仙石線
仙石線(せんせきせん)は、宮城県仙台市青葉区のあおば通駅から仙台駅を経由し宮城県石巻市の石巻駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、陸前山下駅 - 石巻港駅間の日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物支線を持つ。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および付随する津波の被害を受けて、2012年(平成24年)3月現在高城町駅 - 陸前小野駅間が不通となっている(詳細は「運行形態」「東日本大震災による影響」の節を参照)。
目次
概要
名称は、起点(仙台市)と終点(石巻市)から1文字ずつ取って付けられた。
仙石線は私鉄である宮城電気鉄道の路線が1944年(昭和19年)の戦時買収により国有化された路線であり、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東日本の路線となった。JR東日本が保有する営業路線の中では東北地方唯一、JRグループでは日本最北の直流電化路線である。宮城電気鉄道として開業した当初から1,500Vの直流電化がされていたため、交流電化されている仙台地区のほかのJRの路線(東北本線、仙山線、常磐線など)とは分離された路線である[† 1]。そのためか2WAYシートやATACSなど開発システムのテスト路線となることが多い。
駅間距離が短く、また、開業当初より仙台口においては1時間に2 - 3本の運行が行われていた。このため、国有化後、地元では国電と呼ばれていた。あるいはほかの国鉄路線と仙石線の駅がそれぞれ立地する松島や塩竈、石巻などでは仙石線の駅を「電車駅」、ほかの国鉄路線の駅を「汽車駅」と呼ぶなどして区別していた。
東塩釜付近 - 高城町間は東北本線と併走するが、松島海岸 - 高城町間(葉山下付近)に東北本線の上り線と線路が繋がっている箇所があるものの、保線機械専用の渡り線で架線は張られておらず、列車の通過は不可能である。東北本線と徒歩連絡が可能な駅もあるが、通しの乗車券は発売されない。仙台駅では、松島への観光に仙石線の利用を促す案内が行われる。これは、東北本線にも「松島駅」があるが、同駅と松島の観光地は1km程度離れており、松島海岸駅のほうが至便であるため(なお松島駅と松島海岸駅には選択乗車の設定がなされていたが、2002年12月に廃止された。それ以降も東北本線または仙石線の一部が工事や輸送障害などで不通になる場合やイベント時に、一時的に松島方面までの乗車券類をもう一方の路線で利用可能にする特例が適用されることがある)。松島海岸駅のホームの山側からは並行する東北本線の車両が県道の先に間近に見える。仙台 - 松島間と仙台 - 松島海岸間の運賃はともに400円である。一方、塩釜方面への案内は特にされてはいないが、仙台からの場合、観光目的地であるマリンゲート塩釜や鹽竈神社は本塩釜駅が最寄りの下車駅となる。ただし、宮城県塩釜高等学校など東北本線塩釜駅の利用が至便な施設も存在する。
2000年(平成12年)に完成した仙台トンネルに新線が開通し、あおば通駅 - 陸前原ノ町駅間の約3.5kmが地下線となった。
ラインカラーはスカイブルーに設定されている。支線をのぞく全区間がIC乗車カード「Suica」の仙台エリアに含まれている。
路線データ
- 管轄・路線距離(営業キロ):全長52.0km(第一種区間。支線含む)
- 軌間:1067mm
- 駅数:32
- 複線区間:あおば通駅 - 東塩釜駅
- 電化区間:あおば通駅 - 高城町駅間(直流1500V)
- 東日本大震災以前は陸前山下駅 - 石巻港駅間の貨物線をのぞき全線電化。陸前小野駅 - 石巻駅間は非電化で復旧。
- 閉塞方式
- 保安装置
- 運転指令所:仙台総合指令室(仙石CTC、JR宮城野総合事務所内)
- 最高速度:95km/h
支線をのぞく全線がJR東日本仙台支社の管轄となっている。
沿線風景
仙石線は、仙台近郊の通勤・通学路線であると同時に、塩釜(塩竈)・松島などの観光地へのアクセス路線としての一面や、仙台・石巻間の都市間輸送の性格も兼ね備える路線である。
仙台駅の西側にあるあおば通駅が路線の起点である。
あおば通駅から陸前原ノ町駅付近までは仙台トンネルを通る地下線であるが、あおば通駅から榴ヶ岡駅までが洪積台地の地下であり標高がやや高い。榴ヶ岡駅を出て少し経つと長町-利府断層帯による段差に合わせて下り、断層の東側で一段低い所にある宮城野原公園総合運動場の前で大きく北東へ曲がる。ここからは断層の際に沿って走り、陸前原ノ町駅で半地下駅となり、同駅を出てから地上に出る。地上に出ると、線路はそのまま高架となって国道45号と梅田川を跨ぎ、地上線となるのはそれからである。ここからは断層の東側の地下水位の高い沖積平野であり、住宅地として不向きであったため、近年まで仙石線の南側のみを工業・流通団地としての利用に制限した。そのため、北側は田園風景が広がるが、近年小鶴新田駅が設置されて一部が市街化した。
福田町駅近くになると、古くからの住宅地が形成されている地区に入る。ここからが仙塩地区と呼ばれ、陸奥国国府・多賀城の時代から、七北田川両岸にある自然堤防上や松島丘陵上に人家が形成され、現在では市街地となっている地区となり、多賀城市や塩竈市まで続く。なお、本塩釜駅付近は高架線であり眺めは良い。東塩釜駅から先は単線である。
線路は利府町と松島町で、松島丘陵をトンネルで通りながら、松島湾沿いを走る。この付近で仙石線と東北本線は、並行するように線路が敷設されている。特に、利府町内においては線路が接近しており、列車の併走が見られる場合もある。松島海岸駅は、日本三景・松島の観光の中心地である。また、陸前富山駅から東名駅にかけては奥松島の海岸線に沿うように線路が敷設されており、松島湾の眺めを楽しむことができる。東名駅からは東名運河(貞山運河)沿いを走る。
鳴瀬川を越えると、列車は石巻平野(仙北平野)の水田地帯の中を走る。そして石巻市内に入ると沿線に住宅地が多く見られるようになり、北上運河(貞山運河)を越えれば間もなく終点石巻駅である。
運行車両
- 205系3100番台電車(あおば通駅 - 高城町駅間)
- キハ110系気動車(陸前小野駅 - 石巻駅間)
2011年3月11日の東日本大震災発生前の全線、および発生後5月までに復旧したあおば通駅 - 高城町駅間のすべて列車が仙台車両センター宮城野派出所(元宮城野電車区)に所属する205系3100番台電車で運行されている。仙石線は前述の通り、東北地方のJR線では唯一の直流電化路線であり、東北地区を走る他線(交流電化路線)の車両は運用できないため、首都圏で運行されていた通勤形電車を転配して運行している。車両についての詳細は各車両の項目のほか、「仙台車両センター宮城野派出所」の項目も参照。
205系や、以前同じく首都圏から転配され仙石線で運用されていた103系にはもともとトイレがなく、仙石線に転配後もトイレの設置がなかった。2002年から仙石線で運用されることになった205系は、あらかじめトイレの設置改造が行われた上で仙石線に投入された。205系の投入は2004年に完了し、103系の運転はいったん終了した。
その後、103系1編成4両が2年間、郡山総合車両センターに留置されていたが、多賀城駅付近の連続立体交差化工事に伴い、車両運用が賄えなくなることから、改造工事を施工した上で2006年11月に宮城野派出所に戻り、3月19日より平日の朝ラッシュ時の2往復限定で運用されていた。しかし、209系2200番台の導入で余剰となった205系1200番台1本が南武線(中原電車区)から転入したため、103系は2009年10月21日限りで運用から離脱し、廃車となった[2][3]。
陸前小野駅 - 石巻駅間では東日本大震災により変電所が津波の被害を受けたため小牛田運輸区のキハ110系気動車が使用されている[4]。
2015年(平成27年)に予定される東北本線と仙石線の接続線の開業に伴い、直通運転用の車両としてHB-E210系2両編成を8編成新造することが予定されている[5][6]。
運行形態
あおば通駅 - 高城町駅間のすべての列車があおば通駅発着であり、そのうち大部分の列車が多賀城駅や東塩釜駅で折り返す区間列車である。なお、上り列車の方向幕・行先表示LEDには「仙台・あおば通」と表示されているが、これは仙台方面あおば通行の列車であることを強調するために便宜上用いているもので、途中駅で分割・併合が行われるというわけではない(同様のケースとして山形新幹線つばさ号における「山形・新庄」行きや成田エクスプレスの「横浜・大船」行き表示が挙げられる)。
一方、非電化で復旧した陸前小野駅 - 石巻駅間はすべての列車が石巻発着であるが、ほとんどが矢本駅までの区間列車であり、陸前小野駅まで営業運転する列車は一日数本に留まる。震災前はあおば通駅 - 石巻駅間の全線を通して走る列車(快速と普通)が約30分間隔で交互に運行されていた。
JRの列車番号は原則として電車には「M」が付くが、仙石線の場合、あおば通駅 - 高城町駅間運行の電車には「S」が付与されている。気動車で運行が再開された矢本駅 - 石巻駅間の列車には「Y」が付けられていたが[7]、陸前小野駅まで運行を再開した2012年3月のダイヤ改正で、陸前小野駅・矢本駅 - 石巻駅間運行の列車は原則通りの「D」に変更された。
快速列車
あおば通駅 - 高城町駅間では、普通列車に加えてあおば通駅 - 高城町駅間で快速運転を行う快速列車も運転されている。この快速は、2004年10月15日までは「うみかぜ」の愛称が与えられていた。かつては、あおば通駅 - 多賀城駅間は各駅に停車し、多賀城駅 - 高城町駅間で快速運転を行うB快速が設定されていたが、2014年3月15日のダイヤ改正をもって各駅停車に格下げとなり、廃止された[8]。B快速が設定されている間は、現在の快速はA快速とされていた。2009年3月14日のダイヤ改正以前は駅案内においてはA快速は「赤快速」、B快速は「緑快速」と案内されていた。なお、ここで述べるA快速・B快速いった名称は停車駅の違いにより便宜的にアルファベットを付与したものであり、市販の時刻表では同格種別として扱われていたため、正式な列車種別として使われたものではない(列車種別#列車種別ではないものも参照)。
停車パターンはあおば通駅・仙台駅・多賀城駅・本塩釜駅・東塩釜駅・松島海岸駅・高城町駅である。当初東塩釜駅は通過していたが、2007年3月のダイヤ改正から停車するようになった。なお東日本大震災発生前は全線で快速列車が運行されており、高城町以東のA快速・B快速停車駅は野蒜駅・陸前小野駅・矢本駅 - 石巻駅間の各駅であった。
仙石線の快速列車の停車駅については、古くは列車により様々であったが、時代を下るにつれパターン化され、そのパターンも次第に整理・統合された(1972年頃には通過駅が榴ヶ岡駅と宮城野原駅の2駅のみというパターンもあった)。
例えば、1998年 - 1999年頃の日中に快速列車が毎時2本に設定されたことがある。このうち1本は現在の速達タイプの停車パターンで、もう一方は石巻 - 本塩釜間が各駅停車となる区間的な快速列車であった[9]。
他に特筆できることとしては「特別快速」がある。当初の特別快速は石巻駅 - 仙台駅間を60分を切ることと、仙台市内の百貨店10時開店を意識したダイヤで1969年に登場した(途中、松島海岸駅・本塩釜駅停車、上り午前・下り午後の計2本は矢本駅にも停車)。その後、CTC化と軌道強化・東塩釜駅 - 石巻駅間の単線区間の一部交換可能駅一線スルー化等に伴う線内最高速度85→95km/h化完成をみた1983年10月より、休日ダイヤにおいて仙台駅 - 石巻駅間50.5kmをノンストップで走る特別快速が1往復設定されたが、停車駅の見直しに伴い、2000年3月のダイヤ改正で廃止となった。後年に再び停車駅の少ない「特別快速」が土曜・休日に設定された(停車駅は現行の赤快速のうち東塩釜駅・陸前小野駅・東矢本駅・陸前赤井駅・蛇田駅・陸前山下駅を通過)が、2003年10月のダイヤ改正で再び廃止された。
また、1990年代中頃においては、土曜・休日に仙台駅 - 松島海岸駅間を走る快速が設定されたことがある。臨時列車扱いで、長くは続かなかった。
2003年3月22日から土曜・休日に石巻行きの赤快速の1本と緑快速の1本、そしてあおば通行きの普通列車2本を、石巻市にゆかりの深い漫画家石ノ森章太郎の作品のキャラクターのラッピングが施された「マンガッタンライナー号」として運行していた。
仙山線と同様に線内に待避駅が設置されていないため、普通列車を追い抜くことができず、列車種別にかかわらず先発の列車が先着するダイヤとなっている。
普通列車
あおば通駅 - 東塩釜駅間
ラッシュ時は最短約4分間隔で運行され、混雑が激しい。それ以外の時間帯は1時間あたり3 - 5本である。ただし昼間時間帯の運転間隔は一定ではなく、赤快速が停車しない駅では都心部手前であってもA快速の通過待ちを挟んで30分以上間隔が開く時間帯もある。小鶴新田駅発着の列車もあるが、これは仙台車両センター宮城野派出所(宮城野運輸区)への入出庫に伴うもので、小鶴新田駅の開業前は苦竹駅発着の列車として存在した。また、多賀城駅が始発・終着になる列車もある(現在同駅は高架化工事のため折り返しができず、多賀城駅 - 東塩釜駅間回送のうえ東塩釜駅で折り返している)。
東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天Koboスタジアム宮城(宮城野原駅が最寄)でプロ野球の試合がある日は、あおば通駅 - 小鶴新田駅間で臨時に列車の増発を行っている。また仙台駅 - 多賀城駅間を通過するA快速はプロ野球試合の日には一部列車で宮城野原駅に臨時停車するなどしている。
東北地方太平洋沖地震発生後、全線が不通となった仙石線の運転再開は2011年3月28日にあおば通駅 - 小鶴新田駅間の復旧に始まり、まず同日から同区間で1時間あたり2 - 7本ほど運行していた[10]。しかしながら、4月7日に発生し、宮城県北部、中部で震度6強を記録した東北地方太平洋沖地震の余震により苦竹駅の乗降場が変状するなどの被害を受け[11]、再び全線で不通になる。その後4月15日に同区間は復旧し、4月19日には東塩釜まで、5月28日には東塩釜駅 - 高城町駅間で運転を再開した。
東塩釜駅 - 高城町駅間
単線区間である。昼間は1時間あたり2本(快速を含む)、ラッシュ時間帯は3本である。現在、ミヤコーバスが、石巻と仙台を結ぶ高速バス・仙台 - 石巻・女川線を三陸道経由で運行しているが、バスが仙台市内の渋滞の影響を受けることや、運行本数が少なく所要時間も震災前の仙石線とあまり変わらないことから、高速バスに苦戦を強いられている仙山線・東北本線とは違い、仙石線では全線を通して乗車する利用客も多く、鉄道が優位な状況にあった。
また、年間を通じて休日を中心に、観光地である松島や奥松島に訪れる観光客が仙石線を利用する。
松島海岸駅 - 高城町駅間は仙石線の電車のほか、後述する不通区間を走行する仙石線代行バスも運行されている。
高城町駅 - 陸前小野駅間
「東日本大震災による影響」の節も参照
高城町駅 - 陸前小野駅間は東日本大震災の影響により不通となっており、松島海岸駅 - 矢本駅間で1時間あたり1 - 2本のバス代行輸送が行われている[12]。代行バスは松島海岸駅で快速列車に接続することが多いが、バスが遅延した場合でも原則として接続は行わない。
高城町駅の代行バス停留所が駅前から離れているため、仙石線電車区間(あおば通駅 - 高城町駅間)と代行バスの乗り換えは松島海岸駅で行うよう案内されている。
この区間は軌道の損傷・駅舎流失等、甚大な被害をうけたため、当初復旧の目途が立っていなかったが、2012年1月に、2015年度中にも全線復旧する方針が発表された[13]。被害が大きかった陸前大塚駅 - 陸前小野駅間は内陸側に移設される[13]。2014年7月30日には2015年6月までに全線再開することが発表された[14][15]。2015年1月29日にはその再開日が同年5月30日と発表された[16]。
陸前小野駅 - 石巻駅間
2011年7月16日に矢本駅 - 石巻駅間で運行を再開し[4]、2012年3月17日には陸前小野駅 - 矢本駅間の運行を再開した[17]。この区間は小牛田運輸区所属の気動車による臨時ダイヤでの運行となっており、一部の列車ではワンマン運転を行っている。陸前小野駅 - 矢本駅間は1日数本、矢本駅 - 石巻駅間では1時間あたり1 - 2本となっている。単線区間であり、全列車普通列車である。
他の路線との直通運転
仙石線では、他の路線に乗り入れる定期の旅客列車は存在せず、貨物列車が石巻線に乗り入れる。過去に臨時の旅客列車が石巻線に乗り入れたことがある。
元々が独立した鉄道会社であった名残から、仙台駅と石巻駅の着発線および駅舎が他路線とは独立していた。仙台駅構内には、1970年頃まで東北本線と仙石線を結ぶ引き込み線があったが、現在は存在しない。石巻駅構内では、石巻港への貨物列車の入線や他線との連絡のために、石巻線と仙石線の線路がつながっているほか、保線用車両の行き来を目的に、松島海岸付近で併走する東北本線との間に渡り線が設けられている(松島駅 - 松島海岸駅間。営業用車両の走行はできない)。
石巻線は非電化路線であるため、気動車の場合は仙石線・石巻線の両線を直通することが可能であり、2000年の仙台トンネル開通以前はグラシア(現:こがね)による臨時列車(仙台駅 - 女川駅・気仙沼駅間)が運行されたことがあった。仙石線への気動車の入線については、それ以外にも、多賀城駅 - 矢本駅間のビール列車(小牛田運輸区のキハ23形・40形・58形使用)、ふるさとによる野蒜駅 - 石巻駅間の鳴瀬町(現:東松島市)町民号といった団体専用列車での入線が時折あった。仙台トンネルの開通により仙台駅 - 苦竹駅間では、East i-D をのぞき、気動車の入線は基本的に不能になったが、東塩釜駅 - 石巻駅間では団体専用列車という形で気動車の入線があった。2011年7月16日に東日本大震災から復旧した矢本駅 - 石巻駅間では架線の損傷や変電所が使えないためキハ110系気動車が使用されている。
また、仙台市の交通政策で、仙石線を西公園まで延伸して東西線計画の一部とする構想もあったが、仙台市が独自に地下鉄東西線を建設する方針をとったために、構想は立ち消えとなった。
2015年度の全線復旧後、松島海岸駅 - 高城町駅間と東北本線塩釜駅 - 松島駅間を結ぶ連絡線(仙石線・東北本線接続線)が敷設され、東北本線への直通運転が実施される予定である[18][15](塩釜駅 - 高城町駅間を結ぶもので前述の保線用車両の渡り線とは分岐方向が違う)。この連絡線を経由する直通列車は終日運行が明言されており、従来の仙石線全線を走行する快速電車の運行も引き続き行うとしている[19]。
事業用列車
East i-Dによる軌道試験が行われる以前は、マヤ34形客車を用いた検測列車(マヤ検)の牽引は牽引車クモヤ145形を用いて行われていた。しかし地上線時代の仙台駅および地下化後のあおば通駅は機回し線がなく、またクモヤ145形が1両しか在籍していないため、上り列車で仙台駅(地上線時代)もしくはあおば通駅(地下化後)に入線すると車両の付け替えができないため、以前は105系を使用し、
- 石巻側←クモハ105+クハ105+マヤ34+クモヤ145→仙台側
の編成で運転されていた。 105系廃車後は103系のクモハ編成からMc+Mのみをマヤの前に連結し、
- 石巻側←クモハ103+モハ102+マヤ34+クモヤ145→仙台側
の編成で運行された。なお105系および103系による運転はあおば通駅 - 宮城野電車区間のみで運行され、宮城野電車区 - 石巻間はクモヤ145形のみの牽引で運転されていた。なお仙石線では103系は老朽化の進むMc編成から置き換えが始まったが、マヤ検の都合上、置き換え開始後しばらくはMc編成が残留していた。そのためMc編成の全廃はマヤ検終了後の2003年7月であった。
歴史
年表
- 1925年(大正14年)6月5日 宮城電気鉄道が仙台 - 西塩釜間を開業。宮電仙台・東七番丁・榴ヶ岡・陸前原ノ町・福田町・陸前高砂・多賀城・西塩釜の各駅新設[20]。
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)4月18日 本塩釜 - 松島公園(現在の松島海岸)間を延伸開業。東塩釜・浜田・松島公園の各駅を新設[23]。
- 1928年(昭和3年)
- 1929年(昭和4年)6月1日 鹿妻駅を新設。
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 1939年(昭和14年)
- 1943年(昭和18年)2月8日 苦竹駅開業届出。
- 1944年(昭和19年)5月1日 宮城電気鉄道が国有化され仙石線と線路名称制定[27]。宮電仙台を仙台に、東七番丁を仙台東口に、西塩釜を西塩竈に、本塩釜を本塩竈に、東塩釜を東塩竈に、浜田を陸前浜田に、松島公園を松島海岸に、富山を陸前富山に、大塚を陸前大塚に、東北須磨を野蒜に、宮電山下を陸前山下に、宮電石巻を石巻にそれぞれ駅名改称。新田・小石浜遊園・新富山の各駅を廃止。
- 1945年(昭和20年)6月10日 陸前富山・陸前大塚・鹿妻の各駅を休止。
- 1946年(昭和21年)6月10日 陸前富山・陸前大塚・鹿妻の各駅を再開。
- 1952年(昭和27年)
- 6月1日 地下区間の仙台 - 仙台東口間を休止。
- 9月26日 仙台 - 仙台東口間を廃止。仙台東口を仙台に駅名改称。
- 1953年(昭和28年)7月20日 釜 - 石巻港間の貨物線を開業。
- 1956年(昭和31年)10月1日 仙石線管理所発足。
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)9月 石巻 - 仙台間快速電車運行開始。
- 1963年(昭和38年)5月25日 西塩竈を西塩釜に、本塩竈を本塩釜に、東塩竈を東塩釜にそれぞれ駅名改称。
- 1966年(昭和41年)1月20日 陸前原ノ町 - 福田町間の「苦竹高架」完成、高架化。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 9月26日 多賀城 - 西塩釜間を複線化。
- 10月 石巻 - 仙台間50分台の特別快速電車運行開始。
- 1971年(昭和46年)4月1日 仙石線管理所廃止、陸前原ノ町電車区および陸前原ノ町車掌区発足。釜 - 石巻港の貨物線を廃止。
- 1972年(昭和47年)
- 1975年(昭和50年)
- 2月1日 「新型電車導入」記念乗車券発行。
- 2月15日 72系アコモデーション改良車導入。
- 3月 出札合理化により榴ヶ岡・宮城野原・苦竹・福田町・陸前高砂・下馬・西塩釜・東塩釜・高城町の各駅で出札窓口閉鎖。仙台・石巻両駅に乗継出札口を設置。
- 1979年(昭和54年)10月1日 103系導入。
- 1981年(昭和56年)
- 4月1日 中野栄駅を新設。
- 11月1日 西塩釜 - 東塩釜間を高架・複線化。本塩釜・東塩釜の両駅を移転。
- 1983年(昭和58年)
- 1987年(昭和62年)
- 3月31日 東矢本駅を新設。
- 4月1日 国鉄分割民営化に伴い東日本旅客鉄道(第一種)・日本貨物鉄道(第二種)が承継。
- 1988年(昭和63年)3月13日 ダイヤ改正に際して、快速列車に「うみかぜ」の愛称を命名。陸前大塚駅交換設備使用開始。
- 1990年(平成2年)7月21日 石巻駅駅舎を石巻線の駅舎と統合。
- 1991年(平成3年)
- 3月9日 宮城野信号場を新設。
- 3月15日 - 陸前原ノ町電車区閉所、宮城野電車区へ移転。
- 1999年(平成11年)11月1日 石巻港 - 石巻埠頭間の貨物線を廃止。
- 2000年(平成12年)サムネイルの作成エラー: サムネイルを保存先に保存できません
- 2002年(平成14年)11月5日 205系3100番台導入[28]。
- 2003年(平成15年)10月1日 宮城野運輸区発足。
- 2004年(平成16年)
- 3月13日 小鶴新田駅を新設。
- 7月 103系運行終了。RT235編成は予備車として郡山駅構内に留置(2007年3月に復帰)。
- 10月16日 快速列車「うみかぜ」の愛称廃止。平日・土曜休日の時刻表を一本化。
- 2009年(平成21年)
- 10月21日 103系RT235編成が運行を終了。
- 11月29日 多賀城駅上り線を高架化。
- 2011年(平成23年)
日本で最初の地下路線
当初、宮城県庁付近を基点とする計画があり、東北本線との交差のため仙台駅 - 東七番丁駅(仙台東口駅)間は地下区間として建設されたが、これは日本で最初に開業した営業用の地下路線である。この区間の開業は、日本初の地下鉄である東京地下鉄道(現在の東京地下鉄銀座線)の開業に先立つこと2年半であり、また郊外電車の地下乗り入れとしても神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄有馬線)の湊川地下線より3年早かった。
その後、宮城県庁までの延伸は資金難と仙台市電の開業により断念され、1952年(昭和27年)には路線短縮により地下区間が廃止となった。廃止された地下区間は、2000年(平成12年)の再地下化までの間、仙台駅の北側にあった地下改札口(駅ビルの食料品売り場に改装され現存しない)や東北本線の各ホームと、仙石線ホームを結ぶ地下通路として利用されていた。
この地下区間は単線でありかつ距離が短かったこと、現存していないことなどから、現在はほとんど紹介されない存在となっている。現在の仙石線地下区間は前述の通り2000年に完成したもので、別物である。
都市高速鉄道事業
号数 | 決定時の街路名称 (現在の路線名) |
事業計画上の起終点 | 延長 | 都市計画 決定年月日 |
適要 | 都市 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
起点 | 終点 | 計画 | 供用 | |||||
第2号 | 東日本旅客鉄道(株)仙石線 ( 仙石線) |
あおば通駅 | 福田町駅 | 7,730m | 7,730m | 1984年7月27日 | 連続立体交差事業 (地下/高架/地表) |
仙台市 |
第3号 | 東日本旅客鉄道(株)仙石線 ( 仙石線) |
中野栄駅 | 下馬駅 | 3,780m | 1,780m | 1999年3月26日 | 連続立体交差事業 (高架/地表) |
仙台市 多賀城市 |
- | 日本国有鉄道仙石線 ( 仙石線) |
西塩釜駅 | 陸前浜田駅 | 5,410m | 2,770m | 1975年3月14日 | 連続立体交差事業 (高架/地表) |
塩竈市 利府町 |
第1号 | 仙台市高速鉄道南北線 ( 地下鉄南北線) |
泉中央駅 | 富沢駅 | 15,560m | 15,560m | 1981年3月23日 | 地下鉄事業 (地下/高架) |
仙台市 泉市 |
第4号 | 仙台市高速鉄道東西線 ( 地下鉄東西線) |
八木山 動物公園駅 |
荒井駅 | 14,380m | 建設中 | 2005年8月10日 | 地下鉄事業 (地下) |
仙台市 |
東北本線(当時は日本鉄道)は、大正期にあたる1920年代前半には仙台駅をはさんで岩沼駅から岩切駅まで複線化されていたが、開業時から全線単線だった仙石線(当時は宮城電気鉄道)の複線化は、1943年(昭和18年)12月5日に東七番丁駅(後に仙台東口駅、さらに(地上線)仙台駅に改称)から陸前原ノ町駅までの区間で初めて実現した[37]。戦後、東北本線では複線・電化が進み、高度経済成長期の1968年(昭和43年)に全線複線電化が完了した(ヨンサントオ)。仙石線でも同年には陸前原ノ町駅 - 多賀城駅間、翌1969年(昭和44年)には多賀城駅 - 西塩釜駅間が複線化され、仙台駅(地上線)から塩竈市の中心駅である本塩釜駅の1つ手前まで複線化が完了した。
1968年(昭和43年)、(新)都市計画法が施行され、都市高速鉄道が規定された。これにより、踏切を介して平面交差していた鉄道と道路を、渋滞や踏切事故等を減らす名目で立体交差させる都市計画がなされるようになり、既存の道路側を立体交差させるオーバーパスやアンダーパス、既存の鉄道を立体交差させる高架化や地下化、さらに高架鉄道や地下鉄等の新設が進められた。
当地でも同法に基いて、1970年(昭和45年)に従前の5つの都市計画区域を統合して宮城県が「仙塩広域都市計画区域」を指定。同区域内には当時、市が仙台・塩竈・名取の3市のみだった[† 3]が、各市の中心駅周辺で複線化が唯一未施行だった塩竈市の本塩釜駅周辺への都市高速鉄道事業の適用を見込み、1971年度(昭和46年度)に高架化の調査を行った[34]。結局、西塩釜駅から陸前浜田駅までの区間 (L=5,410m) を「仙塩広域都市計画 都市高速鉄道事業 日本国有鉄道仙石線」として都市計画決定し、西塩釜駅から東塩釜駅を過ぎた辺りまで (L=2,770m) を嵩上式(鉄道側の高架化)、同地より陸前浜田までの区間を地表式(道路側の立体交差)として整備し[38]、1981年(昭和56年)に西塩釜 - 東塩釜の高架・複線化が完成した。
その後、仙台都市圏の都市高速鉄道事業は、仙台市地下鉄の南北線および東西線の新設、そして、仙石線の複線区間の連続立体交差化事業として実施された。また、仙台都市圏内ながら仙塩都市計画区域の外にある山元町では、東日本大震災からの復興事業として、山元都市計画都市高速鉄道東日本旅客鉄道株式会社常磐線、すなわち、JR常磐線の内陸移設 (L=12,010m) が2013年(平成25年)12月3日に宮城県により決定された[39][40]。
仙台 - 苦竹間については、仙台駅付近が曲線が多い蛇行線形になっていたほか、踏切による交通渋滞問題が発生していたため、連続立体交差化が行われた。この事業では、1985年(昭和60年)に着工された仙台トンネルが2000年(平成12年)に完成、地下化によって14の踏切が解消された[41]。この際には路線の直線化によって距離が短縮されるとともに、あおば通駅が新設されて仙台駅以西に延伸開業した。
これは地下化建設当時検討されていた仙台市営地下鉄東西線との直通運転を視野に入れて先行して仙石線の連続立体交差事業が始まったが、国鉄仙台駅と仙台市営地下鉄仙台駅が離れていたため直通運転案では仙台駅を二分して建設することになり、連続立体交差事業の補助金対象区間を長く取るために地下鉄寄りの「仙台(西)駅」を仙石線と地下鉄との境界駅としたため、この駅までを国鉄線として建設することになったからである。その後地下鉄直通運転案は断念されたが「仙台(西)駅」までは建設され、地下化開業にあたってJR仙台駅とは離れている「仙台(西)駅」の正式名称を「あおば通駅」と決定して開業した。
仙石線における路線改良事業としては現在、多賀城駅周辺の高架化が進められている。
東日本大震災による影響
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、沿岸部に位置する軌道や駅の多くが津波による大きな被害を受けた。
震災当日、野蒜 - 東名間で上りあおば通行普通電車(1426S電車、M9編成)が津波に押し流され脱線大破、また、石巻駅では到着後のM7編成が冠水して被災した。さらに、野蒜 - 陸前小野間では石巻行き快速電車(3353S電車、M16編成)編成が孤立した[† 4]。
地震直後より全線で不通となった仙石線は、震災当日から2週間以上を経た同年3月28日、仙台市内のあおば通駅 - 小鶴新田駅間でのみ運転が再開されたものの、翌月7日に発生した余震のために、再び全線で不通となった[11]。
再度不通となったあおば通駅 - 小鶴新田駅間の営業は1週間余り後の同4月15日に再開され、次いで4月19日には小鶴新田駅から東塩釜駅までの営業も再開された。さらに、同5月28日には東塩釜駅から高城町駅までの営業も再開、これによって、仙台を起点とする区間においてはあおば通駅から高城町駅までが繋がることとなった。
一方、石巻寄りの区間については、震災発生から4か月余りを経た同年7月16日になって矢本駅 - 石巻駅間の営業が再開されたが、電化設備が復旧していないことなどから、電車ではなく気動車による運行となった。さらに陸前小野駅 - 矢本駅間が2012年3月17日に再開された。
復旧が手付かずの状態となっていた高城町駅(松島町) - 陸前小野駅(東松島市)間であったが、JR東日本仙台支社は2012年(平成24年)1月、当該区間の一部内陸移設などによって、2015年(平成27年)度までに全線復旧させる方針を発表した。この区間の復旧工事の費用は100億円超で2013年(平成25年)度中に着工、線路が流出するなど被害の大きかった東松島市内の陸前小野駅から陸前大塚駅までの約6.4kmについては震災前よりも500メートル程度内陸に移設する。また、この区間にあって駅舎が被害を受けた野蒜駅、東名駅の2駅も移設される[13]。2014年7月30日には、復旧工事の目途が立ったことから、2015年6月までに全線再開することが発表され[14][15]、2015年1月29日には全線再開日が同年5月30日と発表された[16]。
また、東北本線の塩釜駅 - 松島駅間と線路が並行している仙石線の松島海岸駅 - 高城町駅間に、両線を連絡する接続線(仙石線・東北本線接続線)を敷設し、仙石線の全線復旧が予定されている2015年(平成27年)5月30日から「仙石東北ライン」として東北本線の塩釜以南と仙石線の高城町以北を相互直通運転する計画が発表されている[18][16]。
新駅構想
陸前赤井駅と蛇田駅の間にある東松島市柳ノ目地区(テンプレート:ウィキ座標)に新駅「柳の目駅」(仮称)を設置する構想が浮上しテンプレート:When、東松島市・石巻市の市議会議員や宮城県議会議員などが実現に向かって活動していた[42]。しかしながら、2011年(平成23年)に発生した東日本大震災の影響でこの新駅構想は一時立ち消え状態になった。 その後柳ノ目地区に隣接する石巻市新蛇田地区が東日本大震災の被災者の集団移転先となり、新市街地が形成されることから、石巻市とJRが新蛇田地区への新駅設置の協議を始めた。当初は2015年の仙石線の全線復旧に合わせて駅開業を目指すとしていたが[43]、若干遅れ、2016年3月となる予定である[44]。2013年11月21日、石巻市とJR東日本は「蛇田新駅(仮称)」設置について基本合意し、駅舎基本設計の協定を締結した[45]。
駅一覧
本線(東日本旅客鉄道)
- :特定都区市内制度における「仙台市内」エリアの駅
- 停車駅
- 普通…すべての駅に停車
- 快速…●印の駅は停車、|印の駅は通過
- 宮城野原駅(△印)はプロ野球開催時に一部の快速が臨時停車
- 線路 … ∥:複線区間、◇・|・*:単線区間(◇は列車交換可能駅、*は交換設備休止中)、∨:これより下は単線、∧:終点(列車交換可能)
- 全駅宮城県内に所在
- 駅名欄の背景色が■である駅(手樽駅 - 野蒜駅)は、東日本大震災により不通となっている区間の駅であることを示す(2012年10月9日現在)。
電化状況 | 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 快速 | 接続路線・備考 | 線路 | 地上/地下 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
直流電化 | あおば通駅 | - | 0.0 | ● | 仙台市地下鉄:■南北線(仙台駅) | ∥ | 地下区間 | 仙台市 | 青葉区 |
仙台駅 | 0.5 | 0.5 | ● | 東日本旅客鉄道:東北新幹線・秋田新幹線・東北本線・常磐線[† 5]・仙山線・仙台空港アクセス線 仙台市地下鉄:■南北線 |
∥ | 宮城野区 | |||
榴ヶ岡駅 | 0.8 | 1.3 | | | ∥ | |||||
宮城野原駅 | 1.1 | 2.4 | △ | ∥ | |||||
陸前原ノ町駅 | 0.8 | 3.2 | | | ∥ | |||||
苦竹駅 | 0.8 | 4.0 | | | ∥ | 地上区間 | ||||
小鶴新田駅 | 1.6 | 5.6 | | | ∥ | |||||
宮城野信号場 | - | 6.8 | | | 仙台車両センター宮城野派出所への分岐 | ∥ | ||||
福田町駅 | 2.1 | 7.7 | | | ∥ | |||||
陸前高砂駅 | 0.9 | 8.6 | | | ∥ | |||||
中野栄駅 | 1.7 | 10.3 | | | ∥ | |||||
多賀城駅 | 2.3 | 12.6 | ● | ∥ | 多賀城市 | ||||
下馬駅 | 1.8 | 14.4 | | | ∥ | |||||
西塩釜駅 | 0.8 | 15.2 | | | ∥ | 塩竈市 | ||||
本塩釜駅 | 0.8 | 16.0 | ● | ∥ | |||||
東塩釜駅 | 1.2 | 17.2 | ● | ∨ | |||||
陸前浜田駅 | 3.1 | 20.3 | | | | | 宮城郡利府町 | ||||
松島海岸駅 | 2.9 | 23.2 | ● | ◇ | 宮城郡松島町 | ||||
高城町駅 | 2.3 | 25.5 | ● | ◇ | |||||
手樽駅 | 1.8 | 27.3 | | | ||||||
陸前富山駅 | 1.3 | 28.6 | | | ||||||
陸前大塚駅 | 2.2 | 30.8 | ◇ | 東松島市 | |||||
東名駅 | 1.6 | 32.4 | | | ||||||
野蒜駅 | 1.6 | 34.0 | ◇ | ||||||
陸前小野駅 | 3.2 | 37.2 | * | ||||||
鹿妻駅 | 1.6 | 38.8 | | | ||||||
矢本駅 | 2.6 | 41.4 | * | ||||||
東矢本駅 | 1.4 | 42.8 | | | ||||||
陸前赤井駅 | 1.5 | 44.3 | * | ||||||
蛇田駅 | 3.5 | 47.8 | | | 石巻市 | |||||
陸前山下駅 | 1.0 | 48.8 | 日本貨物鉄道:仙石線貨物支線 | ◇ | |||||
石巻駅 | 1.4 | 50.2 | 東日本旅客鉄道:石巻線 | ∧ |
貨物支線(日本貨物鉄道)
- (貨):貨物専用駅
- 両駅とも宮城県石巻市に所在
駅名 | 営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|
陸前山下駅 | 0.0 | 東日本旅客鉄道:仙石線(本線) |
(貨)石巻港駅 | 1.8 |
関連作品
- 「MOTER MAN 仙石線」(SUPER BELL"Z、2001年)
- 「MOTER MAN 仙石線 205系mix」(SUPER BELL"Z、2003年)
- 「MOTER MAN 仙石線2015」(SUPER BELL"Z、2013年)
脚注
出典
- ↑ 同様に私鉄が前身で買収前に直流電化され、周囲の国鉄線が交流電化された例として富山港線(現・富山ライトレール富山港線)があった。
- ↑ 片倉仙台製糸所とも呼ばれた。1905年(明治38年)操業開始、1956年(昭和31年)閉鎖。
- ↑ 多賀城・岩沼・泉の3町は、1971年(昭和46年)11月1日に市制施行。
- ↑ M9編成はその後現地解体、M7編成は石巻駅構内に長期留置された。M16編成は路線被災で長期に渡って搬出不能になっていたが、2011年12月に搬出・補修され、同年末に運用に復帰した。なおM16編成は「運行車両」の節で写真紹介されている編成である。
- ↑ 常磐線は路線名称上は東北本線岩沼駅が終点だが、運転系統上は全旅客列車は仙台駅に乗り入れる
注釈