蓮舫
蓮舫(れんほう、本名:村田(旧姓:斉藤、旧々姓:謝)蓮舫、1967年11月28日 - )は、日本の政治家。 政治家転出前には、グラビアアイドル、テレビ司会者を経験した。台湾系日本人。参議院議員(2期)、特命担当大臣(行政刷新担当)である。
旧姓は斉藤(さいとう)。多重国籍当時の姓は謝(しゃ、Hsieh)。政治家転出前には、グラビアアイドル、テレビ番組の司会者、キャスター、女優、タレントを経験した。
2010年6月8日の閣議において、「内閣府特命担当大臣(行政刷新)である蓮舫(本名村田蓮舫)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については村田蓮舫名を使用し、それ以外は蓮舫名を使用することとする。」と口頭で了解された(2010年(平成22年)6月11日付『官報』本紙参照)。
目次
来歴
台湾人で主に日本の企業との間で貿易業を営んでいた父・謝哲信と、日本人の母・斉藤桂子の長女として誕生した。
青山学院初等部・中等部・高等部を経て、青山学院大学法学部公法学科卒業(実兄も青山学院出身である)。俳優・松田洋治は、青山学院小・中・高・大学の同級生である。
日本における国籍の概念は、国籍法2条1項に定める通り「血統主義」をとらず「在地主義(生地主義)」であり、国際結婚によって国籍の異なる両親から日本国内で出生した蓮舫は、台湾(中華民国)籍および日本籍の両籍を保有していた。中等部・高等部在学中までは、父方の姓を用いて「謝蓮舫」を名乗り、高校在籍中および青山学院大学進学初期には、「謝蓮舫」名義で芸能活動を行っていた。
その後、日本の国籍法2条1項に定める、本人の意思で国籍を選択し多重国籍状態を満22歳までに解消する義務規定により、青山学院大学進学に際して18歳時に生活基盤である日本国籍を選択、同時に母方の姓を用いて「斉藤蓮舫」に改めている。その後は、対外的に改姓による混乱を避ける目的で、もっぱら名のみの「蓮舫」で芸能活動を展開した。
なお、本来日本語の読みでは、同音源の「連邦」と同様「れんぽう」と発音すべきところであるが、戸籍届出上の音名が「れんほう」であったため、本人は学生時代から「れんほう」という読みを名乗って久しく、著名となってからもそれが広く社会的に認知されている。
1995年から1997年にかけて、北京大学漢語中心(中国語センター)に留学。
1997年に双子(長男=琳(りん)、長女=翠蘭(すいらん))を出産。自身の出産・育児の経験を通して得た少子化問題についての関心も深く、しばしば言及することがある。
政治家
- 手塚仁雄の誘いで2004年7月、民主党から参議院議員選挙に出馬(東京都選挙区:定数4)。比例代表新人の吉田公一との連動で、同じ東京選挙区で民主党現職小川敏夫と共に当選を飾った。
- 同年8月、台湾を訪れ、陳水扁総統らと会見。民主党が政権を取得したら日台関係はより密接になると語り、台湾の独立を支持する発言を行なって現地で話題になった。
- 2007年9月には、年金問題を担当している民主党の長妻昭からの要請で、ネクスト年金担当副大臣に就任した。
- 外国人参政権や人権擁護法には慎重な姿勢を見せており、櫻井よしこが民主党の勉強会で外国人参政権に反対する意見を述べた際には、共感の意を示している。
- 2009年11月13日、民主党政権下に内閣府が設置した行政刷新会議事業仕分けの文部省予算仕分けの際に蓮舫議員は日本の次世代スーパーコンピューターへの予算編成に対し「世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのですか」と発言し、次世代スーパーコンピューターへの予算編成削減を決めた。この発言について、ノーベル賞・フィールズ賞受賞者5人の科学者が記者会見で批判し、中でも野依良治は、「全く不見識であり、将来、(蓮舫を含む仕分け人は)歴史という法廷に立つ覚悟はできているのか」と述べ、利根川進も「“世界1である必要はない”と語った人(=蓮舫)がいるが、1位を目指さなければ2位、3位にもなれない」と続き、鳩山由紀夫総理へ次世代スーパーコンピューターへの予算編成を行うべきだと直談判した。また、石原都知事は彼女を「文明工学的に白痴的」「技術に関してはあの発言は論外」と批評した。
- 2009年12月6日、都内において開催された「マザーズセレクション大賞」授賞式に、特別ゲストで登場した際に、「家計も仕分ける?」の質問に対して「仕分けられないくらい、我が家は最初から圧縮している」と発言した。しかし直後に、「私が仕分けるのは国の事業。家庭や子供のことは、なるべく仕分けないようにしている」と発言している。
所属議員連盟
グラビアアイドル・タレント・ニュースキャスター・テレビ司会者
音響機器メーカーのキャンペーンガール、「1988年度クラリオンガール」として芸能界にデビューした。
当初は日本テレビのバラエティ番組などを中心に活動していた。1993年、テレビ朝日の報道番組「ステーションEYE」の司会に抜擢されて以降、ジャーナリスト活動も活発となった。
エピソード
- 一時期、「なまいき蓮舫」として親しまれた。金谷ヒデユキが黒猫のタンゴの替え歌でネタにしていた事がある。
- 1990年頃日本テレビ系『スーパージョッキー』のアシスタント司会に抜擢されたが、メイン司会者のビートたけしに名前の2文字目の漢字を分解されて「舟方(ふなかた)さん」と呼ばれるなど、たけしにいじられることになる。
- 1991年頃フジテレビ『北野ファンクラブ』のスタジオに乱入。たけし、高田文夫らから暴言を吐かれる。特に当時彼女がテレビCMをしていたサッポロビール黒ラベルの話になると暴言はエスカレートしていった。その際、「歴代クラリオンガールで最も写真集が売れなかったのは蓮舫です。」とたけしにネタにされた。
- 『3時にあいましょう』の司会を務めていた時代に同じスタジオで収録されていた長寿番組「料理天国」にゲスト出演した際、自分が司会•キャスター業を目指したきっかけとなった人物として、タレントとして同番組の司会であった芳村真理の名を挙げて以来、芳村とは親密な間柄となっている。
出演
写真集
ビデオ
- 「ナチュラルな妖精誕生 - Ren Ho」 (クラリオンソフト、1987年)
テレビ番組
- セーラー服通り 1986年1月~1986年3月(TBS系)
- 君の瞳をタイホする! 1988年(フジテレビ)
- IKE IKE CLUB
- 合コン!合宿!解放区! 1990年5月~1991年3月(朝日放送)
- クイズおもしろTV 1990年8月~9月 アシスタント(テレビ朝日系)
- 桂三枝のにゅーすコロンブス 1990年10月~1991年3月(朝日放送、2代目サブキャスター)
- マジカル頭脳パワー!! 1991年3月~1992年3月に参加(日本テレビ系)
- ヒットパレード'90s 1991年4月~1991年10月(フジテレビ)
- 3時にあいましょう 1991年4月~1992年9月(TBS系)
- スーパーワイド 1992年10月~1993年3月(TBS系)
- ステーションEYE 1993年4月~1995年10月(テレビ朝日系)
- BATTLE TALK RADIO アクセス 2003年1月~2004年3月(TBSラジオ)
- スーパージョッキー(日本テレビ系)
- 水曜プレステージ(テレビ朝日)(飯星景子、矢吹藍子との共同司会 その後 高市早苗、田中綾子らと)
- ニュースに挑戦!あなたの常識(テレビ東京)クイズ番組のアシスタント 司会:生島ヒロシ
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脚注
関連項目
- 民主党国会議員一覧
- 日本の女性国会議員一覧
- 清水信次 - ライフコーポレーション代表取締役会長兼CEO、父親の旧友