朱世珍

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朱世珍(しゅせいちん、1283年‐1344年)は、明の太祖洪武帝朱元璋の父。本名を朱五四といい、死後に朱世珍と改名された。明王朝では仁祖淳皇帝とも呼ばれた。

の泗州盱眙(現在の江蘇省盱眙県)の貧農・朱初一と王氏の子として生まれる。朱五一という兄がいた。妻の陳氏との間に朱重四(朱興隆)・朱重六(朱興盛)・朱重七(朱興祖)・朱重八(朱興宗→朱元璋)と娘2人(曹国公主太原公主)の4男2女を儲けた。

小作農として生涯を貧窮のうちに過ごし、泗州霊壁県(現在の江蘇省霊壁県)から泗州虹県(現在の江蘇省泗県)と流浪し、後に濠州鐘離(現在の安徽省鳳陽県)に移った。しかし至正4年(1344年)、淮北の大旱魃により朱五四と陳氏・朱重四が相次いで死んだ(死因は餓死または病死)。朱重八ら残された家族は、貧しさのため朱五四らの葬式さえ出せない有様だったという。

明王朝成立後の洪武元年(1368年)、朱元璋によって廟号純祖・諡号を淳皇帝と追尊され、明皇陵(安徽省鳳陽県)に葬られた。その後、廟号は曾孫にあたる洪熙帝により仁祖と改められた。

  • 父:熙祖裕皇帝朱初一
  • 母:裕皇后王氏
  • 兄:寿春王朱五一
  • 妻:淳皇后陳氏(陳二娘)
    • 長男:南昌王朱興隆(朱重四)
    • 次男:盱眙王朱興盛(朱重六)
    • 三男:臨淮王朱興祖(朱重七)
    • 四男:洪武帝朱元璋(朱重八→朱興宗)
    • 娘:太原公主朱氏‐王七一の妻
    • 娘:曹国公主朱氏‐李貞の妻・李文忠の母