三重県

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三重県(みえけん)は、日本都道府県の一つで、日本最大の半島である紀伊半島の東側に位置する。

県庁所在地は県中部にある津市

概要

の豊富な自然に恵まれ、農業漁業が盛んである。また観光で江戸時代(御伊勢参り)から現在(F1日本グランプリや、8耐など)に至るまで、観光を産業として成り立たせており、京都奈良と並び稀有な県である。

北勢伊賀中勢南勢伊勢志摩東紀州の5地域で構成されている。江戸時代から、お伊勢参り(お蔭参り)の名で知られる伊勢神宮を擁する地域として発展した。令制国では、伊勢国志摩国伊賀国の全域と、紀伊国(当初は熊野国)の一部より構成される。旧律令国を4国も包括している県は珍しく、5国を包括している兵庫県についで2位である。このことは兵庫県同様三重県も、地域間の文化の違いや、習慣が多様であることを物語っている。

人口は22番目で、面積は25番目、人口密度は23番目である。三重県内で最大人口を持つ市町村四日市市の約31万人で、国から特例市に指定されている。県庁所在地である津市は、平成の大合併前の時点で、約16万人で県庁所在地のなかで人口が一番少なかったが、合併により人口が急激に増え、現在の人口は約28万人である。三重県は東紀州を中心に過疎地域があり、津市や松阪市の一部も過疎地域に指定されている。三重県の総人口は約180万人であり、熊本県鹿児島県岡山県等と同規模である。しかしそれらの県と比較して、三重県には人口の規模が大きな都市が存在しない。今日でこそ、平成の大合併で、人口が10万を超える市も全国的に珍しくなくなったが、以前から三重県には人口10万人以上の規模の市が、伊勢湾沿いに6市も存在している。大都市圏を含む都道府県以外では珍しいことである。このことから三重県の都市人口の特徴として、中規模の都市が複数存在し、人口が比較的分散していることがうかがえる。

三重県の北中部は中京工業地帯であり、主要企業が多い。四日市市では自動販売機が年間で約12万台生産されており、自動販売機の生産量が全国で最も多い。また全国的に有名な石油化学コンビナート四大公害病の一つである四日市ぜんそくが問題になったが、現在は法整備や汚染防止技術向上などの対策が格段に進み、工業地帯周辺の大気状態は良好になっている。亀山市にはカメヤマローソク(本社は大阪市に移転)や、三重県のハイテク企業誘致策により建設されたシャープ亀山工場がある。なお、三重県はローソクの生産量との生産量が全国一である。

伊勢神宮伊賀上野二見浦世界遺産熊野古道などの観光地やナガシマスパーランドなばなの里志摩スペイン村鈴鹿サーキットなどのテーマパークがある。三重県は、関西圏中京圏の中間に位置しているため、両地域からの観光客が多い。

桑名郡木曽岬町は、愛知県と地続きになっていることから、郵便配達などは愛知県弥富市にある弥富支店が行っている。また、町内の郵便番号は三重県のものではなく、愛知県のものが使われ、市外局番も愛知県のものを使用する。

方言三重弁が話されており、その中でも伊勢弁伊賀弁志摩弁紀州弁に分けることができる。三重弁は近畿方言に属しており、大部分の地域が京阪式アクセントまたはその変種である。三重県は、特に北部において、愛知県および東海地方との文化面や経済面での共通性が見られるが、方言においては愛知県・岐阜県との間に大きな断絶がある。方言の境界は長良川にあり、その東側の旧桑名郡長島町と桑名郡木曽岬町は東京式アクセントで、愛知県と同じ方言圏に属している。

三重県は、滋賀県福井県岐阜県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。

名古屋名物になっている天むすは元々は三重県発祥のものである。他に、ひつまぶしも三重発祥との説がある。

地理

三重県は南北の長さは約180km、東西の幅は108kmと、非常に細長い形をしているため、地形も、伊勢平野をはじめとする平野部から、山脈、青山高原などの高地、盆地、低地など様々な地形を有する。伊勢湾から松阪市飯高町にかけて中央構造線が通っており、飯高町月出では大規模な露頭が見つかっている。2002年に「月出の中央構造線」として国の天然記念物に指定された。2007年には、長野県大鹿村とともに日本の地質百選に選定された(「中央構造線(月出)」)。

行政区分

隣接都道府県とその市町村

括弧内はその市町村に隣接する三重県の市町村。

三重県の分類

一般的には、近畿地方または東海地方に含まれる。国土整備行政上は、福井県滋賀県と同様、近畿圏中部圏のいずれにも含まれている。

合併済みの市町村

詳しくは三重県の廃止市町村一覧を参照

市町村合併
新行政名 旧行政名 合併期日
いなべ市 員弁町北勢町大安町藤原町 2003年12月1日
志摩市 阿児町浜島町磯部町大王町志摩町 2004年10月1日
伊賀市 上野市阿山町伊賀町青山町大山田村島ヶ原村 2004年11月1日
桑名市 桑名市、多度町長島町 2004年12月6日
松阪市 松阪市、嬉野町三雲町飯南町飯高町 2005年1月1日
亀山市 亀山市、関町 2005年1月11日
四日市市 四日市市、楠町 2005年2月7日
大紀町 大宮町紀勢町大内山村 2005年2月14日
南伊勢町 南勢町南島町 2005年10月1日
紀北町 海山町紀伊長島町 2005年10月11日
伊勢市 伊勢市、小俣町二見町御薗村 2005年11月1日
熊野市 熊野市、紀和町 2005年11月1日
津市 津市、久居市芸濃町安濃町河芸町香良洲町一志町白山町美里村美杉村 2006年1月1日
多気町 多気町、勢和村 2006年1月1日
大台町 大台町、宮川村 2006年1月10日
紀宝町 紀宝町、鵜殿村 2006年1月10日

地形

主な川

主な山

鈴鹿山脈

養老山地

布引山地

台高山脈

その他:

主な島

鳥羽市

志摩市

紀北町

紀宝町

この他にも、志摩半島南部から熊野市にかけての海岸は、リアス式海岸になっているので、多数のがある。

半島

気候

三重県は南北に長いため、各地域によって気候がさまざまである。東紀州(南部)は、潮岬からの台風の直撃を受ける事が多く、「台風銀座」と呼ばれている。伊勢湾沿岸から熊野灘沿岸が太平洋側気候で、伊賀は内陸性気候瀬戸内海式気候に含める場合もある。)である。

  • 鈴鹿山麓(北部 - 鈴鹿山脈の麓に位置するこの地域(四日市市桑名市など)は、は乾燥した晴天の日が多く、強い冬型の気圧配置になると日本海から流れてくる雪雲の影響で局地的な大雪に見舞われることがある。山間部を除けば、県内で最も雪の多い地域で、いなべ市では、1mの降雪記録もある。
  • 上野盆地(伊賀 - 山地を除くと1月の平均気温が約3℃で、県内では最も寒さの厳しい地域。逆に夏の暑さは場所によっては40℃を超えたという記録がある。鈴鹿山麓地域(北部)と同様、強い冬型の気圧配置になると大雪に見舞われることがある。年降水量は1300〜1500mmで県内で最も雨の少ない地域である。年間を通じて霧が多く発生する。
  • 伊勢平野(中部伊勢志摩 - 基本的に温和な気候であるが、中南部はしばしば洪水にみまわれる。(宮川豪雨や津市で記録した時間雨量98mmなど)又、津市では夏になると最低気温が25℃を下回らない熱帯夜の日が多くなる。
  • 熊野灘沿岸(紀勢東紀州 - 三重県で最南に位置するため、非常に温暖な地域になっている。又、県内はもとより、全国的にも雨の多い地域として有名で、上記でも説明したとおり、台風がよく通過する。南四国(高知平野を除く)や九州南東部と似ており、志摩半島海岸では年平均気温は約16℃、年降水量は2000〜2500mmとなっている。特に、尾鷲から大台ヶ原山までの一帯は多雨地帯であり、尾鷲市の年降水量の平均は4000mm程度に達する。

気象区分

歴史

明治維新以前の伊勢国伊賀国志摩国の全域、それに紀伊国牟婁郡熊野国)の一部よりなる。

原始

大陸と陸続きであった頃、鳥羽市の恐竜化石、阿山郡大山田村で発見されたゾウワニの足跡などが知られている。3万年前から1万年前頃の後期旧石器時代の三重県内の南勢地方、鈴鹿川北岸、鈴鹿市南部、英虞湾や伊雑浦(いぞううら)などの河岸段丘や台地での遺跡からナイフ形石器が出土している。遺跡は50カ所ほど知られているが、遺跡の内容は分かっていない。その中では出張(でばり)遺跡(度会郡大紀町)で発掘調査が行われ、ナイフ形石器・削器尖頭器状石器・細石刃などが出土している。石材の多くは県内のチャートであるが、讃岐岩(サヌカイト)は二上山産のものである。

縄文時代草創期の土器押型文土器が県内各100カ所近くの遺跡から出土している。また、早期以降の遺跡は、伊勢湾岸、志摩半島、熊野灘沿岸、伊賀盆地の内陸部にまで広がり、600を超える。 押型文土器に伴う石器群は、有茎尖頭器・石鏃などがあり、この二つの石器には時期的差がみられる。この期の住居は竪穴式住居で、直径4メートルほどの平面形は不整円形で、地表面から80センチほど掘り下げ、垂木(たるき)を立てかけて円錐状の屋根を葺いたものと推定される。他には長楕円形または隅丸の二等辺三角形の平面形で、最大長2.6メートル、最大幅65センチの「煙道付炉穴」と呼ばれる野外炉が併存している。このことは半定住生活していたことを裏付ける。

中期から後期前葉にかけて遺跡数が最も増加し、およそ200カ所の所在が確認されている。中期前半には関東系や瀬戸内系の土器に北陸系や東海系の土器も認められ、海岸沿いに人々の行き来が行われたことを示している。この期の住居は平面形が円形で、住居内には石囲みや土器敷の屋内炉も確認されている。後期には、近畿系の強い影響にありながら、東北・中部・北陸などの土器が見られ、広範に交流が行われていたことが推定できる。津市一志町にある天白遺跡に東西も南北も約50メートルの範囲に広がった、西日本には数少ない配石遺構がある。土器棺墓、60点を超える土偶・岩偶、石棒・石剣など祭祀遺物も多く確認され、葬送儀礼の行われた遺構であると考えられている。晩期に入っては、小規模遺跡が多く、沖積平野部に進出している。後半の土器には粘土紐を肩部や口辺部に貼り付ける東海系の突帯文土器が主流を占めるようになる。住居では、名張市にある下川遺跡から柄鏡形住居が確認されている。遺体を土器に埋葬する25基の土器棺墓郡が集落と離れた場所で見つかっている。

古代

672年、古代最大の内乱である壬申の乱が起こった。この内乱は律令国家形成の主導権をめぐる争いであり、三重県域に属する伊勢と伊賀は巻き込まれ、重要な役割を果たした。

7世紀の終わり頃に班田収授法が実施されたが、三重県下でも条里制の遺構が圃場整備事業が実施されるまで、志摩の英虞郡を除いて各郡で確認されている。なかでも伊賀では服部川右岸の扇状地、伊勢では安濃川櫛田川の下流域に、それぞれ広範囲にわたって連続した地割りが認められた。

国分僧寺・尼寺は全国に建立された。伊賀では上野市(現伊賀市)西明寺字長者屋敷に寺跡があり、東西210メートル、南北約250メートルの方形に土塁が残っている。南から中門・金堂・講堂跡の土壇が並び、西南の隅に塔跡とみられる土壇もある。尼寺はその東200メートルにある長楽山廃寺が想定されている。伊勢の僧寺は鈴鹿市国分町の台地の南端にあったとみられる。寺域は築地で囲まれ、東西178メートル、南北184メートルであった。志摩では阿児町国府の台地上にある護国山国分寺が僧寺であるとみられている。

近世

江戸時代に置かれた藩には伊勢国には、桑名藩長島藩伊勢亀山藩神戸藩菰野藩久居藩津藩、志摩国の鳥羽藩、津藩の支城の伊賀上野城、津藩の一族の名張陣屋紀州藩の支城の田丸城松阪城がある。

近・現代

度会府設置から三重県発足まで

  • 1868年8月23日(慶応4年7月6日) - 度会府が設置される。
  • 1869年7月25日-10月24日(明治2年6月17日-9月20日)版籍奉還により桑名藩・亀山藩・長島藩・神戸藩・菰野藩・津藩・久居藩・鳥羽藩の8藩が設置される。
  • 1869年8月24日(明治2年7月17日) - 度会府が度会県に改称される。
  • 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県・久居県・鳥羽県の8県が設置される。
  • 1872年1月2日(明治4年11月22日) - 安濃津県(桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県)と度会県(久居県・鳥羽県・度会府)に集約される。安濃津県は県庁を安濃郡安濃津(現在の津市)、度会県は県庁を度会郡山田(現在の伊勢市)に置いた。
  • 1872年(明治5年) - 安濃津県は、倒幕の論功行賞に不満を持つ旧津藩士らの住む県南端の安濃津から県中央の三重郡四日市に県庁を移設し、郡名を取って三重県へ改称する。
  • 1873年(明治6年) - 三重県庁舎(四日市陣屋)が手狭となり、且つ、度会県との合併を見越して、県庁を安濃津へ戻す。県名はそのままであった。そのことについては1875年(明治8)「他郡ノ称ヲ以テ県名トナスハ則名ノ正シキモノニ非ス」と県名改称を申し立てる者が現れたが、他県にも類似の問題があり、そのままになってしまった。
  • 1876年(明治9年)4月18日 - 三重県と度会県が合併し、現在の三重県となった。初代県令(知事)は岩村定高(佐賀県士族)であった。
三重県の名称の由来

ヤマトタケルが東方遠征を終えて尾津前(尾津浜)(桑名市)から能褒野(亀山市)へ向かう途中の三重郡(四日市市)で、『古事記』に「『吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり』とのりたまいき。故、其地を號けて三重と謂ふ。」とあることに由来するとされている。

人口

code=24000|name=三重県を参照

政治

行政

  • 知事 - 鈴木英敬(公選第6代。現在1期目。2011年4月21日就任)

歴代知事については「三重県知事一覧」を参照のこと。

財政

  • 2007年 - 財政力指数 0.59、Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)、17自治体中9位
  • 2006年 - 財政力指数 0.54、Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)、16自治体中10位
  • 2005年 - 財政力指数 0.49、IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)、8自治体中1位
  • 2004年 - 財政力指数 0.47、IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)、10自治体中4位

議会

三重県議会を参照

経済

農業

  • 伊勢茶 - 緑茶の栽培面積、生産量、生産額は、静岡県鹿児島県に次いで全国第3位。『京都産』とされている抹茶は、実際には京都市が産地ではなく、大半が三重県で生産されていて、それを宇治市製茶している事が多い、伊勢茶も、行政支援の対象製品として三重ブランドに認定されている。
  • - 伊勢平野を抱えているため、米の栽培も盛んである。
  • 蜜柑 - 東紀州では栽培が盛んである。

畜産

  • 松阪牛 - 松阪市近郊で生産される和牛。日本を代表する高級肉として有名。
  • 伊賀牛 - 伊賀地方で生産される和牛。

酪農

  • 大内山牛乳 - 大紀町(旧大内山村)で牛乳が生産されている。

水産業

林業

  • - 主に東紀州地域
  • - 主に奥伊勢地域

工業

工場を置く主要企業

電力

三重県のほとんどが中部電力のエリアになっており、熊野市以南(一部を除く)の地域が関西電力のエリアになっている。

伝統工芸

インターネット

ケーブルテレビによるブロードバンドネットワークを、国内では最も早く県全ての市町村に普及させた。これにより、2004年8月には全国で初めて全市町村で、パススルー方式等によるケーブルテレビでの地上デジタル放送の視聴が可能となった。

海底光ケーブルの陸揚げ本数は世界一(2002年現在)。

インターネット普及以前にも県営のパソコン通信「Mieネット」があり、大手のニフティへも市内料金でゲートウエイのパソコン通信ができた。2000年問題で廃止された。

地域

県庁は、三重県を北勢伊賀中勢南勢東紀州の5つの地域に区分している。

自治体は、以下の14715(29市町)がある。「町」の読み方は全て「ちょう」。2006年1月10日の紀宝町と鵜殿村の合併により、三重県内から村がなくなった。

北勢

詳しくは北勢を参照

伊勢国北部に当たる地域で、国道1号の沿線。鈴鹿川の流域で、緑茶の大産地として有名である。

四日市以北

江戸時代には東海道(現在の国道1号)の沿線であった。江戸時代には東海道の架橋が禁止されており、かつ洪水も多かった為、木曽三川を越えた尾張国への往来は今程の多さではなかった。しかし、明治以後に架橋が進められて以降は、名古屋の影響も強く受けている。

鈴鹿ナンバーエリア

ホンダの鈴鹿市や、シャープ古河電気工業の亀山市での工業集積が著しい。名阪国道の物流が大きい。古代には椿大神社や伊勢国府が置かれるなど、重要拠点であり続けた。鈴亀地区とも言う。

伊賀

詳しくは伊賀を参照

伊賀国に当たる上野盆地の一帯で、国道25号国道165号の沿線。伊賀市と名張市のこと。

木津川流域で、布引山地加太峠よりも西側に位置する地域。京阪神との人的・経済的・文化的な結びつきが極めて強く、奈良県京都府南部、滋賀県南部、大阪への通勤者もいる。

中勢

詳しくは中勢を参照

旧伊勢国中部に当たる地域で、国道23号の沿線。津市には県庁があり商工業が集積しているが、鉄道が市街地から郊外に移転して以降一時期郊外化が進み、大型ショッピングセンターの郊外への進出、逆に中心部からの撤退などで中心商店街は寂れた。しかし、「アスト津」と呼ばれる高さ94メートルの高層ビルが津駅前に完成して以来、再び活性化しつつある。現在、津と松阪の両市から、中部国際空港への高速船でのアクセスがある。

※松阪市と多気郡を南勢地域に入れる場合もある。

南勢

詳しくは南勢を参照

旧伊勢国南部に当たる地域と旧志摩国の総称で、志摩を省略せず「南勢志摩」と呼ぶ場合がある。三重県以外や観光ガイドからは「伊勢志摩」と呼ばれる事が多く、大部分が伊勢志摩国立公園に指定されている。国道23号の沿線。

伊勢神宮二見浦といった大観光地を抱えており、真珠の養殖でも有名である。

東紀州

詳しくは東紀州を参照

紀伊国牟婁郡(当初の熊野国)、当初は度会県、後に三重県となった地域。東紀州熊野牟婁と呼ばれることも多い。国道42号の沿線。

日本では屋久島と並ぶ多雨地帯として知られ、熊野古道の伊勢路南部である。

主な学校

大学

国立
県立
私立


短期大学

国立
公立
私立


高等専門学校

国立
私立


高等学校

詳しくは三重県高等学校一覧を参照

特別支援学校

国立
県立


私立

交通

交通史