父幼老卵

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父幼老卵(ふようろうらん、享保9年(1724年) - 文化2年11月2日1805年12月22日))は、出羽国田川郡(現・山形県鶴岡市)出身の、日本

人物

天桂伝尊から4世の法孫で、『正法眼蔵那一宝』1巻~22巻(『正法眼蔵』の註釈書。)の撰述者として知られる。

また、延享3年(1746年)に刊行された『永祖略録虵足』(『高祖古仏略録弁解』)は、これまで天桂伝尊が撰述したと伝えられてきたが、天桂は1735年に没している為、父幼老卵が撰述者である可能性が高いと考えられている。

略歴

  • 1724年、出羽国庄内(現・山形県鶴岡市)に生れる。
  • 1733年、総穏寺で出家する。
  • 1791年、『正法眼蔵那一宝』1巻~22巻を刊行。
  • 1746年、『永祖略録虵足』(『高祖古仏略録弁解』) を刊行。
  • 1775年、『千里一鞭』を刊行。
  • 1787年周防の洞泉寺に転住。
  • 1805年12月22日、死去する。享年82

著作物

  • 『正法眼蔵那一寶』1 - 22巻 1791年 駒澤大学図書館蔵(『永平正法眼蔵蒐書大成 16 』1974年 大修館書店に収録)
  • 『永祖略録虵足』(『高祖古仏略録弁解』) 1746年
  • 『永平元禅師語録弁解』
  • 『千里一鞭』 1775年

主な出典