生命の起源
生命の起源(せいめいのきげん)は文字通り生命の最初の誕生を指す。いかにして生命が誕生したのかという仕組みを科学的に、もしくは非科学的に説明しようとする試みが多く行われてきた。(ここでは主に科学的なものを挙げる)多くの科学的な仮説はダーウィンの進化論を適用することによって、単純な原始的な生命の中からより複雑な生命が進化することを予想している。究極的にはわれわれヒトの誕生(人間の存在)を分子生物学的に説明するという壮大な試みを内含することもある。
目次
概略
人類は古くから神話、宗教、科学などによって問いかけを行ってきたが、最終的な解答はいまだ得られておらず、ここでは生命の起源に関する簡単な歴史と自然科学における様々な学説を羅列するにとどめる。具体的なレベルでは諸説あるものの、原始地球の海において、海水に溶けた有機物の化学進化を通じて最初の生命が誕生したというのが、現代科学において最も有力な学説である。
生命の起源を論ずるためにはまず生命や生物を定義する必要がある。しかしこれらを明確に定義することは難しい。「生命とは生物に備わっているもの」であり「生物とは生命をもつもの」であるという循環に陥ってしまうためである。そこで自然科学では生命・生物がもつ性質を以下の3点をもって定義とすることが多い。
「生命はどこからきたのか」という問いかけは時代や思想、技術などの背景によって観点が異なっている。例えば古代ギリシアのアリストテレスが記した『動物誌』ではミミズやウナギは泥などの無生物から自然に発生するという説明がなされている。この説は当時としては非常に詳細な観察に基づいているが、生命現象には物質以外の何かが働いているという生気論的考え方となっている。旧約聖書では『創世記』の天地創造にその記述があり、そこでは創造主である唯一神であるアブラハムの宗教の神によって無生物から生物が創造されたとされる。他の地域でもこの問いかけに対する回答の多くは宗教や神話によって説明されている。
近代に入って発展した自然科学では物理学による説明が試みられている。まず顕微鏡の発明により、動植物の細胞や微生物が観察され、すべての生物が細胞からできているという細胞説が確立され、ルイ・パスツールらによる自然発生説の否定により、現在地球上に見られる生物は、生物からしか生まれないことが証明された。これらの知見により「生命はどこから生じたのか」という問いかけが自然科学における命題となる。また、ヒトのような複雑な生物がどのようにして生じうるのかという問題には、進化の概念によって手がかりが与えられた。進化とは生物が多様化することであり、最初の生物は非常に単純なものであったと考えることを可能にした。現在の自然科学では最初の生命は非常に単純であったという前提で研究が行われている。
生物の原子組成は海水のそれと類似しているため、生命は海中に解けた有機物の化学進化によって誕生したという説が有力である。ただし、パンスペルミア仮説のように地球外で生じた生物に由来するという説もある。また、化学進化説においても、最初のきっかけとなる物質は何であったか、誕生の場所はどこか、など諸問題に関して複数の説がある。現時点では生命の誕生を再現することが非常に困難であり、また化石標本による検証も難しいため、自然科学における最大の難問の一つと言える。
自然発生説とその否定
生命の起源に関して体系的に述べられた最初の学説は紀元前4世紀にアリストテレスによって唱えられた『自然発生説』である。自然発生説は現在では否定されているが、2000年間に渡って支持されてきた説である。自然発生説の主旨は「生物は無生物から自然に生ずる」というものである。
アリストテレスの自然発生説
アリストテレスが記した『動物誌』や『動物発生論』によると、昆虫やダニなどは、親以外からも露や泥やゴミや汗から自然に発生し、エビやウナギといった動物らも泥から生じるとされる。アリストテレスは解剖や詳細な観察に基づきこの説を立てているが、生気論に依っている点で現在の自然科学とは異なる。
レディの実験
1665年にイタリア人医師フランチェスコ・レディによって、長らく支持されていた自然発生説を否定する実験が行われた。レディは以下のような実験を行った。
- 2つのビンの中に魚の死体を入れる。
- 一方のビンはふたをせず、もう一方のビンは布で覆ってふたをする。
- そのまま、数日間放置する。
- 結果、ふたをしなかったビンにはウジがわくが、ふたをしたビンにはウジはわかなかった。
この実験の素晴らしいところは、フタをしたビンのほかに、フタをしなかったビンを用意したことである。この方法は対照実験と呼ばれ、現在でも応用がなされている。本実験と対照実験の中で違いを見つけていくことは、科学的方法に基づいたあらゆる実験の基礎とされる。
しかしながら、この実験では目に見えない細菌などの微生物が発生した可能性を否定できない点で不完全であった。またビンや布が真に生命を有していないのかが論じられていない。他にも多くの間違いは指摘できるが、顕微鏡が発明されていない当時では微生物の存在を確認することが困難であった。事実、微生物がアントニー・ファン・レーウェンフックによって発見された後、微生物の自然発生説に関する論争は避けられなかった。
パスツールの実験
この後、衛生学的な必要性から微生物学が発展し、無菌状態、即ち生命の存在しない状態を作り出すことが可能になる。ルイ・パスツールは微生物学の発展に貢献した中心的な人物であり、1860年代に微生物の発生について調べるために、白鳥の首フラスコを用いた実験系を考案した。実験の概要は以下の通りである。
- 無処理の肉汁エキスを入れたフラスコを二つ用意する。
- フラスコの首を白鳥の首状に変形させ、首の途中にある程度の水分が溜まる様に加工する。
- 肉汁を入れたフラスコの一方を煮沸する。蒸気は白鳥の首を伝って外部に出る。
- フラスコ内部はこの段階で無菌となる。
- 煮沸しなかったフラスコでは腐敗が起こるが、煮沸したフラスコは長期間放置しても腐敗しない。
- ただし白鳥の首を折ると腐敗が起こるようになる。
この実験は、空気中に存在するカビや細菌の胞子が白鳥の首にトラップされてフラスコ内部まで侵入しないことを仮定している。これによって自然発生説を否定する上で決定的な証拠が提示され、アリストテレス以降の宗教的な問題も含まれた科学的論争に決着がついた。この段階で初めて、生命の起源に関する科学的な論争が始まる。
ちなみに、パスツールは自然発生説の否定を実験的に行なっただけで生命の起源に関する実験は行なっていない。これは、生命の起源に関する問題は、実験的に証明できるものではないと考えたからだと言われている。詳細は自然発生説を参照。
化学進化説
化学進化説は無機物から有機物がつくられ、有機物の反応によって生命が誕生したという説であり、現在の自然科学ではもっとも広く受け入れられている。有機物の生成、蓄積を説明する実験や説としては、ユーリーとミラーによる実験に始まり、バーナルらによる表面代謝説の他、彗星からもたらされたなどの説がある。化学進化説を最初に唱えたのはロシアの科学者オパーリンである。
パスツール以降、1922年にオパーリンが『地球上における生命の起源』と題する本を出版するまで、生命の起源に関する考察や実験が行われたことはなかった。この本は生命の起源に関する科学的考察のさきがけとなった。彼の説は『化学進化説』と呼ばれる他、『スープ説』、『コアセルベート説』等と呼ばれている。これはこれらの『化学進化説』が生命の起源に関する段階で多くのものを含んでいるからである。化学進化説は最も理解が簡明かつ、基本的な生命発生のプロセスであり、これらの細かなプロセスごとに様々な仮説が提示されているが、その基本は化学進化に依る。オパーリンの生命の起源に関する考察は以下の要点にまとめられる。
- 原始地球の構成物質である多くの無機物から、低分子有機物を生じる。
- 低分子有機物は互いに重合して高分子有機物を形成する。
- 原始海洋は即ち、こうした有機物の蓄積も見られる『有機的スープ』である。
- こうした原始海洋の中で、脂質が水中でミセル化した高分子集合体『コアセルベート』が誕生する。
- 『コアセルベート』は互いにくっついたり離れたり分裂したりして、アメーバのように振る舞う。
- このようなコアセルベートが有機物を取り込んでいく中で、最初の生命が誕生し、優れた代謝系を有するものだけが生残していった。
この化学進化説を基盤として、生命の起源に関する様々な考察や実験が20世紀に展開されることとなる。なお、化学進化説で論じられている初期の生命は有機物を取り込み代謝していることから『従属栄養生物』であると考えられている。(栄養的分類を参照)
ユーリー - ミラーの実験
オパーリンの唱えた『化学進化説』ではその第一段階として『窒素誘導体の形成』が行なわれるとされていた。そのことを実験的に検証したのが1953年、シカゴ大学ハロルド・ユーリーの研究室に属していたスタンリー・ミラーの行なった実験である。その実験は『ユーリー - ミラーの実験』として知られており、生物学史に残る最初の『生命の起源』に関する実験的証明である。
ユーリー - ミラーの実験の趣旨は以下の通りである。
- 当時、原始地球の大気組成と考えられていたメタン、水素、アンモニアを完全に無菌化したガラスチューブに入れる。
- それらのガスを、水を熱した水蒸気でガラスチューブ内を循環させる。
- 水蒸気とガスが混合している部分で火花放電(6万ボルト)を行う(雷が有機化の反応に関係していたと考えている)。
- 1週間後、ガラスチューブ内の水中にアミノ酸が生じていた。
この1週間の間に、アルデヒドや青酸などが発生し、アミノ酸の生成に寄与したと考えられている。ユーリー-ミラーの実験で用いられた大気組成は、当時考えられたものであり、現在考えられているものとは若干異なっている。
アポロ計画によって持ち帰られた月の石の解析結果から、地球誕生初期には隕石などの衝突熱により、地表はマグマの海ともいえる状態にあり、原始大気の組成は二酸化炭素、窒素、水蒸気と言った現在の火山ガスに近い酸化的なガスに満たされていたという説が有力になった。よって、還元的環境を基礎とするユーリー-ミラーの実験を支持しない研究者も大勢いるが、逆に、この実験で発生した4,5種のアミノ酸(グリシン、アラニン、アスパラギン酸、バリン)を基準に遺伝暗号がタンパク質から生まれたとされるGADV仮説(後述)が唱えられている。彼らの行なった実験は、今なお生命の起源に関する考察に波紋を投げかけている。
なお、ユーリー-ミラーの実験の応用として、放電や加熱以外にも様々なエネルギー源(紫外線、放射線など)が試験され、その多くの実験が有機物合成に肯定的な結果を反映している。
簡単な物質から複雑な有機分子が生成することを示した点でユーリー - ミラーの実験は大きな意義を持つが、生命の発生との関連では、ホモキラリティー、即ちアミノ酸を例にとると、どの様にL-アミノ酸が選択されたかという問題が次に重要な問題になる。
表面代謝説
1959年、ジョン・バーナルによって粘土の界面上でアミノ酸重合反応が起きるとした『粘土説』が提唱された。何らかの界面は化学反応が起き易くなっており、化学反応の触媒としての機能を界面が有することは当時から良く知られていた(詳しくは酵素の項を参照)。この説自体は、赤堀四郎によって提唱された『ポリグリシン説』を基にしている。
こうした界面上で有機物が発生し、それらがポリマーに進化していく様子をさらに具体的に論じたのが1988年発表の『表面代謝説』である。論文の筆者はドイツ人弁理士ギュンター・ヴェヒターショイザー(G.Wachtershauser)である。表面代謝説の主な趣旨は以下の通りである。
- 黄鉄鉱(FeS2)表面で有機物の重合反応を含めたあらゆる化学反応が発生した
- 初期の生命は単位膜によって覆われず、黄鉄鉱表面に存在する代謝系が生命であった
- 黄鉄鉱界面上に発生した代謝系は独立栄養的であり、最初に生まれた生命は独立栄養生物である
- 黄鉄鉱界面上で発生した、イソプレノイドアルコールは古細菌脂質を構成する物であり、単位膜によって覆われた最初の生命は古細菌である
ほか、多くの主張が見られるが、単位膜系を有しない点、自己複製能力を有しない点で、表面代謝説は生命の定義から逸脱する。しかし、生命の定義というものを再認識させたと言う点で興味深い主張である。また、オパーリンの化学進化説の主張によると、初期の生命体は有機物スープを資化していった従属栄養生物だったが、表面代謝説では炭酸固定を行なった独立栄養生物であるとの主張がなされている。その証拠として、以下の反応があげられる。
ギ酸生成式
この反応は脱エルゴン反応でありエネルギーの外部からの投入を要求する。しかしながら、黄鉄鉱上でのギ酸生成反応は以下の式となる。
上記の式は発エルゴン反応であり、黄鉄鉱上で有機物の生成がおきやすいことを示している。
さらに、こうした有機物生成反応のみならずグリセルアルデヒド三リン酸およびジヒドロキシアセトンリン酸は、リン酸基(負に荷電している)が黄鉄鉱界面(正に荷電)に吸着され、配向を保ったお互いの分子が重合するという反応が発生し、生成物としてリン酸トリボースという、そのままDNAやRNAの材料となる糖新生反応が起きる。このトリボースにイミダゾール環であるプリン、ピリミジン塩基が結合することによりTNA(トリボ核酸)が生成し、DNAやRNAの雛形となる。グリセロリン酸を基点として各種アミノ酸が生じるモデルも提唱されている。
膜脂質については、前述のイソプレイノイドアルコールの生成モデルがある。イソプレノイドアルコールは脂肪酸に比べて、界面に吸着しやすいため重合反応が見られる。極性脂質誕生以降、ある濃度で脂質がミセル化し、同時に生じたRNA、DNA、タンパク質なども同時に遊離し、そうしたミセル化した脂質の袋こそが、祖先型の古細菌であるとヴェヒターショイザーは主張している。
表面代謝説は、一見非常に理論的で明快な結論を引き出しているようだが、以下の説明が不十分であるために不完全な理論であると言える。
しかしながら表面代謝説は深海熱水孔周辺に黄鉄鉱が多く見られることから、熱水孔を生命の起源と支持する学者の間では人気のある仮説の1つである。事実、黄鉄鉱上で酵素の関与無しに代謝系が生じる可能性を示唆した点は非常に興味深い。また、生命の定義にも波紋を投げかけた点において、生命の起源に関する説得力ある仮説として支持され続けている。
生物進化から生命の起源へ
上記の生命の起源に関する考察や実験は、その全てが無機物から生命への化学進化を論じたものであり、1980年代まではそのような流れが支配的であった。しかしながら、1977年カール・ウーズらによって第3のドメイン古細菌が提案され、古細菌を含めた好熱菌や極限環境微生物の研究が進行するにつれ、生命の起源に近いとされる生物群の傾向が明らかになってきた。
生命誕生以降の生物進化から生命の起源を探る試みは、化学進化とは異なり非常に多くの生命のサンプルを要する。多くのサンプルを用いながら、真正細菌、古細菌、真核生物の進化系統樹を描くことから、そうした試みが始まったと言える。進化系統樹を描く試みは従来、低分子のタンパク質アミノ酸配列(フェレドキシン、シトクロムcなど)を元にしたものが多かったが、DNAシークエンシング法やPCR法の確立などにより、より大きなデータを取り扱うことが可能になってきた。そうした生物の系統関係を論じるうえで最も一般的なものが16S rRNA系統解析である。また、コンピューターの計算能力の発展もその一翼をになった。
16S rRNA系統解析による3ドメインを含めた系統樹は、生命の起源が単系統であるか否かを論じるには当たらない無根系統樹である。しかしながら複数のDNA配列データを基に系統樹を作成すると系統樹に根をつけることに成功した(これは、生命の起源が単系統であることを系統樹上で意味する。こうした生物を共通祖先と言う)。そのような3ドメイン分子系統樹によると、共通祖先に近い原始的な生物は好熱性を示すものが多く見られることが判った。
例えば、真正細菌の根に一番近いのはAquifex属(超好熱性水素細菌)やThermotoga属(超好熱性水素細菌)である。そして古細菌は真正細菌に比べて系統樹の長さが短く(進化速度が遅く)原始的な性質を反映したが、根に近いものは好熱性のものにしめられていた(Thermococcus属、Thermoproteus属など)。また、好熱菌は概してゲノムサイズが小さい傾向にあり、これは共通祖先のゲノムサイズも小さいものであったことを示唆している。
3ドメイン分子系統樹の共通祖先はある時期に真正細菌および古細菌に分岐したことを示しているが、その祖先がいずれの性質を示していたのかと言う命題に対しては中立的である。真正細菌および古細菌は同じ原核生物であるものの、生体膜脂質の構造や転写、翻訳機構などの相違により、別系統の生物と言わざるを得ない。どのようにして、なぜ、共通祖先が真正細菌と古細菌に分かれたのかは今なお良く分かっておらず、今後の研究が待たれる。
なお、分子系統樹を用いた共通祖先を探る試みは定量的であるものの、別の遺伝子を使用すると時として真正細菌の枝の中に古細菌が入ったり、真核生物の枝の中に古細菌が入ったりと、統一的な見解が得られているわけではない。これは、遺伝子の水平伝播が盛んに起こっていると考えられている原核生物間の遺伝子のやり取りが影響していると考えられており、分子系統樹のみに依存すると本質を見誤ることを示唆している。
古細菌、真正細菌の細胞内共生説、原始生命体のゲノムサイズや性質については『原始生命体』の項を参照。
化学合成独立栄養生物群の世界
生命の起源の考察の中に、最初の生命は独立栄養的か従属栄養的かという論争は絶えない。しかし1970年代に深海熱水孔がアルビン号によって発見されたときから独立栄養生物を支持する説がいくつか上がってきている。
深海熱水孔の発見は当時、深海はほとんど生物の存在しない世界であるとされていた学説を一変するものであった。太陽エネルギーの存在しない深海で、原核生物はおろか多細胞生物を含めた真核生物もそうした独自の生態系に依存している様子は多くの学者を驚かせた。
地上の生態系は、植物が一次生産者となり、動物を消費者、細菌や菌を分解者とする太陽エネルギーに依存した物質の流れが基本である。しかしながら深海熱水孔においては、熱水孔から排出される還元物質を酸化しながら炭酸固定をしている化学合成独立栄養生物(硫黄酸化細菌など)が一次生産者であった。こうした、太陽エネルギーに依存しない生態系の発見から、生命の起源は還元的物質が地球内部から発生する深海熱水孔に由来するのではという説が現れるのは自明の理であった。
また、深海熱水孔のみならず、海底あるいは地上を掘削すると地下5km程度まで化学合成独立栄養細菌群の支配的な生物圏が存在することが明らかになった。これが『地下生物圏』の発見であり、地下数kmで発生した化学合成独立栄養生物を生命の起源とする新たな説も現れている。
新しい化学進化説
DNAを遺伝情報保存、RNAを仲介として、タンパク質を発現とする流れであるセントラルドグマは一部のウイルスの場合を除いて、全ての生物で用いられている。これら三つの物質はそれぞれの機能からいずれの物質が雛形となったのかは1950年代から論じられてきた。そうした説の名称がRNAワールド仮説、DNAワールド仮説、プロテインワールド仮説である。
セントラルドグマを基本にするのであれば、DNAと言う情報が初期に存在し、その後RNAの仲介によってタンパク質として発現したとするDNAワールド仮説の信憑性が論じられる。しかしながらDNA→RNA→タンパク質のいずれにもタンパク質の触媒作用が関与しており、なによりタンパク質の情報が先に存在したという説異は考えがたいものがある。この三つの説を統一するような見解は得られておらず、情報の保存、触媒作用を争点にいまだ論争が絶えない。なお、これらの説を一部融合させたDNA-プロテインワールド仮説のような説も存在する。
RNAワールド仮説
RNAワールド仮説は、初期の生命はRNAを基礎としており、後にDNAにとって替わられたとするのものである。1981年、トーマス・チェックらによって発見された触媒作用を有するRNAである『リボザイム』がその根底にある。また、レトロウイルスによる逆転写酵素の発見もその拍車となった。RNAワールド仮説の趣旨は以下の通りである。
RNA自体が触媒作用と遺伝情報の保存の両者をになう点は、生物学者に大きなインパクトを与え、RNAワールド仮説は、いまだ生命の起源の論争の中でも主たる考察であると言える。しかしながら、RNAワールドを否定する意見としては、以下の点があげられる。
- リボザイムの持つ自己複製能力は、それ自体では存在しない
- リボザイムの触媒能力はタンパク質のそれに比べてきわめて低く、特異性も存在しない
- RNAは分子構造が不安定であり、初期の地球に多量に存在したであろう、紫外線や宇宙線によって容易に分解を受ける
しかし、特異性に関しては近年ではハンマーヘッド型リボザイムを筆頭に顕著な改善が認められる。
プロテインワールド仮説
プロテインワールド仮説はタンパク質がまずはじめに存在し、その後タンパク質の有する情報がRNAおよびDNAに伝えられたとする説である。RNAワールド仮説と双璧をなす生命の起源に関する考察のひとつであり、近年プロテインワールドを支持する化学進化の実験結果が多く得られている。プロテインワールド仮説の趣旨は以下の通りである。
- タンパク質は生命反応のあらゆる触媒をになっており、代謝系を有する生命には必須である
- 20種類のアミノ酸から構成されており、多様性に富んでいる
- セントラルドグマのあらゆる反応に酵素の触媒は関与している
- ユーリー - ミラーの実験で生じた、4種のアミノ酸(グリシン、アラニン、アスパラギン酸、バリン)を重合させたペプチドは触媒活性を有している(GADV仮説)。
- さらにそれらのアミノ酸の対応コドンはいずれもGからはじまるものであり、アミノ酸配列からDNA、RNAに情報が伝達された痕跡であると考えられる(GNC仮説)。
GADV仮説は奈良女子大学の池原健二教授によって提唱されたプロテインワールド仮説を支持する新説である。この説により、プロテインワールド仮説がより重みを増したと言える。しかしながらプロテインワールド仮説にも以下の反証があげられる。
- ペプチドには自己複製能力が存在しない
- タンパク質もRNAほどではないが、分子構造が不安定である
- ランダムに重合したアミノ酸から特定のコンフォメーションを有する酵素等が自然に出来上がるとは考えにくい(サルが適当に打ったタイプはシェークスピアとなるか?)
第一の点に関しては鋳型とモノマーを材料としたポリマライゼーションのみを自己複製とするなら指摘の通りだが、広義の自己複製ならその限りではない
DNAワールド仮説
セントラルドグマが生命誕生以来、原則的なものであればまずはじめに設計図が存在していたと考えるべきであるが、DNAワールド支持者はRNAやプロテインワールドに比べて分が悪い。なぜならDNAは触媒能力を有しないとされていたからである。しかしながら2004年にDNA分子を連結させるDNAリガーゼ機能を持つ『デオキシリボザイム』が発見された (Sreedhara, A., Li, Y. & Breaker, R. R. J. Am. Chem. Soc. 126, 3454-3460)。
遺伝情報の安定性を有しながら触媒能力を有する点でRNAやタンパク質よりも優れているが、デオキシリボザイムは触媒効率は非常に低いと言う欠点がある。触媒効率を向上させたデオキシリボザイムが発見されれば、DNAワールド仮説の復権が期待できると思われる。
パンスペルミア仮説
以上では化学進化を説明したが、地球上で生命が発生したという仮説を更に否定する「パンスペルミア仮説」も提唱されている。最初の生命は宇宙からやってきたとする説であり、「胚種広布説」あるいは「宇宙播種説」と訳されている。この説のアイディア自体は1787年アッペ・ラザロ・スパランツァニ(スパランツァニも自然発生説を否定した実験で有名である)によって唱えられたものである。この後、1906年にスヴァント・アレニウスによって『パンスペルミア(仮)説』という名前が与えられた。
オパーリンの論じた化学進化よりも時代的に先行している生命の起源に関する一仮説であるが、仮説とするには余りにもブラックボックスが多いと考える学者は大勢いた。判らないものは宇宙に由来させよう、という消極的な考えに一見見えるが、これは化学進化を否定するわけではなく、『地球上で無機物から生命は生まれた』ということを否定しているのみである。
アレニウスによる、より具体的なパンスペルミア仮説の主張として、以下の文章をあげたい。
- 「生命の起源は地球本来のものではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が宇宙空間を飛来して地球に到達したものである。」
前述の通り、生命が宇宙のどこかで発生したという説は一見消極的に見えるが、この説は化学進化と同様現在でも支持されている学説の一つである。このパンスペルミア仮説を支持する点は以下の通りである。
- 38億年前の地層から真正細菌らしきものの化石は発見されており、地球誕生後数億年であらゆる生理活性、自己複製能力、膜構造を有する生命体が発生したとは考えにくい。すなわちパンスペルミア説は有機物から生命体に至るまでの期間に猶予が持てる。
- 宇宙から飛来する隕石の中には多くの有機物が含まれており、アミノ酸、糖など生命を構成するものも多く見られる。
- 地球の原始大気は酸化的なものであり、グリシンなどのアミノ酸が合成されにくい。地球外にはユーリー-ミラーの実験に相当する還元的な環境があったかもしれない。
他にも多くの主張が見られるが、多くはSFと科学の境界領域に属するため、割愛する。特に、地球誕生後数億年で生命体が発生したと言う点で、パンスペルミア仮説が支持されることが多いが、この数億年は生命の発生にとって短いのか、長いのか、その辺りの論証がなされない以上、パンスペルミア仮説を完全否定することは難しいと言える。なお、この説の支持者としてはDNA二重螺旋で有名なフランシス・クリックほか、物理学者・SF作家のフレッド・ホイルがいる。
しかし、この説を支持したとしても、ではその宇宙からやって来た生物はどのようにして発生したのか、と言う疑問が新たに現れるだけであるため、疑問の先送りに過ぎず、生命の起源説とは言えないという考えもある。
関連項目
- 生物
- 自然発生説
- ユーリー - ミラーの実験
- ホモキラリティー
- 原始生命体
- リボザイム
- GADV仮説
- パンスペルミア説
- アラン・ヒルズ84001
- 宇宙化学
- マーチソン隕石
- 共通祖先
- インテリジェント・デザイン:創造論的生命起源論
- 惑星の居住可能性
- 生物学上の未解決問題
- 人工生命
リファレンス
- Lee DH, Granja JR, Martinez JA, Severin K, Ghadri MR. 1996. A self-replicating peptide. Nature. 382: 525-528.
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