杉並区立和田中学校

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民主党仙谷政調会長ら、初の民間出身校長が在籍する杉並区立和田中を訪問.

杉並区立和田中学校(すぎなみくりつ わだちゅうがっこう)は、東京都杉並区和田二丁目にある公立中学校。最寄り駅は東高円寺駅

概要

1949年に開校。初代校長は小川俊一郎である。

2003年に都内公立中学校で初の民間人校長である藤原和博リクルート出身)が就任すると、「私立を超えた公立校」を目指し大規模な学校改革を実施。補習の充実や習熟度別授業少人数授業の導入、「よのなか」科の実施などを行ない、全国的な注目を集めている。

2008年3月31日に藤原が5年間の任期満了により退任。後任には同じくリクルート出身で、当時トップアスリート[10]代表取締役だった代田昭久が就任。

2013年4月以降は生徒の偏在等により、制度そのものが廃止される。

特色

  • 全国で初めて四季制を導入した。(現在はしていない)
  • 主要教科のコマ数を最大限に増やし、通常より多い授業時間を確保している。
  • 少人数授業理科社会科でも実施されていた。(現在は実施していない)
  • 放課後には希望者を対象とした英語の講習などが実施されており、中学英語を超えた発展内容の先取りも可能である。
  • 毎週火曜日には漢検に取り組んだり、作文講座を実施していた。(現在はしていない)
  • 土曜日には「土曜日寺子屋」(ドテラ)が実施され、教員志望の大学生・院生ボランティアの支援により勉強をサポートしている。
  • 「よのなか」科の実施(現在は「よのなか」科ネクストとなり、3年生向けが中心。1・2年生への実施回数は少ない)。校長自らがメインティーチャー兼コーディネーターとして授業を展開する。外部講師を招聘しての授業も実施されている。学校で習った知識を、実際の世の中で役立てることを目的とする。
  • 校長室が開放されており、生徒の出入りが非常に活発である。「校長文庫」と呼ばれる本が常時置かれている、著名人もたびたび訪れる。
  • 2008年3月、PTAの2007年度限りでの廃止を発表[1]。公立校では初めてのことであった。これに伴って区PTA協議会はもちろん、全国の公立小中学校PTAで構成される日本PTA全国協議会からも脱退した。学校は保護者有志の作った独自の「和田中学校地域本部」に編入された。
  • 杉並区と連携し学校行事以外の地域活動にも積極的に参加している。

夜スペ

『夜スペシャル』の略。2008年1月26日より実施されている「和田中学校地域本部」が主催する(3年生を対象とした)補習授業。

これは公立中学校では難しいとされる学力上位層の学力伸張を目指し、都立進学指導重点校私立の中上位校を目標とするものである。

具体的には、大手進学塾サピックスより講師を派遣してもらい、成績上位者を対象に有料(1万円~2万円)で補習を行う。一方で成績下位の生徒を対象とした「土曜寺子屋」という補習授業体制も組んでいる。マスコミ報道される場合、この学力不足の生徒に対する(無料の)補習を既に行っていることはあまり報道されなかったため「成績上位者だけ補習」という間違えた指摘もあった。また、地域本部が実費を負担し、費用が払えない生徒には授業料を免除している。

〝夜スペ〟については「学校の特色としては良い」という意見がある一方、1月8日の実施前日になって東京都教育委員会などから「機会の均等に疑義がある」「特定の進学塾との関係についても同じく疑義がある。」「公務員の兼務・兼職を認めない原則から外れている。」などと指摘し、一時実施は見送られた経緯がある[2]。東京都教育委員会は最終的に「指摘した疑義はクリアされた」と容認する方針を固めた[3]

2008年3月24日に、〝夜スペ〟は公共施設の目的外使用であると実施の中止を求めた仮処分申請を杉並区住民49人が東京地裁に提出した[11]。なお、この49人の中には、和田中学校生徒の保護者は含まれていない。[4]

〝夜スペ〟を始めてから当校に入学を希望する者が学区内外から大幅に増えており、「公立中の成功例」として伝えられている[5]

「よのなか」科

自営業者ホームレス等の様々な立場の著名人・社会人をゲストティーチャーとして招き、行なわれる授業。

後の内閣官房副長官仙谷由人は、民主党政策調査会長として2005年1月17日に和田中学校を視察 [6][12][13]

同じく文部科学副大臣鈴木寛と当時校長の藤原とは、それぞれ議員になる前から、校長になる前からの関係で、和田中学校を取り上げた2006年11月放送のNHKETV特集[14]TBS筑紫哲也 NEWS23[15]には、それぞれ当時民主党参議院議員の鈴木が映り込んでいる[16]。また、2007年の参議院議員選挙政見放送では、鈴木自身、藤原との交友を披瀝している。

後の国家戦略新しい公共)担当大臣の玄葉光一郎は、NHKの予算を審議する衆議院総務委員会(2008年3月24日)にて、藤原の最終授業に参加した感想を述べ、堀江貴文事件前後の写真を題材とした授業について、所謂メディアリテラシーだとそれを評する[17]も、堀江と共に事件に関与した当時取締役岡本文人も、リクルート出身

田原総一朗責任編集の雑誌オフレコ!によると、文部科学大臣として和田中学校を視察した中山成彬が「よのなか」科を絶賛したとも。

元校長の藤原は在任当時より、マスコミを席巻、和田中学校を〝ショールーム〟とまで称し[18]、「よのなか」科の全国展開、民間人校長の大量登用を主張[19]。「3000人の民間校長をリクルートせよ」とは、安倍政権時の教育再生論議たけなわの中央公論でのタイトルだが、これに先立つ2005年東京都議会議員選挙で民主党は「校長公募200人」を主張している[20]

主なゲストティーチャー

「よのなか」科を発案した宮台真司と三橋、和田中学校と藤原和博については、電気通信大学名誉教授西尾幹二、高崎経済大学助教授八木秀次(当時)による共著『新・国民の油断――「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』[27]で問題が指摘されているが、その宮台も三橋共々、東村山〝職業差別〟騒動[28]の賛同人[29]。前記「NHKETV特集」では、番組冒頭に三橋と思しき女装姿の人物差別です!!」絶叫するシーンが登場する。

同じくリクルート出身加藤藤原の行っている「よのなか」科を称賛したプレス民主 2006年6月17日号外

その翌月、ある不祥事が発覚する[33]が、その意味では政治家のパフォーマンスの裏側で由々しき自体が隠蔽されていたと考えられると同時に、『和田中はまともな先生方はみんな異動してしまいました。抜け殻のような学校です。』という「夜スペ」反対派の主張[34]が、必ずしも出任せではない[35]と考える事が出来る。

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上記三橋について、教育を取り上げた著書で性同一性障害と記しているがwikipedia[36]的には上記加藤が副大臣時代に法テラス(日本司法支援センター)「サポーターズ大使」に抜擢したはるな愛[37]女装家等々は概念上異なる存在であるとされている[38]

企業との関係

キャリアリンク

キャリアリンク社のホームページ[7]より
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「よのなか」科に関与[43]自民党政権時代には、和田中学校のボランティア本部をモデルとした学校支援地域本部の全国展開を同社[44]が受託[45]。 当時同社のホームページのトップに登場する女性教授[46]ジェンダーフリー関係の絵本の著者[47]

ウィルシード

和田中学校の学校運営協議会の協力会社。 同社の代表取締役船橋力日本教育再興連盟発起人[48]。 和田中学校で蓮舫事業仕分けを模した授業を行った際[49]には、ベネッセコーポレーション退職後、同社に参画した民主党世田谷区議会議員風間ゆたか2010年12月09日のページ現在は削除)が検索トップに表示される。

この学校の特徴は地域との関係であり、それ故、下記の如くマスコミ各社が礼賛的に取り上げてきたのだが、その一方で休日のクラブ活動を区外の企業に委託[50]、企業とのタイアップ[51][リンク切れ]が一部地域住民の批判を招いている。

メディアとの関係

肩書きは掲載・取材当時のもの

主な新聞掲載

朝日新聞社のデータベースでは2003年4月~08年3月末の間で、朝日新聞本紙(朝刊夕刊)・AERA・週刊朝日(論座は除く)にて126件の掲載。

主な雑誌掲載等

国立国会図書館・雑誌記事データベースでは2003年4月 - 08年3月末の間で、31件の掲載。

主なテレビ取材・テレビ出演

「杉並区立和田中学校」での大越健介(NHKとリクルート2).png

主な進学高校要出典

著名な卒業生

関連項目

  • 樋渡啓祐 - 佐賀県武雄市長[65][66]、「日本を立て直す100人」[8]。上記代田に密着取材を行ったTBS・NEWS23(2013年8月21日)にて、校長時代の名刺に手を加える様子が映し出される[67]。尚、代田は10月1日より同市の教育監に就任[68][69]

脚注

  1. [PTA:杉並区立和田中が廃止 地域全体で支える仕組みに] 毎日新聞 2008年3月23日
  2. 寺脇研は都教委の指導について、地域と中学校との連携など地方自治の本旨を阻害するもの、そもそも機会の均等の理念自体を理解していないものであると批判している。
  3. その後も日本教職員組合の下部団体である東京都公立学校教職員組合(東京教組)とその構成組織である杉並区教職員組合(杉教組)は「公教育の破壊だ」などとして反対している[1][リンク切れ][2]。ただし、日教組委員長(当時)森越康雄は、雑誌『宝島』2008年5月号のインタビューで、〝夜スペ〟を「面白い試み」と評価した上で、貧しい家庭の子供は授業を受けられないなどの問題点を指摘した。なお、校長(当時)の藤原和博は一コマ500円で私塾の相場の2~3分の1で塾に通うより安いものであり、逆に経済負担は軽くなると『産経新聞』(2008年1月26日付)で語った。また、〝夜スペ〟には教職員組合とは、これまで対立的だった東京都議会議員も反対を表明している[3]
  4. 2008年3月24日産経新聞
  5. AERA 2008年9月15日号 p31
  6. 朝日新聞2005年1月20日
  7. [4]
  8. AERA 2012年1月2-9日合併号[5]

外部リンク

wikipediaとの比較

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