8/1~8/20
西上田駅方面市内循環バス(オレンジバス)
高齢者福祉センター(オレンジバス)
信州観光バス(温泉口乗り場)
戸倉駅
上山田温泉公園前

道路

  • 県道
  • 主な市道
    • 秋和上堀線(祝町大通り)
    • 二の丸通り
    • 大手通り
    • 戸石米山城通り
道の駅

友好都市

教育

大学等(4)
高等学校(7)
中学校(13)
小学校(25)
養護学校

名所・旧跡

歴史

ファイル:Ueda Castle.JPG
上田城跡公園

温泉

美術館・博物館

自然

スポーツ

上田を舞台にした作品

漫画

上田で撮影された作品

映画
ドラマ
CM

出身有名人

旧上田市

テンプレート:日本の市 (廃止)

上田市( - 2006年3月5日)は、かつて長野県の東部に位置していた市。2006年3月6日に、小県郡丸子町真田町武石村との新設合併により、新上田市(2006年3月6日 - )の一部となった。

合併前後での違い

現在の上田市(新上田市)は新設合併によって設置された自治体であり、それ以前に存在した上田市(旧上田市)は廃止されている。新上田市(2006年3月6日以降)と旧上田市(2006年3月5日まで)は同名の別法人となる自治体であり、国勢調査などのデータは、2006年3月6日の合併前と合併後とでは、全くの別物となっている。

旧上田市の市役所本庁舎は、現在では新上田市役所本庁舎となっている。

概要

歴代市長

  1. 細川吉次郎(初代・1919年~1924年死去)
  2. 勝俣英吉郎(2代・1924年~1930年死去)
  3. 成沢伍一郎(3代・1930年~1938年)
  4. 伊藤傳兵衛(4代・1938年~1940年)
  5. 浅井 敬吾(5代・1940年~1946年)※1
  6. 広瀬 淳(市長職務執行代理者・1946年~1947年4月5日)
  7. 井上 柳悟(6代・1947年4月6日~1951年)【1期】※2
  8. 水野 鼎蔵(7代・1951年~1959年)【2期】
  9. 堀込 義男(8代・1959年~1963年)【1期】
  10. 小山 一平(9代・1963年~1973年)【2期・3期中途辞任】
  11. 石井 泉(10代・1973年~1982年死去)【2期・3期中途死去辞任】
  12. 永野 裕貞(11代・1982年~1994年)【3期】
  13. 竹下 悦男(12代・1994年~1998年)【1期】
  14. 平尾 哲男(13代・1998年~2002年)【1期】
  15. 母袋 創一(14代・2002年~2006年3月5日)【1期】※3

※1=公職追放による辞任
※2=この代から公選選出となり【】(括弧)は選出回数
※3=新設合併により失職

姉妹都市

歴史

畿内政権の時代

幕府の時代

関連項目

外部リンク

テンプレート:長野県の自治体

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