素麺
素麺(索麺、そうめん)は、小麦粉を原料とした日本及び東アジアの麺のひとつ。主に乾麺として流通するため、市場で通年入手できるが、冷やして食することが多く、清涼感を求めて夏の麺料理として食するのが一般的である。
目次
分類
乾麺については小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練り、綿実油などの食用油、もしくは小麦粉やでん粉を塗ってから、よりをかけながら引き延ばして乾燥、熟成させる製法で『手延べ干しめんの日本農林規格』を満たしたものについては「手延素麺(てのべそうめん)」に分類される。近年では手延べそうめんも大幅に機械化が進んでいる[1][2]。小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練った生地を帯状に細く切って乾燥させる製法のもので機械にて製造しているものは「機械素麺(きかいそうめん)」に分類される。
日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』にて、機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされている。これより太い直径1.3mm以上1.7mm未満はひやむぎ(冷麦)、1.7mm以上はうどん(饂飩)と分類される。手延麺の場合は、素麺もひやむぎも同基準であり、直径が1.7mm未満で丸棒状に成形したものが「手延べ素麺」もしくは「手延べひやむぎ」に分類される。これよりも太い、直径が1.7mm以上で丸棒状に成形したものは「手延べうどん」に分類される。
乾麺のものは保存性は良いが、他の麺に比べてタバコシバンムシなどの虫がつきやすく、保存には注意が必要である。長期間保存され油分が抜けるとサラサラとした口当たりになり食味が増すとして、虫がつくほど保存したとの意味で「虫つき素麺」と称し珍重される場合もある。これについては、素麺の油分は長期保存によって酸化し、むしろ風味を損なうとする意見もある。
生麺・茹で麺等については『生めん類の表示に関する公正競争規約』にて、「この規約で「うどん」とはひらめん、ひやむぎ、そうめんその他名称のいかんを問わず小麦粉に水を加え練り上げた後製麺したもの、又は製麺した後加工したものをいう」となっている。この規約上「素麺」は「うどん」に分類されており、狭義では生麺・茹で麺タイプの素麺はうどんの一種とも解釈できる。しかし別項にて「一般消費者に誤認されない名称に替えることができる」となっている為、それにより「素麺」の名を使用することも認められており、『生めん類の表示に関する公正競争規約』では一部特産品を除き太さに関する具体的な数値による基準や形状に関する具体的な規定を設けていない為、「素麺」、「ひやむぎ」、「細うどん」等は製造・販売業者にて見た目の形状による判断や意向等により、一般消費者に誤認されない範囲で自由に選択して名付けられる。そのため、この規約に沿った生麺・茹で麺タイプの素麺が実際に製造・販売されている。シマダヤ「流水麺そうめん」、サン食品「チャンプルーの麺(そうめん)」などがその例である。
機械麺が一般化する以前は、素麺は手延べ工程により生地を細くするために断面が丸く、ひやむぎは生地を薄く打ち延ばしてから細く切るため断面が四角になっている、という見分け方も出来たが、現在、東日本では機械麺が一般的となり[3]、それらは素麺もひやむぎもほぼ同じ製法で作られているので、この見分け方法は不適となっている。ただし、西日本においては、手延べ素麺の産地が現在でも数多くあり、基本的に、素麺と言えば手延べ素麺のことであり、機械麺はほとんど見かけることがないので、この見分け方は、現在でも有効である。
添加物によるバリエーション
さまざまな食品を添加した素麺も作られている。
- 抹茶素麺:抹茶を加えて練ったもの。緑色をしている。
- いちご素麺:イチゴの果汁を加えて練ったもの。薄紅色をしている。
- 梅素麺:梅干しを潰して練り込んだもの。薄紅色をしている。
- 酒素麺:清酒を加えて練ったもの。腰と滑らかさが増すという。
- あご素麺:あご(トビウオ)を練りこんだもの。
- 伊予柑素麺:イヨカンを練りこんだもの。濃橙色をしている。
節麺
節麺(ふしめん)は素麺を作る際の副産物で、棒で延ばすときに棒にかかる曲線部分を切り分けたものをいう。直線部分が正規の商品である素麺となる。節麺は、素麺節(そうめんふし)、切り落としと呼ぶ地域もある。兵庫県播州地方では、その形が三味線のバチに似ている事から「バチ」と言う。材料は素麺と同じであるが、幅があり、曲がりの部分はパスタのコンキリエに少し似たような立体をしているので、JAS規格の素麺には当たらない。太さがあるので、ゆでても塩分が残り、食感も違うので、素麺とは違う風味がある。鍋料理と煮込んだり、みそ汁の具にするなどの使い方が多い。
食べ方
冷やし
湯を沸かしてゆでてから、氷水や流水で冷し、ぬめりを取るためのもみ洗いをした後、めんつゆにつけて食べるのが最も一般的である。後述の熱いツユで食べる「にゅうめん」に対して「冷やしそうめん」、「冷やそうめん(ひやそうめん)」と呼称されることもある。ゆでる水には塩を入れない。これは麺に含まれる塩分を出すためである。吹きこぼれそうになった際に差し水(あるいはびっくり水)と呼ばれる冷水を入れるかどうかは意見が分かれる。麺が細いので他の味が移りやすいため、茹で上がったら出来るだけ良い水で洗い、手油を避ける必要がある。
冷やしそうめんは日本の夏季の麺料理の代表格であり、夏季には各醤油メーカーや食品メーカーから、「そうめんつゆ」と呼ばれる調味済みのめんつゆが販売される。そうめんつゆは醤油、出汁、みりんあるいは砂糖などからなる甘辛いもので、食べる前日に作るのがよいとされる。また、そばつゆよりは砂糖やみりんが多く添加され、甘味が勝るものが多い。出汁の材料は地域によってさまざまだが、削り節、干しエビ、干し椎茸などが一般的である。ごまだれをめんつゆに入れたりつけ汁として用いる場合もある。付け合わせに煮込んだシイタケ、茄子、錦糸卵、缶詰のみかん等がつく場合もある。関西地方では冷やし中華(冷麺)のようにハム、キュウリなども添えるのが一般的。薬味としては、刻み葱、おろし山葵、おろし生姜、胡麻、ミョウガ、海苔、削り節などが用いられる。
そうめんつゆの一例
- 材料(完成量200cc強)
- 醤油 - 50cc
- みりん - 50cc
- 水 - 1カップ(200cc)
- 削り節 - 適量(1カップ程度)
- 作り方
- 醤油とみりんを加えひと煮立ちさせてアルコール分を蒸発させてから、水と削り節を加える。
- 再度沸騰したら、すぐに火を止め、冷まして完成。
醤油:みりん:水の比率=1:1:4に配合することで、一般的なそうめんつゆに向いた適度な辛さのつゆとなる。辛さや甘味は好みによって調整すると良い。地域によってはさらに甘辛いつゆが好まれることもある。
流し素麺
竹製の樋(とい)を使って素麺を流し、箸で捕まえてめんつゆ等に付けて食べる。夏の風物詩とされている。鹿児島県や宮崎県の一部で一般的な回転式のものは「そうめん流し」とも言う。「そうめん流し」は宮崎県の高千穂峡(1959年創業)ならびに鹿児島県指宿市唐船峡(1962年創業)が発祥地で、観光施設がある。また、円卓テーブル上で円環する樋に素麺を流して食べる形式の食事施設も鹿児島県内各地に複数存在する。
- 夏のキャンプなどでのイベントとして行われることもある。
- 家庭用に電動で流水を作る「流し素麺機」が製造販売されている。
- ロッテオリオンズ本拠地時代の川崎球場で観客が道具と素麺を自主的に持ち込み行ったことがある。
鯛素麺
鯛素麺は瀬戸内地方や壱岐などで食べられるハレの料理で、冷やしたそうめんにタイの煮物を添える。かけ汁の場合と付け汁の場合がある。
サラダ
サラダ素麺、素麺サラダともいい、素麺の上にレタス、トマトなどのサラダの具を盛り付け、マヨネーズと麺汁をベースにしたドレッシングをかけて食べる。
にゅうめん
ゆで上げた麺に熱いつゆをかけて、あるいはつゆで煮込んで食べるもの。「にゅうめん」の呼び名は、「煮麺」の発音がなまったものである。にゅうめんをよく食べる地域では、冷たいものを「冷や素麺」と区別して呼ぶ場合もある。中華料理風にすることも可能で、揚げたそうめんを用いると風味が変わる。
その他
他の食べ方については、下記のような例がある。
- ソーミンチャンプルー:沖縄県の料理。固めに茹でた素麺を、野菜、ツナ缶、ポーク・ランチョンミートなどの具とともに焼きうどん風に油で炒めたもの。ソーミンタシヤー、ソーミンプットゥルーとも呼ばれる。鹿児島県の奄美地方にも油そうめんという類似の料理がある。
- 焼鯖素麺:滋賀県長浜市周辺で食べられるハレの料理で、鯖素麺ともいう。焼き鯖をほぐして煮直してから和える。そうめんは鯖の煮汁で煮る。
- 料理の飾りとして、素麺を乾燥したままで揚げて使う場合がある。なお、揚げてから煮ると、中国広州の伊府麺(全蛋麺、台湾では意麺とよぶ)のような風味を楽しむことが出来る。
- カノムチーン:タイ料理で魚のカレーなどを和えて食べるもの。日本では手に入りづらい細いライスヌードルの代用としてビーフンや素麺が使われる事が多い。
- ブンチャー:ベトナム料理で、野菜とともに甘辛いたれで食べるもの。これもライスヌードルのブンの代用にされることがある。
日本国外(東アジア)の素麺
- 中国に機械素麺・手延素麺が現存する。福建省の福州周辺において素麺(現在、福州では「索麵 ソッミエン」と称する[4])は少なくとも明初期から存在しており、他の地域でも一般的な乾麺の一つで、中国各地の工場で生産が行われ販売されている[5]。福建省南部の泉州では「麵綫 ミーソア」と呼び、「麵綫糊 ミーソアコー」と称するどろっとした煮込み麺にして食べることが多い。機械麺については河北省に「宮麺(コンミエン、gōngmiàn)」と呼ばれるものがあり、日本にも一時輸入されていた。
- 台湾では、福建省南部の「麵線 ミーソア」が、鰹節を使った出汁を用い、牡蠣、豚の大腸、野菜などの具とともに煮て日常的に食べられている。
- 韓国でも素麺を「소면 ソミョン」と呼び、日常的に食べる文化が存在する。それに「ハレ」の食物として麺類が用いられる風習が一部にあり、結婚式等の祝い事の席やそれが終わった後に素麺が振舞われる事がある[6]。
歴史
古代中国の後漢の『釈名』や唐の文献に度々出てくる「索餅」が日本に伝わったものとする説が有力である。 その他の説として、南北朝時代に元から禅僧の往来や貿易によって「索麺」が伝えられたものという説がある[7]。
索餅の伝来
- 素麺は日本国内では奈良県桜井市が発祥の地とされており[8]、奈良時代に唐から伝来した唐菓子の一つ、索餅(和名で「麦縄」とも書く事もある)に由来するとする説が広まっている[9]。
- 日本では天武天皇の孫、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡が最も古い「索餅」の記録となっている[9]。原形はもち米と小麦粉を細長く練り2本を索状によりあわせて油で揚げたもので、現在の油条に似たものと考えられる。唐菓子の索餅は神饌として現在でも用いられており、素麺の原形を知る手がかりとなる。
- 索餅の材料・分量・道具については平安時代中期の『延喜式』に書かれており、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(米粉は混ぜないという説もある)という事は分かっているが、形状については不明であり[9]現在の素麺やうどんよりもかなり太く、ちぎって食べたのではないかとする説が有力的である。
- 祇園社の南北朝時代の記録である『祇園執行日記』の康永2年7月7日(1343年7月28日)の条に、麺類を指す言葉として索餅(さくべい)、索麺・素麺(そうめん)と3つの表記があり、これが「そうめん」という言葉の文献上の初出とされている[9](南北朝時代の「異制定訓往来」が「素麺」の初出という説もある[5])。
- 平安時代には七夕に索餅を食べると病(マラリア性の熱病)にかからないという中国の故事に倣って、宮廷での七夕行事に索餅が取り入れられていた[7]。
索麺、素麺への変化
- 室町時代には現在の形になったとされ、「索餅」「索麺」「素麺」の名称が混じって用いられたが、やがて「素麺」が定着したと言われている。
- 奈良時代から南北朝時代には形状が不明であった索餅がこの時代を境に形状が解明されてきているが、索麺はそれまでの索餅と形状も名称も似ているため、言葉の混用が起きたと考えられている[7]。
- 中国では日本よりもはるかに早く、北宋時代に「索麺」の表記が出ている。南宋時代末期から元初期頃の『居家必要事類全集』という百科全書に出ている索麺の作り方には「表面に油を塗りながら延ばしていくことで、最後に棒に掛けてさらに細くする」等といった日本の手延素麺の製法と酷似した特徴が書いてある[7]。
- 室町時代は、茄でて洗ってから蒸して温める食べ方が主流で、「蒸麦」や「熱蒸」とも呼ばれた。この時代の文献には、「梶の葉に盛った索麺は七夕の風流」という文章も残されている。また、この時代の宮廷の女房詞では、素麺を「ぞろ」と呼んでいた[7]。
- 江戸時代には、七夕(七姐節)にそうめんを供え物とする習俗が広まっていった。これは、細く長いそうめんを糸に見立てて裁縫の上達を祈願したものである[7]。
日本国内の素麺産地
日本国内では近世より西日本を中心に素麺生産が盛んであった。これは原料となる小麦、水(軟水)、食塩(海水塩)の産地が近かったことが一つの理由である。
東北地方
- 卵麺:岩手県盛岡市および奥州市一帯。卵黄と小麦粉を混ぜて麺を延ばす黄色い素麺。水分をあまり含まないため伸びにくい。
- 白石温麺:宮城県白石市。長さ10センチメートル程度の短い麺で、稲庭素麺と同じく製造に油は用いない。
- 稲庭素麺:秋田県湯沢市稲庭町。稲庭うどんと同じ製法で作られる寒晒しの手延べ素麺。油は用いないのが特徴。
- 三春素麺:福島県三春町。明治初期に一度廃れたが昭和後期に復活し、それ以降に作られている麺の形状は平麺となっている[10]。
中部地方
- 大門素麺:富山県砺波市。延ばす際に油を用いないのが特徴で、一般的なまっすぐの束ではなくワイヤー状になっている。
- 和泉素麺:愛知県安城市。麺が乾燥する前に手で伸ばして生麺状態に戻す"半生もどし"という独特の製法(素麺以外では比較的よく用いられる)で知られ、腰が強い。また、他産地の素麺はだいたい冬場の寒風に晒して干すのだが、この半生もどし麺は主に夏場に作られ、三河湾から吹き付ける湿った風を利用する。麺の長さは2メートル近くもあり、一丈麺と称する。
- 大矢知素麺:三重県四日市市大矢知地区で冷や麦の産地として知られるが、江戸時代から続く素麺産地でもある。ミネラルに富む朝明川の水と鈴鹿山脈の颪によって麺作りに適した気候となっている。
近畿地方
- 播州素麺:主産地は兵庫県たつの市、宍粟市、姫路市など。2008年(平成20年)現在、日本国内1位の生産高を誇る。播磨地方の良質の小麦、揖保川の清流、赤穂の塩など原料に恵まれていたことから素麺作りが盛んになったといわれる。江戸時代の上方では、摂津国の灘素麺に後塵を拝していた。しかし、近代になって市街化が進んだことによって灘が急速に衰退。それに伴って灘の職人が播州に出稼ぎに出て技術を伝えたことで、品質が向上したともいわれる(ブランドの詳細などは揖保乃糸を参照)。
- 淡路素麺:兵庫県南あわじ市(旧南淡町)。19世紀前半に漁師の冬の副業として広まり、最盛期には140軒の製麺業者があった。他の産地におされて衰退し、2010年(平成22年)には17軒だけとなっている。寒冷な季節に、昔ながらの製法で大量生産せず、2日行程で生産している。太さによって、淡路糸、御陵糸、おのころ糸の商品名がある。技法を生かしたご当地グルメとして、淡路島ぬーどるが開発された[11]。
- 三輪素麺:奈良県桜井市三輪地区。最も素麺作りの歴史が長く、全国に分布する素麺産地の源流は殆どが三輪からであり、古く素麺の相場は三輪で決められていた(その当時から生産量は少なく、主に島原から買い上げていた。この傾向は産地偽装問題が発覚する2000年(平成12年)頃まで続き、その当時では三輪素麺の7割は島原産であった)。現在でも島原など他県からのOEMによる場合があるが、その場合は「三輪素麺」の名を冠しなくなっている(詳細は三輪素麺を参照)。かつては綿花の産地に近かったため、綿実油を使って延ばすのが特徴である。
中国地方
- 備中素麺:岡山県浅口市。鴨方素麺(かもがたそうめん)、かも川素麺とも呼ばれる。古くから「麦切り」という麺類の一種が朝廷に献上された歴史を持つ。現在で言う素麺の生産は江戸時代後期から始まったもので、播州から手練れの職人を招いて技術を学んだものである。そして播州と同様に、良質の塩と水、小麦などの原料が揃っていたことから一大産地に成長した。また、同産地では手延べうどん(備中うどん、鴨方うどん)も生産している。
四国地方
- 半田素麺:徳島県つるぎ町(旧半田町)が産地。起源は諸説があるが、天保時代に吉野川の船頭が、家族の自給用や副業として始めた説が有力である。宝暦4年(1754年)に書かれた『日本山海名物図会』には、この素麺に関する記述がある。他の素麺より太いのが特徴で、それにより過去には素麺とは別の名を付けられそうになった時期がある(現在は『乾めん類品質表示基準』が改定された事により基準上も正式に「手延べ素麺」となった)。
- 小豆島手延べ素麺:小豆島(香川県土庄町や小豆島町)が産地。酸化しにくい胡麻油を使って延ばす。島の光、瀬戸の風などのブランドがある。
- 五色素麺:愛媛県松山市。伊予節にも歌われた名物。白に加え、赤(梅肉)、緑(抹茶)、黄(鶏卵)、茶色(そば粉)の五色が彩りを添える。
九州地方
- 神埼素麺:佐賀県神埼市。生産量は多い(機械麺において日本国内3位[12])。機械製麺の発祥地で、真崎照郷が明治7年(1874年)、素麺の製麺を手延べから機械化する事を思い立ち鉄工場を始め[13]、明治16年(1883年)に製麺機を発明[14](明治13年(1880年)発明との話もある[15])した事に伴いそれ以降は機械製麺が発展し[12][14]、それにこだわりを持つ職人も少なくない[16]。独特のコシの強さで知られ、冷して食するほか、温めて食べる「にゅうめん」でも有名。
- 島原素麺:長崎県南島原市などが産地。全国で2番目の生産量で、江戸時代に救荒作物として栽培が奨励された。品質に優れ、古くから三輪に供給されていた実績を誇る。それゆえに知名度は低かったが、近年になってブランド力を高めている。その一方で、三輪に比べ取引価格が下落するような問題も発生している[17]。
- 南関素麺:熊本県南関町。麺が非常に細いのが特徴で、北原白秋が白糸のようだと形容した。将軍家、明治天皇などに献上された歴史を持つ。昔ながらの手延べ製法を守っているところが多い。
衰退した産地
江戸時代には隆盛を極め、幕府などにも献上された歴史を持っていたが、都市化、後継者不足、水質悪化、機械製麺の興盛などの影響により産地が消滅した地域。
- 小川素麺(埼玉県):「新編武蔵風土記稿」に名物との記述がある程の産地であったが、小川和紙が隆盛した事に伴い、素麺生産していた家々が徐々に和紙生産へと転換し衰退[18]。
- 久留里素麺(千葉県):良質の水に恵まれ、江戸幕府にも献上された歴史を持つ一大産地であった。
- 輪島素麺(石川県):大門素麺は輪島素麺に勉強に行って発祥したと言い伝えがある。いわば大門素麺の祖先。
- 河内素麺(大阪府):近代に至るまで隆盛を極めたが、都市化や環境の劣化に伴って次第に衰退。21世紀に入る頃には自家消費での生産がわずかに残る状態であったが、伝統を受け継いでいた最後の農家が2012年に廃業し、古くから続いた生産者は途絶えた。その後、地元在住者が技術と生産の継承に取り組んでいると報じられている[19]。枚方市#伝統産業も参照。
- 灘素麺(兵庫県):三輪から技術を伝えられる。魚崎地方を中心に発展し、江戸時代には上方の代表産地として名を馳せた。明治時代後期から都市化などで急速に衰退。廃絶した。後に、灘素麺の技術は播州、鴨方など他産地に伝播した。
素麺と食風習
- 素麺は祝い事や忌み事の席で食べられる例が多い。祝食としては、壱岐を中心とした九州地方で食べられる鯛素麺や広島県の婚礼に供される「鯛麺」、滋賀県の長浜市を中心とした湖北地方で食べられる焼鯖素麺が有名である。他に禅宗寺院では「祝麺」と呼んで祝い事の昼食に素麺を食べる習慣がある。忌み事としては、通夜ふるまいや法事の斎席で「にゅうめん」が出される地方が見られる。盂蘭盆会の精霊膳やえびす講の供膳にそうめんを供する習慣は全国に見られ、祖霊や神仏に供えられると共に親類縁者が集まって食べる例が多い。
- 仙台市などでは七夕に魔除けや子供の健康を願って素麺を食べる習慣がある。これは、幼くして死んだ子供が幽鬼となって疫病を流行らせたので、生前好物だった索餅を供えて供養したところ災厄が治まったという中国の故事に由来している。
- 主にひやむぎの麺に入っているケースが多いが、赤や緑の彩色麺が素麺にも数本入っている場合もある。これは、製麺所が素麺の麺束にこれらの彩色麺を混入しているためである[20]。この風習は、1980年代後半までは関東地方(東京)などを中心見られたが、1990年代には縮小していき、大多数が白一色の素麺になってしまった。しかしその一方で、一部の製造業者が現在でもこの風習を続けている[20]。
- 宮崎県北部では、オオスズメバチの幼虫を使ったそうめんを食べる習慣がある[21]。
類似名称の食品
- 素麺に形が似ていることから名付けられている食品に、魚肉練り製品の魚素麺、鯛そうめん、や卵を使った菓子の鶏卵素麺がある。他に刺身のイカを千切りにしたイカそうめんや山芋をそうめん風に仕立てたものなどもある。
- 中国語における「素麺(素麪、素麵、素面)」は精進そばの事を指し、細麺を使うとは限らない。肉類やネギなどの生臭い具や出汁は用いない。清の袁枚が著した『随園食単』には、揚州定慧庵に伝わる素麺出汁の取り方として、きのこを煮て一晩置き、筍の煮汁を合わせて作ると記載されている。
ギャラリー
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素麺(乾麺)
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冷や素麺
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冷や素麺と薬味(右下)
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家庭で出される素麺
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流し素麺の情景
- Nagashi somen 1 by jmurawski.jpg
流し素麺
- Chirashi somen 1 by -cipher-.jpg
ちらしそうめん
- Sabasomen1.jpg
焼鯖そうめん
脚注
- ↑ 手延べそうめんの製法 CityDO! そうめん特集
- ↑ 工場見学「手延べそうめん」 あぐりちゃんねる(食品産業センター)
- ↑ 東日本では、現在、手延べ素麺を生産しているところは数えるほどしか無く、東日本で売られている手延べ素麺の多くは実は西日本産の物である。
- ↑ 馮愛珍 編、『福州方言詞典』p413、1998年、南京・江蘇教育出版社。同書に「線麺」という項目はなく、現在「線麺」(綫麵 シュインミン)と呼ぶのは福建省北部の建甌市周辺。
- ↑ 5.0 5.1 中谷酒造株式会社「若社長の中国日記」VOL.118素麺の来た道<後編>素麺伝来より。
- ↑ わかなの韓式クッキング 西日本新聞公式サイト 平成17年(2005年)2月8日掲載
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第4回『そうめん』(-2-)」より。
- ↑ そうめんの起源伝説 CityDO! そうめん特集
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第4回『そうめん』(-1-)」より。
- ↑ 三春索麺(福島県) CityDO! そうめん特集
- ↑ 「独自"食"「淡路島ぬーどる」、33店がオリジナルメニュー…手延べめん、玉ネギ必須」 読売新聞関西版 2010年4月9日
- ↑ 12.0 12.1 神崎そうめん(佐賀県) CityDO! そうめん特集
- ↑ 電気灌漑事業と地域社会 JETRO(日本貿易振興機構)
- ↑ 14.0 14.1 未来へ羽ばたくそうめん CityDO! そうめん特集
- ↑ 平成18年(2006年)5月26日放送『未来創造堂』(日本テレビ系)「シアター創造堂/第8回:製麺機・眞崎照郷」より。
- ↑ 季刊佐賀公式WEB ZANZA記事より
- ↑ 大西宏のマーケティングエッセンスより
- ↑ 幻の小川素麺
- ↑ 河内そうめん 私たちが継ぐ 地元夫婦が奮起 - 読売新聞2013年2月26日
- ↑ 20.0 20.1 そうめんやひやむぎに入っているピンクや緑の麺って何? エキサイトニュース 平成18年(2006年)8月29日
- ↑ ケンミンの秘密 | カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW
関連項目
外部リンク
- 乾めん類の日本農林規格PDF
- 乾めん類品質表示基準PDF
- 手延べ干しめんの日本農林規格PDF
- 生めん類の表示に関する公正競争規約PDF
- エキサイトニュース2006年8月25日「そうめん」と「ひやむぎ」事情
- 電子じばさん館(姫路市・財団法人西播地域地場産業振興センターHP)「乾麺の館」
- 日本麺類業団体連合会HP「そばの散歩道」
- 「手のべそうめんができるまで」 - 三輪そうめん山本への取材を通して手延べそうめんの製造工程を紹介(全14分、リンク先ページ右側の「Play」をクリックで再生) 2002年 サイエンスチャンネル