西野亮廣
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西野 亮廣(にしの あきひろ、1980年7月3日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人。漫才コンビキングコングのツッコミ、ネタ作り担当。相方は梶原雄太。兵庫県川西市出身。多田東小学校、多田中学校、県立川西緑台高校卒。血液型O型。身長173cm、体重57kg。
経歴
- 名前の「亮廣」は三国志の『諸葛亮(しょかつりょう)』から「亮」という字をとった。父親が大の三国志好きで、賢い子になるように、と付けた。「廣」は画数で縁起がいいからだそう。両親は「亮廣」と「廣亮」で揉めたらしい。ちなみに映画「ガキンチョ★ROCK」での「コウメイ」という名前も諸葛亮孔明の「孔明」からとった。
最後に、「亮廣」は「あきひろ」と読む。
- 1999年コンビ結成。主に漫才をしている。NSCに22期生として入った時は、別の相方と「グリーングリーン」というコンビを組みボケを担当していた。
- 2001年『はねるのトびら』のレギュラーに選ばれる。番組内ではツッコミ役であり現在でも進行を務める事が多い。
- 2005年7月、フジテレビの月9ドラマ『スローダンス』でドラマデビュー。本来標準語で書かれた台本を自ら関西弁に直していた。
- 2005年秋、ソロトークライブ『西野亮廣独演会』を開催。その後も月一で継続中
- 2005年11月21日、ブログ『西野公論』を立ち上げる。その後毎日更新。
- 『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の企画で、自ら、ムード歌謡曲を作詞作曲。2006年2月22日、西野亮廣とおかめシスターズとして「逢いたくて五反田」でソロCDデビュー。初登場80位。
- 2007年10月4日、フジテレビ系『笑っていいとも!』にて初の単独司会のコーナー、「ただいま、考え中 私の脳内こんなカンジ!」がスタート。
- TBS系、恋するハニカミ!に過去4回ほど出演している。
人物・性格
- 自他共に認めるナルシストでもあるが、チャラチャラした風に見られることを嫌い、髪を染めたり長く伸ばしたがらない。『資生堂 UNO』のCM撮影では髪を染めたが、撮影後すぐに元の黒髪に戻してしまった。相方の梶原が髪を伸ばしていることにも、嫌がっている。(本人は「相方と髪型がカブる」との理由で、短くするのを躊躇っている。)
- 新山千春の大ファンと思われがちだが、実際は個人的に好きな芸能人4人を四天王と称しており、その中の1人が新山千春で、その他は、山口智子、加藤あい、上野樹里である。これは関口宏の東京フレンドパークIIに出演した時に、ボディ&ブレインのクイズの問題として出された。(この時の問題は、山口智子の問題であった)
- 四人兄弟の三番目だが、姉がいる為次男。
- 愛車は日産シーマ(Y33型)。はねるのトびらが日産のCMをすることになったときはねトびメンバー唯一の日産車オーナーだった。ボディカラーは黒。ちなみに、はねトびとは関係ないが、SMAPの中居正広が日産のシーマに載っている。
- バッグは仕事場へは基本的に持参しないが、収録の合間にジョギングをするため、ジャージとTシャツを入れたバッグを持参することもある。
- hydeと深い交流があるらしく、よくお互いの家へ遊びに行くらしい。要出典
男前
西野は男前芸人として有名。 吉本興業が発行している情報誌・「マンスリーよしもと」の吉本男前ランキングでは上位ランクインの常連。
- 2001年度7位。
- 2002年度4位。
- 2003年度2位。
- 2004年度2位。
- 2005年度2位。
- 2006年度4位。
- 2007年度4位。
生活・まじめさ
- とにかく寝ない、食べない。睡眠時間は長くても1日2時間、食事は1日1食。全く食べない日も年に2回あるので、梶原もそんな西野の体を心配している。最近では、睡眠欲、食欲と共に、性欲までも低下しているらしい。
- もともと金銭欲はさほどなく、生活に困らない程度でいいという。デビューしてからというもの、給料明細すら見たことがない。あるのは仕事欲(但し、あくまでギャラより内容が優先)と、いい仕事をして美味しい酒が飲みたいという酒欲だけという。
- 医師から「躁病」と言われたことがあるらしく、風邪を引いたり熱が出たりしても気がつかないらしい。2月だというのに上半身がタンクトップ1枚でラジオの生放送を行ったこともあるが、関連性は不明。
交流
- 社交的なタイプで、タモリなどに可愛がられている。一方で後輩の面倒見が良いことでも知られる。その反面、極度の寂しがり屋でもあり、一人でいる時間が大嫌い。その為か、睡眠時間を削ってまで友人と遊ぼうとする。
- ドラマ、『スローダンス』に出演した際、共演者で同い年の俳優・妻夫木聡と親友になった。
特技
- マラソンが得意で、毎日10km走っている。『オールスター感謝祭(TBS系列)』の名物コーナー『赤坂5丁目ミニマラソン』で、2002年秋に初出場、初優勝を達成。その後著しいハンデをつけてもらったにも拘わらず、2004年4月3日の春の放送では、個人戦・団体戦(駅伝レース)ともにトップでゴールするという快挙を成し遂げた。2004年10月2日の秋の放送では、史上3人目となる春秋連覇を果たした。 毎年10月に毎日放送で放送される『吉本陸上競技会』では、2001年~2003年のマラソンで1位である。2004年以降は東京での仕事が増えた為出場していない。
- 絵を書くのが上手い。美術教師に美大進学を勧められたが、小さい頃からお笑い芸人になることしか考えていなかった。また親は小さい頃からの夢と知っていたので反対しなかったらしい。単独ライブでも舞台セットには彼の絵の拡大パネルが使用されておりファンからも定評がある。最近では個展にもよく参加をしている。2005年3月には『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』で初めてテレビ番組のセットをデザインした。『おはスタ』の番組中、パネルにイラストを描き小学6年生にプレゼントする企画があった。また『大キングコング 情熱!しゃべり隊!!』の舞台イラストでは西野の絵が使用されている。『メレンゲの気持ち』内ありえないグランプリで本が出た時に表紙のイラストを描いた。
- ギターが得意で、『恋するハニカミ!(TBS系列)』に出演した際には、相手役の宮地真緒にギターの弾き語りをプレゼントした。梶原が休業から復帰する際、一方的な態度を謝罪するため訪れた梶原にギターを弾きながら「ええで」と言った。
- また、ギターの他にもピアノも練習していて、『新春かくし芸大会2005』に『はねるのトびら』メンバー全員で出演した際には、演目でピアノ演奏をした。『はねるのトびら』の『走れオーケストラン』という企画でも、キーボード(黒鍵盤)パートを担当している。また、「恋するハニカミ!」に2回目に出演した時には、椎名英姫に美空ひばりの『川の流れのように』を披露した。
- ただ、なぜかスキップができないことが『笑っていいとも』にて判明した。
アンチ亀田批判
「負けたら切腹」と冗談で言った亀田大毅が内藤大助に敗北した際、ブログで「切腹コールは亀田と同じレベル」と述べた。その後、「アンチ亀田=いじめの元凶」と警鐘を鳴らした。ちなみに、亀田否定派の代表格である、ガッツ石松、やくみつる、薬師寺保栄、具志堅陽高を批判している。
出演作品
インターネット
ドラマ
CD
- 西野亮廣とおかめシスターズ 「逢いたくて五反田」
雑誌連載
定期単独ライブ
監督作品
- 『赤いヘルメット』(月刊DVDよしもと本物流Vol.11 2006.5月号赤版)
- 『日の出アパートの青春』("YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 〜100人が映画撮りました〜"の1作品)
その他、コンビとしての活動はキングコングを参照。