吉野家
吉野家(よしのや)は、牛丼を主力商品とする、大手外食チェーンストア(牛丼屋)。
株式会社吉野家ホールディングス(略称:吉野家HD)の子会社・株式会社吉野家(略称:吉野家)が、同店の運営企業である。日本国内における牛丼チェーン店舗数では2008年(平成20年)9月末以降、すき家に次いで第2位である(沿革参照)。
本社所在地は、東京都北区で、日本だけでなく中国、香港、台湾、フィリピン、シンガポール、マレーシア、アメリカ、にも支店を持つ。愛称・通称は「吉牛(よしぎゅう、吉野家の牛丼の略)」(後述)。
目次
概要
吉野家は、1899年(明治32年)に東京・日本橋で創業。創業者・松田栄吉が大阪吉野町(現在の大阪市福島区吉野)の出身だったことから屋号が吉野家になった。
2003年(平成15年)までは牛丼のみの単品販売が特徴的で、2001年(平成13年)夏にはコスト削減による体制を整えた上で外食大手の低価格競争に追随し、牛丼並盛一杯280円という低価格と他のファストフード店と比べても一線を画す配給スピード(築地店店長の盛り付け速度は、1杯あたり15秒)で人気を集めた。バブル崩壊以降、ミスタードーナツやマクドナルドなどと共に、低価格路線を採った外食産業における代表的なチェーン店である。
他の牛丼店と同様、原料である牛肉のほとんどがアメリカ合衆国からの輸入であるため、2003年(平成15年)にワシントン州でBSE(牛海綿状脳症)感染牛が確認され米国からの輸入が停止されると牛肉の調達が不能になり、一時牛丼販売の休止に追い込まれ、営業の縮小や、牛カレー丼、豚丼などの代替商品の緊急投入を余儀なくされた。
牛丼を休止した理由として「米国産牛肉でなければ吉野家の牛丼の味が出せない」「米国産牛肉以外だったらタレの構成配分を変えなければいけない」「別の(肉をメインに使用した)牛丼を出したら『これ違う』と客から文句が出るに違いない」「長期的視野で間違いの少ない選択をするため」との見解を示している。
沿革
- 1899年 - 東京都中央区日本橋にあった魚市場に個人商店吉野家が誕生(創業)。
- 1926年 - 魚市場の築地市場移転に伴い、築地へ移転。
- 1952年 - 24時間営業を開始
- 1958年12月27日 - 牛丼屋の企業化をめざし(初代)株式会社吉野家を設立。
- 1968年12月 - チェーン展開を開始、2号店として新橋駅前に新橋店を開店。
- 1973年 - フランチャイズ事業を開始(1号店・小田原店)
- 1975年 - アメリカ1号店(デンバー)オープン。
- 1980年 - 120億円の負債を抱えて7月15日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請し事実上の倒産。店舗の急増に伴い、つゆのコストダウンのために粉末のつゆに変更したこと、輸入牛肉の供給不足のため、輸入制限が適用されないフリーズドライの乾燥牛肉の利用に踏み切った事などから、味の悪化による客離れの進行、さらに外食産業の発達に伴う輸入牛肉の需要増による牛肉価格の高騰から原価の上昇などの複合要因によって経営が急激に悪化した事が原因。
- 1983年 - 更生計画が認可され、セゾングループ傘下で再建に乗り出す。一時期はダイエー傘下での再建も検討されたが、最終的にダイエー側が断念。
- 1987年 - 更生計画終結。倒産の元になった債務(更生債務100億円)を完済。
- 1988年 - 同じセゾングループのダンキンドーナツ運営会社「株式会社ディー・アンド・シー」と合併し、株式会社吉野家ディー・アンド・シーになる。
- 1988年2月 - 台湾1号店(台北)オープン。
- 1990年 - 株式を店頭公開(JASDAQ店頭市場)。
- 1991年 - 香港1号店オープン。
- 1991年 - 中国・北京1号店オープン。
- 1997年 - 会社更生法の適用を申請した持ち帰りすし店チェーン「京樽」の再建支援に乗り出し、子会社化。シンガポール1号店オープン。
- 1998年 - 高知県に初出店し、全都道府県への出店を達成。ダンキンドーナツ事業から撤退。
- 2000年11月 - 東京証券取引所第一部に上場。
- 2001年 - フィリピン1号店オープン。
- 2001年3月 - カレーショップPOT&POTの運営会社として株式会社ポット・アンド・ポット(現:株式会社千吉)を設立。
- 2001年3月23日 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)の外食グループ会社であるジェイアール東日本レストラン(現ジェイアール東日本フードビジネス=JEFB)との業務提携により、JR駅構内1号店「駅の牛丼 吉野家 JEFB(ジェフビー)」を東京・渋谷駅のハチ公口高架下にオープンし、同31日には赤羽駅南改札内に2号店をオープン。
- 2001年7月26日(西日本)・8月1日(東日本) - 外食大手の低価格競争に追随し、牛丼並400円→280円に値下げ。
- 2002年 - 中国・上海1号店オープン。ニューヨークのタイムズスクウェア近くに開店し話題に。
- 2002年10月 - 株式会社上海エクスプレスワールドワイドの運営する「上海エクスプレス」および「ニューヨーク/ニューヨーク」の営業譲渡を、子会社・株式会社築地家が受けて、株式会社上海エクスプレスに商号変更。
- 2003年1月31日 - 株式会社三幸舎ランドリーセンターの株式を51%取得し、子会社化(障害者雇用の特例子会社)。
- 2003年8月1日 - 株式会社石焼ビビンパの増資に応じて、出資比率を18%から67.2%に上げ子会社化。
- 2004年1月15日 - マレーシア1号店オープン。
- 2004年2月11日 - BSE問題の影響でアメリカ産牛肉の輸入停止による影響を受け、一部店舗を除き牛丼の販売を休止(詳しくは後述参照)。
- 2004年6月1日 - 讃岐うどん店のはなまるうどん運営会社の株式会社はなまると資本業務提携。33.4%出資してグループ企業化。
- 2004年10月25日 - オーストラリア1号店オープン
- 2004年10月27日 - 中国・深圳1号店オープン
- 2005年4月7日 - 西洋フードシステムズ九州(現:西洋フード・コンパスグループ)から分割して新設された、九州吉野家の全株を取得して子会社化。
- 2006年5月19日 - 株式会社はなまるへの出資比率を51%に高めて、子会社化。
- 2006年9月6日 - 安部社長が記者会見を行い、2年7ヶ月ぶりに牛丼の販売を9月18日に限定再開する件を発表。
- 2006年9月18日 - 「牛丼復活祭」限定100万食プロモーションキャンペーンを実施。有楽町店での復活イベントを各マスコミが報道、虎ノ門店にはジョン・トーマス・シーファー駐日アメリカ大使が来店し、牛丼復活を祝福するなど米国産牛肉のPR活動を行った。
- 2006年12月 - 相次ぐ飲酒運転事故に対する社会的な批判を受けて、駐車場付き店舗全店におけるアルコール類(冷酒・ビール)の販売を、在庫がなくなり次第中止する(駐車場のない店舗については今後も販売を継続)。
- 2007年2月28日 - 2007年10月1日をもって純粋持株会社への移行を発表。
- 2007年8月30日 - 「びっくりラーメン」チェーンを運営するラーメン一番本部が民事再生法の適用を申請したのを受けて、大阪地裁の許可を条件に店舗や工場などの事業を譲り受ける形で支援に乗り出す方針を発表。成り行きは違うが所縁の地は、奇しくも同じ大阪市福島区吉野である。
- 2007年10月1日 - 持株会社体制への移行に伴い、株式会社吉野家ディー・アンド・シーから社名を株式会社吉野家ホールディングスへ商号変更。また、吉野家事業に特化した100%子会社の(2代目)株式会社吉野家を同年同日に設立(後述)。
- 2007年10月11日 - 2007年8月中間決算発表の会見で吉野家HD社長は「吉野家は全国一律という価格戦略を転換する」方針を発表。発表時点では具体的な実施時期・地域・内容は未定であり、明確な値上げのスタンスには否定的。
- 2007年11月1日 - 四国内の店舗を運営していたフランチャイジーの株式会社グローバルフードサービスから会社分割する形で株式会社四国吉野家を設立、同時に株式会社吉野家の完全子会社化。
- 2007年11月27日・12月5日〜12月11日 - 「歳末牛丼祭」として、期間限定であるが2004年2月以来、約3年10ヶ月ぶりに牛丼の24時間販売を行う事と牛丼・牛鮭定食・牛皿の50円引きセールを行う事を2007年11月27日に発表し、同年12月5日午前11時から同年12月11日午前零時までの1週間限定で実施された。
- 2007年12月12日・27日 - 業績不振で支援先を探していたステーキレストラン最大手の「どん」を吉野家HDが子会社化することで両社が大筋合意し、同月27日資本・業務提携すると正式発表。翌2008年2月末にどんは持ち分法適用会社となった。
- 2008年3月17日・20日 - 牛丼の主原材料である米国産牛肉の調達先開拓が進み、終日営業に必要な量の確保が可能になった事により、全国の吉野家約1040店で牛丼の常時24時間販売を再開すると3月17日発表、同月20日実施。
- 2008年4月21日・23日 - 伊藤忠商事が吉野家向けに2007年8月に輸入した米国産牛肉(ナショナルビーフ社カリフォルニア工場出荷)700箱中1箱から特定危険部位の脊柱が混入していた腰部の肉を吉野家の加工工場「東京工場」(埼玉県大利根町)で4月21日発見、農林水産省と厚生労働省は同月23日この事実を発表。問題の牛肉は工場でのチェック体制がきちんと働いたことにより、消費者には販売されていないため「吉野家の牛丼は安全だ」と同社は強調した。
- 2008年6月 - 持ち株会社化により当月以降配布の株主優待が変更され、吉野家とおかずの華以外に石焼ビビンバと千吉及びピーターパンコモコでも使用可能になった。
- 2008年9月19日 - 吉野家においてイオンの電子マネーWAONを導入に関し基本合意。2009年春より順次展開し、2011年度中に全店導入完了予定であり、吉野家WAONカード(仮称)も発行する予定である。
- 2008年10月7日 - 単独の牛丼チェーン店舗数(2008年9月末時点)で、ゼンショーが運営する「すき家」が首位(2008年9月末時点、1,087店舗)となり、吉野家が2位(2008年9月末時点、1,077店舗)に転落した事が判明。
- 2009年1月26日 - 日本国外の事業展開迅速化のため子会社「株式会社吉野家インターナショナル」設立を発表、事業開始は同年3月1日。
- 2009年3月31日 - 吉野家HDが、赤字の続く傘下子会社・上海エクスプレスの全株式を、ジェーシー・コムサの子会社であるベネフィットデリバリーに1円で譲渡
- 2009年5月11日 - 電子マネーWAONを沖縄県全店舗に導入完了、他地域も一部を除き2010年4月28日までに順次導入予定。
- 2010年2月16日 - 神奈川県横浜市に地元農家との合同出資で農業生産法人を設立、牛丼用タマネギの自社生産を行う旨を発表。
- 2010年4月6日 - 2010年2月期の連結最終赤字が89億円になる見通しで、赤字幅はBSE問題が発生して牛丼販売休止の影響があった2005年2月期の赤字を上回り、1990年の上場以来、過去最悪の見込み。
- 2010年7月20日 - 吉野家HD(グループ各社を含む)が本社を東京都北区赤羽南(カルビーの旧本社屋)に移転。
- 2010年9月7日 - 低価格メニューの第1弾として午前10時より牛鍋丼を並280円で販売開始、オリジナルカレーなど一部メニューの販売を終了した。
メニュー
主なメニュー
- 牛丼・牛皿 - 軽盛(そば処吉野家のみ)・並・大盛・特盛
- 並盛 - 肉:85グラム、ご飯:260グラム
- 大盛 - 肉:110グラム、ご飯:320グラム
- 特盛 - 肉:170グラム、ご飯:320グラム
(誤差±10グラム)である
- 吉野家の主力商品。注文における構成比は、BSE問題などの影響で減少してはいるものの、6割弱を占める(2008年5月時点)。
- 2009年にデフレの影響で、同業他社が再度牛丼など一部メニューの通常価格について値下げを行っているが、吉野家は通常価格について「値下げの予定はない」(広報部)と度々表明しており、理由として「牛丼の値下げは客数が増えても利益が出ないから」と説明している。ただし、期間限定の値下げは2010年1月・4月・7月・8月のキャンペーンにて行っている。
- 2010年4月13日、新メニューとして牛丼軽盛を開始(現在はそば処吉野家のみ)、同年5月31日までの期間限定メニューで牛丼特大盛を販売した。
- 牛鍋丼 - 並・大盛
- 2009年に発生した牛丼チェーン店における価格競争に対抗するために企画された低価格メニュー(並280円)の戦略新商品で2010年9月7日発売開始。
- 原点回帰を目指し、吉野家創業時に販売していた「牛鍋ぶっかけ」(牛肉を豆腐や野菜と一緒に煮込んだ牛鍋の具を丼に入れた飯にかけたもの)の復刻版である111周年記念商品。
- 「客数を増やすのに最も有効なのは低価格」との見解から、低価格化に対応した内容であり、食材として牛肉は並盛で52gと牛丼並盛の67gより量が少なく、肉の産地・部位・割合は牛丼に使用するショートプレート部位とは違い「米国産その他の部位」を9割使用し、他にオースラリア産も1割導入し、ご飯も並盛で230gと牛丼並盛の260gより少なくなっており、更にしらたきや豆腐を使用してコストを抑え、容器は直径が牛丼より3ミリ短い専用の丼を使用するなどの工夫をすることで利益率を向上させている。
- 2010年10月4日、発売開始から1か月未満で販売数1000万食を突破したことが発表された。
- 豚丼・豚皿 - 並・大盛・特盛
- 開発などの経緯については後述参照。2010年夏にメニュー入れ替えの関係で提供を一時中断していたが一部店舗を除き、豚丼・豚皿・豚鮭定食・豚生姜焼定食の販売を再開した。
- 牛キムチクッパ - 並・大盛
- 低価格メニューの第2弾で当初は2010年10月7日発売予定だったが、牛鍋丼が想定以上の好調な売上であったことから万全を期すため発売日を同年11月1日に延期した。
- 「うまい、からい、やすい」をキャッチコピーとし、味付けは辛さの中にうまみを利かせたスープに、牛丼の肉と自家製キムチを組み合わせている。構成上吉野家の風味が目立つ部分があることから一部で肯定的・否定的意見が挙げられている。
- その他、牛鮭定食・牛鮭サラダ定食・豚鮭定食・豚生姜焼定食・各種朝定食など。
- 2009年8月7日より一部メニューにおいて、定食類の大盛がご飯のみ大盛に限定、ドレッシング・マヨネーズ(どちらも販売終了)は30円と有料化、などの変更が行われた。
- 味噌汁はフリーズドライのインスタントで「ミソゲン」と呼ばれる味噌汁の素を使用している。
- アルコール類(冷酒・ビール)は飲酒運転事故防止の観点から、2006年12月以降は店舗環境によって提供の有無が異なっており、駐車場付き店舗は全店販売無し、駐車場のない店舗については一人3本まで販売する。風営法が定める公安委員会の許可を取っていないため提供時間は6時〜24時までである。
- 沖縄県内の店舗ではタコライスを扱っている。
- 一部店舗では十割そば(後述)。
原材料・調理
- 原材料
主要メニューの牛丼に使用されている原材料の産地は下記のとおり(表記は使用量の多い順である。2009年2月時点)。
- 牛丼に使用する部位は「ショートプレート」と呼ばれる穀物肥育牛のばら肉で、生産量の関係から主に米国産を中心に使用しているが、オーストラリアでもそれを生産しているので、以前から現在に至るまで、少ない割合ではあるが牛丼にも豪州産牛肉を使用している(牛肉総使用量の内、豪州産の割合は牛丼休止前:1%前後、牛丼販売再開後2006年時点:10%程度である)。
- 吉野家は必ずしも米国産牛肉にこだわっているわけでもなく、「“安い・美味い・早い”が実現できる牛肉(ショートプレート)を、他に安定供給してくれるところがあったら米国産牛肉ではなくてもいい」との見解を示している。しかし、その条件を実現できる産地はアメリカのみで、それ以外は絶対的に不足する状況のため、結果的に米国産牛肉の割合が大多数を占めている。
- 米国産牛肉のBSEに関する事は「#BSEによる米国産牛肉輸入停止の影響」を参照。
- 調理
中心メニューである牛丼の具を大鍋で煮込むための調理スペースがメインになっており、競合他社のような焼きスペースは設けられていない。牛鮭定食などで提供される焼魚などについては一切れずつ焼くのではなく、大正時代に開発された蒸し焼き調理法を採用し、あらかじめ工場で大量にスチーム調理してレトルトパウチされているものを電子レンジや湯煎などで温めなおすことで、手間を最小限に留めている。汁物に関してもレトルトパックにされたけんちん汁や豚汁を電子レンジや湯煎などで加熱している(各手法は店舗ごとに差異がある)。 牛丼がレギュラーメニューとして復活して以降、豚丼に関しては店舗で煮込んだ後に1食ごと小分けに冷蔵保存し、注文ごとに加熱提供するケースが大半である。
接客
注文時の専門用語
専門用語を使ったオーダーも受け付けている。
- つゆだく - つゆだくさんの略。汁が多め。丼を少し傾けただけで汁が見える。10グラムつゆが追加される。
- つゆぬき - 具の汁を切って載せる。玉を上下に振って汁を切る。
- 半熟 - 半熟卵の店員による略称のこと。
- 頭(あたま)の大盛 - ご飯の量は並で具の量が大盛(大盛り料金)。
- 頭(あたま)の特盛 - ご飯の量は並で具の量が特盛(特盛り料金)。
- かるいの(ご飯「小」) - ご飯を少なくすること(用例「かるいのいっちょう」)。
- 過去
- つゆだくだく - 通常店舗にて原則としてこの様な特殊オーダーは存在しない。実際に使っているお客はつゆだくの意味すら知らない人も少なくない。但し過去にはこの様にして注文を受け付けていたこともあるため、その名残で使用している客や、「だく」の数を増やすほど「更に追加量が増える」の意図で使用している客もいる。そのため営業部(地域単位)での対応に若干差見受けられる(店長及びお客様相談室談)。
- 玉ねぎ量変更 - 2007年11月・12月をもって、通常店舗ではオーダー終了。また、お客様相談室においても同様の見解を示している。
- ネギ抜き - タマネギを抜いた具。「肉のみ」ともいうが、断られることもあった。普通に盛ってからネギを抜くのが正式で、その分肉が増えるわけではない。豚丼では出来ない場合が多かった。
- ネギだく - 具のネギを多めに入れたもの。牛丼復活後は断る店舗が多かった。これも豚丼では出来ない場合が多かった。
- 築地店のみ使用される専門用語の例
- ご飯系
- ツメシロ - 冷ました白ご飯に熱い牛肉汁だくをかけたもの。市場の従業員が早く食べるため。
- アツシロ - ご飯をレンジで更に熱くした牛丼。または、蒸らし中や炊き上がり直後のご飯(そこに生玉子をかけると、余熱で半熟状態になる)。
- 半シャリ - ご飯半分。
- 極かる - ご飯少量。
- 極々かる - ご飯さらに少量。
- 肉系
- トロだく - 脂身(トロ)を多めに入れたもの。
- トロ抜き - 脂身を少なめにしたもの。鍋底の方の肉。
- ネギ系
- ネギちょい抜き - ネギを少し抜いたもの。
- ネギちょいだく - ネギを少し多めに入れたもの。
- ネギだくだく - ネギをさらに多めに入れたもの(「だく」の数が増えるほどネギの量は増えるので、「ネギだくだくだく」などの表現方法もある)。
- ネギだけ -これにはさらにヤワネギとカタネギの2種類がある。前者は柔らかく良く煮込んであるもの。後者は煮込まれていない堅いネギ。
- 普通の店舗でネギ増減(ネギダク・ネギ抜き)の注文は終了したが(前述)、築地店に限り可能でネギだくは肉の量は減らない状態でネギが増量される。
- つゆ系
- つゆちょい抜き
- 完全つゆ抜き
- つゆちょいだく - つゆだくよりもご飯へのつゆの浸り具合がやや軽い。
- つゆだくだく
- 味噌汁系
- 冷汁 - 冷ました味噌汁かけんちん汁を牛丼にかける。
- お湯割り - 味噌汁のお湯をつぎ足し、薄くする。
- その他
など。
築地店では、こだわりの注文法を持った、市場内で働く業者の常連が多く存在し、それに合わせて多種多様な注文に対応できるマニュアルを用意しており、吉野家店員も了解して準備していることなので、他の店舗では不可能。
代金の支払方法
代金は基本的にレジによる支払いであり、これは客とスタッフのコミュニケーションを重視しているため、伝統的に醸し出してきたひとつの文化、という意味合いがある。一部では「機会損失防止説」が券売機を置かない理由の定説として流布されているが、それは間違いであり逆に「労働生産性を徹底的に追求した場合、券売機は必然の道具」と吉野家側も認めているが、前述の理由にて収益が許す限りレジによる支払いを続ける方針としている。ただし、駅ナカテナントなどの一部店舗においては券売機が導入されている。
日本国内の店舗において、一部商品券やグルメカード、株主優待券などで支払いが可能(一部店舗除く)。
電子マネーは2008年(平成20年)時点においても部分的な導入を行っている。Suica・ICOCA・SUGOCA(と相互乗り入れする一部の交通系ICカード)は一部の駅ナカ店舗で利用可能。Edyは高速道路の一部サービスエリア・パーキングエリアと沖縄県全店舗で利用可能である。沖縄県の吉野家における、Edyの利用率は同社広報担当者によると2008年時点で1割程度である。WAONはイオングループ外初の大型導入であり、2010年4月28日までに一部店舗を除き全店に導入完了し。
クーポンについては、CM(後述)を流して全国の店舗にて行う大規模なものから、新聞の折込チラシ、一部店舗による販促キャンペーンなど特定の範囲内で行うもの、特定商品購入時に付帯するもの、など各種存在し、特典も店内・持ち帰りの一部商品を無料・値引き、特定条件を満たした時のみ無料・値引き、丼などの景品、などと状況によって異なっている。
店舗
基本は、馬蹄形(U字型)のカウンター席。「牛丼を単品で早く出す」ことに特化した作りである。吉野家の利益率の向上に一役買っているが、2008年時点では来客の8割以上が男性一人であり、新たな客層を取り込む側面からはデメリットである。そのため、ファミリー層や女性グループなど取り込みたい客層に応じて、後述のテーブル型を増やすといった出店戦略を採るようになった。飲食業として日本で初めて24時間営業を行ったのは吉野家である。
特徴ある店舗
- 小型の牛丼専門店
多品目メニューの展開に適さない小型店舗を対象にした単品の牛丼専門店を2007年以降展開する。また、面積が標準的店舗の3分の1で済む、持ち帰り専門店も展開開始した。
- ドライブスルー設置店
一部店舗にはドライブスルーが設置されている。
- 沖縄県内の店舗
沖縄県内の店舗は、ハンバーガーなどのファストフード店と同様のウォークアップスタイル(セルフサービス方式)をとっており、すべてテーブル席で馬蹄形のカウンター席はない。県内初出店した吉野家USAの方式をそのまま踏襲しているためである。
- テーブルサービス店舗を展開
吉野家の客層は男性中心で女性層や家族層に弱かったため、対策として定番のカウンター席を縮小し、2〜8人程度が同時に座れるテーブル席を中心としたファミリーレストランスタイルのテーブルサービス型郊外店を増やしており(先行実験店舗として宮城県の仙台藤松店がある)。
- そば提供店舗「そば処吉野家」を展開
2000年代後半以降に推進していく店舗形態の一種として、店内製麺の十割蕎麦や牛丼以外にも天丼などのメニューを提供する店舗「そば処吉野家」、2010年には30店舗に拡大予定。その店名には「そば処」が入っており、看板は紺色の色彩にして通常店舗との違いを出している。
- 全国売り上げ第一位の店舗
吉野家における全国売り上げ第一位の店舗は「有楽町店」で(2007年11月時点)要因として「有楽町駅に隣接」「通常の店舗より大きく客席数が多い」「回転率が高い」「オペレーション練度の高い店長・店員」等がある。
実験的店舗
市場調査の為、実験的店舗を開設することがある。いずれも1990年代後半頃に通常型店舗に改装、または閉店した。
- 吉野家USA(YOSHINOYA USA)
- 特選吉野家あかさか
- 吉野家うどん・吉野家カレー
- 1980年代中盤〜1990年前後にそれぞれの専門店が展開された。
BSEによる米国産牛肉輸入停止の影響
- 12月24日 - アメリカワシントン州においてBSE(牛海綿状脳症)感染疑惑牛発見の発表があり、同12月26日に政府はアメリカ産牛肉の輸入禁止を決定。これに対応するため、都内を中心とした11店舗で年末年始の休業や深夜時間帯(日本時間22:00から翌朝10:00まで)の営業休止を行う。
- 12月30日 - 深夜閉店店舗を123店舗に拡大。
- 1月1日 - 特盛販売中止、朝定食の終日販売。
- 1月6日 - 一部店舗で新商品の「吉野家のカレー丼」の販売を開始。その後、「吉野家のいくら鮭丼」、「豚キムチ丼」、「吉野家のマーボー丼」、「吉野家の焼鶏丼」などの新メニューを順次展開。
- 2月11日 - アメリカ産牛肉の禁輸が長引き在庫がなくなったため、牛丼、牛皿、牛鮭定食の販売休止に踏み切る。これに伴い、前日の2月10日最後の一杯を食べに熱心なファンや一般客、話題性から今まで食べたことがなかった人も店に駆けつけ、一部店舗で食べ納めの行列ができた。
- 2月11日 - 茨城県神栖町(現神栖市)「124号線神栖店」で酒に酔った客が牛丼の販売中止に対して暴れ、逮捕される。
- 2月19日 - 長崎県長崎市「長崎滑石店」で酒に酔った客が牛丼の販売中止に対して店員に暴行を加え、逮捕される。
- 2月23日 - トリインフルエンザによる中国、タイの両国からの鶏肉禁輸処置で鶏肉の在庫が少なくなったとして、「吉野家の焼鶏丼」を3月中旬をめどに一旦販売中止する方針を発表。牛丼の販売中止を受けて代替メニューとして販売していたが、結局2ヶ月強で販売打ち切られる。
- 3月3日 - 豚丼・豚皿をレギュラーメニューとして3月1日より順次導入し、この日までに全国の店舗で販売開始(一部店舗除く)。
- 元々はBSE騒動以前から多メニュー化プロジェクトの一環として開発に取り組んでいたメニューであったが、その途中でBSE騒動が発生したためやむなく牛丼の代替メニューとして投入、当初の現場では調理・オペレーションが不十分・不徹底な面が目立ち、その影響によって低評価を下した客も少なくなかった。
- その後、地道な改良を重ねて豚肉により合った調理法とオペレーションを築き上げ、独自の味付けに変化することで牛丼とは別の顧客が開拓された。2009年4月時点においても牛丼に次ぐ2番手の売上を確保していた。
- 3月11日 - 代替メニューのカレー丼などが不調で、「松屋」「すき家」「なか卯」など他チェーンへの流出が続いているため、販促キャンペーンとして3月15日までの期間限定で「豚丼」並盛を250円に値下げ、かつ期間中は他のメニューの提供を中止。この日から、朝定食の販売時間を従来の午前5時〜10時に戻した。
- 12月上旬 - オーストラリア産牛肉を使った「牛焼肉丼」の提供開始。
- 2月11日 - 牛丼の販売停止からちょうど1年のこの日、牛丼の販売再開を期待する多くの声に応え、1日限定(午前11時から各店舗ごとに売り切れまで)で、牛丼が復活販売された。吉野家の倉庫に残っていた在庫の他、国内に残る米国産牛ショートプレート肉が可能な限り集められた。吉野家の各店舗には、早朝から「1年ぶりの吉野家の牛丼」を求めようとする長い列ができた。
- 10月1日 - 豚丼、豚皿の値段を10円値上げ。同社は「牛丼で目指してきた何度食べても飽きないうまさを、豚丼でも実現するべく研究を続けてきた結果、たれの味に熟成を重ねて作り上げた自信作」としている。店内でも同内容の告知放送が行われた。
- 12月12日 - 日本政府が米国・カナダ産牛肉の禁輸措置を、月齢20ヶ月以下に限定して正式解除。
- 1月20日 - 日本の外資系商社の注文により米国から輸入された仔牛肉に特定危険部位である脊柱が混入していたことが検疫で発覚したため、再度米国産牛肉輸入全面停止を決定。
- 5月19日 - 日米専門家会合でアメリカ食肉処理施設の事前調査などを条件にアメリカ政府と輸入再開に向けて大筋合意。
- 6月21日 - 米国産牛肉の輸入再開決定で日米が正式合意。
- 7月27日 - 米国産牛肉の輸入再開解禁。
- 9月4日 - 社内イベント:牛丼復活決起集会を都内某ホールで開催。
- 9月18日 - 「牛丼復活祭」開催用に作られた特製のたれを使用。長時間煮込んだ濃厚な味が吉野家の牛丼の特徴だが、限定販売で長時間煮込むことができないため、最初からある程度味を調えた特製たれで提供された。
- 9月21日 - 今後の安定提供に向け、テストとして北海道内の店舗のみ、午前11時から午後3時までの時間限定で牛丼を毎日提供。
- 10月1日〜10月5日 - 全国で牛丼復活祭を開催、期間限定牛丼販売。
- 11月8日 - 安部修仁代表取締役社長が視察したアメリカの牛肉加工業社・スイフト社から輸入された牛肉に、日本政府が危険部位にしている箇所の肉が混入していることが発覚し、同社からの牛肉輸入が停止された。
- 11月1日〜11月5日 - 前月に引き続き、全国で期間限定牛丼販売。
- 12月1日 - 全国で毎日昼食時間帯(11時から15時)のみの販売開始。
- 2月21日 - 3月1日より、牛丼の販売時間を深夜0時までに延長することと、「特盛」「牛皿」「牛鮭定食」の販売を再開することが発表された。
- 10月11日 - 2007年8月中間決算発表の会見で吉野家HD社長は「2007年12月、2008年2月の第4・四半期には、来期の価格戦略や牛丼販売時間などを決めたい」とし、牛丼の常時24時間販売計画は、2007年下期分には織り込んでいないとした。
- 11月27日・12月5日〜12月11日 - 期間限定であるが、2004年2月以来、約3年10ヶ月ぶりに牛丼の24時間販売を行う事を11月27日に発表し、12月5日午前11時から同年12月11日午前零時までの1週間限定で実施された。その際「まだ(牛丼の)24時間販売をフルに再開できない」と牛丼の常時24時間販売計画は未定である事を再度示した。
- 3月17日・20日 - 牛丼の主原材料である米国産牛肉の調達先開拓が進み、終日営業に必要な量の確保が可能になった事により、全国の吉野家約1040店で牛丼の常時24時間販売を約4年1ヶ月ぶりに再開すると3月17日発表、同月20日実施。これにより、牛丼の販売時間に関してはBSE騒動による販売休止以前の状態に戻った。
- 4月21日・23日 - 伊藤忠商事が吉野家向けに2007年8月に輸入した米国産牛肉(ナショナルビーフ社カリフォルニア工場出荷)700箱中1箱から特定危険部位の脊柱が混入していた腰部の肉を吉野家の加工工場「東京工場」(埼玉県大利根町(現加須市))で4月21日発見、農林水産省と厚生労働省は同月23日この事実を発表。問題の牛肉は工場でのチェック体制がきちんと働いたことにより、消費者には販売されていないため「吉野家の牛丼は安全だ」と同社は強調した。当該工場以外にも調達先があるため「牛肉の在庫は確保しており、24時間販売の見直しはしない」(吉野家HD広報部長)としている。