クールス
クールス(COOLS)は日本のロックバンド(アメリカンロックンロール)。現在も活動中。1975年のバンド結成(前身のバイクチームの結成は更に前年)からすでに30年以上も続いているロックバンド。BUCK-TICK、藤井フミヤ[1]等、その影響を受けたミュージシャンは数多い。
クールス(COOLS) | ||
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基本情報 | ||
出生名 | ||
別名 | ||
出生日・地 | ||
血液型 | ||
学歴 | ||
出身地 | 日本 東京・原宿 | |
死没日・地 | ||
ジャンル | アメリカンロックンロール (音楽) | |
職業 | ||
担当楽器 | ||
活動期間 | 1975年 - 現在 | |
レーベル | キングレコード トリオレコード ポリスターレコードほか | |
事務所 | ||
共同作業者 | ||
影響 | シャ・ナ・ナ(en:Sha Na Na) | |
公式サイト | 公式ファンクラブ | |
メンバー | ||
佐藤秀光(ドラムス) ジェームス藤木(リードギター) 村山一海(ボーカル) サポート・濱野和男・後藤直樹・和田ジョージ | ||
旧メンバー | ||
舘ひろし 水口晴幸 大久保喜市 横山剣 荻野知明 濱野(飯田)和男 後藤直樹 山崎廣明 (岩城滉一・バイクチーム時代) | ||
著名使用楽器 | ||
目次
舘ひろしと、岩城滉一の出会い
飲食店で食事をしていた岩城滉一に舘ひろしが歩み寄り、身構えた岩城に「あのバイク、君の?」と話しかけ、バイクの話題で意気投合する。(現在は「舘ひろし=大型バイク」のイメージがあるが、当時、舘ひろしはバイクの免許を持っておらず、岩城滉一に勧められ、岩城のバイクに二人乗りして教習所に通った[2]。)
結成(バイクチーム「クールス」)
東京原宿において1974年12月、舘ひろしをリーダー(チーム内での呼称は「ボス」。ただし水口晴幸のみ「大将」と呼んでいた)に、岩城滉一(同じく、チーム内での呼称は「コーちゃん」)をサブリーダーに結成されたモーターサイクルチーム(暴走族)が原点。 「暴走族」とはいっても、日本のいわゆる暴走族のように特攻服や竹やりマフラーではなく、アメリカの「ヘルズ・エンジェルス」を手本とした、おしゃれとかっこよさを追求したチームであった。その事は当時リーダーの舘ひろしが語った「どうすればかっこよくなれるか、それだけしか考えていなかった。」という言葉にも表れている(とはいっても不良集団だった事には変わりない)。
結成に際して「このチームはリーダー(舘ひろし)の独裁により運営される」という血判状を作成したという。今でこそクールスといえばハーレーダビッドソンというイメージがあるが、当時は国産車も多かった(事実、舘ひろしはカワサキのZIIに乗っていた)。
チーム結成当時の人数は21人で、全員リーゼント・黒の革ジャンパー・黒または青のジーンズ・黒のオートバイで統一される(「黒」にこだわったのは、舘ひろしが学生時代に、ラグビー部の主将をしていて、「オールブラックス」が好きだったから)。
矢沢永吉率いる「キャロル」の解散コンサートでは親衛隊をつとめ(「ローリング・ストーンズ」の親衛隊を「ヘルズ・エンジェルス」が務めた事を真似た、といわれる)(キャロルの解散コンサートを収録したDVDにはバイクチーム時代のクールスの走行場面が映っており、また、岩城滉一がキャロルとの思い出を語ったり、舘ひろしがキャロルメンバーにインタビューする場面等が収録されている。)一躍脚光を浴びた。(キャロルよりクールスを観ていたという客がいたほど[3]、当時は芸能人ではなかったにもかかわらず、注目されていた)。そのため、「クールスはキャロルの弟分バンド」と見る人もいるが、決してそうではない。確かにメンバー個々の交友や接触はあったが、両者は対等な関係であり、また当時はあくまでロックバンドとそれを支持するバイクチームの関係であった。よって「クールスはキャロルの弟分バンド」「矢沢永吉は舘ひろしの兄貴分」という意見は間違いである。またその後のクールスの音楽性もキャロルとは違うものである。
略歴
第1期 クールス
当初、舘ひろしはバンド結成については否定的であったが、熱心なキングレコードの若手社員に説得され、「チームのメンバーを食べさせていくため。」バンド結成を決意する[4]。
キャロル解散後の1975年9月、チームの中から選抜された7名とバンド結成から参加の大久保喜市(バイクチームの中でベースを弾ける人間がいなかった事から、ジェームス藤木が舘に大久保を紹介した)の計8名で、アメリカンロックンロールバンド「クールス(COOLS)」としてシングル「紫のハイウェイ」でデビュー。その際、岩城滉一は参加しておらず、そのまま俳優となった(岩城滉一が参加しなかった理由は、すでに俳優としてデビューする事が決定していた事もある。)。
結成メンバーは以下の8名。()内は担当楽器/ニックネーム。
- 舘ひろし(ボーカル/ボス)
- 水口晴幸(ボーカル/ピッピ)
- 村山一海(ボーカル/ムラ)
- ジェームス藤木(リードギター/ジェームス)
- 飯田和男(サイドギター/フランク)
- 大久保喜市(ベースギター/キイチ)
- 佐藤秀光(ドラム/ヒデミツ)
- 梅村光男(ギター/社長) ※結成後、すぐに脱退した。
キャロルが、ビートルズを手本とした8ビートのブリティッシュロックンロールだとすればクールスは、4ビートのアメリカンロックンロールであり、舘が手本に考えていたのはアメリカンロックンロールバンドのシャ・ナ・ナ(en:Sha Na Na)であった(それは舘・水口・村山の三人ボーカルにも表れている)。
バンド結成時のメンバーは、リーダー舘ひろしがバイクチーム内から音楽・楽器の経験者を選抜した。
キングレコードから『黒のロックンロール』『ロックンロール・エンジェルス』『東京直撃』『ハローグッドバイ』の4枚のアルバムを出す。また『暴力教室』『男組~少年刑務所』などの映画にも出演した(但し、『暴力教室』にはメンバー全員出演しているが『男組~少年刑務所』には後述の理由で、水口とジェームスは出演を拒否している)。
その後1977年4月リーダーの舘ひろしが脱退。後に大久保喜市が出版した「ストレンジブルー」によると、映画の主演はあくまでも舘ひろしであり、その他のメンバーは脇役という状況に、舘に対し他のメンバーから反感が出はじめ、また映画やマスコミに出たい舘に対して、純粋に音楽だけをやりたいメンバーとでズレが出てきた事が舘脱退の原因らしい。
舘ひろしは脱退後キングレコードに残り、「舘ひろしとセクシーダイナマイツ」を結成。その後ソロとなり、そのまま俳優となる(東映に所属。その後石原プロへ)。
ここでロックバンドとしてのクールスは事実上一旦解散したと言われる。実際に解散コンサートも行われ、それを録音したのが前記の『ハローグッドバイ』である。その為、現在のクールスとは別だという説もあるが、舘ひろし以外のメンバーで続けられたのも事実である。舘以外のメンバーはこの時点ではすべて解散に反対し、残留してバンド活動を続けたのだから、やはり解散ではなく「舘の脱退」と解釈したほうが正解であると思われる(前記の「ストレンジブルー」でも、舘が「俺は辞めるけど、お前たちは続けるなり、勝手にすればいい」というような意味の言動があったと記述されている)。クールス(COOLS)という名称もキングレコードが権利を持っていた為、改称せざるを得なかった。
第2期 クールス・ロカビリークラブ
その後残りのメンバーでトリオレコードに移籍、「クールス・ロカビリークラブ」を結成。村山と水口のツインボーカルで人気を得る(この頃がバンドとしての絶頂期であった)。
また二代目リーダーにドラムの佐藤が就く(以後、一貫して、佐藤がリーダーである)。
『クールス・ロカビリークラブ』『BE A GOOD BOY』『THE COOL』『デッドヒート日比谷』『ニューヨークシティNY』と5枚のアルバムを出した後、1979年12月水口晴幸が脱退した(水口の話だと、「実は、舘が辞めた時点で自分も辞めたかった」と後年語っているが、実際はポリスターに移籍する事への不満だったらしい)。
残ったメンバーは更に、ポリスターレコードに移籍。テレビドラマ『爆走!ドーベルマン刑事』にゲスト出演。アルバム『BIG DEAL』『THE HIT』を発表。その後ベースの大久保喜市が脱退(大久保の脱退理由は、「長年のバンド活動から、虚脱感を感じた事」と前記「ストレンジブルー」に記述されている。)。 (水口脱退後~横山・萩野加入までの5人編成時期を第3期という説もある。)
第3期 クールスRC
1981年10月、それまでスタッフだった横山剣(現クレイジーケンバンド)と、同じくスタッフだった萩野知明(現クレイジーケンバンドのマネージャー)がそれぞれボーカルとベースで加入。村山一海とともにツインボーカルが復活。バンド名も「クールスRC」とした。
「シンデレラ・リバティー」を発表したのもこの頃である。
アルバム『チェンジリングス』『クールスオールディズスペシャル』『ロックンロールジャンキー』『ロックンロールバイブル』『KINGS OF ROCK'NROLL』を発表した後、1983年、横山剣が脱退(作詞・作曲もこなす横山の加入により音楽性が向上したが、レコード会社から「音楽性より、元の『舘ひろし時代』のような、革ジャン・リーゼントの不良ロックに戻せ」と言われ『自分はバイクチーム時代からのオリジナルメンバーでは無いし、自分の音楽を否定され、キング時代に戻すなら自分が今のクールスにいる意味が無くなった』と感じた事が脱退の原因)。
ここで一旦活動を停止(解散ではない)。なお1982年7月9日、テレビドラマ『ザ・ハングマンII』第6話「ヨガ秘術 しゃべる水死体」にメンバー全員でゲスト出演している。
第4期 オリジナルクールス90'
その後しばらく休眠状態だったが、1990年、元メンバーの大久保が呼びかけ、村山一海、佐藤秀光、ジェームス藤木、大久保喜市、濱野和男(飯田和男)のオリジナルメンバーが再結集し「オリジナルクールス90'」を結成する(この時、舘ひろし、水口晴幸も誘われたが両名とも断ったらしい)。
アルバム『originalCools 90'』と同名のライブ盤の2枚を発表。しかしすぐに再び大久保、濱野が脱退。
第5期 ザ・クールス(THE COOLS)
1992年、それまでサポートメンバーだった後藤直樹、元シャネルズの山崎廣明が、それぞれギターとベースで正式に加入し、「ザ・クールス」を結成。
アルバム『GoodFellows』『Dyed-in-the-COOL』の2枚を発表。16年ぶりに、日比谷野音でのコンサートを成功させた。
1997年に後藤、山崎が脱退。2000年には村山、佐藤、ジェームスに横山、濱野、萩野が参加し、一時的にではあるが「COOLS SPECIAL」としてリユニオンメンバー(第3期メンバー)による再結成ツアーも実現している。
現在 クールス
(THE COOLSのままで表示される場合もある。)
クールスは30年の時を経てなお、村山、佐藤、ジェームスを中心に活動中である(最近は濱野もライブに参加しており、結成時のメンバーでもあることからメンバーと同格として活動しているようである)。
30年以上の長い歴史で若干あいまいになった点もあるが、現在のクールスの正式メンバーはあくまでも村山一海、佐藤秀光、ジェームス藤木の3人であり(30周年記念のライブDVDでもコメントしているのは3人である)、ライブでは濱野和男、後藤直樹、和田ジョージ(ギター)の3人が参加しているようである。
以前のような大会場でのライブは無くなったが、現在もライブハウスや地方の会場で積極的に活動中である。
現在、千葉県匝瑳市に、クールス専用のライブハウス「 HUNGRY 」がある。
歴代メンバー
Vocal | Vocal | Vocal | Guitar | Drums | Bass | Guitar | Guitar | Guitar | |
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クールス(1975~1977) | 舘ひろし(※3) | 水口晴幸 | 村山一海 | ジェームス藤木 | 佐藤秀光 | </td><td>大久保喜市</td><td>飯田和男</td><td>梅村光男(※1)</td><td> </td>