姫路駅
姫路駅(ひめじえき)は、兵庫県姫路市駅前町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅。
目次
概要
姫路市の中心駅として、在来線3路線と新幹線が乗り入れるターミナルとなっている。兵庫県で最大の駅舎・駅ビルを持つ駅でもある。駅長が配置された直営駅であり、管理駅として姫路市内に所在する山陽本線のひめじ別所駅 - 網干駅間の各駅を管轄している。
山陽新幹線と、在来線である山陽本線・播但線・姫新線の合計4線が乗り入れている。このうち山陽本線は在来線における当駅の所属線であり[1]、当駅より神戸駅方面・東海道本線大阪方面には「JR神戸線」の愛称路線名が設定されている。播但線と姫新線は当駅を起点としている。
かつては上記路線のほか、日本国有鉄道(国鉄)の播但線支線(飾磨港線)と山陽本線貨物支線、姫路市交通局の姫路市営モノレールが乗り入れていた。
当駅では通常、山陽本線上り方面を「JR神戸線」、路線愛称がない下り方面を「山陽本線」と呼称しているため、以降はこれに従い記述する。
歴史
当駅が山陽鉄道によって設置されたのは1888年暮れと、全国的に見ても初期の部類に入る。このころの駅は市街地を避けて設置されることが多かったが、当駅の場合市街地のすぐ南隣、外堀の南側の田畑の上に作られた。この当時姫路城内には陸軍歩兵第10連隊が設置されており、このことによる必要性もあって市街地に隣接して設置されたと思われる。これは姫路市街の発展に大きく寄与することとなった。なお翌年、当駅で日本で初めての本格的な駅弁が発売されたとされる。
1894年から播但鉄道(後に山陽鉄道に合併され、現在は播但線)が当駅に乗り入れるようになる。同線は陰陽連絡線であると同時に、生野銀山の銀を運ぶ役割もあった。姫新線の接続は遅れて1930年である。1958年に明石駅から当駅までが電化され、東京方面からの列車はここで電気機関車から蒸気機関車への付け替えをおこなっていた。その名残か、高架化前の当駅の跨線橋下には多数の洗面台があり旅人が顔を洗う光景が数多く見られていた。さらに1972年には山陽新幹線の岡山駅までの開業で新幹線の駅が設けられ、東京方面と日帰りできるようになった。
近距離輸送では、1923年8月19日には飾磨駅・高砂駅経由の本格的都市間高速電気鉄道(インターアーバン)である神戸姫路電気鉄道(現在の山陽電気鉄道)が明石駅 - 当駅間で開業。以後長らく神戸までの輸送は神姫電鉄→宇治川電気→山陽電鉄、大阪などへ向かう長距離客は国鉄という棲み分けがなされていた。 第二次世界大戦後、山陽電鉄が1948年に日本における戦後初のロマンスカーとして記録される820形を投入、快適な接客設備によりシェアを拡大した。これに対抗して国鉄はC62形などの牽引機を例外的に東灘で転向するという無理をして神戸駅 - 当駅間で列車増発を実施、従来の棲み分けが徐々に崩れ始めた。
1958年の山陽本線西明石駅 - 姫路駅間電化で40分間隔になり、1968年の神戸高速鉄道開業と同時に国鉄線も毎時2本に増発された。1972年の山陽新幹線の岡山駅までの開業に伴って新快速への153・165系の転用が実施され、さらに1973年のダイヤ改正で当駅発着新快速の増発(毎時2本へ)が実施されるまで、急行券を必要とするにもかかわらず大阪駅 - 当駅間で国鉄急行の利用実績が高かったことが示すように、神戸以東への直通客、特に対大阪方面の輸送実績については常に国鉄が圧倒的優位に立っていた[2]。
この状況は料金・所要時間の問題もあって、山陽電鉄の阪急六甲駅・阪神大石駅への直通乗り入れと高速神戸での大阪方面への同一ホーム乗り換えを実現した神戸高速鉄道の開業をもってしても覆ることはなく、オイルショック後は沿線の工業地帯が大きなダメージを受けたこともあり、山陽電鉄の輸送実績は1970年代前半から後半にかけて大きく低下した。
さらに、1980年から国鉄側は老朽化した153・165系の代替用として117系を新快速に投入、本格的に神姫間のシェア拡大を図るようになり、1986年11月1日に新快速はすべて当駅発着になった。221系投入後はさらに利用客が増加した。
1995年の阪神・淡路大震災は姫路駅にも重大な影響をもたらした。駅に地震の直接的影響があったわけではないが、震災によって分断され当駅止まりとなった山陽新幹線や神戸市内で断絶したJR神戸線を迂回するためのルートとして播但線が用いられ、姫路駅は同線あるいはJR神戸線の開通区間に乗り換える博多方面との間の乗客で大変に混雑した。
姫路市とその周辺地域はモータリゼーションの進展が激しく、当駅の乗客数は昭和40年代頃をピークに一度大きく減少している。昭和50年代半ばに底を打ち、以降は上記のような積極攻勢もあってピーク時の水準以上にまで戻している。しかし山陽姫路駅側はピーク時の半分以下と大きく落ち込んでしまった。また、みゆき通りを始めとする姫路駅前の商店街は郊外型店舗に客を奪われ苦しい状況である。
かつては当駅にも貨物設備が存在していた。北上する播但線の東側に、コンテナホームや有蓋車用車扱貨物ホームがあり、鉄道貨物輸送の拠点となっていたが、設備の老朽化や市街地に位置することにより設備が小規模であることから、郊外に新設した姫路貨物駅へ機能を譲渡し廃止された。また付属設備として姫路操車場およびターンテーブルと扇形庫を擁する姫路機関区[3]や姫路客貨車区が設置され、鉄道病院も駅南側に設置されていた。
連続立体化工事の際に高架ホーム予定地や地平ホーム跡の発掘調査を行ったところ、奈良時代の遺跡(「豆腐町遺跡」と命名された)が発見され、和同開珎や漆紙文書など多数の遺物が出土している[4]。
年表
- 1888年(明治21年)12月23日 - 山陽鉄道 明石駅 - 当駅間開通と同時に開業。一般駅。
- 1889年(明治22年)11月1日 - 山陽鉄道 当駅 - 竜野駅間が開通。
- 1894年(明治27年)7月26日 - 播但鉄道 当駅 - 寺前駅間が開通。
- 1895年(明治28年)4月17日 - 播但鉄道 当駅 - 飾磨駅(後の飾磨港駅)間開通。
- 1903年(明治36年)6月1日 - 播但鉄道が山陽鉄道に路線を譲渡、山陽鉄道のみの駅となる。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となり、旧・播但鉄道線は播但線となる。
- 1930年(昭和5年)9月1日 - 姫津線(現在の姫新線)当駅 - 余部駅間が開通。
- 1934年(昭和9年)3月24日 - 姫津西線開業に伴い、姫津線が姫津東線に改称される。
- 1936年(昭和11年)
- 1945年(昭和20年)7月3日 - 姫路大空襲により初代駅舎焼失。
- 1946年(昭和21年)10月 - 二代目駅舎竣工。
- 1949年(昭和24年)10月19日 - 構内で「えきそば」販売開始(詳細後述)。
- 1957年(昭和32年)3月27日 - 山陽本線の貨物支線、当駅 - 姫路市場駅間が開通。
- 1959年(昭和34年)11月 - 三代目駅舎が全国23番目の民衆駅として竣工。姫路駅デパート(駅ビル)・地下名店街(地下街)開業。
- 1966年(昭和41年)5月17日 - 姫路市営モノレール線、当駅 - 手柄山駅間(1.6km)が開業。
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 山陽新幹線新大阪駅 - 岡山駅間開通により、新幹線の停車駅となる。
- 1974年(昭和49年)4月11日 - 姫路市営モノレール線休止。
- 1979年(昭和54年)
- 1月26日 - 姫路市営モノレール線正式廃止。
- 11月1日 - 貨物支線 当駅 - 姫路市場駅間が廃止。
- 1983年(昭和58年)- 駅ビル・地下街をリニューアルし、フェスタ(駅ビル)・フェスタガーデン(地下街)が開業。
- 1986年(昭和61年)
- 10月31日 - 播但線 当駅 - 飾磨港駅間が廃止。
- 11月‐小荷物扱い廃止、姫新線に特殊自動閉塞式導入(姫路駅にセンターを設置)。山陽本線御着、英賀保、網干と播但線仁豊野駅の4駅の管理駅となる。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)4月-日本貨物鉄道から委託されていた貨物扱いを分離
- 1990年(平成2年)3月10日 - 当駅 - 広島駅・博多駅間のこだま4往復新設。
- 1994年(平成6年)3月21日 - 日本貨物鉄道の駅が廃止。新設の姫路貨物駅に業務を移管。
- 1995年(平成7年)
- 1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年)12月27日 - 姫新線を仮線に切り替え。
- 2000年(平成12年)
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)3月13日 - 「のぞみ」が2時間に1本停車(上下あわせて15本)。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2008年(平成20年)
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)
- 2016年(平成28年)3月26日 - 在来線改札内に中間改札を設置。これにより、播但線・姫新線(1-4番のりば)とJR神戸線・山陽本線(5-8番のりば)の乗り換えには中間改札を通過する必要がある。
駅構造
ホーム
1989年より姫路駅とその前後区間において在来線の連続立体交差化工事が行われ、2008年12月22日をもって全てのホームが高架化された。在来線は島式ホーム3面8線(内2線行き止まり)および下り通過線1線、新幹線は島式・相対式ホーム2面3線および上下通過本線の構成となっている。※在来線の上り通過線は無いので、上り通過列車(貨物列車等)は5番のりばを通過している。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
在来線ホーム | ||||
1・2 | J 播但線(普通) | 寺前・和田山方面 | ||
□特急「はまかぜ」 | 大阪方面 | 2番のりばのみ | ||
3・4 | K 姫新線 | 播磨新宮・佐用方面 | ||
5・6 | A JR神戸線(新快速・普通) | 三ノ宮・大阪方面 | ||
□特急「スーパーはくと」 | 大阪方面 | 5番のりばのみ | ||
7・8 | A 山陽本線(新快速・普通) | 相生・播州赤穂・上郡・岡山方面 | ||
□特急「スーパーはくと」 | 鳥取方面(智頭急行線経由) | |||
□特急「はまかぜ」 | 城崎温泉方面(播但線経由) | 7番のりばのみ | ||
新幹線ホーム | ||||
11 | ■ 山陽新幹線 | 上り | 新大阪・東京方面 | 当駅始発は12番のりば |
12・13 | ■ 山陽新幹線 | 下り | 岡山・広島・博多・鹿児島中央方面 |
コンコースののりば案内標では上記のように案内されている。この他、寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」が、下りは8番のりば、上りは5番のりばに停車する。
在来線
全長350mの島式ホーム1面4線(1 - 4番のりば)と全長320m(15両編成[7]対応)の島式ホーム2面4線(5 - 8番のりば)、合計3面8線のホームを持つ。
1 - 4番のりばは一つのホーム上にあり、2番のりばは大阪側・南側の切り欠きホーム、3番のりばは岡山側・北側の切り欠きホームである。1・4番線はスルー式になっており、姫新線と播但線を相互に直通することが可能。このため1番線の西側は播但線車両の留置線としても利用されている。2番のりばの岡山方には4番のりばへ進入するための渡り線がある。また山陽本線上り線岡山側から4番のりばへの進入が可能であり、夜間に貨物列車1本が4番のりばを通過している。なお1 - 4番線は全て電化されているが、架線は西側で終端となっている。
大阪側の上り線と下り線の間に留置線(全長320m)が4線敷設されており、相生方面からの列車の折り返しや、播但線・姫新線の列車留置に使われている。大阪方面からの終着列車は、6番のりばへ進入して直接折り返す列車や、一時留置線で留置後に上り列車として折り返したり網干総合車両所まで回送される列車もある(当駅で播但線に使用される221系が2番線で夜間滞泊を行っている)。岡山方面からの折り返し列車は直接7番のりばに入る事もある。2・4 - 8番のりばのいずれからも留置線への入出場は可能であるが、2・4番のりばからは一番北側の1番留置線にしか入線できないような配線となっている。
6番のりばからは大阪方面・岡山方面へ、7番のりばからは播但線・大阪方面・姫新線への出発が可能となっている。
ホームには1面に1か所ずつ計2か所の待合室が設けられている。内部の座席は全て南向きで、冷暖房完備。ただし他駅と異なり、車椅子スペースの折りたたみ座席は設けられず、空きスペースとされている。山陽本線部は青春18きっぷシーズン中には、岡山方面への乗り継ぎを行う旅行者で混雑する。
5・6番のりば、7・8番のりばのそれぞれ中程には駅そば屋が設けられている。かつての地上駅時代には旧3・4のりば、旧6・7のりばの中程や旧31 - 33のりばの西端でも駅そば屋が営業していたが、新ホーム移行に伴い営業終了・撤去された(駅そば屋については後のえきそばの部分も参照)。また、旧1のりばの東端にはカレー屋もあったが、こちらも営業を終了した。
5 - 8番のりばでは、駅員が赤旗を振る事によって客扱い終了表示を送っている。
新幹線
16両編成対応の11 - 13番のりば(山陽新幹線)は島式・相対式2面3線の高架ホームで、11番のりばと12番のりばの間に2線の通過線がある。また、11番のりばと在来線の高架の間に、線路をもう1線増設して2面4線とすることが可能なスペースがある[8]。
基本的に新大阪・東京方面の列車は11番のりばを、岡山・鹿児島中央方面の列車は12番のりばを使用する。ただし、当駅始発の東京行「のぞみ」は12番のりばから(前日終着となった東京発「のぞみ」の折り返し運用のため)、2013年のダイヤでは7時台の当駅始発の岡山行き「こだま」のみ13番のりばから発車する[9]。また、事故や気象に起因するダイヤ乱れなど緊急時の列車待避に13番のりばを使用する場合がある。
13番線は1990年3月10日から2003年9月30日にかけて、当駅 - 広島駅・博多駅間に設定されていた「こだま」の折り返し時に使用されていた実績がある。
連続立体交差事業
「JR山陽本線等姫路駅付近連続立体交差事業」として駅を含む山陽本線 (4,260 m) 、播但線 (1,333 m) および姫新線 (1,036 m) の高架化および貨物基地・車両基地・保線区の移転などが行われた[10]。事業費は632億円とされた[10]。これの付帯事業として、播但線第1期連続立体交差事業が行われ、1984年10月までに先行竣工している[10]。
- 推移
在来線の高架化事業開始までは、島式・相対式3面11線のホームとなっていた。姫新線は1番線・西1番線(のちに0番線)、播但線は東1 - 3番線(のちに31 - 33番線)と呼称されていた。これらは中央改札口を挟んで全てが地続きになっており、駅ビルと直結していた。また山陽本線上りは3・4番線、同下りは6・7番線(2・5番線は通過線でホーム無し)となっており、飾磨港線は7番線西端を切り欠いた西7番線を使用していた。さらに7番線と新幹線の高架の間には広大な留置線が敷設されていた。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
0・1 | ■姫新線 | 播磨新宮・佐用方面 | ||
3・4 | ■JR神戸線(新快速・普通) | 加古川・三ノ宮・大阪方面 | 寝台特急(大阪・京都方面)含む | |
□特急「スーパーはくと」 | 大阪方面 | |||
6・7 | ■山陽本線(新快速・普通) | 相生・播州赤穂・上郡・岡山方面 | 寝台特急(九州方面)含む | |
□特急「スーパーはくと」 | 鳥取方面(智頭急行線経由) | 6番のりばのみ | ||
□特急「はまかぜ」 | 城崎温泉方面(播但線経由) | 7番のりばのみ | ||
31 - 33 | ■播但線(普通) | 寺前・和田山方面 | ||
□特急「はまかぜ」 | 大阪方面 |
連続立体交差化の基本構想は1973年に姫路市から発表されたが、当時は貨物駅や気動車区があり、山陽電気鉄道本線の高架橋とも干渉するため、工事は難航し、着工から長い年月を費やすこととなった。
新幹線高架に沿って在来線高架を建設するスペースを捻出するため、貨物駅の移転と在来線ホーム南側の留置線の移設を行う必要があった。1994年に貨物駅は姫路貨物駅として、また姫路鉄道部(気動車区)は余部駅近くに移転した事から工事が本格着工した。貨物設備と新幹線高架の間に位置していたJR神戸線下り線を、貨物設備撤去によって捻出したスペース、同上り線のすぐ南側に移設した。捻出したスペースに在来線高架および留置線の建設を行い、第1段階として、1997年に市川から駅東側までの部分で高架切り替えが行われた。その後も駅高架部分の建設が行われ、2006年3月26日にはJR神戸線、山陽本線部が高架化されたが、播但線が高架化されるまでの間は駅構内で播但線との接続ができなくなった。このため、播但線で使用されている103系の当駅 - 網干総合車両所間の回送(播但線から網干方面に入れないため、一度宝殿駅まで行って折り返した)や、特急はまかぜの播但線乗り入れのために、駅東側の高架以前のJR神戸線上り線を利用して播但連絡線が敷設されていた。
山陽電鉄線も飾磨港線の路線跡を利用しての高架切り下げが行われた。
2011年2月末に旧姫路駅ビルが閉鎖し取り壊された後、旧地上ホーム跡地に新姫路駅ビルなどが改築されている。
コンコース
南北の自由通路を兼ねた中央コンコースと改札内の在来線コンコース、2階新幹線乗換口内の新幹線コンコースに分かれる。改札口は在来線コンコース西側岡山寄り、中央コンコースとの間の中央改札口と、在来線コンコース加古川寄りの東改札口の2ヶ所となっている。
在来線コンコース内には他駅より大きめのデイリーインが造られ、通常の弁当や雑誌の他に姫路のお土産などが売られている。また、回転焼きで有名な御座候や、牛丼の吉野家なども営業を始めている。
新幹線コンコースでは、お土産屋(おみやげ楽市)やまねき食品が運営する「Maneki Dining」が営業をしている。また、ICOCA対応のロッカーも設置されている。
新幹線改札内には、姫路市白浜の松原八幡神社の秋季例大祭で行われる灘のけんか祭りに使用される、松原屋台が展示されている。
以前は南口の2階部分に新幹線用と在来線用の改札口が別々に設けられていたが、JR東西線開業に伴う在来線の自動改札化後に新幹線用は使用停止となり(在来線自動改札を通る事で乗車券に乗車駅情報を読み込ませるため)、在来線用も2005年4月17日に2階から1階に南中央改札口(現・中央改札口)として移され、もともとの南口は閉鎖された。さらに北口から新幹線改札までは、従来は跨線橋を利用することで行き来することができたが、高架工事の進展に伴って跨線橋が一部撤去され、現在の新幹線口が作られた。従来は今より東側の位置から進入する形となっていた。その部分はシャッターによって跨線橋と接続していた部分が閉鎖されているが、JRと兵庫県警鉄道警察隊が事務用としてそのスペースを使用している。
姫新線と播但線の高架化以前は、北側出口は駅デパートに直結する地下改札、2階改札も含め、従来の改札を引き続き使用する事となり、駅ビルまでの仮設通路が設けられていた。高架の完成に伴い、従来の北側出口側の改札は地下改札や2階改札も含めて撤去となり、北側出口側からは新コンコース側への自由通路を通って新コンコースの中央改札口へとアクセスする形になっている。従来の中央改札は撤去されて通路として開放されている。
かつて存在した設備
- 操車場・貨物設備
姫路・神戸地区における取扱貨物量の増加に伴い、吹田操車場の補助目的で設置された[11]。吹田操車場、梅小路駅と並んで、大阪鉄道管理局内での本社指定操車場に指定されるまでになった。
姫路駅の貨物業務を分離し、旅客駅東側に平面貨車ヤード(取り扱い規模1,500車/日)を新設した[11]。1921年に用地買収を開始し、1929年に完成した[11]。
貨物取扱量の増加に伴い、1941年には上り仕訳線増強が[12]、第二次世界大戦後まもなく列車編成長さ延長に対応した有効長延伸工事が行われた[13]。さらなる改良として、高度経済成長期には下り本線を構内南側(新幹線高架寄り)に移設し、仕訳線を上下本線間に設置する抱き込み式ヤードに改良し、増大する貨物に対応した[14]。
ヤード継走式輸送の衰退や貨物列車のコンテナ化に伴い、1984年2月1日ダイヤ改正で操車場は機能停止となり、国鉄分割民営化後は貨物設備のみがJR貨物に引き継がれた。
この貨物設備は、前述した連続立体交差事業に関係して姫路貨物駅として郊外に移転している。
- 機関区
ダイヤ
新幹線
「ひかり」と「こだま」が停車し、「のぞみ」は岡山駅発着の下り1本(129号)を除く全列車と広島駅発着の大半の列車、博多行きが3本、博多駅始発の東京行き5本、九州新幹線直通の「さくら」は下り11本、上り11本が停車する。また朝6時に当駅始発の東京行きと東京駅始発で23時台に到着する「のぞみ」が運行されている(いずれも当駅で網干・上郡方面の普通列車と接続を取る)。「みずほ」は停車していなかったが、2014年(平成26年)春のダイヤ改正から上下2本ずつが停車するようになった[15]。
本数は「のぞみ」、「さくら」、「ひかり」、「こだま」(新大阪駅発着・こだまは時間帯によっては設定なし)がおおむね各1本となっており、ダイヤはほぼ固定されている。
270km/h超の速度を出せるのは当駅以西(正確には東方約5キロ地点以西)である。
推移
1972年3月15日に山陽新幹線が開業した当時は、東京駅 - 岡山駅間運転の「ひかり」[16]が1時間あたり2本あり、また、朝晩時間帯を中心に「こだま」が運転される場合もあった。1975年3月10日の山陽新幹線全線開通に伴い、各列車は広島駅・博多駅まで延長され、列車の増発により1時間あたりの停車本数も3 - 4本に増えた。
1990年3月10日改正では、当駅 - 広島駅・博多駅間の「こだま」が4往復設定されたが、1991年3月16日改正でいったん廃止された。この改正で当駅 - 東京駅間「ひかり」が設定された[17]。2000年3月11日改正では、新たに設定された「ひかりレールスター」の停車駅となり、新大阪駅発着「こだま」の半数を区間変更する形で当駅 - 広島駅・博多駅間の系統が1時間あたり1本設定された。
かつて「のぞみ」は停車しなかったが、2003年10月1日ダイヤ改正での「のぞみ増発」に伴い停車駅に追加され、以後毎時1 - 2本停車する。同時に、当駅 - 広島駅・博多駅間「こだま」が運行区間短縮によって廃止された。2006年3月18日改正では当駅で夜間滞泊する「のぞみ」が1往復設定された。
以前は当駅始終着で東京駅発着の「ひかり」も設定されており、特に東海道新幹線に100系が残存していた頃は「グランドひかり」により運転されていた(後に300系・700系へ置き換えられている)。当駅始発便は2008年3月15日ダイヤ改正で、当駅終着便も2012年3月17日ダイヤ改正で廃止された。
在来線
アーバンネットワークエリアに属している。ICOCA(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)が利用できるのは、JR神戸線神戸方面と、西は山陽本線の相生駅までの各駅及び赤穂線相生駅 - 播州赤穂駅間のみ。山陽新幹線・播但線・姫新線・山陽本線有年駅以西、赤穂線天和駅以西はサービスエリア外で使用できない。
JR神戸線・山陽本線・赤穂線
すべての特急列車が停車する。JR神戸線の新快速・普通列車(普通列車は西明石駅から快速で運転)は、日中時間帯で1時間あたり6本(新快速の3本は当駅折り返し)停車する。山陽本線の相生方面は網干・播州赤穂行きのものと、当駅始発の播州赤穂行きが設定され、計4本が設定されている。播州赤穂駅発着の列車は相生駅で上郡・岡山方面行きに接続する。また、朝晩は上郡・岡山方面行きも当駅まで乗り入れて折り返すため、それらと大阪・三ノ宮(神戸)方面から直通する網干・播州赤穂・上郡行きが混在する。
朝ラッシュ時は新快速と普通(舞子駅・垂水駅・須磨駅は通過)がそれぞれ8分間隔で発車する。夕方ラッシュ時は新快速が7分半間隔、普通が毎時4本ほど到着する。12両編成の新快速は当駅または網干駅で増解結を行うため、例として「敦賀(または近江塩津)発米原駅経由播州赤穂行き」の新快速が時刻表上で設定されていても、実際には敦賀駅(または近江塩津駅)発の編成全車両ごと播州赤穂駅まで直通運転させることはできない(これは北陸本線区間と赤穂線区間では12両編成の列車の停車がいずれもできないため)[18][19]。
当駅から相生方面では新快速でも各駅に停車するが、播州赤穂行きの最終を除き種別幕は「普通」に変更せず、その列車の終点まで一貫して「新快速」として運行される(他に湖西線近江舞子駅以北や北陸本線米原駅以北も同様である)。
国鉄時代は終電が早く(0時台)、その後大阪方面から1時半に当駅に到着するようになったが、今は新快速に変更された関係で繰り上げ(1時23分)になっている。
播但線
当駅が起点である。播但線経由の特急「はまかぜ」は上り下りともにスイッチバックのため当駅で進行方向が変わる。かつては播但線飾磨港方面ゆき(飾磨港線)が発着していたが、既に廃止されている。
昼間時間帯となる11 - 15時台は1時間あたり1 - 2本となっているが、それ以外の時間帯では2 - 4本が運行されている。大半が寺前行き(半数は寺前駅で和田山行きに接続)であるが、朝晩には福崎行きが加わる。
なお播但線は福知山支社の管轄路線であるが、当駅自体は神戸支社管内となっているため、当駅の上り場内信号機を支社境としている。
姫新線
当駅が起点である。
1時間あたり2 - 4本運行されている。播磨新宮行きが2本ずつという形を基本とし、入出庫を兼ねた余部行きが1 - 2本加わることがある。また、朝晩を中心に佐用・上月行きがある。日中の半数は播磨新宮駅で佐用行きもしくは上月行きに接続し、それらの一部は佐用駅で津山行きに接続する。
姫路駅ビル
概要
- 初代の姫路駅ビルは1959年11月に日本で23番目の民衆駅として竣工したものである。商業部分は姫路駅デパートとして開業し、1983年のリニューアル後はFESTA(フェスタ)と改められた。服飾、書店、飲食店などの他、映画館、診療所、屋上遊園地なども入居・設置されていた。
- 旧駅ビルは建て替えが進められ、まず、2010年3月末に姫路市営バスが民間移譲し、市バスターミナルに商業ビル(姫路フェスタ南館)を建設、初代駅ビルのテナントを移転した後撤去された。旧ホーム部分に新駅ビルを建設、既存の高架下施設「PLiE (プリエ)姫路」を併せ「piole(ピオレ)姫路」に名称を統一し、2013年4月28日にプレオープン、30日にグランドオープンとなった。なお、初代駅ビルの跡地は、サンクンガーデンなどに整備された。
- 駅地下街「FESTA GARDEN(フェスタガーデン、旧姫路駅デパート地下名店街)」は2011年2月末から改装のため閉鎖し、2013年3月28日に「GRAND FESTA(グランフェスタ)」としてリニューアルオープンした。
施設
- 駅ビル - ピオレ姫路(piole)
- 駅地下街 GRAND FESTA(グランフェスタ)
- 別館 FESTA(フェスタ)南館(旧FESTA店舗が移転)
- 駅北側芝生広場:2014年7月1日から供用が開始された駅前の芝生広場。面積は約900平方メートルで国内最大級、広場の南側(130平方メートル)と東側(60平方メートル)の2箇所に舞台がある(利用は申請が必要)[20][21][22]。
- キャッスルガーデン - 駅前北側広場の半地下広場[23]。
- キャッスルビュー - 姫路城を展望できる駅前に建築された展望台。高架の在来線ホームからも展望台を通して城を展望できる。
利用状況
2013年度の1日あたりの平均乗車人員は49,445人で、これはJR西日本の駅では第15位である[30]。
「姫路市統計要覧」(姫路市企画調整局情報化推進室・編)および「兵庫県統計書」によると、年間乗車人数および1日あたりの平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 年間 乗車人数 |
左記の内 定期利用者 |
一日平均 乗車人員 |
---|---|---|---|
2000年 | 17,357千 | 9,946千 | 47,552 |
2001年 | 17,017千 | 9,707千 | 46,622 |
2002年 | 16,664千 | 9,563千 | 45,655 |
2003年 | 16,677千 | 9,545千 | 45,566 |
2004年 | 16,632千 | 9,593千 | 45,568 |
2005年 | 16,764千 | 9,675千 | 45,929 |
2006年 | 16,665千 | 9,705千 | 45,657 |
2007年 | 16,923千 | 9,813千 | 46,237 |
2008年 | 17,469千 | 9,969千 | 47,861 |
2009年 | 16,892千 | 9,939千 | 46,279 |
2010年 | 16,762千 | 10,012千 | 45,924 |
2011年 | 16,991千 | 10,127千 | 46,422 |
2012年 | 17,164千 | 10,149千 | 47,023 |
2013年 | 49,445 |
駅周辺
駅の北側は城下町時代からの市街地で、南側は戦後発達した市街地である。東側では姫路操車場跡地の再開発が中途のままの状態となっている。姫路市役所へは手柄駅(山陽電気鉄道本線)が最寄り駅。
駅前北ロータリーには淀井敏夫作の「希望」と題された銅像が1985年6月に設置されている。駅周辺の整備に伴い銅像は姫路港の姫路ポートセンター広場に移設される[31][32]。
交通
- 山陽電気鉄道本線山陽姫路駅(駅北西)
- 神姫バス(駅北西および駅南)。県内各方面および、高速バス(プリンセスロード号など)や空港リムジンバス(関西国際空港、大阪(伊丹)空港)が出ている。姫路駅発着のバスの詳細は山陽姫路駅のバス路線を参照。
- かつては姫路市企業局交通事業部による姫路市営モノレールおよび姫路市営バスがあったが、1979年および2010年に廃止された。
観光
- 姫路城周辺
- 手柄山中央公園周辺
- 手柄山温室植物園
- 手柄山交流ステーション - かつて活躍していた姫路市営モノレールが展示されている
- 姫路市立水族館
ショッピング
- ピオレ姫路 - 駅ビル・姫路駅高架下(前述)
- ビエラ姫路 - 姫路駅高架下
- 山陽百貨店
- ヤマトヤシキ姫路本店
- 姫路フォーラス - 映画館山陽座・兼ショッピングセンター
- みゆき通り - 大手前通り東側に平行するアーケード街。
レジャー等
- 映画館 - 山陽座(姫路フォーラス内)、姫路OS、姫路大劇シネマ
駅弁・えきそば
駅弁
先述のように、日本で初めて折り詰め幕の内弁当を駅弁として発売したことで知られている。これを販売した「まねき」は、今日では地元外食企業「まねき食品」として多種の駅弁を販売している老舗である。昭和40年代頃まで駅弁の立ち売りがおこなわれていた。イベントなどで立ち売りが復活することがある。主な駅弁は下記の通り[33]。
- おかめ弁当
- やりいかめし
- 旨い! たこめし
- 淡路鶏弁当 一石二鳥
- あなごめし
- 黒田庄和牛メンチカツ弁当
- 幕の内味づくし
- 姫路駅ぶためし
- 焼肉弁当
- あなご寿司
えきそば
この駅の名物として名高いのが「駅の立ち食いそば」である。まねき食品が営業する立ち食いそば・うどん店で売られている「えきそば」は、つゆはうどん等と同じながら、かん水を使用した中華そばに近い麺を使用した、いわゆる「黄そば[34]」である。このような駅そばはあまり例がなく、旅行者の間では「姫路のそば」といわれて親しまれている。1949年(昭和24年)10月19日に販売開始。姫路の「えきそば」は他業者の製品が地元スーパーでも販売されているなど完全に地元に根付いた存在となっている。
販売方法は食券を購入して注文する方式で、メニュー(季節により増減あり)は以下の通りである。
- えきそば
- 天ぷら
- きつね
- 牛天えきそば - えきそばに生姜を効かせた牛肉の天ぷらが2本のったもの。2010年春登場。
- ごぼうかき揚げえきそば - えきそばにごぼうのかき揚げがのったもの。2012年夏登場。
- 持ち帰り - 2人前の麺と天ぷら、ダシ(粉末)、刻みネギがパックに入ったもの。天ぷらのみで、きつねはない。
- 冷たくておいしい夏のえきそば(冷やしえきそば)
- 梅かつお - 夏季限定。通常のえきそばより少し濃いめのつゆにかつおぶしと梅干がトッピングされている。2007年6月に登場。
- きざみきつね - 夏季限定。通常のえきそばより少し濃いめのつゆにきざんだ油揚げがトッピングされている。2013年夏に登場。
- 大盛りえきそば
麺の量が1.5人前。2007年の冬に登場。2009年12月1日からは、学生証を提示すれば学割価格(50円引き)になる。
- 天ぷら
- きつね
- 特盛りえきそば
麺の量が2人前。2012年の冬に登場。
- 天ぷら
- きつね
- うどん
- 天ぷら
- きつね
- 牛天うどん - うどんに生姜を効かせた牛肉の天ぷらが2本のったもの。2010年春登場。
- ごぼうかき揚げうどん - うどんにごぼうのかき揚げがのったもの。2012年夏登場。
- 和そば
- ざるそば - 夏季限定。2012年夏登場。
- 単品
- いなり - 俵形のいなり寿司・3個入り。
- おむすび - 鮭入り。
- 巻寿司 - 3切入り。
- かやくごはん
- おはぎ(粒あん)
- おはぎ(きなこ)
- セット
- 朝定食 - 小さめのえきそばとかやくごはんのセット。玉子焼き1切・梅干・漬物付き。朝限定。
- 巻寿司えきそばセット - えきそばと巻寿司のセット。
- いなりえきそばセット - えきそばといなり寿司のセット。
- かやくえきそばセット - えきそばとかやくごはんのセット。漬物付き
午後2時から午後5時までは「タイムサービス」としてえきそば(天ぷら・きつね)のみ50円引きになる。
現在、食券の自動販売機がICOCA対応のものになっている。
汁は関西では珍しく濃い目の色であるが、味付けは昆布出汁を使った淡口のしょうゆ味となっている。なお以前は普通の日本そばを使用した「和そば」や「冷ぶっかけ和そば」も販売されていた。
通常関西ではそばよりうどんの方がよく売れる傾向があり、当駅でうどんも販売されているものの、完全にえきそばが優勢であり、売店にも「うどんの方はお時間を頂く場合もございます」との張り紙がされている(うどんは茹でるのに時間がかかるため)。
かん水を使ったのは、戦後すぐの冷蔵庫の無い時代に開発された際に、麺の保存性を高めるためである。これ以前は当時統制品であった小麦粉の代わりにそば粉とこんにゃく粉でうどんのようなものを作っていたが、長持ちしないことから試行錯誤の末、かん水を用いた独特の麺へと至った。販売開始当時は立ち売りで、丼鉢は出雲今市(現・出雲市)より仕入れ、店の従業員が列車で出雲まで直接買い付けに行き、列車で丼を運んで姫路に到着後すぐにそばを販売していた。当時の価格は丼代込みで50円であった[35]。後に山陽本線・播但線各ホーム上の売店での販売へと移り変わった。
高架化以後の改札内では山陽本線上下各線のホーム上の売店、新幹線乗降口前の軽食堂「まねきダイニング」で営業しているほか、姫路駅近くの商店街・小溝筋や加古川駅(改札内からも利用可能)にもこのそばを売るまねき食品の店がある。容器は当初の瀬戸物から、昭和40年頃に現在の薄いプラスチック製となった[36]。車内持込は、国鉄時代は可能であったが、現在は車内美化維持のため持込が禁止されており、売店にも持込できない旨の張り紙がされている。
ファンも多く、姫路出身の松浦亜弥は過去の担当番組『松浦亜弥のオールナイトニッポン』の中で姫路名物として採り上げたり、『saku saku』のコーナー「駅そばキング」でも紹介されている。過去に一度、関東地方で売り出した時期もあったが、人気が得られずに撤退[36]。しかし、2000年代においては、関東から味わいに訪れる人もおり、密かな人気が存在している[36]。
2009年4月22日からは大阪・梅田の阪神百貨店地下1F スナックパークでも「姫路名物 えきそば」(最初は天ぷらのみ)として販売されており[37]、また2010年5月には日清食品がえきそばのカップ麺版を「まねきのえきそば」として近畿地区限定で発売している[38][39]。
同様の中華麺と和風つゆとを組み合わせた立ち食いそばとしては、新潟県の直江津駅・燕三条駅の「和風中華」がある。こちらの麺つゆは関東風の濃い口であり、駅構内店舗だけの限定メニューとなっている。また、関西圏では学生食堂や社員食堂などにおいて、「えきそば」と同じような中華麺とうどん出汁を組み合わせた麺類メニューを「そば」と称して出しているケースも少なくない。
その他
第4回近畿の駅百選選定駅である。
「姫路」の地元でのアクセントは「ひめじ」のようにすべての音を高く発音、または「ひめじ」と後ろ側を若干高く発音する(「姫路城」や「姫路市」の場合と同様のアクセント)。しかし、地元でのアクセントを知らない場合、多くの人は「~姫」などの用例にちなみ「ひめじ」のように「ひ」のみを高い音で読むアクセントを使うが、姫路出身者はこのイントネーションを好まない。近畿圏内の列車案内や車内アナウンスでは地元のアクセントを用いているところが多い。ただし、駅構内の列車案内等の英語版アナウンスでは「Himeji」と発音する。
当駅在来線ホームの駅名標はJR西日本の標準のものより横長で、次駅のひらがなとローマ字の表示が上下2段ではなく、横に1行で表示されている(新幹線ホームはJR西日本の標準のもの)。
再開発工事の調査で豆腐町遺跡から柱穴の遺構や土器が見つかった[40]。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- ■山陽新幹線(各列車の停車駅は列車記事を参照)
- A JR神戸線・山陽本線
- J 播但線
- 特急「はまかぜ」停車駅
- ■普通
- 姫路駅 - 京口駅
- K 姫新線(全定期列車が各駅に停車)
- 姫路駅 - 播磨高岡駅
かつて存在した路線
- 姫路市交通局
- 姫路市営モノレール
- 姫路駅 - 大将軍駅
新駅計画
当駅 - 御着駅間に新駅を建設することがJR西日本より発表されている。[41]
脚注
- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ↑ もっとも、急行券不要で従来を上回る利便性を当駅を利用する乗客にもたらした新快速にも難点があり、その運行時間が日中のみ限られたため、神戸・大阪方面の通勤通学輸送には利用できなかった。
- ↑ 後に姫路第一機関区(貨物列車および支線区担当)・姫路第二機関区(旅客列車担当)へ分割。
- ↑ 埋蔵文化財センター、姫路市(2009年11月25日)『豆腐町遺跡で現地説明会を開催します』。
- ↑ JR姫路駅、12月22日に高架化完了 姫新、播但線 神戸新聞2008年8月11日
- ↑ JR「姫路駅」東側に「ビエラ姫路」がグランドオープン ジェイアール西日本不動産開発 (2011年12月5日) 2012年11月28日閲覧。
- ↑ 14両編成であるサンライズ瀬戸・出雲の停車に余裕を考慮したため。
- ↑ 姫路駅連続立体交差事業
- ↑ 姫路駅ホームの新幹線時刻表より
- ↑ 10.0 10.1 10.2 (中播磨地域)JR山陽本線等姫路駅付近連続立体交差事業の概要兵庫県 都市計画
- ↑ 11.0 11.1 11.2 「鉄道による貨物輸送の変遷」太田幸夫、富士コンテム、2010年、p.27
- ↑ 「鉄道による貨物輸送の変遷」太田幸夫、富士コンテム、2010年、p.34
- ↑ 「鉄道による貨物輸送の変遷」太田幸夫、富士コンテム、2010年、p.37
- ↑ 「鉄道による貨物輸送の変遷」太田幸夫、富士コンテム、2010年、p.47
- ↑ 平成26年春ダイヤ改正についてPDF - 西日本旅客鉄道
- ↑ 山陽新幹線区間内である新大阪駅以西は各駅に停車する列車と新神戸駅・当駅に停車する列車の計2本
- ↑ 東京 - 西明石駅間「ひかり」を当駅まで延長したもの
- ↑ 主に北陸本線 - 網干駅以西を直通運転する新快速を中心に、このような事例はいくつか存在する。
- ↑ 最大でも北陸本線米原駅 - 長浜駅間・湖西線近江今津駅 - 永原駅間・赤穂線相生駅 - 播州赤穂駅間はいずれも8両編成、北陸本線長浜駅 - 敦賀駅間と湖西線永原駅 - 近江塩津駅間はいずれも4両編成までしか、それぞれ停車できない。よって、時刻表上設定されている全区間を直通運転できないのはそのためである。
- ↑ JR姫路駅北側の芝生広場 7月から開放、餅つきイベントも
- ↑ 姫路駅前に芝生広場グランドオープン-国内最大級の広さ
- ↑ JR姫路駅北に芝生広場オープン
- ↑ 姫路駅前広場、新バス乗降場工事始まる-トランジットモール化へ整備着々
- ↑ 姫路駅 眺望デッキ・連絡デッキオープン:姫路市広報WE LOVE HIMEJI、2013年6月21日
- ↑ 姫路城一望、利便性もアップ JR姫路駅前「眺望・連絡デッキ」オープン:産経新聞2013年6月16日
- ↑ 姫路駅北駅前広場で眺望デッキと連絡デッキがオープン!!=兵庫県姫路市:時事通信2013年6月18日
- ↑ 姫路駅北駅前広場の眺望デッキ・連絡デッキがオープンします:姫路市2013年6月5日
- ↑ 姫路駅前の立体デッキ、6月15日供用開始へ-北駅前広場整備で:姫路経済新聞2013年6月6日
- ↑ サンクンガーデン及び眺望デッキの愛称決定について
- ↑ 上位50駅の乗車人員(平成25年度1日平均)
- ↑ 姫路駅北駅前広場モニュメント「希望」の姫路港への移転について:兵庫県(中播磨県民局姫路港管理事務所)
- ↑ モニュメント:「希望」の像、姫路港へ 駅前整備に伴い移転[リンク切れ]
- ↑ JR時刻表2010年8月号(交通新聞社刊)255ページ
- ↑ ただし、一般の中華麺よりは白に近い色をしている。
- ↑ まねき食品「駅そばの話」、2009年1月3日閲覧。
- ↑ 36.0 36.1 36.2 姫路駅の「黄色の名物麺」 エキサイトニュース 2006年4月2日
- ↑ 姫路駅名物「えきそば」大阪へ 阪神百貨店に出店 神戸新聞 読者クラブ 2009年4月23日
- ↑ ニュースリリース「どんぶり型カップめん「まねきのえきそば」地区限定新発売のご案内」日清食品、2010年04月26日
- ↑ 当初は「天ぷら」のみだったが2012年10月には「きつね」も発売された。
- ↑ 奈良時代の工場団地か?JR姫路駅周辺の遺跡から新資料 姫路・豆腐町遺跡
- ↑ JR神戸線(山陽本線)御着~姫路駅間新駅設置について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2013年3月28日